テオとハンナ。そして魔族
テオとハンナのグループは、ユニコーン一騎と通常の常用馬であるため、準備に時間がかかる。
シャーロットとノエミのように分担して毒霧の浄化ができず、またユニコーンの浄化範囲からハンナは離れるわけにはいかないので、並走するためにどうしても単騎でかけるよりは時間がかかってしまう。
そして湖の浄化を行うのはテオの駆る『アイン』一択だ。その間ハンナと彼女が乗る『テオフィル』はその間もずっとその傍から離れるわけにはいかない。
「『アイン』、湖の浄化開始します」
「周囲に魔族の反応、ありません!」
ユニコーンの角を湖に漬け、浄化を開始する。黒ずんだ水が少しずつ透明になっていく。警戒は怠れないが、ここまで来れば思考に余裕も出てくる。
ハンナは探査魔法と通信魔法を維持しながら、すぐ近くにいるイリーネを見た。貴族の血統なのかすらりとした顔立ち。真っ直ぐに前を見る瞳。変わらぬ容貌。だが、彼女はイリーネではないという確信があった。
それが何故かと言われれば正直言葉にならないのだが、兎に角彼女はイリーネではない。
(でも誰かが魔法でイリーネの姿を模している……と言うのも違う)
魔法で姿を変化させる、と言うことは可能だろう。幻覚を顔の上からかぶせたり、こちらの認識を薄めたり。そう言った魔法があることは知っている。会合の代理などで、そういった魔術で身分を偽った人間を送る貴族は少なくない。
だからこそ、騎士団はその手のチェックは入念に行われる。高精度の魔法探知により、少しでも魔力を帯びていればすぐに露見するのだ。ハンナはイリーネがそれを受けていたのを知っている。幻影の類であれば、その時点でバレているのだ。
では何なのかと言われると、答えは出ない。少なくともハンナの知識では答えは導けない。
だからと言って、当人に尋ねるというのは論外だ。もしイリーネに成り代わっている人間が悪意を持っているのなら、現段階で殺される可能性がある。
イリーネは若くして騎士長の地位を得た女性。他に類を見ない出世スピードである。その地位を欲しているという可能性も考量した。だが、
(それは可能性としては薄い……。イリーナの社会的地位が欲しくて化けるのなら、それは任務外でなくては危険すぎる)
社会的地位が欲しいのなら、狙うは任務を終えて帰還している時だ。わざわざ青螺旋騎士団の任務に赴いて魔族の暴威に身を晒す意味がない。戦場では社会的地位はさほど役に立たず、むしろ命を落とす危険性が高い。
イリーネの顔がハンナの方を振り返る。目と目が合う二人。
二人はそのまま見つめ合った状態で硬直する。真剣に見つめあう二人。彫刻のように整った顔立ち。美しい瞳。柔らかそうば肌。そしてぷにっと膨らんだ唇……。ハンナの真正面にあるイリーネの顔。それは自分を下劣な男から救い出してくれた英雄……。
「……えーと、何か?」
「え、いいえっ、その、なんでもありませんっ」
テオがかけた声にハンナが驚き視線を逸らす。疑念があったのは事実だが、イリーネの顔を見ているうちに別の感情が沸き上がってきた。駄目だ、あの目で見つめられるとまともな判断ができなくなる。
ハンナは頭を切り替えて任務に意識を向ける。探査魔法、異常なし。
(……危ないなぁ。もしかして疑われているのかと思ったよ……)
ため息をつき、視線を湖に戻す。事実、疑われていたのだから仕方ない。
この二日間で大きなボロは出していないが、いつバレてもおかしくはないのが現実だ。
(……いや、それより先に全滅するかもしれない可能性。最悪のシナリオはそれだ)
(最悪、ボクの事はバレてもいいから、青螺旋騎士団を維持しなくちゃいけない。次の団長を決めて、勇退しなくちゃ。……そうなると、ボクは生きて帰れないんだろうなぁ……)
単純な身分詐称などの公的な受刑もあるだろうが、それより先に騎士団の人間に殺されかねない。テオが行ったのは覗きの領域をはるかに超えているわけで。
(……う。思い出しただけで頭に血が……)
柔肌と温もりと膨らみと柔らかさと下着と。それを振り払おうと頬を叩くテオ。僅かな痛みが思考を切り替える。
その余韻が覚め止まぬうちに、ハンナの『声』が響く。肉声ではない。通信魔法による全体への『声』だ。
「魔族、空間転移を確認! 場所は『アイン』『テオフィル』から南方向に50m地点!」
テオが振り向いた先には、魔族ヒデキが宙に浮かんでいた。




