非情の矢
神流は梁の上から息を殺して飛び降りていた。狙いをすましてドズルの後頭部目掛けて鈍く光る山刀の峰を立てると、肺の空気を絞り出すように咆哮し渾身の一撃を振り降ろした。
「とおりゃぁ!!」
ーーガゴウンッッッ!!
「ウゴッ!!」
剥製の牛が横倒れするようにど巨体がバタンとうつ伏せに直れた。2メートルの巨躯の衝撃に床は波打ち豪快に埃を舞い上げた。
「ふぅ、クリティカルヒット」
━━俺が言うのも何だが威力は十分だろう。
ドズルの後頭部は山刀の峰の形にへこんでいた。神流はミホマに笑顔で向き直る。
「ミホマさん、上手くいきましたね。マホとマウも恐怖に負けないでよく頑張ったよ。後で、みんなに見せたい物が有るんだよ。絶対喜ぶと……」
「……こっちを向げぇ」
神流がマホとマウに顔を向け気を緩め安堵しようとする瞬間、ミホマが悲鳴にも似た叫び声を上げる。
「神流さんっ避けてーー!」
倒れて這いつくばるドズルが、懐から出したクロスボウを神流の額に向けて狙いを定めていた。ギンッと限界まで張られたボウガンの弦は、極限まで高められた張力を命を奪うために解放しようとしていた。
神流は自分に向く剣の先のような鋭利な鏃を視認する。
━━待っ!
ーーバシュン!!
非情にも引き金がガチンと音を立てて容易く引かれた。張られた糸は力を解放し射出された鋭いボウガンの矢は神流の眉間の中心に糸で引かれるように吸い込まれていく。
「脳みぞ散らぜぇ!」
悪辣に顔を歪ませるドズルは舌を出して嗤った。
神流は空気を裂くように貫き斜め下から一直線に飛んでくる鋭いボウガンの矢に明確に訪れる死の匂いを感じた。
ーードスッ!!
頭蓋骨を抜け深く突き刺さる矢は脳幹を潰すように破壊し一瞬で命を停止させた━━━━筈だった。
ーーしかし違う現実が存在していた。
神流が避ける姿勢で途中まで出した掌の前に指輪から淡く小さな光の波紋を立たせた。
放たれた矢が波紋に触れると空中で慣性を失ったように停止し床へと落下していく。
「なんだど!?」
神流がすかさず山刀を構えて近付く。
「っ! 待っでくで!許してくで、改心する」
ドズルは見上げながらボウガンを前に置いて両手を組んだ。
「なに?」
怒りを宿したまま呆気に取られた神流は動きを止める。
「散々暴力を振るっておいてふざけんな!」
「もう2度と悪さはじねえ。謝っですぐ帰るがら命だけは……」
「……殺す価値も無いな。動くなよ」
━━殺した事、無いけどな。
「分かっだ」
神流は振り上げた山刀を降ろし、扉の脇で緊張の面持ちを見せる2人に顔を向け声を掛ける。
「マホ、マウ平気か?」
(目を離じやがった!?)
神流の視線がマホ達に向いた瞬間、塗り替えたように悪辣な形相に代わるドズルが腰から矢をヒュッと抜き出し即座にガチャリとボウガンに仕込みと神流を狙った。
「ウジャジヤアーーバカめ!」
「とりぁっ!」
ーードガゴンッッ!!
神流は予測していたかのように爪先を軸に既に身を翻していた。一動作でドズルの頭に渾身の一撃を喰らわせた。二度目の攻撃はしっかりと後頭部を打ち抜き全衝撃を脳の最深部へと叩き込んだ。
衝撃と共に白眼を剥いて大きな泡を吹いて意識を失った。神流は睨みながら吐き捨てる。
「フェイントだ。信用する訳無いだろ。少しでも動いたら攻撃出来るようにしてたんだよ。社会でもこの世界でも……向けられた敵意は忘れず信用する。それが俺の流儀だ。黙って床に沈んどけ!」
床に顔をめり込ますドズルの後頭部は轍のように陥没していた。
「……かなり凹んだな。最新の頭型だから、おシャレだと俺に感謝しろよ」
神流はドズルの後頭部を睨みながら俯く。
━━さっき矢に刺さって死ぬとこだったのに……。意味わからん。
「神流さん……助けて頂いて本当に有り難う御座います」
ミホマが神流に深く頭を下げてお礼を言う。
「人として当然の事ですから気にしないで下さい。やっと役に立ててホッとしてる位ですよハハ」
~*
「くそっもうマジで嫌だ……」
━━超絶臭い。何の因果で俺が汚いオッサンの身体をまさぐらなきゃならないんだ。
「うえぇ……臭っ」
神流はドズルの身体を嫌々探り、ジッポのライターと腕時計を回収してから足と手を縛りつけた。
━━この銀色のジッポは俺の胸ポケットの奥に入っていた。久しぶりのブレザーで内側の胸ポケットなんて記憶から消えてたわ。まあ、それが役に立ったんだが。
神流はタバコの類いを一切吸わない。職場や取引先で「火を貰ってもいいですか?」とよく聞かれて「タバコ吸わないんで」と言うとガッカリされ微妙な空気が出来上がる。それが嫌で携帯していたジッポが、学生服の胸ポケットに入っていた。
━━矢もそうだけど、命のやりとりが多過ぎて気にならなくなってきた。山が在ったら登る、有るものは使うそれだけだ。
神流は自分の持つ山刀を繁々と見つめる。
「……普通に刃物を使って攻撃してるな俺」
━━これが人間の順応性と言うものか。順応したいと1度も思って無いんだが。それにしても俺を助けた光は何だったんだ……。
「神流さん、それは何の道具ですか?」
ミホマが神流の持つ小物を見ながら話し掛けた。
「腕時計とジッポです。要ります?」
「いえ、不思議な物をお持ちなんですね。それに矢を止めるなんて神流さんが魔法を使えたなんて驚きました」
「魔法? 念力なのか気功というか気圧とか気流がアレしたんじゃないですかね? ……話しは変わりますけど魔法使いって存在するんですか?」
「えっ? 魔術師様や魔導師様の事ですか。神流さんは違うんですか?」
「まさか、違いますよ。……じゃあチョッと残りの作業を済ませちゃいますね」
神流は、まだ叩いたり踏んでいるマホとマウを少し間を空けてから止める。
そして、納屋から出してきた一輪車に載せるのを手伝って貰った。山賊2人を納屋に運び猿ぐつわをしてから、馬用のロープに縛りつけた。
━━!?
縛り付ける最中、覗いてるマホを見ると左の登頂部の髪が少し千切れ引き抜かれていた。ゾッとしてマウを見ると右耳の付け根から出血していた。
「ちょっマジか…………」
神流の心の底で芽生えた黒い衝動が激しく渦を巻いて形を成そうとする。
「2人共ミホマさんの所へ先に戻ってて直ぐ行くから」
「うん、待ってるよ」 「戻る~」
━━
ゆっくりと馬房に繋がれた2人の所に歩いて行くと声を掛けた。意識を戻し神流に気付いた山賊2人が身を大きく捩り暴れだした。ビキビキと縄が悲鳴を上げる。
「ゲオラァ!! 刻んでやる」
「ヴジャーー! ぼどげぇ! ごろじでやど!」
「まっとうなサラリーマンの俺には、お前ら犯罪者が何でそんなに腐ってんのか分からねえよ。反省してさ、他人に危害を加えずに生きて行けよ。約束してくれよ」
「ゲアッ!舐めやがって殺してやる」
「ヴジャーー! ぼどげぇ潰してやど!」
━━ダメだな。
疲労を見せる表情で続ける。
「……ミホマさんは食べ物が無い中で、なんとか子供達を食べさせようと自分の食事を減らしていた。貧しいのに俺にまで食事を食わしてくれた。マホはお姉ちゃんとして妹に付き添い面倒を見ている。マウは小さいのに食事が少ない事に文句など一切言わずに食べている」
「うるせえーーうるせえーー!」
「ごぼじでやる"!」
2人は目を血走らせ神流に唾を跳ばしながら歯茎を見せて吠える。
「弱いもの虐めとDVが生理的には嫌いなんだが……小学校の歴史の授業でハムラビ法典ていうのがあってさ……」
疲れた黒い瞳は、隙間から差す月明かりの青を吸収しているような怒りの冷気を帯びる。納屋の中に転がる堅い擂り粉木棒を拾い溜息を吐いた。
ーー罪人達よ、皆の痛みの一部でも味わって反省しろ」
神流は身体を半回転させてグリルの脛に擂り粉木棒の一撃を入れた。
「げぐぁーーーー!!」
━━脛への打撃は誰でも痛い。弁慶が泣いたらしいからな。
「犯罪者共……散々力の弱い女性や子供に暴力を振るっておいて自分の痛みには弱いみたいだな。ミホマさんを何度も蹴飛ばした分。次はミホマさんを斬り殺そうとした分な」
首を激しく振るドズルの脛にも180度スイングした一撃を打ち込む。
「う"ぉじゃぁぁぁぁーー!!」
━━悪党顔に切り換えてと。
「誘拐しようとした分とマホの髪を引き千切った分とマウの耳の出血の分等々……倍返しで叩く。俺を殺そうとした分も追加受注。おっさんに棒で触れるのも本当は嫌だがケジメだ。月と一緒にお仕置きだ」
瞳に冷気を宿した神流は2人の脛に向けて贖罪の擂り粉木棒を静かに振り上げる。
*~*~
若干、頬の痩けた表情を歪める神流は納屋を後にする。
「はぁ、ハイパーブラック神流終了……だる臭くて嫌な任務だった。しっかりと損害倍賞も請求しよう」
親指に嵌まる指輪から蜘蛛の糸ほどの透き通る薄白い靄が納屋へと繋がり神流の指輪へゆっくりと吸い込まれ続ける。
月光を反射する黄金の指輪は暗闇に溶け込むように存在を薄め刻の流れに身を任せていた。




