第一話 俺は知っている。
第一話 俺は知ってるから
……炭酸水は、弾けた瞬間ほろ苦い。
だから、俺は昔からそれが好きだった。
もちろん、普通の炭酸ジュースとか、そうじゃない炭酸飲料とかも好きだ。
だけど、一番好きなのはフレーバーも何も無い、ただの炭酸水。
ボトルを開けた瞬間に聞こえる空気の抜ける音と、舌に転がるように伝わるプチプチとした食感。
喉元を通る時に感じる刺激が、堪らなく好きだ。神経にまで染み込んで、触れた瞬間に弾けるあの感覚にいつも虜になっていた。
……飲んでいるだけで、嫌なことを忘れられそうなくらい、この透明感のある泡に包まれるのに、心地良い何かを感じていた。
一生、このままこの世界の中に沈んでいきたい。このまま、溺れていきたい……。
そう願っていたはずなのに、それだけじゃ足りなくなる、いられなくなってしまう。
それほどまでに君に溺れたいと思うのは、何故だろうか……。
*****
「ほんとさー……山中って凄いよね、こんなに美味しいご飯作れるんだもん」
……いただきます、以外に沈黙が続いていた食卓に、そんな言葉が響いた。興味本位、感心したとでもようにご飯を頬張った。
「……別に、普通だし」
適当にそう返すと「えー?そうかな?」と首を傾げ「いやいや、普通じゃないって」と手を左右にふった。
「料理だけじゃなくて、洗濯に掃除、なにからなにまで面倒見いいしさー」
「……それ位、普通」
「こう言うのなんて言うんだっけ?あ、思い出した、主夫。主婦の婦人の方を夫にして、主夫だよねー」
「……そこまでじゃないし、別に普通」
そう言うと、俺の目の前で味噌汁を啜った男性は飲み干した後に少し怪訝そうな顔をした。
「……あのさ、普通って言葉以外何も無いの?」
……人の家に堂々と押しかけてきて言うセリフがそれか。と、言いそうになった言葉を飲み込んだ。
しかも、風呂や服や飯までこっちが用意したと言うのになんという言われようだろうか。
急なりにも、時短しながら作った豆腐ハンバーグやわかめと豆腐の味噌汁、今朝炊いた筍と鶏肉の炊き込みご飯。
これでも人前に出せれるように尽力力した筈だ。
……今なら分かる。テレビのワイドショーでよくやっている、専業主婦の皆さんが旦那さんに感じている不満とやらを。
表情を変えないその男性は俺の返答を待っているのか、こちらをジッとを見つめている。俺が適当な返事をしたことにイラついてるのか、そんな顔をされても困るのだ。
「……じゃあ、当たり前。これは俺がやるべき事だから、普通じゃなくて、当たり前」
それで満足か?と尋ねると男性はポカーンとした顔をしてから、ブフッと堪えきれなかったのか笑い出した。
「あははっ、なにそれー!おもしろっ!それじゃ言葉が違うだけでニュアンスが一緒じゃん、あははっ!」
何がどう面白いのか、相手はお腹を抱えるほど笑い出した。そこまで笑われると俺としてはあまり快くはない。
イラッとしながら、黙々とご飯を口にかきこんでいると、笑い疲れたのか、涙を人差しで拭いながら「あー、笑った笑った」と言い、
「もう、山中、ほんっと可愛い!馬鹿正直に答えるとか面白すぎ!」
と、笑った。表情筋がゆるゆるでにへらと笑っているのに、何故だか安心するようなその笑顔は、俺の心のどこかを擽っていた。
その男性は、髪が長く気だるそうに一つに縛っている。縛りきれなかった横髪がだらりと流れていて、何かリアクションをする度に静かに揺れていた。
顔はそこそこイケメンだからこそ、その髪型はどこかミスマッチだったが、人のアイデンティティーに口を出す気は無かった。
「……雨、止まないなぁ」
そう言うと、リビングから見える窓の外の景色を眺める。ポツポツと降り注ぐ雨……ではなく、バケツをひっくり返したような、打ち付ける雨風が吹いていた。
時刻はもう夜の十時半。夕食にしてはかなり遅い時間になってしまった。本来ならもう少し早く食べる予定だったが、急なスケジュール変更により、こうなってしまった。
外は真っ暗で、時々、どこかで落ちているのか雷までも鳴っている。光ってからかなり早く轟音がしていた。雷自体が近づいてきているのかもしれない。
「……終電もないからなあ」
と、わざとらしくそう呟いた。これが女の子だったら嬉しいのだが、相手は男だ。なんにも嬉しくない。しかも、男友達ならまだしも、こいつ『真中真尋』ならば余計に嬉しくない。
自分よりも背が高くてイケメンのやつに、こんなことを言われたところで誰が喜ぶのだろうか。
まぁ、これで俺がミーハーな女子ならば恋愛的展開があってもおかしくないが、あいにく俺は男だ。
嬉しくも無ければ、正直苦手とも言えるタイプなのにどう接すればいいのかわからない。
俺はなるべく目を合わせないように味噌汁を一気に啜った。
すると、そんな俺の気持ちを無視するように真中真尋は「ねぇ」とこちらを見た。
「……今日、泊まってもいい?」
……どこか余裕そうな笑みを浮かべていた。それが人にものを頼む態度なのか、とこれまた言いそうになったのを堪えた。
「勝手にどうぞ……ってか、こんな豪雨の中に外に放り出せるわけないだろ……」
「きゃー、山中くんってば優しい〜」
「……茶化すんなら、追い出すから」
「わわ、ごめんって!何でもするから許して!」
慌てたように両手を合わせて頭を下げてくる。何でもすると言われても……手伝ってもらうことなんて特にない。とりあえず、大人しくしていてほしい、と俺は心の中でそうお願いした……。
……真中真尋。何故こんなイケメンが、俺、山中満琉と食卓を囲んでいるのか。それは神様の悪戯としか思えないが、一時間ほど前まで遡ることになる……。