兄と弟Ⅰ
テオフィル・ゲブハルト。通称、テオ。
この名前は特に歴史に残ることのない貴族の一人である。大きな功績を遺すわけでもなく、優れた政策を打ち出すわけでもない。人と魔の戦乱時を生きた一人として、時代の中に消えていく。
だが、ゲブハルト家そのものはそうではない。この戦乱時三代にわたって活躍をし、魔王からディルストーグ大陸を守り抜いた英傑の家系となる。戦乱後も治安維持組織を擁立し、国防の長とまで言われる家系だ。
その戦乱を終わらせる三代目としてテオは生まれる。だが戦乱を終わらせる運命を持つのは彼ではなかった。
先に生まれたカミル・ゲブハルト。そしてテオフィルと同時に生まれたイリーネ・ゲブハルトである。兄のカミルは魔術と錬金術により国を大きく発展させ、イリーネは勇者と共に魔王を打ち滅ぼし、伝説となった。
テオは二人の威光に隠れるようにその時代を生きていた。兄の魔術の補佐をしようと白魔術を学ぶために魔術学園に入学。だがその成績は特に秀でた者ではなかった。可もなく不可もなく。それが彼の評価だ。
そして何の成果も生み出さずに、テオは学園を途中退学することになる。素行が悪かったのではなく、家の都合でゲブハルト領に呼び戻されたのだ。
その後、テオの名前は歴史上に浮かんでくることはなかった。彼が何をして、どういった人生を歩み、いつ没したのか。歴史書を紐解いてもそれが見つかることはない。
まるで、すべて隠匿されたかのように――
「カミル兄さん、ただ今戻りました」
「ああ、入ってくれ」
扉を開け、テオは兄――カミル・ゲブハルトの部屋に入る。部屋の両脇に並ぶのは多くの書物。そしてその机の上に並ぶのは多くの羊皮紙。今までそれにサインをしていたペンを直し、カミルはテオに近づいていく。両手を広げ、弟を抱き寄せた。
「久しぶりだな、テオ。学園に入って以来だから、もう二年か」
「はい。まだ学ぶことはたくさんあったのですが……」
「ああ、すまない。火急で解決せねばならぬことができたのだ」
言葉に鋭いものを混ぜながら、カミルは口を開く。椅子に座るようにテオに支持しながら、呼び鈴で侍女を呼び、茶を淹れるように告げた。
「あの、何があったんですか? 学園を退学して領に戻すなんて……」
兄の声の硬さと呼び出された内容に緊張するテオ。然もありなん。学園を退学させて領地に戻すなど、よほどのことだ。領の存亡がかかった危機か、誰かが亡くなったか――
だが久しぶりに戻った領内にそのような雰囲気はなかった。館内の侍女や執事に動揺している様子は見られない。二年ぶりだが、記憶にある光景のままだ。
「そう硬くなるな、というのは無理な話か。とりあえず気分を落ち着けるために一服してくれ」
「はあ……」
差し出されたお茶を口に含む。この領内で採れたお茶ではないのだろう。少し苦みがあるお茶だ。だがすぐに体に染み入るように温もりが広がっていく。
「新種の茶ですね。トウガラシか何かが入っているのですか?」
「ああ、すこし利かせすぎたかな。もう少し薄めの方がよかったか」
「? これはカミル兄様が淹れたのですか?」
「いや、私はブレンドしただけだ」
兄の言葉にますます疑問符が浮かぶテオ。お茶のブレンドを侍女に伝えて入れてもらったということなのだろうか?
「さて、本題に入ろう。ここから先は他言無用だ」
カミルが椅子に座り、重々しく口を開く。その空気に飲まれ、テオはつばを飲み込む。
「イリーネと、アイツが率いているユニコーン騎士団の話だ」