遥か遠い夜の約束
雲の隙間から差す月明かりが、大学病院繋がる病棟の陰影を鮮明に映し出し照らしていた。
「なんで僕だけ此処に居なきゃいけないの」
「胸もお腹も気持ち悪いの」
「早く学校に行きたい」
「誰か居ないの」「苦しいのこの点滴取ってよ」
「背中のお注射もう嫌だよ」
「もう吐けない」「退院したら頑張るから帰りたい」
「お友達がほしい」
「みんな僕を置いてくの、僕を忘れていくの」
長い期間、外の世界に触れる事が無かった。病室だけが自分の居場所と決められていた。いつか来る自由という希望をぶら下げられ疑わず痛みと寂しさに耐え眠る事を強制された。結果として健全な精神を保つことが困難になっていった。
面会謝絶の隔離された一人部屋のベッドで、少年は孤独に耐えて蹲る。射ちすぎた注射針のせいで、腕の血管が弱くなり点滴を足に付けられていた。
追い打ちを掛けるように隣の部屋の子が空のお星様になったと聞かされた。手術で移動する際、部屋を覗くとベッドの布団が畳まれていた。悲しい気持ちよりドア越しに会えない寂しさと置いて行かれた心細さが心の隙間を剥がすように拡げた。
どんどん弱っていく身体への不安、ポロポロと崩れて拡がる心の隙間、何かに繋がれている拘束感が壁に掛かる時計の針の音と共に今にも割れそうな心をきつく締め付ける。
消灯された病室の静寂は、音だけを浮き彫りにして明確にしていく。時計の針の動く音、何かの機械の音、何かの水の音、遠くに響く誰かの足音、風が窓に当たる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音、点滴の落ちる音………………………………………………………………………………………………………………………………
「誰か…………………………」
空から音色のような声が降ってきた。
『つまらない世界から救ってあげるよ』
━━!
横を向き窓を見ると白いワンピースを着た見知らぬ少女が、花瓶を置いた棚に座っていた。
「………誰? 」
『光』
少女の背中には輝く無数の翼が見えた。
「ひかり? 僕は、かんなって言うんだ」
座った少女の口は僅かに動いた。
『かんな、遊びに行こう』
「うん、でも…………」
神流は、自分の足に付けられた点滴のチューブを見た。
『フフッ』
少女が笑うと点滴が、浮き上がり変形していき神流の白い翼となりパタパタと動きだした。
「僕は飛べるの?」
『翔ぼう、さぁ行こう』
手を引かれ病室の窓から、飛び立つと夜空を舞い上がり一気に雲の層を突き抜け遮る物の無い星空が見えた。
「わぁ!?」
眼下に雲の絨毯が拡がり、月と星々の柔らかい瞬きを反射して夜空を照らしていた。
「……光ってる」
『やっと、この地球に輝きが届いたのよ』
光が手を伸ばすと小鳥が集まるように小さな光の粒子が集まってきて固まった。息をかけると散らばって飛んで行った。
『かんな、追いかけようよ競争ね』
「ええっ、待ってよ~」
神流は、翼をヨレヨレとしながら、光の大きな翼に付いて行く。
広大な夜空を、突き抜けて逃げる光達を追いかけて、追いかけて・・・・・・・・
~~~~~***
朝、目が覚めると心地好い夢を見たような高揚感だけ残り殆どの事柄を忘れていた。脚を見ると点滴の針は刺さったままだった。
「あら、好き嫌い無く食事を全部食べたのね。偉いわよ」
「うん、看護士さん僕は野菜もちゃんと食べるんだ。お薬もちゃんと飲むし注射も泣かないように頑張る」
神流は前向きに変わっていった。
━━*
ーー毎夜、少女が現れては、神流を連れて行き心を押し潰す不安と孤独を払拭していった。
『何で私と来てくれたの?』
「僕はね、ひかりと一緒に行きたいと思ったんだ」
『フフ……嬉しい』
「ほら、こんなに早く翔べるよ僕」
『翼も喜んでいるね。翼の精度が上がったから、アソコに行こうよ』
光は、微光を醸す指を差した。
「お月様?」
『もう行けるよ君となら、さあ』
神流は、手を繋がれて月を目指して翔び始めた。
『ーーーーうっっ!』
「!!」
光が胸を押さえて空中で膝をついて蹲る。
「どうしたの!? ひかり?」
『ううっ私の中に有る、いけない力が出て来てしまう。抑えきれない……苦しい』
「……僕、どうすればいいの?」
光は、胸から黒い水晶のようなものを取り出した。
『私の中で膨れ上がった良くない力。絶対に外に逃がす訳にいかない。……かんなの中に、この欠片を預かって欲しい。でも……かんなの魂も深い傷を負ってしまう』
「うんいいよ。僕が預かるよ」
『契約なんだよ? いいの?』
「うん、ひかりが助かるならいいんだ」
『……入れるよ』
神流の胸にスーッと黒い水晶が沈み込むように入っていく。光は、神流の胸を押さえると空を見上げる。
『貴方が終わりを迎える時、それは私に戻ってくるの。彼女が覚醒を始めたから向かわないと』
「月に行くの?」
『いいえ天界へ、私は光を帯びる者◯◯◯◯◯、時の狭間で逢いましょう』
「僕は1人になるの?……僕は、どうすればいいの?」
『1人じゃないわ。貴方なら絶対大丈夫、私の事を忘れないで……忘れないで…』
消灯された病室のベッドの上で、目覚めた神流は涙を流して枕を濡らしていた。
「……何で僕は泣いているの?」
手に落ちた涙の雫を見つめて誰も居ない病室で問い掛ける。
「ひかりは? …………ひかりって誰の事?」
ーーそれ以降、夜中に苦しく悲しくなり泣く事は無くなった。病状は、快方に向かい1年後、神流は無事に退院をした。
これは自分の夢か、誰かの夢物語なのか、判然とせず意識下で浮遊しては消える自分自身。目覚めても少女の欠片の残滓すら儚く散華して残らない。もしかしたら他の誰かの細雪のような遠い記憶。
まだ思い出せない思い出すことの無い遥か遠い約束
***
◇
「うううっざまあねぇな…………俺」
リストは左手のガントレットを外して地面に横になっている。
「しっかりしな! 大の男が、だらしない事を言ってんじゃないよ! 情けない」
落雷を受けたリストの腕は、ガントレットの模様に重度の火傷をしていた。
「格好つけて1番前で指揮をしていたんだから、最後まで格好つけな! あんなデカい雷撃を喰らって生きてたんだから、恩の字なんだよ」
イーナが、荷物を探して何かを漁っていた。聖桜が声を掛ける。
「有った?」
「有ったわ、多分これよね。出しちゃうんだから」
トテトテとリストの元にイーナが、寄っていくとポーションを差し出した。
「ううっ、えっ? ポーション? 良いのかい奴隷のお嬢ちゃん」
「私の御主人様なら良いと言います。使って下さい」
受けとるリストは涙ぐむ。
「ううっ、奴隷の子供に助けられた。嬉しいやら情けないやら」
「何を言ってんのよ馬鹿! 私に貸しな、ほら早く!」
レイゾは、腰の袋から出した包帯にポーションをかけるとリストの肩から巻いていく。残ったポーションは、瓶ごとリストの口に突っ込んだ。
「オガッアッ、怪我人なんだから、もっと優しくしてくれよ」
「次からは、格好なんかつけてないで怪我しないように気を付けな」
イーナと聖桜は、クスクス笑う。
「ウフフッ、可哀想だけど面白いわね」
「わぁおもしろい、早く治るといいね」
笑っているとオルフェに乗ったフーンとレッドが、戻ってきた。真剣な顔でレッドは確認をする。
「旦那は? 何処っすか?来てないっすか?」
「何だい? 紅髪の姉さんとフーンは、一緒じゃ無いのかい? コッチはリストがこの様で大変なのよ」
「いやそれなんだが、兄さんが何故か張り出した大砲の筒に入って行って仕舞って、その後に落雷のせいで塔が揺れて外に落下したんだよ」
「「「ええーーっ!?」」」
神宮寺聖桜が静かに話す。
「あの………その事なんだけど、私だけ見ていたと思う。御主人様が空から、上空の悪魔に飛び掛かって2人共下に落ちて行く途中で消えたのよ。下を確認しに行ったけど何も無かったの……見間違いかも知れないけど」
「「「「ええっ?」」」」
一人だけ普通の顔をしているのがイーナだった。
「私の御主人様なら絶対に戻ってきます。命を懸けて言えます」
「……そうっすよ。考えたら旦那が簡単に死ぬ訳ねぇんすよ」
「誰も死んだとは、言って無いでしょ。私もそう思えて来たわ」
神宮寺聖桜は見ていた。安全な上空から一方的に命を蹂躙していた悪魔が、攻撃され狼狽し自ら広場に目を覆う程の雷を落として怪物達を焼き焦がして殲滅した事を。
神流の捨て身の戦略が、功を奏して広場には、魔の生き物は全て消え去っていた。総て神流の功績によるものだ。
少し回復したリストが、口を開いた。
「そうだよ。あの兄さんは並大抵じゃ死なないよな。広場の魔物は、殆んど雷撃で消し炭になったし取り敢えず解散して兄さんが無事に戻ってきたら御祝いしよう」
リスト達と別れ、もう1度広場で神流を探して回ってから、3人と1匹は言い知れぬ不安を宿し屋敷に戻って行った。
その頃、ベリアルの元に居る神流に緊急事態が告げられようとしていた。




