橙色の課外授業
「アハッ僕の手で足りるかい?」
ーー地下神殿大広間に軽く響いたその声は、ヤハルア・グランソードの喉から発せられていた。
知らなければ、赤褐色のボサボサ髪の駆け出し少年兵にしか見えない。立ってるだけで、威嚇も威圧もしていない、その男の計り知れない存在感から受けるオーラが、魔物と化した邪教徒達にも作用した。魔物達が殺すターゲットをヤハルアに変えていく。敵意を剥き出しにして死肉に変えようと迫る。
「ええっ先生!?」
驚きと喜びと安堵と信頼を塊にしたような声が、地下神殿の凄惨な大広間に咲くように響いた。
灰色の不思議な目をした青年は、屈託の無い笑顔を見せた。華奢な身体に騎士風の衣服を纏う、その背中には離れること無く聖者の剣が、寄り添っていた。
「アハッ僕の教え子達ばかりじゃないか。ルーニャ、少し下がろうか」
「ーーはいっ!」
ラミアの石の効果を看破し落ち着いた柔らかい声で、ルーニャを下げると聖桜の横に並んで声を掛ける。
「前のように良い気迫だねえ。乱戦は、まだ我慢しようか。戦うならルーニャの少し手前に下がって、端から1、2匹ずつ相手をすると剣の機嫌が良くなる筈さ」
聖桜が、驚いて聞き返す。
「解るんですか!?」
「アハッ教え子の事は何でも解るよ。変装とか擬態をしても僕の眼には無意味だしね。ところで、君達の主人は何処に居るんだい? 僕の親友になるような気がするんだけどね」
聖桜の顔に陰りが見えた。
「こんな事を言うのは憚られるのですが、素性を隠すように言われています。私がKボーイの事を勝手に喋ってしまうと信頼を失ってしまいます。いつか御詫びは致します。どうか御容赦を」
ヤハルアは、瞬きをして無邪気に笑った。
「Kボーイ? アハッ、聞かない聞かないよ。「信頼」は大儀にするに値するのは僕も同感だからね。調度良さそうだし課外授業を始めようか。ーーまず周囲を良く見る事。戦う地形、相手の動向、使えそうな物、危険な物、敵に気を張ったまま、目から入って来る複数の情報を整理して戦おう」
「はい、心しておきます」
「アーサー、ルーニャは魔力切れのようだ。教え子達の援護を少し頼むよ」
ヤハルアの背中から、アーティファクトである聖者の剣アーサーが燐光を放ち浮遊離脱する。
「さてと」
ヤハルアは、手前まで迫る邪教徒達に温度を下げた目を向ける。
「お前らが人間辞めても僕の心はまるで傷まない。マトモな意識が残っていれば、本能で僕に向かって来れないんだけどねえ」
ヤハルア・グランソードは、迫る魔物達の中心に買い物でも行くかのように進んで行く。全魔物に死神の微笑を見せながら囲まれていく。
自然に挑発効果が生まれ、邪悪な敵意が彼に向けられ一斉攻撃が始まる。四方八方から迫る複数の触手を避けながら落ちている折れた槍を拾い手に取った。
「お前達の終わりは、この折れた槍が告げるらしい」
周囲を囲んだ魔物達は、呼応するように地下神殿を揺るがす雄叫びを上げた。
「ゲルァーーッ」
「グルルゥアア!」
「ゴガーーーーッ!!」
ー***
◇祭壇の広場
ーー蟷螂の魔物と化した邪教徒は、鋭利な鎌の腕を6本揺らし威嚇し涎を垂らす。レッド・ウィンドは、壁を背にして魔物の気を引いている。
「コッチを見ろっす」
瞬間、僅かな土煙と風を上げて壁に刺さっていたダマスカス鋼の棒手裏剣に足を掛けて高く跳躍した。蟷螂の魔物の頭上に身を躍らせ、後ろ手にしダマスカスクナイに手を掛けた。蟷螂の額に向け投げ放つ、蟷螂の魔物は、上から迫るクナイをとっさに鎌で弾いた。しかし、弾いたダマスカスクナイの影から、もう一本黒く塗られた漆黒のダマスカスクナイが現れる。ザグッと片方の複眼に吸い込まれていく。
「ギシャァァァ!!」
ーーズサンッ
魔物の死角に身を滑らすように移動させた神宮寺聖桜から、ダマスカスロングソードが、空気を裂くように降り降ろされた。2本の鎌が、斬り落とされ弾け飛ぶと鮮明な断面を覗かせた。
「えいっ!」
更に節と化した魔物の膝に微光を纏うイーナの一撃が突き刺さり麻痺を付与する。
「ギシュァァァーー!」
蜥蜴の魔物は絶叫し命を刈り取る鎌をイーナの頭に無造作に降り下ろした。
ーーガインッッ!
反撃の鎌を聖者の剣アーサーが大きく弾く。イーナは無事に走ってルーニャ・ウネの元に戻ると身体に纏っていた微光が空気に消えていった。
「あっピカピカ消えちゃつた……ルーニャンありがとう。自分じゃないみたいだった」
「ハァ……分かって無いわね。身体に無理させてるだけなのよ。アンタねぇ明日の筋肉痛すごいわよ、解ってる?」
「えっきんにく?」
首を傾げたイーナだが、どこか嬉しそうだ。
ーーレッドは、回転して後方に着地する寸前にダマスカス鋼のヌンチャクを魔物の鎌に打ち込み麻痺を付与していた。
正面に移動した神宮寺聖桜に蟷螂の魔物から、鎌と触手が同時に伸びる。聖桜は、避けようとせず篝火で木目調に煌めくダマスカスロングソードを構え練った気を解放する。
一条の剣閃が走った。
蟷螂の魔物と化した邪教徒は恐怖に似た何かを感じた。それが何かも解らず、つぎの瞬間ーー自分の身体が縦に裂けていく。
「残心あるもの、貴方には必要のない言葉だったわね」
ラピスラズリのピアスから仄かな熱を感じると、指で髪を梳いて掻き上げる。篝火に跳ね返る光りに肩からこぼれた髪は、艶やかな漆黒を強めた。
*
ーー魔物と化した邪教徒達は、ヤハルアを攻撃し続けている。鮫の魔物の噛みつきを首を傾げ避けると蜥蜴の魔物が、攻撃しながら顎を開いて強酸の唾液を顔に吐き掛ける。ヤハルア・グランソードは、「つまらないな」と、いった表情で頭を下げて躱す。地面に掛かった強酸の唾液は、地面を溶かし煙を上げている。ヤハルアは、まるで舞踊でも見てるかのように周囲から来る攻撃を身を翻して躱し続けていく。
元魔鋼騎士、黒薔薇の軍団長の肩書きは伊達では無かった。
折れた短い槍が燭台の紅い光を帯びて襲い来る複数のピラニアの触手を生き物のように掻い潜ると、一瞬で胴体に幾つもの致命傷の槍疵を刻んでいく。
「グルアァァーッ!!!」
横からザリガニの魔物の甲殻鋏が放たれる。 穂先が篝火を受けて光る。オレンジに輝く一瞬の光だった。残像の尾を描き見えない速度で撫で切りにすると数秒遅れて甲殻鋏が根元から落ちた。
ヤハルア・グランソードの衣服には、魔物達の血飛沫の1滴すら付着していない。邪教徒や低級の魔物が強化した位では、元王都の軍団長に傷1つ付ける事さえ難しい。折れた槍を バトンのように持ってクルクル回して、もう一度突いた。魔物が落とした甲殻の鋏をピラニア触手の隙間から、胴に投げつけトドメの一撃を入れる。ピラニア触手の魔物は膝から崩れ呻き声を上げながら倒れていく。
「ーー」
直ぐに両側から、甲殻鋏と針ネズミのような腕が掴み掛かりヤハルアの髪を交互に揺らした。半身になり、手首を返して穂先を振ると折れた鋭槍の鋒に光るラインが走る。針が絨毯のように生える肩まで、槍閃が流れ腕を切り裂いた。勢いのまま、魔物の頭部を横に割り息の根を止めた。
(うんうん、レッド君もセオ君も間合いの取り方は合格。蟷螂の鎌さえ気を付ければ問題無いしね、苦戦もしていなかったようだ。アーサーも加勢してるから小さな二人も心配無用だろう)
瀕死のザリガニ魔物はヤハルアの腹部に向け鋏の切っ先を放つ。それと同時に鮫の魔物は、首筋に狙いを定め喰い切ろうと牙を剥いて襲いかかる。
━━
軽くステップバックするヤハルアは槍の折れた部分を石突きのように下の鋏に打ち込み穿つ。その流れで横に手首を返しながら軽く振り抜くと、鮫の魔物の首元に真一文字に切れ目が入った。スーッと口が開いていき頭と胴体が決別を果たした。
「ギァーー!」
苦し紛れに触手を伸ばすザリガニの魔物の心臓に槍を捻りながら突き入れる。大きく身体を、ぐらつかせると大きな音を立てて倒れた。死骸を跨いだスズメバチの魔物が巨大な毒針をヤハルアのこめかみに向けて一瞬で突き入れる。
ーーキイイン!
「単調だねぇ」
毒針の先端に槍先を合わせて毒針を止めた。そのまま槍を射し込み毒針ごと腕を破壊した。
判別する意識を持たない魔物と化した邪教徒に、極限の技量を見せつける。ヤハルア・グランソードの技量は其だけでは収まらない。攻撃しながら邪教徒達が、飲み込み胃に張り付いた紫の【黒い小箱】を正確に槍で射抜いて生命活動を終わらせていた。
━━
後ろから硬質で鋭利な葉針が無数に放たれる。感じてとったヤハルアが神速の歩法で躱すと、全ての針がネズミの魔物の死骸に刺さるとブクブクと泡立ち肉を溶かし始めた。
木の魔物が、常に蔦を這わしヤハルアを捕獲しようと這わしている。空中の触手蔦は手刀で斬り落とし地面に落としていた。
「毒か興味ないね」
ヤハルアは横に跳躍した。
一息で一番近い篝火まで移動すると燃え盛る鉄製の篝籠に槍を刺した。炎を上げる松明を木の魔物にヒョイヒョイと投げつけ、落ちる松明ごと魔物の身体を貫いた。
「ボォァ━━━ッ!」
木の魔物に引火すると巨大な松明のように紅蓮に逆巻き燃える火柱が高く立ち上がった。
ヤハルアのボサボサの髪に一際明るい橙色を添えて、華達が戦う大広間を照らし染め上げていった。




