前夜Ⅲ
食事もすんでひと段落するテオ。
後片付けを自ら申し出たハンナに任せ、テオは地図を見ていた。グテートスの町周辺の地図である。
(……≪核≫が落ちてくる前は、町の周辺は一面の草原だった。通商の道として舗装された道路も……)
(今は毒霧の為に視界は遮られ、水と大地は腐食し始めている。『沼』化はまだしていないが、そう遠くはない……)
魔王の城から降ってくる≪核≫の影響は、大きく分けて三段階だ。
先ずは毒霧。≪核≫から噴出される霧は魔族の力を増大させる。この霧の発生する中では治癒能力を含めた基礎能力が増加する。≪核≫を守る上位の魔族は、死亡しても再構成されるという報告もある。
次に水の汚染。毒霧が水に触れ、その水が流れることで領域が広がる。毒を含んだ水を摂取した動植物は激しい苦しみを訴える。その苦しみに耐えきれないものは死亡し、耐えたとしてもその姿は変貌し心に異常をきたす。そういった生物は新たな魔族のしもべとして人間に牙をむく為、早急に処分される。
最後に大地の汚染。『沼』化である。この世界の魔法は大地から出る『恵み(マナ)』を使用する。汚染された大地は『恵み』を生み出すことはない。さらには『沼』となった大地はそれ自体が毒霧を発し、独自でその範囲を広げていく。
これら現象は≪核≫を中心に広がっていく。≪核≫の落下地点から円状に広がっていく『沼』化。天空を駆けるワイバーン騎士団すら、そこに近づくことはかなわない。空から見れば地上は毒霧で覆われ、見通すこともできないからだ。そこに立ち入れるのは、『恵み』なくとも水や毒を浄化できるユニコーンと、それを駆る騎士のみ、。
グテートス南方のデグドラ山に≪核≫の落下が確認されたのは半年前。ユニコーンの到着を待ち続けた町の人達の顔は、むしろ怒りすらあった。なぜもっと早く来なかったのか、と。毒霧の為に攻めることすらできず、故郷が穢されていく。ただ守るだけの日々。
(こういった地域は他にもたくさんある。できるだけ早くこの地の≪核≫を除去しなくては……)
「騎士団長、何見てるんですか?」
声をかけてきたのは後片付けを終えたハンナだった。見ているのが地図だと気づくと、呆れたようにため息をつく。
「何を見ているかと思えば……地形情報はいつも通り私が探査魔法で中継しますよ」
「え? ええ、そうね。でも事前に知っておくと、いろいろ考えることも増えるし」
「? どうしたんです? いつも初日は威力偵察でその後で作戦会議なのに。何か思うところでもあったんですか?」
(イリーネ姉さん、行き当たりばったりだったんだなぁ……)
呆れると同時、それでどうにかなる姉の実力。改めて姉の強さを感じさせられる。とても代役が務まるとは思えない。
当たり前だが、性転換の薬でイリーネそっくりの姿になったところで、姉の実力を得たわけでは無い。テオにあるのはテオが今まで得てきた人生の経験しかない。それは魔術学園でも並程度の魔術と、カミル兄さんから徹底的に叩きこまれた戦略の知識。
テオは兄が戦略を教えてくれたことを思い出す。
『これだけははっきり言っておくぞ、テオ。お前は弱い』
戦略の教育の際に、最初に言われたのはそんな言葉だ。自分でも自覚はあるが、実の兄にこうもはっきり言われると心に突き刺さるものがある。
『弱い。才もなく経験もなく志もない。他人を拳で殴ったことすらないお前の強さは、武器を持たない一般人と何ら変わりはしない。ユニコーン自体の戦闘能力はあるが、逆に言えばお前にできるのはその程度。ユニコーンに乗せてもらえるというぐらいしかお前に戦場での価値はない』
さらに追い打ちがかかる。何このいじめ。涙を浮かべそうになるテオに、ここからが本題とばかりに本を渡す。
『自分に何ができて何ができないか。それを忘れるな。そこがスタートだ。そしてそんな状況から如何に問題を解決するか。その手段がこれだ』
『……兵法?』
『教えるのは基礎だけだ。それをどう応用するかはテオ、お前次第。思考を止めるな。考え続けろ。才能の無いお前でも、思考することはできるからな』
(思考すること……それだけがボクにできることなんだ)




