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狐の夜咄

作者: 郁章

夜のとばりが降りました。

五月の空の頂きには牛飼い座の星、アークトゥルスがひときわ明るく輝いています。

巣穴から出て空を見上げた狐の子は、お母さんに聞きました。

「あの白くもやっているところはなあに?」

お母さんは答えました。

「あれは天の川というのよ。

人間たちは天の川に月の船が浮かぶ晩に笹を飾って願い事の短冊をつけてお祭りをするのよ。」

お母さんは人間のことをなんでもよく知っていました。

「坊やもお祭りにいってみるかい?」

お母さん狐が聞きますと、狐の子は

「行ってみたいなあ。

でも、ちょっと怖いなあ。」

と、言って、くるりと丸くなって寝てしまいました。


 翌日、狐の子はお母さんと一緒に笹林に行きました。

野ネズミを狩る練習のためです。

お母さんは言いました。

「この笹林には猫もよく狩りに来ますから、お互いの縄張りを荒らさないように気を付けなさいな。

とくに、猫は意地悪で鋭い爪と牙で襲ってくることもあるから十分注意するんですよ。」

狐の子はよくよく聞いていましたが、猫というのはさぞかし怖い生き物なのだろうと思いました。


 それから数日後、狐の子が川原の土手で遊んでいると、学校帰りの人間の子が川下の方から歩いてきました。赤いランドセルを背負った女の子です。

女の子は手に色鮮やかな桃色と空色の四角い紙を持っています。

狐の子は知りませんでしたが、それは折り紙でした。

狐の子の瞳は、その折り紙に釘付けになりました。


何て美しいんだろう。


もう少し近くであのきれいな紙をみてみたいと、狐の子は思いました。


そうだ、人間の子に化けてみよう


実は、狐という生き物の中には、人間に化けることができるものもいるのです。

狐の子も、母さん狐に習って、人間に化ける練習をしています。


エイヤ


葉っぱを頭にのせてくるりと一回転すると、狐の子は小さな人間の男の子になって、女の子のところまで駆けていきました。


「お姉ちゃん、それ、見せてちょうだい」

狐の子が後ろから声をかけると、女の子は少し驚いたようすでしたが、相手が小さな男の子だったので、やさしくいいました。

「それって、この折り紙のこと?」

「それ、折り紙っていうの?

とってもきれいだね」

「そうよ。君、折り紙を知らないの?珍しい子だね。」

「だってぼく、初めて見たんだ。」

「ふーん。折り紙で遊んだことがないの?これを折って、コップやら花やら、いろんなものを作るんだよ」

「へぇー、すごいや!

やって見せてちょうだい」

狐の子は、はしゃぎながら言いました。

ところが、女の子は少し考えてこう答えました。

「見せてあげたいけど、これは七夕の飾りを作るのに学校でもらった折り紙なの。だから、他のものは作れないの。」

「七夕の飾り?」

「そう。七夕のときに、願い事を書いた短冊といっしょに笹の葉に結ぶんだよ。」

狐の子はお母さんに聞いて七夕のことを知っていましたので、実際に見たらどんなものだろうと思いました。

「今、ここで七夕の飾りを作ってよ。」

狐の子が頼むと、女の子は残念そうに言いました。

「網や提灯はハサミを使って紙を切らないと作れないのよ。」

「えー。いやだい。作ってよ。作ってよー。」

狐の子がそれでも頼むと、女の子は、困った顔になりました。

そして、

「変な子ね。お家でお母さんに作ってもらえばいいじゃない。」

そう言って、かけていってしまいました。

狐の子は、しょんぼりとかけていく女の子の背中を見ていました。


その晩、狐の子は母さん狐に今日川原であったことを話しました。母さん狐は

「人間に化けたって、何でも思い通りにいくもんじゃありませんよ。」

と、狐の子をいさめましたが、狐の子があんまり折り紙と七夕飾りの話を熱心にするものですから、何とかしてやろうかと思いました。


 次の日、母さん狐と狐の子は川原でコウゾの木の枝を折ってきました。

それから、その枝を川の水がたまって、流れがないところに沈めて、大きな石をのせておきました。

二日後、母さん狐がコウゾの枝を引き揚げると、柔らかくなった枝の皮はほろほろとほぐれました。

母さん狐は、ほろほろになった枝をたっぷりの水と一緒に鍋に入れて、狐火でじっくりと煮込みました。

それから、煮崩れてどろどろになった鍋の中身をよく冷ましてから、竹で作ったざるのなかにすこしずつ注ぎ込みました。

そして、よく水気を切ると、ざるの中にはドロッとしたものが残っていました。

母さん狐は、そうしてざるの底に残ったものをなるだけ四角く薄く広げて、何日か日にさらしておきました。

数日たって、母さん狐と狐の子ががザルを見に行くと、ざらざらとした手触りの紙が出来上がっていました。

母さん狐がその紙を狐の子に見せると、狐の子はたいそう喜びました。


 紙を作ってもらった狐の子は、最初のうちは毎日紙を眺めているだけで満足していましたが、しばらくするとこの紙を短冊にすることを思い付いて、いてもたってもいられなくなりました。


願い事を書こう。


そう思いますが、狐の子は字を知りません。

字を書く道具も持っていないのです。

そうだ!人間に書いてもらおう。

そう思った狐の子は、人間の子が通っている学校にいってみようと思いました。

翌朝、学校の近くまでやって来た狐の子は、草の茂みに隠れてずっと様子を見ていました。

そうして、鐘の音がなると子どもたちが建物から出てきて、また鐘がなると建物のなかに入っていくという決まりがあることに気がつきました。

それで、作戦をたてて、また次の日に学校に向かいました。

狐の化かし作戦です。



その日、校長先生は校長室で学校通信として発行する書き物の仕事をしていましたが、鐘がなったので、書き物の手をとめて顔をあげました。すると、すぐそばに1年生くらいの男の子が立っているではありませんか。

「君、校長室になにも言わずに入ってきてはいけないぞ。

何年なん組の子かな?」

「ごめんなさい。

ぼく、初めてここに来たから、よく知らなかったの。

1年1組だよ。」

「仕方ないなあ。

これからは、入り口のところで組と名前と用事のある先生を言って、失礼しますと言ってから入るんだよ」

「はい。

ぼくね、先生にお願いがあって来たんです。」

「なんだい?」

「この紙に七夕のお願い事を書いてほしいんです」

狐の子は紙を見せて言いました。

「これはよくできているなあ。

自分で作ったのかい?」

校長先生は感心しました。

ひとめで丁寧に作ったすきさらし紙とわかる紙だったからです。

「これは、お母さんとぼくが作ったの。

ぼくね、これに願い事を書きたいんだけど、まだうまく字が書けないんだ。」

「自分で書いてみないのかい?」

「字がわからないんだ」

男の子は残念そうに言いました。

校長先生は、ちょっとかわいそうに思いました。

だって、まだ一年生で、学校に通い始めたばかりなのです。

全部の文字を覚えていないのかもしれません。

「校長先生が別の紙に願い事を書いてあげるから、自分で書いてごらん。」

校長先生はそういうと、狐の子に願い事を聞いて、さらさらと手元にあった紙に書きました。

そうして、鉛筆を男の子に渡すと、書いてごらんと、言いました。

男の子は嬉しそうに丁寧に字を書き写しました。

そうして、

「ありがとう。」

と、いって校長室を後にしました。

やれやれ、休み時間が終わってしまうかな、と校長先生が思ったちょうどそのとき、鐘が鳴りました。

そして、子どもたちの声がして、次々と昇降口から運動場に駆けていく子どもたちの姿が南向きの窓から見えました。

あれ?

さっきのは休み時間だったんじゃあなかったのかな?

ガラガラと職員室の扉が開く音がして、担任の先生たちが職員室に戻ってきた気配もします。

夢でも見ていたんだろうか?

校長先生は狐につままれたような気がして、しばらくの間呆然としていました。



 7月の初め、季節はすっかり夏になっていました。

狐の子が川原で遊んでいると、人間の子ども達が学校から帰ってくるのが見えました。

みんな、手にきれいな紙の飾りを持っています。

あれは七夕の飾りに違いない。狐の子はそう思いました。

しばらく草原に隠れて様子を見ていると、以前に折り紙を持っていた女の子が七夕飾りを持って歩いてくるのが見えました。

狐の子はまた、人間の子に化けました。

「お姉ちゃん、それは七夕の飾り?

狐の子が後ろから声をかけると、女の子は振り向きました。今度はびっくりしていません。

狐の子を見ると、嬉しそうに言いました。

「君、こないだ七夕の飾りがほしいっていってたね。

これ、学校で作ったんだけど、私は家でもう一回作るから、君にあげようか?

狐の子はそれを聞いて、

大喜びしました。

「ありがとう。」

飾りを受けとると、一目散に巣穴にもって帰りました。

そうして、人間の子はなかなか優しいじゃないかと思いました。


 短冊も七夕飾りも手に入れた狐の子は、後は笹の枝さえあれば七夕祭りができるのにと思いました。

それで、前に母さん狐といっしょにネズミを捕りに行った笹林にいくことにしました。

笹林は夏でもひんやりとしていました。

狐の子は手頃な笹を見つけると、歯で何度も噛んで折りました。

折れた笹の葉をくわえて帰ろうとしたちょうどそのときです。

かさりと音がして、シャーと唸り声をあげながら猫が飛びかかってきました。

狐の子はビックリして、慌てて逃げました。

それでも猫は追いかけてきます。

笹をくわえたまま、崖を滑り降りますが、猫はついてきます。

その上、くわえた笹が邪魔になってうまく逃げられません。

そうこうするうちに追い付かれてしまいました。

追い詰められた狐の子は、

「意地悪しないで!」

と、叫びました。

すると、猫はツンとすまして、

「意地悪なんかしないさ。

ちょっと気になっただけさ。

そのくわえているものはなんだい?」

と、聞いてきます。

「これは七夕飾りにつかう笹の枝だよ」

狐の子が答えると、猫は笑って言いました。

「人間の真似かい。

おかしな狐だねえ」

そう言うと、フンッと鼻を鳴らして行ってしまいました。

狐の子は今しがた起こったことについてしばらく考えていましたが、猫はそれほど意地悪でもなかったと思いました。

 

さて、狐の子は巣穴に帰ると、さっそく笹の葉に短冊やら七夕飾りやらを取り付けてたてておきました。母さん狐は、狐の子が一人で七夕飾りを作り上げたのを見て、すっかり感心しました。

そして、短冊に

『ひとりでもりっぱにくらしていけますようにように』

と、かかれているのを読みますと、しんみりした気持ちになりました。

今年の秋にはこの子は親離れしてこの巣穴を出て行くんだというはっきりとした予感が母さん狐の胸の奥に刻まれたのです。

それは、母さん狐にとっては、寂しくもあり、喜ばしいことでもあったのでした。


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