上履きの持ち主
田中だ。
いや、日本において田中さんと呼ばれる方はかなり大勢いらっしゃると思われるのだが、その中でもこの田中は明らかに我々の知っている田中であった。
どうやら上履きと一緒に異世界に来てしまったようである。
「こ…こるりさん……あの…このイカツイおじいさんは一体どなたで、僕はどうしてこの場に呼ばれたのでしょう…?」
田中は言葉が通じない中、身振り手振りを交えながら必死にコルリに説明を要求する。
コルリも、詳細は通じなかっただろうがある程度の内容は察したらしい。同じく身振り手振りで田中に説明を始めた。
「このひと、わたしの、じーちゃん。キミと、このひと、いっしょに、くらす。オーケィ?」
「は?」
通じてないのか、それとも通じはしたがその上で理解できないのか、田中はすっとんきょうな声をあげそのまま固まった。
昨日コルリに拾われたときは女神のような優しい方に救われたと思っていたが、よもや人身売買業者の知り合いとか、そんな感じの人だったのだろうか。
田中の中に疑念が湧く。
どうにかしてこのオッサンから逃れなければ。
田中の脳がそのような警報を強く鳴らしていた。
とりあえず時間を稼ごうと、何か話題を探すためにキョロキョロと辺りを見渡す。
しかしコルリの店の中にある物はほとんど日本に存在しないもので、田中には何が何だかわからない。
……いや、一個だけ存在した。
田中の目はちょうどコルリとゲオルクに挟まれる位置にあるカウンターに鎮座している上履きを捉えた。
「あ、あの!」
反射的に声を上げる。上履きを見つけたからといって上履きの何を語ればいいのか田中には一切検討がつかなかったがそれでもとりあえずこの上履きについて語らなければ田中の身柄は人身売買業者へと受け渡され一生を奴隷としてそれこそ上履きも履けないような生活を……
「……って何で異世界に上履きがあるんだよっ!!」
ツッコミが遅い。致命的に。
「え?なに? 、、どうしたの??」
急に上履きを指差し大声を上げた田中を見て、コルリは一歩身を引いた。
それに気づいてか気づかずか田中は上履きを引っ掴むと踵を確認。
そこには滲んではいるもののしっかりと「田中」の文字が書かれていた。
「やっぱ俺のじゃねぇか!!どうりで見覚えあると思った!!」
言って上履きを床に叩きつける。
するとコルリとゲオルクの顔が真っ青になった。
「ここここここ小僧!?なにやっとんじゃ!!素材不明の品なんだからもしかしたら割れたりとかするかもしれんじゃろう!??」
「たたたたたタナカくん!!?ストップストップ!!あまり暴れると叔父さん靴に同情して泣いちゃうから!!」
「なっななな泣かんわっ!!!」
意外と純情派な靴職人。ゲオルク(67)であった。
「いや何て言ってるのかわからんし!!?てか、なんでアンタたちが俺の上履き持ってんだよ!?これたしかコンビニに捨ててきたハズだぞ俺!」
「おい小僧いい加減にしろ!靴は何も悪いことしとらんじゃろう!!」
「うるせーーっ!異世界に高分子化合物があってたまるかーーーっ!!」
魂の叫びであった。
叫びには人のストレスを発散させ、そして興奮を解き頭を冷やす作用がある。
今、田中の額は多量の冷や汗によってテカテカに光り輝いていた。
やっべーーーー。やーっちまったーーい。
田中は、自ら自分の寿命を削ったことをようやく察した。
いや、しかし。まだ救いはある。
そう、昨日途方に暮れていた自分を救ってくれた女神のような店主が…!
田中は、コルリの顔を見た。
コルリも、田中を見ていた。
田中が、懇願するような視線を送る。
それを受け、コルリは右手をサムズアップ。
田中の顔に、笑顔が灯る。
コルリも、顔に笑顔を灯し……
……そのサムズアップした右手の親指で、出口の方を指した。
「さーすがにこんなに騒ぐ子は、ウチにも叔父さんとこにも連れて行けないかなー」
田中はその場に泣き崩れ、ゲオルクに首根っこをつかまれ、店の外に投げ出された。
こうして、田中はまた言葉の通じない世界を1人、彷徨うこととなったのだ。
田中の旅は続く。
しかし我々はそれを追わない。
この小説は、あくまで上履きを取り巻く人たちの物語なのだから…。