兄と弟Ⅴ
館に戻っての一週間は寸暇を惜しんでの勉強だった。カミルは秘密が漏れないようにテオを館に軟禁し、共に住む侍女や執事にすらその存在を明かさぬようにしていた。食事の量が増えるなど不審な点はあったが、一週間の短い期間では疑念を抱く程度で収まった。
まずテオが最初に学んだのは歩き方だった。骨格レベルで体形が変化したのだ。最初は違和感でよろけたりもする。
その矯正もあるが、何せ今から自分が成りすまさなくてはいけないのは騎士団長。その立ち方に隙があれば、笑いものになるのだ。
「頭に本を乗せ、それを落さないように歩くんだ」
「うう。まさか基礎の基礎からやり直すなんて……」
この辺りはテオも貴族として学んだことだ。それができなくなっている。まさか肉体が違うというだけでこうもやりにくいものなのか。
「さて。現状の騎士団と情勢だ」
カミルが手をかざすと、机の上に一つの大陸の幻影が浮かび上がる。この世界に住む者ならだれもが知っているディルストーグ大陸である。こちらの世界の単位で治せば、1500万平方キロほどの大陸だ。
「知っての通り、ディルストーグ大陸は現在魔王コーロラの進軍を受けている。魔王は遥か上空に城を構え、そこから大陸に向けて≪核≫を投下している」
「うん。それが瘴気と呼ばれる毒霧を発しているんだよね」
「その通り。魔族と呼ばれる者たちはその中で絶大な力を発揮する。同時に呼吸や魔力を阻害され、我々人間や幻獣は霧の中では満足に力を発揮できない。これが現在の勢力図だ」
カミルの言葉と同時、幻影の大陸に隕石のように降り注ぐ≪核≫。それは地上に刺さり、幻影に大地を紫色に染める。それが現在、毒霧に侵され魔族の領域となったところだ。大陸の中央と、沿岸。大陸の3分の1が紫に染まる。
「こんなにも……」
「魔族は都や港、通商道などこちらの重要拠点を中心に≪核≫を落としている。お陰で連携がとりずらく後手に対応になっているのが現状だ」
「その≪核≫が生み出す霧の中で活動できるのが、ユニコーン」
「そうだ。数多幻獣の中で唯一毒霧の中で活動できるのがユニコーン。それを駆る騎士団が青螺旋騎士団だ」
改めて自分のやらなければならないことの重要性を認識するテオ。自分にできるのだろうか……。弱気の虫が心の中で蠢いているのを感じる。
「現状、ワイバーン騎士団やペガサス騎士団が上空で≪核≫を阻止しようと躍起になっているが、押されつつあるのが現状だ。地上に降り注ぐ≪核≫は少しずつ増えている」
「……カミル兄さん、やっぱり無駄よ。聞けば聞くほどボクには荷が重い」
「一人称は『私』だ。安心しろ、可能な限りサポートは行う。これを指につけろ」
言ってカミルは青く光る宝石が付いた指輪を差し出す。魔法の素養があるテオは、それが魔力のこもった物であることが理解できた。これは……。
「兄さん、この魔力はいったい……」
「通信魔法を付与した指輪だ。付けた者同士いつでも会話できる。困ったことがあったらいつでも尋ねてくれ」
「カミル兄さん……。ありがと――」
「まあ、いつでも答えれるとは限らんが。私も忙しいのでな」
感謝の言葉はにべもないカミルの言葉で中断される。ともあれ、助言がもらえるのはありがたい。
「それにずっと代理をやれとは言わん」
「……え?」
重圧に潰れそうなテオに、光のような言葉が差し込んできた。
「当たり前だろう。身分査証がばれれば重罪だ。こんな危険な方法をずっと続けられるとは思わん」
「それはとてもうれしいけど……ユニコーン騎士団の団長はどうなるの?」
「そこだ。青螺旋騎士団の団長を誰かに委任すればいい」
つまりだな、とカミルは説明を続ける。
「現段階でイリーネが脱退するのが拙いのであって、新たな団長となる者に騎士団を任せればそれを理由に引退可能だ。あとは秘匿しているアイツの懐妊も公開できる」
「えーと……つまりボクは新しい騎士団長ができれば、男に戻れるの?」
「ああ。ただしいい加減な人物を後に就けることだけは禁止だ。大陸の存亡にかかわるからな」