前夜Ⅰ
グテートスの町。
大陸の南方に位置する商業都市だったが、現在は魔族の侵攻を受けてその様子が大きく変わっていた。
霧を寄せ付けぬよう町の壁は高く積み上げられ、巨大な石弓が設置される。繰り返される侵攻の跡を示すように壁には無数の傷跡が刻まれていた。
魔族の進攻方向だけではない。商人が通る門も厳しく制限される。積み荷に紛れたり人間に化ける魔族の存在も確認されたからだ。能力の低下を考慮に入れなければ毒霧の範囲外でも活動できる魔族は少なくない。そして擬態能力を持つ者もいるのだ。
そんな状況である。通商は途絶え、町の収入は減っていく。その上魔族対策に金銭を使うため、ゲテートスの町は寂れていた。働ける男性は兵役に服し、そうでないものは神に祈るばかり。
そんな状況である。如何に期待のユニコーン騎士団とはいえ、用意されたのは――
「ここが拠点になります」
「聞いてはいたけど……」
副団長のハンナの案内した館は、朽ち果てる一歩手前の物だった。
『かつてここに住んでいた町長の別荘です』……と紹介された館は、手入れもされずにボロボロになっていた。その町長はというと≪核≫が近くに振ってきた報を受け、我先にと逃げだしたという。以降、街の警備隊がなんとか防衛に当たっている状況だ。
一階に居間と台所と浴場。二階に部屋が二つ。井戸と馬小屋。国防の騎士団に宛がうには、明らかに質の低い物件である。事実、シャーロットとノエミは不満を口にしていた。
「全く……何を考えているのか」
赤銅色の髪を結い、腰に手を当てるシャーロット。声に怒りを乗せて首を振った。そのたびに結った銀髪がゆらゆら揺れる。身につけた鎧は心臓などの重要器官を守るために付けられる胸当て(ポイントガード)だ。書類には『軽量化のため』と申請してある。
直情的な性格なのだろう。態度が表情と行動によく表れていた。ユニコーンを操る手綱を強く引っ張り、その腹を蹴って進ませる。彼女が駆る『ツヴァイ』はいやな顔一つせずに足を速めて進んでいく。
「本当に。私たち青螺旋騎士団に対して不敬とは思わないのかしら」
シャーロットに対してノエミは全身を鎧で身に包んでいた。銀の兜は一角獣を模した角が生え、体を包む鎧や手甲には家紋を模した意匠が施されてある。だが何よりもその盾の装飾が激しい。聖印を刻んだ盾は、威光を示すように輝いていた。
その兜を脱げば、流れるような金髪が露になる。金髪碧眼はこの大陸でも稀有な存在。一説には神の末裔を示すともいわれ、限られた貴族の一門の証でもある。それを優雅に風に靡かせ、ユニコーンに任せるままに歩を進める。
「これでも良質の駐屯所と思ってください。それだけこの街はひっ迫しているんです」
短く切りそろえた銀の髪。眼鏡の奥から鋭い視線で不平を告げる二人を律するハンナ。彼女は団長騎であるテオの『アイン』を引きながら先行していた。寸鉄帯びない彼女はユニコーンに乗ることはない。副官として戦闘以外のサポートを行うのだ。それは例えばこのような駐屯所の手配でもあり、またユニコーンの世話を含んだ騎士団の兵站管理でもある。
「そうね。文句を言わないで今日は休みましょう。明日から作戦開始だから」
テオ――姿は女性化してイリーネなのだが、便宜上こう表現する――はシャーロットやの笑みを宥めるように言う。姉ならきっとこういうだろう。そう見越しての発言だ。長く離れていたとはいえ、姉の性格はよく知っている。
「……ふん。そうね、休むのに異論はないわ」
「流石団長。お心が広いですわ」
シャーロットは渋々。ノエミは笑顔で応対する。それぞれ不満はあるのだが、それを押さえ込んでいるのだろう。
館や馬小屋の掃除は街の人がしてくれたのだろう。四人はユニコーンを馬小屋につなぎ、館に入る。やらなければならないことはたくさんある。仮とは言え駐屯所を機能させる程度に準備をし、その上で魔族と相対しなければならない。
このときテオは完全に失念していた。
体が女性であるとはいえ、女性と寝食を共にするという事態について。