【選択肢1】 ~ハンナと一緒に厨房で食事を作る。
「イリーネ? どうして厨房に?」
「え? ご飯を作るのでしょう?」
「えーと……もしかしてとは思いますが、イリーネがつくるつもりで?」
「? そうです――」
けど、という言葉はハンナがこちらの手を取り握りしめることで中断させられた。手から伝わる感覚は柔らかく、そして温かい。こちらを見上げるハンナの瞳は嬉しさのあまり涙ぐんでおり、頬はかすかに上気していた。
「ああ、ハンナは嬉しいです! イリーネが料理を作ってくれるなんて!」
「え? ええ?」
「わかっています。騎士長のトラウマは。ですがそれを乗り越えて包丁を握る決意をしてくださったのですね!」
トラウマって何? テオは心の中で首をひねる。姉のことは知っているつもりだが、料理に関するトラウマとか聞いたことがない。離れて過ごす間に何かあったのか。
だがそれを聞きただすことはできない。ハンナはトラウマを克服しようとするイリーネ(中身テオ)に感動し、そして自らの胸を叩く。
「わかりました。不詳ハンナ・レーナルト、及ばずながら料理の基礎をお教えします!」
「えーと……よろしくお願いしますね。レーナルト騎士」
「水臭いです! 二人きりの時はハンナでいいと言ったじゃないですか!」
(イリーネ姉さん、何があったの……?)
かくしてハンナの指導の下に料理を作ることになった。
なおテオは幼いころから料理に興味があり、魔術学園時代に自炊していたこともあるため料理自体は人並みにできる。だがそのテオから見てもハンナの手つきは素晴らしいものだった。
「あの頃は生きていくのに必死でしたから」
どこで料理の腕を学んだの、と問うとそんな言葉が返ってくる。魔族の進攻で領を失い、苦労を重ねてきた事を思わせた。領を取り戻すために何でもする。その為に必要ならといろいろなことを学んだという。
「早くレーナルト領を取り戻せるといいね」
「ええ。そうしたらまた皆さんをお呼びしたいです。イリーネやカミルさんや……テオフィルくんも」
夢を語るようにハンナは言う。それが困難なことはわかっている。でもいつかは。
止まっていた料理の音が再開される。二人並んで食材を切る。まるで気の合うコンビのように。
「……ってイリーネ料理できるじゃないですか。ズルしてません? そういう魔法とか」
「してないしてない。これくらいできるわよ」
「怪しいですねー。あんなに料理したくないって泣いていたのに」
(どれだけ姉さん料理嫌いだったの……って、えええええええ!?)
ハンナがテオの頬に手を伸ばし、顔を近づけてくる。互いの呼吸音が聞こえるほど近づいた。少し先に柔らかな唇がある。そんな状態でハンナのかけている眼鏡越しに視線を交わす二人。
テオは突然のハンナの行動に混乱していた。そういえばハンナと会うのは数年ぶりで、最後にあった時はまだ女性らしさが見え始めたころ。だけど今のハンナは一人前のレディと言っても差し支えない。そんな彼女の体はとても柔らかそうで、その肩を今にも抱きしめてしまいたい衝動が――
「嘘は言ってないみたいですね。でもなんでしょう? 別の感情が見えます」
「……ハンナ?」
「ああ、ごめんなさい。探査魔法を使わせてもらいました。疑ってるわけじゃないですけど、つい」
「…………ああ、そう」
「やっぱり近視と魔眼系は相性が悪いです。こうなったらいろいろためして――」
「あの、ハンナ? その手つきと唇を舐めるのはどういう探査魔法を使うつもりかしら?」
「? いつものですけど」
(だから姉さん、いつも何やってるの!?)
探査魔法の中には相手の体液――一般的なのは血液を口に含んで調べる術があるらしい。そんなことをふと思い出した。いや、深く考えない方がいい。頭痛を押さえ込むテオ。
「そろそろよろしいかしら?」
「ご飯出来たー?」
そんなハンナの暴走は、空腹を訴える二人の声で、終わりを告げる。
助かった……。テオは胸をなでおろし、ハンナは何もなかったかのように――彼女からすればこれも日常なのだから、何もないのは当然なのだが――作業に戻るのであった。




