クズの総裁マルファス
少女は、やっと手に馴染んできた子供サイズの無垢な白クルミの杖を、いつも肌身離さず持っている。少女は、この暖かく手触りの良い杖の匂いが好きだった。
色味は淡く木目のコントラストも柔らかく表面は、丁寧に磨かれツヤが映えるよう仕上げられており、すべすべで優しい風合いを引き出していた。オシャレ子魔女の自尊心を上げているのは、其だけでは無い。その杖の先には、五芒星の交点に煌めく紅く小さい魔石が埋められていた。少女は、肩に掛かるアップルグリーンの癖毛を揺らす。
「私達は、夕暮れ前には、戻って勉強してるフリをするのよ。解ってる?」
「ニィーーッ」
ルーニャの胸から顔を出すアリューが返事をする。
神流達と別れたルーニャ・ウネは、魔力探知で怪物と全く出会す事もなく貴族街に在る自宅にイソイソと向かっていた。ーー仔猫の変化に気付く。
「どったの?アリュー、ピリピリして」
少女の飼い猫アリューが、胸元から肩に上がると身震いをして毛を逆立てた。
「フーーッ!」
すると、遠く離れた要塞方面から、けたたましい轟音が鳴り何十もの稲光の柱が見えた。
(ーー!! あの量の雷撃って、まさかKボーイのお兄さん? あり得るわ~やり過ぎよね~本当に何者なのかしら?)
「アリューは魔力の大気変動を感じたの?」
「ミャーー」
ルーニャが、アリューの頭を指で撫でると、咽を鳴らしてルーニャの頭の上に移動する。
「コラ、まだ一応危険なんだからね。もう知らない」
1人と1匹が、暫く進んで行くと、貴族街の検問ゲートの1つに辿り着いた。いつも通りの調子で衛兵に声を掛けた。
「入るわよ、通して」
「今は通行止めです」
ルーニャは声を少し荒げる。
「中に居宅があるのよ。解ってるでしょ」
「存じておりますが、エルネス・キュンメル城伯様からの完全通行止めの緊急厳命が入っています。後ろにも衛兵が控えているので破ると私達は、クビどころか牢獄行きでしょう。御察し下さい」
「……」
ルーニャ・ウネは沈黙の後、片方の目を瞑り衛兵をジッと見て告げる。
「お水頂戴」
「はい?」
「聞こえないの?お水位解るでしょ? アリューにあげるのよ。帰らなきゃお水も飲めないわ。中に入らなきゃ良いんでしょ。これ以上意地悪すると後で御婆様に言い付けて大事にするわよ」
「!?」
それを聞いた衛兵の顔が急激に変わる。
「おい! すぐに水を2杯持って来てくれ…………皿もだ、お持ちしろ!」
アリューは、皿に注がれた水をペロペロと飲んでいる。釈然としないルーニャは、コップを片手に衛兵に質問を投げ掛ける。
「中から出るのも、駄目なの?」
「戒厳令により出入り自体が、禁止されています」
「もう…………アリュー、それ飲んだら行くわよ。お水ありがと」
衛兵にコップを返しすとルーニャ達は、まだ危険の漂う平民街に向けて歩き出した。
「こうなったら成り行きだけど私達で、この街を守るのよ」
「ミャオゥ!」
アイボリーのローブの肩に乗る黒い仔猫が、お腹を鳴る音と一緒に鳴いた。
***
◇幻想的な夜空が創られたべリアルの宮殿では、ムードも何も無いやり取りが、繰り返されていた。
『さあ、もっとこっちに来てくれ』
「交換条件は、いやです」
『じゃあ、念の為に耳を貸してくれ』
条件を変えるべリアルに神流は折れた。
「どの念だよ? ここで内緒話の必要も無いだろうに…………ホラよ」
神流は、不本意そうにべリアルへ耳を近づける。
『フーーーーッ』
「ムオ━ッ何なんだよ長ぇよ!? 何か入れてないだろうな? 呪いとか、呪いとか?」
神流は、耳を下に向けてポンポン跳ねる。
『これで少しは、僕の溜飲も下がるだろう』
「急いでんのに、いい加減にしろよ!」
微かに満足したべリアルは、スッと立ち上がり音も立てず歩いて行くと白い大理石柱に手を翳す。すると、上から彫金された白牛悪魔の模様がスライドして降りて来た。
「おお、面白いな」
スライドして降りて来た白牛悪魔の模様の頭部が、立体になり剥製のように迫り出していく。
「うおっ怖っ、口がピアスだらけだ。まさに、白牛悪魔メンだ。何の為にリングなんかしてるんだろう?」
『力の無い悪魔が、制約を課して呪力や魔力を強める下らない呪いの一種だ』
べリアルが説明しながら白牛悪魔の額に手を乗せると赤黒く耀くジェルネイルが、妖しく塗られた鋭利な爪の先から頭部にめり込むとグーーッと頭蓋の中へ沈み込んでいく。
『アスモデウスを、何処でどうやって復活させようとしている』
白牛の悪魔は、眼球をグルグル回転させながら少ししか開かない口で応答を始めた。
「ヌヴッ、アエーシュマ様の御神体像にマルファス様が人形の心臓と極混沌・魂液を、ヌヴゥッ、捧げて依り代として復活して頂こうとヌヴッ」
『アスモデウスの像は何処にある』
「アエーシュマ様の像は、ルーゲイズ子爵の邸宅の地下にある極秘の神殿に祀られている」
べリアルは、手を引き抜く。
『タウラスよ、僕が誰だか解るか?』
「ヌヴヴゥ、あっ貴方様は!?」
━━グチャッボンッ!
べリアルは手で白牛悪魔の顔を潰して柱に戻した。振り返ると神流に伝える。
『……だそうだ、その付いてるだけの耳でも聴こえただろう』
「うるせぇよ…………お前、性格最悪だな。やはりリアル悪魔」
べリアルは、ドヤ顔で神流に向け顎を少し上げる。
『僕は堕天使だ。僕の高尚な言葉だと君に理解出来ないだろうから、タウラスにわざわざ喋らせたんだ。地を這いずって感謝するといい』
「そんな感謝の仕方は地球上に存在しない。要するに貴族の屋敷の地下で、石像に人の心臓とお前が飲んでた墨汁みたいのと魂を御供えして復活させようとしてるんだな…………普通に気持ち悪いわ!」
神流は、立ち上がり手でジェスチャーしてシジルゲートを要求する。
『何の踊りだ?』
「はぁん? ゲートだよ扉だよ! シジルゲートを出せよ。石像壊してくれば、ミッション終了なんだろ? 御礼は出る時にちゃんと社会人として言うつもりだから心配するな」
『今の君程度では、そのミッションとやらは到底無理だろう』
何もかも超越した最上位の悪魔は、取り繕いや気遣いの欠片も無い言葉を神流に投げ掛ける。
「何だよ突然? 何の為に白牛悪魔メンの話を聴かせたんだ? 世界征服を出来る力の話はどうなった?おい」
『向かおうとする場所に居るであろう、マルファスという悪魔は、タウラスなど全く及ばない上級の悪魔だ。対策も立てずに赴けば、心臓を抜かれて帰って来るのが、関の山だろう』
冷気と酒気を帯びたような儚く透けて緑掛かる青い瞳は、事実だけを如実に物語っていた。
「そんなの抜かれたら帰って来れるかよ! せっかく行こうとしてるのに物騒な事を言ってんなよ」
『君の粗末なモノが、それ以上使い物にならなくなる不様を見る方が物騒だろう』
「いきなり何を言い出してるんだよ。知らない人が聞いたら勘違いするだろ、酔っ払い」
神流は、粗末では無いと自称している自分の股関が心配になり手を当てて隠す。
「そのマルコスってのが何の攻撃をしてくるんだ?」
『マルファスは建築家だ。そして謎もある悪魔だ。生け贄に弱く満足する生け贄を与えれば嘘を教えてくれる』
「…………一言で言うとクズだな」
クスッと嗤い古風な木の風合いのある揺り椅子に、沈むように腰を掛けて己を預ける。ゆたりと艶めき毒づく爪を聖杯の中に落とすと神流を見上げ口を開いた。
『そうだ、君は地獄の総裁マルファスというクズを制した上でアスモデウスの像を破壊しなくてはならない』
「……………へっ?」
べリアルは自身の発言が微熱を帯びてるのに気付くと軽い驚きと悦びの色を表情に垣間見せると無表情に戻る。そして、動揺する神流の顔を意識的に見つめ、無視出来ない無言の圧迫感で顔の表皮を撫でた。
宮殿の夜は、風もなく生き物の鳴き声もせず耳鳴りすらない無機質な静寂に包まれる。
べリアルは神流の戸惑う反応に軽い熱を帯びた満足感を覚えると、したり顔をし肢体を反らした。そして、スカートに施されたスパンコールの裾を手繰るように中指を掛けてつまみ、魅せるように持ち上げて薄く嗤った。
━━もうツッコむのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
『フッ、像を壊した所でまた造るだけだ。マルファスを排除しなければ、アスモデウスは、別の場所で復活を果たすだけだろう』
「だから直ぐに像に向かおうと、しているんだろ」
神流は言い知れぬ圧迫感を振り切って反論する。べリアルは、闇の聖杯に入れていた指をスッと抜くと唇に当て爪を口に含んで舐めた。━━ズーッと口から出した爪は、鉄となり剣山のように無数の長い針を突き出していた。
━━━
神流の心は、ヒヤリと硬直する。
『君は、悪魔を強い人間や魔物程度だと思い込み増長している。狡猾で残忍な悪魔の恐ろしさを嘗めているようだ。僕の魔力障壁を抜けて悪魔の爪が君の命に届けば、君のこの世界での役割は、得るものも無く終了するだろう』
神流は、異様な行動と言動をするべリアルが何を言いたいのかピンとこない。
━━悪魔なりに真面目に話してるようにも感じるから、バカにも出来ない。
『少し危機感を持ってもらおう』
べリアルの瞳孔が淡く開き紅い光が波紋のように流れる。
━━!
神流は息が詰まり呼吸ができない。気道と食道に氷柱を突っ込まれたように寒気を感じ、身体を伝う心臓の鼓動すら遅れて刻まれていく。
「ぐっ、俺に攻撃したのか?」
『随分と怯えさせてしまったようだね。魂をズルリと抜き取りたい位のとてもいい表情だ。下半身に熱を持つ高揚感を覚える。それなりの酒の肴になったよ。 ーー攻撃? 笑えない冗談だ。恐怖の力すら使用していない。君がいつも使っている僕の力のほんの1部を顕現させただけだ。ほんのマルファス位の力をね」
腰掛けたままのべリアルは、微熱を放つ唇を指先で撫で力を自省する。だが、目の前の悪魔の瞳孔に宿る紅い光が消える事は無い。1度受けた威圧感を簡単に拭う事は至難である。
慣れてる筈のべリアルの圧迫感が、神流の意識を冷たく染め傍らに佇み始める。神流は、仕えてるべリアルが、本当に味方なのか疑いの目を持ち始める。べリアルは神流に艶めく唇を開いて話し掛ける。
『そんなに冷たく見詰められたら、照れて濡れてしまうよ。自重して欲しい。僕の魅力が気になって目が離せないのは、必然の理だから心配しなくていい』
「……俺が目を離せないのは自分の命の危機からだ。その催眠術みたいな目を止めろ」
やれやれ、と物憂げに息を吐いてから透過するトルコ石のように瞳を戻した。べリアルは、その瞳で神流を見つめ無機質な自分に警戒するのを感じて愉悦に浸る。
『まだ僕の言いたい事が解らないのかい?』
「俺をビビらせたいだけだろ。悪いが、お前の言う事は0コンマ一ミリも解らねぇ」
『君の理解力に過大な期待を寄せるのは、またとしよう』
べリアルは、アッシュグレーの髪を耳に沿わして掻き上げた。見えた耳は尖っておらず人間の耳の形をしている。神流の緊張は、少し和らぐ。べリアルは、徐に立ち上がると新しいカウンターテーブルに闇の聖杯をそっと置いた。
妖艶に振り向くと神流にも同じく立つように促す。完全に主導権を取られた神流は、軽くべリアルを睨むと不満顔で立ち上がる。
『腰に付いてるだけの新しく得たオモチャを僕に貸すといい』
神流が、腰に差しているダマスカスソードを指差した。
「これ結構大事な剣だからな」
ローク・ロードスの顔が浮かび躊躇したが、言われるがまま剣を抜いて手渡す。ダマスカスソードを見詰めながらべリアルは頷いた。
『いいオモチャだ。やはりな、僕の魔力を微細な精霊共が拒んでるようだ』
べリアルは訳が解らずただ見ている神流に左の腕を出した。
『ボーッとしてないで、僕の手首を握って欲しい』
「何をするんだよ? まさか俺を殺すのか?」
べリアルが差し出した左手を神流は恐る恐る右手で握る。
━━
ーー沈黙するべリアルは自分の左の肘から先をダマスカスソードで迷いなく切り落とした。




