ノエミの休憩時間
休憩に入ったハンナとシャーロットとノエミが行ったことは、先ず体を洗う事だった。
それぞれ口には出さないが、触手に触れられた部分が熱を帯びたように疼いていた。それはじわじわと全身に広がり、体と心を蝕んでいく。女性の本能的にこのままではよくないと察していた。早くこれを洗い流さないと。
「魔族の一部には、人間に対するする毒作用を持つと聞いてはいましたが」
ノエミは学術書から得た知識を思い出しながら、触手から分泌された液体を洗い流していた。貴族社会では、そういった触れ込みで怪しい霊薬を持ち出す錬金術師もいる。九割九分眉唾だが、元となった魔族の脅威は侮れない。
任務途中で見つけた池。浄化も済んでいる池の為、危険は全くない場所だ。シャーロットも一緒に来ていたが、互いに申し合わせた様に池の反対側に移動していた。姿は見えるが、何をしているかは見えない距離。
「ふう……」
ナメクジの様に一定の硬さを持たない触手は、ノエミの鎧の中にまで侵入していた。僅かな隙間から侵入し、直接肌を這う感覚。思い出しただけで悍ましくなる。次にあの魔族に会ったときは、このお礼をしてあげなくては。
「ふふ。そうですわね。貴族としてこの地を穢す魔族に鉄槌を下さなくては」
人型だが、どこか人間とかけ離れた魔族。尊大なあの態度を砕き、謝罪させる光景を思い出しノエミは笑みを浮かべる。抵抗する術を一つずつ奪い、身を護るものを一つずつ奪い、動きを一つずつ奪い。そうして何もかも奪った後でじっくりと責め立てる。想像するだけで身震いしてきた。
「ええ、不可能ではありません。団長がいれば」
イリーネを前にした魔族の醜態。それを思い出してノエミは口元を押さえる。盾で防ぐことも鎧で阻むこともできなかった触手を、イリーネは無傷で避けきった。その動きを見ることはできなかったが、魔族の動揺がイリーネの尋常ではない回避を示している。
慈悲をかけるように時を刻むイリーネ。その数が下がるたびに怯える魔族。あの光景は今思い出しても滑稽な姿だった。魔族の顔がおぼろ基、怯え、歪み、そして恐怖に変わっていく。とても憐れで、そして無様な姿。
(とても滑稽。……力のない団長に怯えて去っていくあの姿は)
――ノエミは、イリーネの実力が下がっていることに気づいていた。
昨日の一夜での会話や今日の動作。鎧を着た時の雰囲気などから、少なくとも以前会った時の肉体能力はもっていないことを察していた。慧眼、ともいうべき人を見定める目。ベイロン家が徹底して教育してきた帝王学。そういった下地を元に半日接して得た確信。
流石に今のイリーネが別人であることや男性であることまでには考えが至らないが、それでも何かあったことは理解していた。
(必死になって隠そうとしていますが、むしろその姿が愛おしいですわ。まるで哀れみを誘うようで、守ってあげたいほどに)
口元で隠したノエミの唇を、自身の舌が舐める。湿った唇が潤い、心が高揚する。
ノエミの心を熱くしているのは、イリーネに対する庇護欲。ただ弱いだけの相手に抱く感情ではない。弱いながらも必死になり、自分達を守ろうとしたあのか弱き背中。それを守りたい。抱きしめて、誰にも手の届かない所に閉じ込めて、そしてその全てを自分のモノにしたい。そう今すぐにでも――
(ふふ、いけませんわ。任務はこなさなくては。今はじっくりと足場を固めるときです)
妄想に耽る自分を制し、池から上がる。体を拭いて鎧を一つずつ身につけるたびに、意識は青螺旋騎士の方へとシフトしていく。魔族の脅威から解放するユニコーン騎士団。誰かを守るという使命と、領民を守るという貴族の義務。
ノエミ・ベイロンが大臣の娘と言立場を蹴って騎士団入りしたのは、正にそれが目的。のうのうと王宮に籠るのではなく、誰かを守り、そして平和を守ること。それを為すことが貴族であるという誇り。
そう教えられ、そしてそれを実践するために邁進してきた彼女だからこそ。
(でもあの弱弱しくも守ってくれる健気な姿。ああ、今思い出しても……)
必死になって戦うイリーネに異常な愛情を抱いていた。




