黒鎧の男という冷災
広場を照らす篝火は、急激な眩暈に襲われ膝を地面についた神宮寺聖桜を苦痛の塊のように壁面に投影していた。
言葉にならない気だるさ、虚脱感が沸き上がり、呼吸が統制出来ず胸部への圧迫感と眠気が波紋のように身体全体に押し寄せてくる。
近付いてくる優しい影が労るように声を掛けた。
「それは魔力酔いの症状と魔力が枯渇しかかってる兆候だからアーサーを手放した方が良い。アーサー、彼女から離れてくれ」
近寄るヤハルア・グランソードは、聖桜の手から離れ浮き上がるアーサーを確認して目で合図をおくる。その手には拾ってきたダマスカスロングソードがしっかりと握られていた。
影の後ろには、スズメバチや蜥蜴の魔物の死骸が累々と転がる光景が拡がっていた。ヤハルアの実力の一端を垣間見せていた。
「セオ、 口を開けろっす!」
傍に駆け寄るレッドが、袖で聖桜の顔の血液を拭き取り懐からポーションの青い小瓶を出して聖桜に飲ませる。カチカチと瓶口が歯に当たるが構わず流し込んでいく。
ヤハルアは、その様子を見て頷くと聖桜の鞘にダマスカスロングソードをそっと差しこんで戻した。
「アーサーとリンクするのに魔力を消費し過ぎたようだね。アーサーとリンクする事がまず難く無理な筈なのにね。楽になるまで、ゆっくりとした呼吸を繰り返すといい」
ヤハルアは困った顔を微妙にしているが、落ち着き払っていた。教え子達が、これ以上不安にならない為の配慮である。聖桜の傍に寄ったルーニャは、ポシェットを探ると1枚の枯れた葉っぱを取り出した。
「お姉さん口をもう少し開けて」
聖桜の口に切った葉を入れた。
「ウイキクコの乾燥薬葉よ。ポーションと反応して魔力の循環経路を網羅して癒すわ。何回か噛んでから、飲み込んでね楽になるから」
心配そうに近寄るイーナが、3人を何とも言えない表情で唇を噛み、邪魔にならないように見守っている。ポシェットを閉じたルーニャが、仔猫のアリユーと一緒にヤハルアに伺うように振り向いた。
「ねぇねぇ先生は、どうしてこの場所が解ったの?
「アハッ、それはね散歩していたら、いきなり大きな魔力の気配を地底から感じたんだよ。何かしらの理由で魔力遮断結界が壊れて魔力が漏れたんだろうね」
ヤハルアは歪に変形した天井や地面をみてから、神殿の奥にある扉を軽く睥睨する。それは神流が大広間から出ていった扉だった。ヤハルアは、向き直り徐に片方の目を閉じた。
「アハッ、今日の授業はお仕舞いにしよう。夕食に遅れて仕舞うからね。……それよりアーサー、その鞘を僕に拭かせる気かい?』
ヤハルアはベットリした鞘を見て閉じていた瞼をキュッと瞑る。アーサーはモチロンと告げるように鞘の紋様をキランと光らせた。
「先生、まだ少し魔力残ってるの。ワタシに任して。アーサーこっち来て、此所の所に来てね」
ヒラヒラと手招きでルーニャに呼ばれたアーサーが、浮かびながらルーニャの元へススゥと近寄って行く。
「いつも良い子ね、そこで止まっててね行くわよ」
ルーニャは杖を床にトトンと突いた。
「ヴァッ・シェンハイ・リゲシャイ・デクラ・インクヴァレ、水の小海月よ聖なる鞘を洗浄しろ」
「水海月」
数匹の小さな水の海月が、涌き出ると鞘の表面を螺旋状になぞりながら粘液を吸収していく。綺麗に全て洗い地面に辿り着くと光の粒子となり消えた。地面には粘液だけが溜まっていた。ルーニャは続けて杖を翳して詠唱する。
「ヴィン・トルフ・シュ・トローム、風よ気流となり聖なる鞘を乾かせ」
「そよ風」
アーサーの周囲に柔らかい風が、纏わり流れていく。湿った鞘を一瞬で乾かした。
「ルーニャ、ありがとう。僕だと途中で洗うのに飽きてアーサーの機嫌を損ねてしまう可能性があるからね、アハッ」
ヤハルアは顔に光るような喜色を浮かべ、ルーニャにお礼を言う。
「いいのよ先生」
「ルーニャン、すごーい魔法使い」
得意気な、ルーニャたったがイーナに言われて少し照れた。
「アハッ、そろそろ帰る時間なんだけど、じゃあKボーイ君の所に応援に行こうか?」
「待って下さい」
少し歩けるようになった聖桜に肩を貸したレッドが、ヤハルアに声を掛ける。
「ヤハルア男爵様、私達は地上に上がって屋敷に戻るように言われております」
「んーそうなの? 応援に行きたい気持ちも有るけど、教え子達の安全を優先するよ。平民街まで僕が送ろう」
意見が一致し全員で階段を昇っていく。殿を努め一番後ろに居たヤハルアが、様子を見てから全員に向けて声を掛けた。
「アハッ、もう少しやり残した事があるんだよ。すぐに行くから、先に上がって大人しく待っていてね」
そう告げると元来た道を戻り地下の広場に降り立った。薄く目を光らせ周囲を見渡して一瞥する。
歩きながら、息づいてる紫の【黒い小箱】をアーサーで一瞬で貫いて処理していく。貫かれた身体に根付く紫の【黒い小箱】は、音もなく崩れて生体反応を無くしていく。更に見て回り広場の中心辺りに立ち止まった。
「うん、此処だね」
空中に浮く鞘から聖者の剣アーサーをスラリと引き抜くと、何の変哲も無い地面に突き刺した。遠い所で不思議な音が木霊して消えた。
━━少ししてから地面から抜いて鞘に収めると、その場で横にして寝かせた。
「アーサー、先に行くから後は頼むよ」
横に寝たアーサーは刀身をキラリと瞬かせ格好良く応じた。
━━**
ルーニャが杖の先に光を灯し、レッド達の足下を照らし先導している。階段を走って先に上がるイーナは下を見つめ微熱を持つ息を吐き出した。
後から上がってくる皆の為に階段の入口の扉を開けて階段に夕暮れ前の光を入れる。そして、外に出ると外壁と繋がる潜り扉を開けて外で押さえて待っていた。
ーーすると冷ややかで、低音の声が頭の上から響いた。
「何者なのだ、奴隷が貴族街で何をしている?」
首の後ろに冷たい声の波長を感じ振り向いたイーナの前には、黒い鎧が佇み温度を持たない眼球に凍る光を宿らせた双眸が、裁断するように見下ろしていた。
「Eガールのイーナです。皆が上がって来るのを待ってます」
緊張した空気の中でハッキリと答えた。そうしなければ危険だと奴隷としての経験と勘が、警報を鳴らしていた。
「そこが誰の屋敷か知っているのか?」
「………あの、まだ知りません」
ーードグッ!
肉に当たる渇いた音が響いた。
「えふっ!」
乾いた軍靴の爪先で鳩尾を蹴りあげられたイーナは、転げてから腹を抱えて蹲る。
「語るに落ちたようだなコソ泥め。主人の名も知らない者が、何故ルーゲイズ子爵の裏戸を開けている?」
「ケホッケホッケホッ」
背中を強く打ち更に横隔膜が正常に機能せず、まともな呼吸が出来ないイーナは、蹲ったまま動けない。
黒い兵士は冷徹な顔を下に向け、黒い兜の奥の双眸に更なる低温の光を浮かべた後、静かにレイピアを抜いた。
「ーーもう、答えなくてもよい。法を犯した者の末路は、決まっているのだ。奴隷が戒厳令の最中に行えば死罪は免れない。死して償い、地獄で仲良く後悔するがよい。残りの者も残らず私に処断される定めなのだから」
言い放った黒い騎士が、徐に剣を持つ手を上げる。呼吸を乱して蹲るイーナの首筋に無慈悲な剣が降り下ろされた。
ーーキィンッ
男の剣が弾かれ刀身はイーナをギリギリで外れる。地面には木目調に夕陽を反射するダマスカス鋼製の棒手裏剣が落ちていた。
「誰だ貴様は? 一味の者か」
黒い騎士は兜の面を上げて、棒手裏剣が飛んで来た方向を睥睨する。
「悪党に名乗る名前は無えんすよ。止めねぇと次は急所に当てるっす」
潜り扉の前でクナイを構えたレッドが、強烈な殺気を放っていた。傍らには、ルーニャに支えられ寄り掛かる聖桜が佇んで居る。
「ーー!!?」
聖桜は気付いた。ーーあの顔は村の皆に虐殺の限りを尽くした兵隊。こめかみに一筋の冷や汗が浮かぶと怒りと憎しみが、グツグツと揺り戻ってくる。
男はレッドから放たれる突き刺さるような殺気を物ともせず、冷静に口を開いた。
「悪党? 侮辱と受け取るぞ。命を放棄して言った事を、あの世で自慢するがいい」
冷気と殺気が入り雑じる低い声と同時に銀色に艶めくレイピアの刃をレッドに翳して斬りかかった。
ーーギンッ!
短剣で受けたレッドがレイピアを反らし身を躱す。振り向いた男は構わず再度、レッドの剣を腹部に突き入れる。
キンッ!
剣先に短剣の刃を当て横に躱した。
放つ殺気はイーナから此方に気を向ける為の物であった。避けるのは訳無いが、黒騎士を実際に殺す訳にいかず防戦一方になっていた。
「フン、 斬って来ないのか? 攻撃せずとも貴様を処刑する事に変わり無い」
ーーレッドは男が喋る最中に腰から、ダマスカス鋼製のヌンチャクを取り出し面を上げていた男の鼻面を突いて飛び退いた
「ーーっっ」
鼻からツーッと赤い血が垂れる。鼻の痛みは麻痺して解らなくなる。冷酷だった男の顔が赤く紅潮していき、こめかみに血管が濃く浮き出た。
「ぐぅぅ! 今すぐ償わせてやる」
逆上した男は冷酷にもレイピアの刃を再びイーナに向けようと振り返った。
「!」
そこには、ダマスカスロングソードを八双に構える神宮寺聖桜が、息も絶え絶えに立っていた。
男は構わずレイピアを振り上げ、聖桜の肩口目掛けて斬って掛かった。
「いい加減にしろテメエッ!!」
怒声が響き渡る。男の剣先は、ダマスカスロングソードと交わる前に勢いを無くし止まる。
━━
背後で仁王立ちする細身の黒騎士が、腕を組み兜の奥の双眸で射るように男を睨み付けていた。




