戒厳令の顛末
◇南の貴族街ゲート
茜色の空から流れる冷たい空気に透明な色を添える噴水の横で、ゲートの衛兵が上官から叱責されていた。
「何っ? ヤハルア・グランソード男爵を通した? 奴は、あの方は、もう軍属じゃないんだぞ!キュンメル城伯様の厳命を破ったのが、バレたら牢獄行きだって有り得るんだぞ!」
「ロボスレイ衛兵長、そう言われましても~、一応は伝えてお止めしましたよ。しかし、「アハッ大変だね~」と言って颯爽と通り抜けて行きました」
仕方ないとばかりに手を拡げる。
「軍属は退いておられますが、ヤハルア卿は貴族籍です。公にされてませんが、あの方は国王様の……「免罪符」を保持されているのですよね? 私共では強制は不可能です。ヤハルア卿が、力ずくで通ろうとしても止める手立てがありません」
興奮した衛兵長は顎に手をやり思案する。すぐに落ち着きを取り戻して、納得するように鼻から息を吹いた。
「ふん、まあいい内密にしておけ」
「はあ、解りました」
衛兵達は気の抜けた返事をする。
「あらあら、忠誠心も兵士としての心得もなってないようねぇ」
「!」
1人の痩せた黒騎士が噴水の影から、身を出すと歪む頬を見せて近付いてくる。
「貴方は!? ジェリー・ブラッカイマー近衛師団長!」
噴水の影から現れた黒騎士の黒い甲冑には、薔薇と刺の模様が施されていて特別製なのが一目で解る。肩甲には薔薇の花弁などの意匠が凝らされている。兜の面を上げると唇には薄く紅が引かれ眉にはアイシャドーが薄く描かれている。
男は躊躇する事なくレイピアのような細身の長剣を抜くと怯える衛兵長に向けて振った。
「薔薇の魔蔓」
男の詠唱と共に刃から、黒い薔薇の蔓が涌き出るように生まれ衛兵長にするすると生き物のように絡み付いていく。身体に食い込ませ締め付けて浮かし拘束する。
「貴女は!? じゃないでしょう。報告しないのは背任行為よ。本当なら懲罰房行きだけど、私が代わりに報告し・た・げる・わ』
「ぐっぐぁ、了解しました。おっ下ろして下さい師団長殿」
額から浮き出る汗が地面に垂れる。
「甘いわね、お仕置きもするし無料じゃないわ。お前の身体で払いなさい」
「師団長殿!私には妻も子供も居ります。貞操だけは、何とか勘弁して下さい」
涙目の衛兵長は、涙目で身動き出来ない手を合わせるように懇願する。近くに居る衛兵達の顔から血の気が引き青ざめていく。
「ハァァァ? 馬鹿ねえ男の癖に泣くんじゃないわよ。献血よ」
「血?」
「ヌフフ、私の魔剣ブラッディフィズちゃんの喉がカラカラなのよ。私と一緒で特に男の血が好きだから、潤してあげてね」
「棘」
男がウィンクして詠唱すると薔薇の蔦の黒い棘が、衛兵長の首筋に刺さりドクンドクンと血を吸い始め刃紋が紅い色艶を魅せる。他の衛兵達が慌てて男に歩みよる。
「ジッ、ジェリー・ブラッカイマー近衛師団長殿! 衛兵長が死んでしまいます!」
「馬鹿ね、血は毎日作られてるのよ。チョッと吸った位じゃ死なないのよ。王立図書館で勉強してきなさいよ。・・それに貴方達も連帯責任なのよねー」
男が唇を舐めて笑うと薔薇がレリーフされた魔剣から、黒い蔦が伸び衛兵達に絡みついていく。
「うっっ……!」
「ぐぇ」
「うぐぇ!!」
「げぇーーっ」
「がはっ!」
「どう? 感じてる? う~ん良い表情ね。1人位、持ち帰りたいわぁ」
薔薇の蔓は、血管を見つけると小さな刺を生み出して正確に突き刺した。絡め捕った衛兵全員から、少しづつ血液を吸い上げると、黒い薔薇の蔓が赤身を帯びていき薔薇の小さな蕾が、妖しく芽吹いていく。衛兵達の顔は血色を失い青白くなり段々意識が朦朧とし虚ろになっていく。
━━
「ぜぁっ!」
咆哮と共に幾つもの白い剣閃が走り赤い薔薇の蔓を切断していく。切断された蔓は大気に霧散していく。
「チッ、やあねぇ熱血バカが来たわ」
「バカ野郎!ジェリー衛兵はお前の私兵じゃないんだぞ!」
現れた若い黒騎士の顔は、彫りが深く凛々しい。薄い金茶の2つの瞳からは、偽りの無い怒りが溢れ出す。
獅子を模した兜から漏れる髪の色は、鬣のように黄金色から薄いこげ茶色まで揃い風に靡いた。両肩甲に造られた立体の獅子に陰影が溜まって黒の構造に合わせた深みを見せた。
鉄の質感に負けない体つきは、高みまで鍛え上げた頑強な肉体の印象を周囲に強烈に与える。
「聞いているのか!」
胸にも獅子が彫金され、他の黒騎士より一際深い漆黒の鎧を纏った黒騎士が、身の丈もある大きなブレイブバスタードソードを地面に突いて怒鳴った。
その騎士に付き従う頭2つ小さい小柄な黒騎士が、衛兵達1人1人に近寄って胸に手を翳していく。その鎧には白いラインが入っており普通の黒騎士とは違う事を物語っていた。
「癒しを」
胸に浮かぶ柔らかな光に触れると衛兵達の意識が鮮明になっていく。
「うるさいわね叫ばないでよ、ヴァイア。背任行為に罰を与えただけよ。厳しくしないと規範が緩むでしょ。どっか他の持ち場に行きなさいよ」
「何度言えば解るんだ! お前のやってる事は私刑だ。赦さんぞ!」
剣を持ったまま、薔薇の魔剣を持つ黒騎士に詰め寄り怒声を張り上げる。
「たくっ怒鳴らないでよ……もういいわ、解ったわよ。剣で脅すなんて全く野蛮ったらありゃしない」
あからさまに嫌そうな顔をしたジェリー・ブラッカイマーは、舌を出して顎にシワを寄せて歪めてから魔剣を鞘に納めた。
「簡単に魔剣の力を解放するな!」
「しつこいわね! ブラッカイマー家の物をどう使おうが、アンタに言われる筋合いがないわ」
言い争う二人に馬に乗った兵士達が近付いてくる。
「街中で師団長が喧嘩してるのは、みっともないのでは無いか?」
「!?」
「ー━!」
白い馬を操り整った白髭を撫で上げて、黒騎士達を剛気な声で嗜めたのは、年季の入った皺と傷が顔に刻まれた高齢の黒騎士であった。
甲冑の胸には、白色のエンブレムが掘られ、盾を左右から支えるライオンとドラゴンそして、上には王冠と王冠飾りが彫金されていた。それはトリュート王国の紋章である。
ーー彼はクワトロ永久要塞最高司令官クレティアン・ラース・ドルフ提督であった。
「てっ提督だわ!?」
「提督いらしたのですか」
「四天王とまで言われた御主等がそんなでは、呆れてしまうでは無いか」
争っていた2人に咎めるような強い眼差しを投げ掛けた。
「こっこれには深い事情があるんですのよ、オホホホ」
「提督殿が何故こんな所に?」
「なぁに提督なんて暇なもんでな。渋るエルネス・キュンメン城伯殿から戒厳令の解除を頂いて来た所じゃて。各兵に通告するように指示も既に出したから、そろそろ来るじゃろ』
「漸くストレス発散出来るわね」
「解除になったんですか、くっ………やっと平民街の人を助けられる」
ヴァイアは、唇を噛み締める。クレティアン・ラース・ドルフは目尻を下げると徐に懐から、飴色の喫煙パイプを取り出した。先をコルクで押してから、マッチで火を付けた。
「オホン、では特別に司令を発動する。門衛兵2人残して、先行して平民街、貧民街の臣民を助け秩序を回復せよ!」
「ーーはっ!!!」
一斉に応じた声が反響し近衛師団長を含めた全員が踵を鳴らして敬礼する。
「あと喫煙の件は内密にな」
両脇の補佐官から、非難の表情を向けられる。
「閣下…………いけませんよ」
「閣下、また貴族連中から苦情が来ますよ」
クレティアンは口をへの字にする。
「解っとる……ワシも一緒に出陣したらダメかのう?」
「ダメです。要塞本部で統制を取って頂かないと、戒厳令解除の収拾が付きません」
「そうか、では後は要塞本部で吸うかの…………遅くなって、すまんな……セーリュー」
クレティアンは、空に煙を吹いて来た道を補佐官と共に戻って行った。
━━**
「!?」
ーー平民街に入ったヴァイアは、目を疑った。
「何て事だ。ここまでとは」
無傷の貴族街に比べて凄惨過ぎた。遠く漂う異臭に鼻孔反応する。転がる遺体と魔物の屍、建物の破壊と損壊状況、戦争でも起きたのかと彼らを錯覚させた。
「何コレ臭いわぁ、予想はしてたけど、随分と酷い有り様ねぇ」
鼻を摘まむジェリーが、ぱたぱたと鼻を扇ぐ。
「兄さん……」
「解ってるツィーリア、生きてる民を助けに行こう」
━━
こちらに歩いてくる異質な男を視認した。不自然な姿勢で歩いてくる。魔物に変わり果てた姿は、身体から異形に垂れた触手、斑模様に膨れて腫れた肌を露出している。まるでゾンビのように呻きながらゆっくりと迫ってきた。
ーーザッッ
ヴァイアが一瞬で距離を詰め仁王立ちになる。仙術の能縮地脈、縮地術である。
━━!
禍々しい魔物は、一瞬で目の前に現れたヴァイアに一切の反応を見せない。
「そんな事は関係無い」
背中から、抜かれた身厚のブレイブバスタードソードを斜陽の光を斬るように降り下ろしていた。魔物と化した男は、肩から股に剣が潰すように通り抜けると低い喚き声を上げて倒れていく。
「魔物は斬る!」
倒れると同時に死骸の首の付け根に異変が起こる。寄生していた紫色の【黒い小箱】から、植物と虫の中間のような足が、ぶわわわと生えた瞬間に跳ね上がりヴァイアの首筋を目掛けて躍りかかった。
「薔薇の魔荊」
ヴァイアを狙う紫の【黒い小箱】は、後ろから伸びる黒い薔薇の荊に絡み取られジェリー・ブラッカイマーの手元に引寄せられる。ヴァイアは、剣を逆さまに持ち斬ろうとしていた。
「ギィィギィィ!!」
「余計な御世話だったかしら? 何よこれ【黒い小箱】が変色して動いてるわ、気味悪いポイね」
ジェリーは、細身の魔剣でザクンと串刺しにする。紫の【黒い小箱】は、呻きながら砂となり崩れ黒い霞となり消えていく。ヴァイアが疑問を口にする。
「城伯様は何故、戒厳令を? 何故魔術師達の警護に我らを着任させた?」
戸惑うヴァイアに妹が進言する。
「兄さん、それより負傷者を探しましょう」
「……その通りだツィーリア、今からでも遅くない。助けを求める民を救うんだ」
「全く暑苦しい兄妹ねえ、ホラ行くわよ」
ジェリー・ブラッカイマーが、魔物を見て不安になった棒立ちの衛兵達に冷たく舐めるような睨みを効かせる。緊張する衛兵はきごちない敬礼をして応える。
黒騎士と衛兵達は、既に遅過ぎるという実感とやるせなさを噛み締めながら、治安回復に努める為に街のさらに中心へと向かって行った。
ーー衛兵達の災難の発端であるヤハルア・グランソードは、地下神殿で子供達に有意義な戦闘の授業を開いていた。




