思い出に重なる現在:イリーネ
「……く!」
無力のハンナに気おされたヒデキ。
勿論、ハンナに強力な力があるわけではない。ただ相手に屈さぬように気丈にしているだけに過ぎない。立ち上がることもできず、満足に呼吸もできず、抵抗するために武器を持つこともできない。
ヒデキが何もできないでいたのは、自分に歯向かう相手の対応が遅れただけに過ぎない。圧倒的な力を持つヒデキ。最初はそれに抗う人間もいたが、それは力を誇示すればすぐに大人しくなった。それが当然の反応だ。ずっとそうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。
だが、彼女は違う。
圧倒的な力を見せて弱体化させているにもかかわらず、心折らずに戦うつもりのようだ。戦う術が何もないことは知っている。幾度となく『ステータス』を確認し、彼女が何もできないことは知っている。何度も、何度も確認し、負ける要素は何一つないと。
そしてその力の差は理解しているはずだ。こちらがその気になれば、ハンナは死ぬ。生殺与奪権を握っているのはヒデキなのだ。永久隷属の首輪をつけるもよし、精神だけ残して石化魔法で動けなくすることもできる。街の奴隷以下の地位に落とすこともできる。
互いにその立場を理解しながら、しかしこの場を制しているのはハンナだった。
だが、それが虚勢だとヒデキは理解する。
所詮口だけだ。責め続ければいつか心は折れる。そうだとも、ずっとそうしてきた。気圧されることなどない。
「そ、その生意気な心がどれだけ保つか、楽しみだよ。ふひ、ふひひひひひ!」
この言葉が出るまで、わずか六秒弱。ハンナとヒデキの立場逆転は、それだけで終わった。
拳を強く握るハンナ。迫るヒデキを、ただ見ていた。もう何もできない。後は心折れぬよう気を強く持つことだけ。ヒデキの言うように、この心がどれだけ正常でいられるかはわからない。ゲブハルト姉妹の思い出だけを支えに、強く。
永劫を生きると言われら魔族にどれだけ持つだろうか。残虐と言われる魔族にどれだけ耐えられるだろうか。壊れるのは体が先か、心が先か。
優位でいられた時間はわずか六秒弱。
それだけあれば、ユニコーンの健脚では80mの距離を詰めることができる。
「そうはさせません!」
遠くから聞こえてくる蹄の音。濡れた大地を蹴るユニコーンと、その上に乗る女騎士。
寸鉄こそ帯びていないがその瞳に強い闘志を乗せ、真っ直ぐに魔族に向かい突撃してくる一角の聖騎士。
その名はイリーネ・ゲブハルト。青螺旋騎士団の一番槍にして、騎士長!
言うまでもなく、テオである。
「く! この場所をどうやって……そうか、この未来を予知したのか!」
ヒデキは拳を握り、迫る女騎士を睨んでいた。どうやら相手は油断ならない相手のようだ。もはや未来予知能力者であることは、疑いようのない事実。そしてそれは数十秒ほど予知できるとみても間違いないだろう。
だが真相はというと、
(……ユニコーンの五感で魔族の声を聴いただけなんだけどね)
心の中でテオは幸運に安堵する。この雨の中、『アイン』がハンナとヒデキの声を聞きつけることができたのは奇跡だった。それが無ければ、間に合わなかっただろう。
そもそもテオがハンナを探す為に移動してなければ、この幸運にすらたどり着けなかった。躊躇なく行動した結果である。
そして何より、ハンナがヒデキとの会話で数秒を稼いでいなければその幸運すらも無駄になっていた所だ。わずか数秒の時間稼ぎ。その数秒が、この軌跡を生かしていたのだ。
突撃の勢いを殺さぬままに、ユニコーンは魔族に迫る。そのまま前足でヒデキを蹴とばした。驚きがあったのか、ヒデキは回避するという事すら忘れていたようだ。
『どや、テオぼん! ワシの超ド級究極雷神健康脚《ウルトラグレイトアルティメットサンダーキック》! 地平の彼方まで、吹き飛べや!』
『流石にそこまでは……。でもユニコーン的に大丈夫なの? 処女以外に触れたらどうこうとか……』
『蹄は大丈夫なんや。それにええ蹄鉄かましてるからな』
そんな会話を思念で行いながら、テオと『アイン』は魔族を見る。蹴り飛ばされた魔族だが、たいしたダメージではないとばかりに起き上がる。
「ふ、ふん……! この程度でこのヒデキ様がどうにかなると思うなよ!」
ヒデキに驚いた以上の動揺はないようだ。むしろ泥まみれになった自分の服を着にしている。
自分を攫おうとする魔の手から、颯爽と救ってくれた女騎士。
ハンナはその姿に、かつてのイリーネを重ねていた。




