夢が醒めたら
ディスプレイだけが光を放つ、暗く狭いコクピットで種田修斗は目覚めた。修斗は幾度と無く見るこの悪夢に辟易と戦慄を感じていた。何故生死を賭けた戦いへ己が行かなければならないのかということと、ここで死ねば二度と目覚めることは無いだろうという根拠のない直感だった。
修斗は慣れたようすで足でアクセルを踏み前方に傾けると、人間の二〜三倍もの身長を持つ無骨で所々に傷のついた人型機械は大地を踏みしめ音を立てて前進した。いつもの通りにアクセルを踏む足を戻していき、止まると同時に左右の手で機体腕部を操作する機械腕部操縦グリップと、搭乗者の腰の動きに自動で対応するバランス調整機によって体勢を整えた。
「今回もコカトリスの脚を! センチピードの顔を! 鳳凰の翼を! 最低限のそれだけを叩き、愚かしい次世代先導概念を失脚させる! 俺たち先人類が負けることなどあり得ないことをあのポンコツAIに刻みつけてやれ!」
「了解!」
「最後に勝つのは俺たち人類だ! そうだろう?」
「勿論です! その事実は神でさえも変えられません!」
幾度も聞いたスピーカー越しに熱気が伝わるような活気あるやりとりに呆れてディスプレイを確認する。視界にもレーダーにも反応は無く、視界に映るのは視界を覆う砂埃と陥落して砂の溜まったビル群と、砂で被さった車の残骸ばかりが目立つ黄土色で彩られひび割れた車道だけの人一人居ない町並みだった。夢の中では死なない筈だが、夢だからと言って軽く死んでみる気になる筈がなかった。修斗にとっては夢であろうと死ぬのは嫌なものだった。ましてはこの生々しい感覚を持った夢の中では死ぬことすら生々しい感覚なのだろうと感じられたからだ。しかし早くやらなければ早くには現実には戻れないだろう。
アクセルを踏んでマニピュレーターと脚部を加速させた。砂埃を上げてずかずかと走りながら右のアームハンドルグリップを回し太くなった右脚部が縦に開き、その巨体相応のライフルが差し出すように突き出された。それを右グリップの圧力操作で器用に握り、自然な動作で左手を添えてアクセルを加速させた。
「修斗! 動くなって命令が——」
戦場に似合わぬ女の高い声がスピーカーに流れた。その声の正体は現実では修斗の友人でありムードメーカーである根野あかねだった。この世界でのあかねは現実にあった明るさなど何もなかった。
「俺は悪夢にいつまでも留まっているつもりはないんだよ」
「落ち着いて! 私たちには帰る場所なんてないじゃない! だいたい——」
ヒステリック気味の金切り声を聞かないように通信をシャットアウトした。修斗には馬鹿馬鹿しさすら感じられた。夢に本気になる自分の姿が滑稽だった。しかし同時に、実際は誰もが夢に本気になる記憶が覚醒時に曖昧になるだけで、誰もが夢で本気になっているのではないかとも思えた。
五百メートル進んだスクランブル交差点の左の地点に八機の敵機反応が確認されて、スクランブル交差点から出ないようにバランスを保ちながら道路に火花を立てて急停止した。二脚戦車ドローンこと“コカトリス”だ。修斗には下手したら死ぬことなど分かっていたが、焦りばかりが修斗自身を掻き立てた。同時に味方反応として後ろから援軍、右から嵐のような射撃が現れた。敵機は二機だけ反応を消し六機の緑のレーザーが瞬く間に一直線に撃たれ、右の援軍から五機反応消失と共に消し炭となった。
「修斗……てめえが突っ走ったせいで——」
「夢の住人の分際で俺を責めるのか。付き合ってられないな」
味方の一人からの通信を軽くあしらいながら、ビルの角に潜めてライフルを数発ぶっ放す。二体のコカトリスはカメラアイに弾をまともに喰らって踊るように倒れて動かなくなった。高濃度レーザーを発射する時間で射出方向を把握できるため、軽く操作してレーザーを避けては数発のライフルを撃って時々マガジンを交換という単純な作業を繰り返した。しかし撃つ時は一瞬なため何度か装甲を削られかけてしまった。結果、右と後ろからの援護もあり、着実にコカトリスを減らしていき、どうにか敵機反応を途絶えさせた。
今回コカトリスのレーザーに避けられずに死んだ人間は三人だけだったが、誰もがその十人の為に泣いていた。修斗としては毎度この夢のオチには馬鹿馬鹿しさしか感じられなかった。何度かこの悪夢を見るたびに、どうして助かった運の良い者が運の悪い者を弔う必要があるのかという考えを持ち始めていた。修斗が現実に帰れる方法は一区切りの敵を斃して眠りにつくことだった。修斗は瞼を静かに閉じて、現実という平和な世界へ沈んでいくかのようにコクピットの座席に身を任せた。
目覚まし時計の音が喧しく耳元で響いた。殺伐した景色を望むコクピットから日の差す呑気なベッドに戻るというのはなんとも気持ちの悪い感覚ではあった。修斗は七時を表示する目覚まし時計を叩いて黙らせて、軽く欠伸をしながら学校の制服に着替えた。放課後にこの街にも寄付される搭乗型産業用ロボット“ジャイアントプロテクター”のコクピットに試乗できるという友人の話を思い出しながら鞄を持って自室から出て階段を降りると、一階のリビングでは母親が朝食を作っていた。修斗は悪夢を見た後に朝食を食べる気にもなれず、母親の声を無視して玄関で靴を履いて家を出た。
街は砂埃のない青空の下、黄土色に染まっていることなどなく人が行き交い車が行き交っていた。修斗は携帯端末を出して暇つぶしにニュースサイトを見た。『倫理的に高度な人工知能が誕生』という記事が目についたが、記事を読んでもよく分からず他のニュースをさがした。そうしてスクランブル交差点で信号待ちをしていると、誰かが後ろから修斗の肩を軽く叩いた。軽く驚いて振り返ると肩まで伸びた髪で修斗と同じ高校の制服姿の少女がいた。
「おはよう」
「いきなり肩叩くなよ。今日も悪夢見て寝不足なんだってのに……」
「また悪夢? 今度はどんなの? またロボットに乗るやつ?」
悪夢という言葉に反応したあかねは眼を輝かせて修斗に視線で話の続きを促した。修斗は表情を曇らせていると信号が青に変わって、仕方なく携帯端末を尻ポケットに収めて歩いた。
「いつもと変わらずロボットに乗る悪夢だよ。街にロボット以外に人の居ない悲しい世界」
「なんで悲しいの? ロボットに乗るのって男の子の夢でしょ?」
「いつ死んでもおかしくない世界なんだ。毎回何人かが死んでいる、でも俺は何故か死を目前にしても何とも思えないんだ」
「おいこら! また俺抜きでロボットの話かよ! たまには俺にもその話聞かせろよ!」
後ろから息を切らせて走っている髪を跳ねさせた眼鏡の少年の声が修斗を足止めさせた。
「相変わらずだな功。そんなに聞きたきゃもっと早く来いよ」
「今日はジャイアントプロテクターの試作機が楽しみで夜も眠れなかったんだよ! 男なら乗らずにはいられないじゃないか!」
「俺はお前の好きなロボットとかいうのにうなされて寝不足なんだ。ロボットなんてうんざりだよ」
「そう言いつつロボットに乗る夢見てる時点でお前はロボットが好きなんだろ? んで今回はどんな夢なんだ?」
修斗と功が話をしている間に、あかねがふとアナログの腕時計を見ると七時三十分を指していた。そんな様子を気にせず、功に先ほどより詳細かつ楽しそうに悪夢の話をする修斗にあかねは若干もやもやした気持ちで携帯端末を操作した。
「なるほどね。でも何でそのコカトリスとかいう二脚戦車の方はレーザーなんだよ? いくらなんでも武器に差がありすぎるだろ」
「まあレーザー発射の準備に時間がかかるからその間に方向を予測して避けるっていうことは出来るがな。もっとも、それでも何人か死んだがな」
「ロボットの話はいいけど早く行かないと遅刻するからもう行くよー」
「えっ……もうそんな時間なの?」
あかねの苛立ちを含んだ声で、二人が慌てふためいて携帯端末を取り出し起動した。
「やっべ、ロボットの話なんてしてる場合じゃなかったな」
「お前のせいだぞ功! どうして足止めさせるんだよ!」
「修斗が時間気にしてりゃこうならなかったろうが!」
画面に表示された七時五三分を見た二人は携帯端末を持ったまま、既に駆け足で学校へ向かっているあかねの後を追い、一日の体力を今使い切るかのような全速力で学校に走っていった。
三人が教室に来たと同時にチャイムが鳴り、ざわめきが静まりつつある教室でそれぞれの自分の席へ向かった。修斗は礼をした時に自分の机に何かの文字が深く彫られていることに気づいた。読むと『ここにいるお前は本当に本当のお前だと言えるか?』と書かれていた。修斗はわけの分からないまま隣の席の生徒に聞いた。
「俺の机に文字彫ったの誰か知ってるか?」
「いや、俺が来た時にはそうなってたんだけど……」
修斗はますますわけがわからなくなり次第に平和な日常を台無しにされた苛立ちが湧いてきて、休み時間を使って多くのクラスメートと担任教師に問い詰めたが「来たら既に彫られてた気がする」といった答えばかりだった。四時間目になった時には空腹と疲労で犯人を探すことを諦め、無意識に眠りへと誘われた。
目覚めると修斗はボロボロのベッドに倒れていた。大げさに起き上がり横を見るとあかねが椅子に座り、うたたねを打っていた。台には切り分けられた林檎が皿の上で山を作っていた。また悪夢かと溜め息をついたが、何故かその悪夢でもまだ空腹感が続いていた。
「あっ……もう起きたんだ。コクピットで死んだように眠ってて本当驚いたんだよ。その林檎、リーダーがそろそろ腐りそうだからってくれたんだ」
「腐りかけの林檎を俺に食えと? たとえ夢であっても嫌だね」
修斗はあからさまに嫌そうな顔で林檎を見ていると、あかねが恐ろしい形相に豹変し胸ぐらを掴んだ。
「あのねえ! 状況分かってるの? 私達が今まで生きてること自体奇跡なんだよ? もう贅沢なんて言ってられないんだよ?」
「お前らにとってはここは現実かもしれないが俺にとってはここは夢なんだよ!」
修斗はそう言った後でタブーに触れたことを直感で感じたが、時すでに遅し。あかねが胸ぐらから手を離し、哀れな物を見る目をして修斗を見た。
「前から思ってたけどさっきから言ってる夢って何?」
「言っても信じねえとは思うがお前らは所詮俺の夢の中の住人だってんだよ」
「現実から目を背けないで! 私達は今、次世代先導概念を倒すために生きているの! 修斗が現実だと思っているものは現実だという思い込みで固められた妄想なの!」
修斗は段々、あかねの視線が自分を馬鹿にしたように見えてきてならなかった。そう思ううちに視線の恐怖からか無意識に拳があかねを力強く殴っていた。気がつけば目の前には地面に尻もちをついて、恐怖に震え泣いていた。人を殴った手には痛みが残っていた。痛みと後悔ばかりが修斗を責めていくうちに、夢であると分かっていても謝らなければ気が済まなくなっていた。
「ごめん。でもここは俺にとっては夢なんだ……」
「修斗が謝る必要ないよ。怖いよね……こんな世界で誰もがまともな精神でいられるなんてあり得ないもんね……ごめんね……」
あかねはシャツの袖で涙を拭って無理やり震えた笑顔を作っていた。あかねの無理した笑顔が辛くなってきた修斗は、毛布を被って現実に帰れるようひたすら願って目を瞑った。あかねが泣いていない現実へと帰れるよう何度も願い、やがて意識が途切れていった。
修斗は目を覚ますともう既に授業が終わっていることに気がついた。しまったと思い焦っていると、あかねが左手にノートとメロンパン二つを持ってきて机に置いた。そしてもう片方の手に持った椅子に座り、ノートを渡した。
「寝てたでしょ? ほら写しなよ」
「……おう、ありがとう」
「あとメロンパンも。どうせ今購買に行ってもろくなもの無いと思ってね。お代はきっちり払ってよ」
さっき見た悪夢を思い出してしまった修斗はあかねと視線が合わせづらくなっていた。後から功が椅子を持ってきていてもなお、視線を逸らしつつメロンパンを齧りながら受け取ったノートを写していった。写し終わってノートをあかねに返すとあかねと功が興味津々な顔でじっと見ていた。
「今度はどんな夢を見たの?」
「また新しいロボットが出た?」
修斗は先ほどとの空気のギャップに苦笑した。同時に今度の夢は説明し難くどうしようかと悩まざるを得なかった。その時、机に彫られた文字が目に入り、一つの質問が浮かんだ。
「……夢の話の前に先に聞きたいことがある。俺たちが今見ている現実は、本当に現実なのか? ここに彫られた文字も夢の中でも言われたことだったんだ。なあ、どう思う?」
深刻な顔で質問を投げかける修斗に、あかねと功が意味が分からないというかのように失笑して、机に顔を伏せて笑いを抑えようとした。どうにか笑いを抑え、修斗に視線を戻した。
「すまん。いきなりお前が真面目な顔で何言うかと思ったら意味わからないことをいきなり言うもんだからさ」
「別に悪気があって笑ってるわけじゃなかったの。ただそんな抽象的なことで悩む修斗が珍しくて……」
言っていた修斗自身も馬鹿馬鹿しくて失笑を漏らしてしまった。同時にこんなことを言っている自分を恥じるばかりだった。しかし功が突然何か思いついたような顔でこめかみを押していた。
「『胡蝶の夢』って知ってるか? 人間である自分が蝶になっている夢を見ているのか、あるいは蝶である自分が人間である夢を見ていたのか。つまりお前はもしかすると生死を賭けた戦いをしている中で、平和な日常の夢を見ているだけかもしれないってことだ」
修斗は功の言っていることを全部理解したわけではないが、一番聞きたくなかった恐ろしい可能性を聞いてしまったような気がした。その言葉には何故か本能的に否定をしなければならない気がした。
「そ、そんなわけねえだろ……だってさ、もしそうだったらお前らは架空の存在ってことになるんだぞ? お前らは自分が俺の作った虚構だっていうのか?」
「ちょっと待てよ、今のはあくまで冗談だ。日々悪夢にうなされて冗談が通じないほど余裕がないのも分からなくもないが少し落ち着け」
「そ、そうだよ! だって修斗が見てるものはあくまで夢でしかないじゃない! 夢と現実の違いぐらい分からないはずがないよ!」
この話を続ければ続けるほど空気が重くなっていくのを感じて辛くなっていった修斗は、冷や汗をかき焦っている自分を落ち着かせるために深呼吸して、この空気をどうにかするべく切り替える話題を考えた。
「そうだ、四時間目の悪夢の内容なんだけど……今回はロボットが出なかったんだ」
ロボットの話以外は興味を失くすかなと思ったが、功は真剣に聞いていた。あかねは、依然変わらずに話を興味深げに食いついた。
「それで? どんな夢だったの?」
「言いづらいけど……あかねと喧嘩した夢だよ。小さなことで喧嘩になった」
「……そっか。ところでそれは朝の夢の続き?」
「そうなんだ。コクピットで気絶してたってことらしくてさ。あの世界はAIのせいで林檎すらまともに手に入らないほど壊れてしまっているらしいんだ。あいつなりに無難な理由を考えたんだろうけど俺が馬鹿なこと言ったばかりに——」
話の続きをチャイムが妨害して、二人は椅子と共に元の席に戻った。修斗はその時まで話を聞いてくれた二人に心の内で感謝して突き抜けた安堵に微笑みが零れた。
夕暮れに日が沈む街並みの下、修斗ら三人は功だけが待ちに待ったジャイアントプロテクターのコクピット試乗に他の二人が巻き込まれる形で行くことになった。功を筆頭に街を駆けその会場へと急いだ。
「なんで俺らまで来なきゃなんないんだよ! 一人で行けばいいだろうが!」
「そう釣れないこと言うなよ。どうせお前ら暇なんだろ」
「だからって私まで来る必要あるの? 私こういうのあんまり興味ないんだけど……」
「そんなもん無理に持つもんじゃねえさ。とりあえずお前らには来てもらうだけでいいんだ」
変わらず人混みの多い道を、人を避けながら走って行くうちに、まだ人の列が短い会場へと着いた。列の一番奥には人の二〜三倍もある巨体がどっしりと構えていた。人混みが進む度にコクピットのある胴が開閉する金属の巨体を修斗が目にした時、確かなデジャヴが修斗を追い詰めた。
「あ……あれは——」
「産業用として汎用性の高いジャイアントプロテクター。工業、農業、土木とかに使われるロボットだよ。いろいろあって最終日しか行けなかったけど列少なくてよかった——」
「違う……あれは俺の悪夢に出た奴だ……そして俺自身も悪夢であれに乗っていた……俺は現実でまだ見たことない見たことないはずなのに……」
修斗は何かの気配を感じて地面を見た。地面には『ここにお前は居ない』『現実から逃げるな』『夢から覚めろ』という文字が地面いっぱいに赤く浮き上がった。その文字は空や建築物に埋め尽くされて修斗の逃げ場を覆うように文字が囲んだ。修斗は戦慄に苛まれて文字のない場所を半狂乱に探した。やがてあかねと功も修斗の異変に気付いていた。
「おい修斗、いきなりどうした?」
「大丈夫? なんか様子が変だよ?」
「お前らには見えないのか? 赤い文字が辺りを埋め尽くしているじゃねえか」
「そんなもんねえぞ。お前どうにかしちまったんじゃねえのか?」
「きっと疲れてるんだよ。功には申し訳ないと思うけど私、修斗連れて先に帰るよ」
完全に味方を失ったことが分かった修斗は、あかねに掴まれた手を振り払って赤文字に侵食されていない場所を求めてどこまでも逃げようとした。だが逃げる先を塞ぐように赤文字の霧から現れた巨大な影が道を塞いだ。それはコカトリスたった。コカトリスが会場の機体を囲むように一歩一歩迫っていた。あのコクピットに乗らなきゃならないと修斗の直感が告げていた。同時に、修斗にはこの世界が彼にコクピットに乗るよう誘導しているようにも思えてならなかった。
誰が、誰かが自分を誘導している。じゃあ誰が? どうして現実であるこの世界で綻びが生まれている? 信じ続けたこの世界は何なんだ? 次々と疑問が浮かび、修斗を混乱させる。赤文字に対する恐怖心が修斗を圧迫し、赤文字の海をもがくように、唯一穢れのない巨体の待つ陸地へ逃げ続けた。列を追い越し、道を塞ぐ障壁となってしまった人々は躊躇いもなく修斗の肘で弾き飛ばされた。
修斗は赤文字の海から巨体の待つ陸地へと駆け上がり、次にコクピットに乗るはずだった男のことなど気にせずコクピットに乗ってコンソールを操作した。コクピットは完全に閉まり、完全な暗闇が修斗を覆ったが、一瞬の間もなくディスプレイが光を灯した。
修斗に見せたディスプレイが映す景色は今までの世界でもなく赤文字だらけの世界でもなかった。それは完全に悪夢で見た景色だった。
「どういう……ことだ……」
そう言うと、ディスプレイに何かが表示された。
『俺は現実を否定した』
その言葉に続き、次々と新しい言葉が表示された。
『俺は現実の誰も彼もを否定した』
『俺はやがて夢という名の妄想に移り住んだ』
『やがて俺自身が俺を制御出来ずに現実と夢を逆にした』
『人間は蝶の夢を見るが、蝶は人間の夢を見ない』
修斗は昼の胡蝶の夢の話を思い出し、あれは自分自身の答えの過程だったことに気がついた。現実だと思っていた世界は戦争に疲れた修斗自身が都合よく作った蝶の夢だった。 自分自身の暗示で何もかもが狂っていたことを理解した修斗の記憶の奥底で、閉じ込めてた記憶が解除されて脳内を駆け巡った。戦争の発端が三年前に日本で開発された中枢AIだったこと、AIの遠隔操作によって自律型の軍事ロボットが街を次々と破壊して手に負えず国が独立化したこと、シェルターが次々と破壊されて人口が急減したこと、学生までもが戦争に参加をせざるを得なくなったこと、その何もかもを。
ディスプレイのレーダーに反応が現れた。三方からの二脚戦車ドローン・コカトリス五十機に加え、左右の二方から百メートル級の長蛇戦車ドローン・センチピード八機、正面の上空から大型航空爆撃機ドローン・鳳凰三機。いつ死んでもおかしくないと修斗は苦笑した。だからこそ最後の言葉に相応しいことを言って格好をつけようと思い、一人のチャンネルに繋げた。
「聞こえるか? 種田修斗だ」
「修斗が受ける辛いことは全部私が背負うから。修斗が戦う必要なんてない」
「俺は見えない明日に怯えて現実逃避をしてしまった。ごめんな」
「そんなことのために通信を——」
狙撃班によって鳳凰が全機撃墜して形を保っていることさえ奇跡と言わんばかりのビルを粉砕して爆発させた。修斗は角から飛び出してコカトリスに正面からレーザーの向きに注意しながらライフルを連射し、ボロボロのビルを巻き込んで三機ものコカトリスを破壊した。先ほどの位置に戻り、リーダーからの命令を待った。『命令は敵が来るまで角に待機』だった。
言われたとおり角で待機して弾倉を替える。コカトリスは残り十機となったが、センチピードは未だ二機しか倒されていなかった。むしろ狙撃班の数の方が明らかに減っていた。
「最後かもしれないからさっき言えなかったことを言っておくよ。俺は現実のお前から今日までいろんな表情を見てきた。戦争前のお前も戦争後のお前も。だから——見てきた上でお前に言いたいことがある」
「え? い、いきなり何を——」
「この現実のお前が一番好きだ」
「え? え? い、いきなりそんなこと言われても——」
あかねの声がうわずっていた。戸惑った様子で、狭いコクピットの中で、返す答えを探しているようだった。修斗は修斗で最後の台詞にしては臭い台詞だったなと後悔した。
「ええと……わ、私もかな。いつの間にか功とばかり話盛り上がってて辛かったこともあったけど」
「良かったよ。振られたらセンチピード巻き添えで自爆するところだった」
「うん。じゃあ、振られてないから、お互い必ず帰ろうよ。約束だよ」
二人を分ける左右でコカトリスとセンチピードが三機ずつでやって来た。修斗含む左側とあかね含む右側が同時に出撃し、ライフルの連射でコカトリスは全機撃墜した。
問題はセンチピードだった。センチピードは幾つもの砲台を持っており、何機もの機体を狙うことが出来た。さらに装甲が硬い。そいつを倒すには一瞬顔を集中して狙わなければならなかった。一機目は弾切れ寸前までになって倒れ、二機目は大口径リボルバー拳銃で全弾使ってようやく機能停止。ここまでで半数の人間が犠牲になり、建物が次々に瓦礫へと変わっていった。
三機目となるとほとんどが弾を残していなかった。誰かが犠牲になり大型ナイフを直接頭部に突き立てるしか方法がなかった。その犠牲に名乗りを挙げたのは、紛れもなく修斗だった。誰かに止められることもなく修斗はセンチピードの来たタイミングで頭部に大型ナイフを刺して退却したが、砲撃を機体の脚部に食らい、壊れた音を立てて着地した。三機目も鎮まっていき、向こうもどうにか全部倒せたようだった。仮初めの終結に歓喜して、修斗はあかねに通信を繋げた。
「俺は生き残ったぞ! しかもセンチピードに接近戦で挑んでな!」
しかし帰ってくるものは咳き込みと荒い呼吸ばかりだった。修斗はマップを確認してあかねの場所を確認した。
「センチピードと重なってる……ははは……まさかね……」
あかねの居る場所へ壊れた脚部を引きずって向かった。ようやくたどり着いた先には、センチピードに下敷きになった機体の姿があった。
他と協力して引っ張り出した時には、機体は動かなくなっていた。修斗は慌てた様子で中をこじ開けて引っ張り出し、医療班のもとへ走っていった。医療班は「特に損傷も障害も無いはずであるのに、目が覚めない」と言っていた。
誰もがその原因が分からない中、修斗自身はその原因を知っていた。彼女もまた夢に惑わされていた人物だったんだろう。そして今、夢に決別しているのか、夢に逃げているのか。それは目を覚ませば分かる筈だ。修斗は目を覚ますまで待つことにした。
病室の壁を背にして待つと急に不安がこみ上げる。もし自分と同じく夢に逃げているのだとしたら。その時はどうすればいいのか。その時は同じ苦しみを味わった同士として痛みを分かち合えばいい。その決心を繰り返すうちにあかねは目を開けて、ゆっくりと身体を起き上がらせた。周囲を見回して修斗を見つけるとあかねが微笑んで言った。
「約束、守ってくれたんだ」