第一章ーー第3話 『理論上の尋問突破と、現実的な朝食(モンスター)の調理、そして俺たちの胃袋という名のブラックホール』
暗闇だった。
そこは、光という概念がストライキを起こしたかのような、完全なる漆黒の空間。
湿気と、古い藁の匂いと、埃っぽさが充満する閉鎖空間。
そう、俺たちが押し込められた村の「倉」である。
異世界転移二日目の夜――正確には未明。
俺たちの現状は、控えめに言っても最悪だった。
ステータス異常:『空腹』『疲労』『不眠』『閉所恐怖症の一歩手前』。
そして何より――。
ぐゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――キュルルルルル――ゴゴゴゴゴ……。
静寂なる倉の中に、地獄の底から響く亡者の叫びのような、あるいは地殻変動の前触れのような重低音が木霊した。
「……うるさい」
暗闇の向こう側、おそらく数メートル離れた位置から、鷹宮 恒一朗の絶対零度に近い冷徹な声が飛んでくる。
「相馬。お前、さっきから何回鳴らせば気が済むんだ? 俺の【戦術演算】が『騒音公害レベル:中』って判定を出してるぞ。鼓膜が休まらない」
「……なあ、鷹宮」
俺――相馬 恒一は、チクチクする藁の束の上で寝返りを打ちながら、哲学的な問いを投げかけた。
「理論上、この音は俺の意志では制御不可能な生理現象だ。胃袋という名のブラックホールが、質量を求めて悲鳴を上げているんだよ。これは俺の魂の叫びであり、生命維持装置のアラートだ。むしろ、この音が止まることこそが『死』を意味すると思わないか? 俺の腹の音が鳴っているうちは、俺たちは生きているという証明なんだよ。デカルトも言ってる。『腹が鳴る、ゆえに我あり』ってね」
「言ってない。デカルトへの風評被害も甚だしい。ただの騒音だ。あと、そのアラートがうるさすぎて俺の生命維持(睡眠)が脅かされている。静かに餓死してくれ」
「ひどいよねー。友達の空腹よりも自分の睡眠を優先するなんて。友情の危機だよねー。俺たちが一緒に過ごしたあの青春の日々は嘘だったの?」
「お前との友情より、今は静寂が欲しい。三秒でいいから黙れ」
俺の隣では、真壁 宙士がスマホの画面を顔の下で光らせていた。
下から青白い光に照らされたその顔は、怪談話の語り部か、あるいは呪われた日本人形のようにホラーだ。異世界の真っ暗な倉の中で光るスマートフォンというのは、オーパーツ以外の何物でもない。
「……なあ、これ録音してるからな」
「え、何? 俺の腹の音?」
「そう。『【ASMR】異世界の倉で男子高校生が空腹に悶える音~立体音響~』ってタイトルで保存した。これ、マニアにはたまらない需要があるかもしれない。ヘッドホンで聴くと右耳から左耳へ空腹感が抜けていく仕様にしてある」
「異世界にそんなマニアックな需要はないし、あったとしても誰が聞くの? そもそもネット繋がってないよねー?」
「わからんぞ? 異世界の貴族とかが『オホホ、下民の飢える音は風流ですわね』とか言って金貨を投げてくれるかも。クラウドファンディングの異世界版だ」
「性格が悪すぎる貴族しかいないのか、この世界は。フランス革命起きるよ?」
倉の隅、一番風通しが悪そうな場所で体育座りをしている霧島 仁絵さんが、暗闇の中で眼鏡をキランと光らせた。光源がないはずなのに光る、それが彼女の眼鏡の神秘だ。もはや眼鏡自体が発光ダイオードなのかもしれない。
「……補足します。相馬くんの腹の音の周波数は、可聴域ギリギリの低周波を含んでいます。長時間聞き続けると、精神不安定、自律神経の乱れ、および吐き気を催す可能性があります。音響兵器としての運用が理論上可能です」
「俺の腹、兵器認定された!? ジュネーブ条約に違反しちゃう!?」
「事実です。鷹宮くんのストレス値が限界突破しています。現在、彼の殺意はおよそ85%。残り15%は疲労による行動の抑制です」
「高っ! ほぼ殺す気じゃん! あと15%疲労が回復したら俺殺されるの!?」
鷹宮が深いため息をついた。その息遣いからも、確かな疲労と苛立ちが伝わってくる。
「わかったら黙って寝ろ。体力温存だ。明日の朝には村長とかいうジジイの尋問があるんだぞ。頭をクリアにしておかないと、変なボロが出て処刑ルートだ。異端審問にかけられて火あぶりになるぞ」
「寝られないよねー。俺、枕が変わると寝られない繊細なタイプだし、そもそも枕がないし、床が硬いし、腹が減ったし、喉乾いたし、未来が暗いし。寝るための条件が一つも揃ってない」
「文句の多い死体だな! もう気絶しろ! 壁に頭をぶつけて意識を飛ばせ!」
「気絶か……理論上、脳への血流を一時的に遮断すれば……」
「自分で頸動脈を絞めろ!」
こうして、長く、寒く、そして限りなく騒がしい夜は、俺の腹の独奏会と鷹宮のツッコミと共に更けていった。
異世界転移の初日としては、あまりにも華がなく、地味で、そして飢餓に満ちた夜だった。
翌朝。
ガギッ、ギギギ……という、錆びついた重々しい金属音と共に、倉の分厚い木の扉が開かれた。
一気に射し込む強烈な朝日。
暗闇に十二時間近く慣れきった網膜が、暴力的な光量に悲鳴を上げる。
「ぐわぁっ! 目が、目がぁぁぁ!」
「バルスかお前は。朝からうるさい」
俺たちは吸血鬼のように顔を覆いながら、よろよろと外へ出た。
新鮮な空気。土の匂い。少し湿気を帯びた朝露の香り。
そして、俺たちを取り囲む、冷ややかな視線の壁。
「……出てこい、不審者ども」
昨日の無愛想な衛兵が、槍の切っ先を突きつけてきた。相変わらず歓迎ムードはゼロだ。
広場には、杖をついた村長と、十数人の村人が待ち構えていた。
村人たちのひそひそ話が、これ見よがしに聞こえてくる。
「おい見ろよ、あの変な服。真っ黒で動きにくそうだ」
「髪型が変だ。なんであんなにツンツンしてるんだ?」
「顔がアホそうだな。特にあの寝癖のひどいやつ(俺のことか?)」
「言葉は通じるのか? 魔物の化けた姿じゃないのか?」
「いや、ただの遭難者だろ。ヒョロヒョロじゃないか」
アウェイだ。完全なるアウェイ。敵地ど真ん中。
スポーツの試合なら大ブーイングを食らっている状態だ。
「……生存確認。全員、意識はあるな。相馬、お前も一応息はしてるな」
鷹宮がふらつきながら立ち上がる。目の下のクマが濃い。完全に寝不足だ。犯人は俺の腹だ。申し訳ないとは1ミリくらいしか思っていないが、とりあえず心の中で手を合わせておく。
「さて、詳しい話を聞こうか」
村長が杖をつきながら、厳しい目で俺たちを見据えた。
白い髭を蓄えたその顔は、いかにも「ファンタジー世界の長老」という威厳がある。だが、その目は疑心暗鬼に満ちていた。当然だ。得体の知れない服を着た若者四人が、森の中から手ぶらで現れたのだから。
「お前たちは何者だ。どこの国から来た。目的は何だ。正直に答えれば命までは取らん」
メインクエスト発生:『尋問を突破せよ』。
難易度:S(失敗即奴隷、または処刑)。
鷹宮が小声で俺の耳元に囁く。
「相馬、いいか、余計なこと言うなよ。絶対にだぞ。お前の口の軽さがパーティの全滅を招く。昨日の設定を守れ。『記憶喪失の迷子』だ。それ一点張りでいく。余計な知識をひけらかすな」
「任せてよ。俺、小学校の学芸会で『村人B』を完璧に演じきった演技派だからねー。セリフ一つなかったけど存在感は抜群だったってオカンが言ってた」
「不安要素しかない! なんで主役じゃねえんだよ!」
俺は一歩前に出た。
そして、昨晩の暗闇の中で【無限思考】を使ってシミュレーションした「最も好感度が高く、かつ無害そうに見えると思われる笑顔(パーフェクト・営業スマイル)」を村長に向けた。
「おはようございます、村長さん! いやー、昨日はよく眠れました! 藁って意外と保温性が高くて暖かいんですね! 驚きの発見でした! まるで高級羽毛布団のような寝心地! ところで朝ご飯の予定とか、パンの一切れでも――」
ゴッ。
鈍い音が響いた。
鷹宮の鋭利な肘が、俺の脇腹に深く、正確に突き刺さったのだ。
「ぐふっ!」
「申し訳ありません、村長殿。連れがまだ寝ぼけております」
鷹宮が即座にフォロー(という名の物理的な隠蔽工作)に入る。彼は俺の横腹を強めに押さえつけながら、深々と頭を下げた。
「私たちは、気がついたらあの森に倒れておりまして……自分の名前以外の記憶が曖昧なのです。故郷の場所も、なぜこのような見慣れぬ服を着ているのかも思い出せず……極度の混乱状態にあるのです。決して、この村に仇なす者ではありません」
「ほう、記憶喪失か」
村長が疑わしそうに目を細める。
「都合の良い病だな。自分の素性を隠すにはもってこいの言い訳じゃ。だが、その割には顔色が良すぎる。特にそこのアホ面でヘラヘラしている男、肌ツヤがいいぞ。本当に苦労しているのか?」
「俺のことだよねー! アホ面ってひどくない!? これは生まれつきの愛嬌顔だよねー! クラスでもマスコットキャラ扱いされてたし!」
「事実だ。黙れ。お前は口を開くたびに好感度が下がる」
村長は次に、霧島さんを見た。
「娘、お前もか?」
霧島さんは表情を全く崩さず、しかしどこか虚ろな目を完璧に演出して答えた。彼女のポーカーフェイスは天下一品だ。
「……はい。断片的ですが、言語知識や一般的な物理法則の知識は残っています。ですが、個人の経歴や過去の出来事に関するメモリ領域が物理破損……いえ、思い出せません。アクセス権限がロックされている状態です」
「メモリ? アクセス権限? 何を言っておるのだ、この娘は。呪文か?」
「あー、頭の中の引き出しのことです! 難しい言葉を使いたがるお年頃なんですよ、中二病の延長戦みたいなもんで!」
真壁が横から口を挟む。
「俺は覚えてますよ。俺たちは『記録係』です」
「記録係?」
「ええ。世界のありのままを切り取り、後世に残す旅をしていて――このスマホという魔道具で世界の真理を――」
グシャッ。
鷹宮が真壁の足(新品のローファー)を全力で踏み抜いた。
「痛っ! なんだよ! キャラ設定くらい自由にさせろよ! 俺のクリエイティビティを殺す気か!」
「お前の自由が俺たちの命取りなんだよ! スマホとか魔道具とか言うな! 火あぶりにされるぞ!」
村長が深いため息をついた。
呆れている。完全に呆れ果てている。
「……やれやれ。嘘をつくなら、もう少し口裏を合わせてから来い。隣町の演劇一座の三文芝居でも、もう少しマシな演技をするぞ」
バレてる。
完全にバレてるよねー。
俺たちの演技力、異世界じゃ通用しない説。現代日本で培った小賢しい嘘は、厳しい自然を生き抜く村長にはお見通しだった。
村長が衛兵に目配せをした。
「怪しいが、悪人には見えん。悪人にしては間抜けすぎる。ただの『世間知らずのバカ』の集団だ。頭のネジが何本か飛んでおる」
「バカ認定! 否定できないのが一番辛い! せめて『憎めないバカ』にしてほしいよねー!」
「とりあえず、村の畑仕事でも手伝わせるか。働かざる者食うべからずだ。素性はどうあれ、若い男が三人おる。労働力にはなるじゃろう。逃げ出さぬよう見張っておけ」
労働。
肉体労働。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内メーカーが「拒否」「怠惰」「睡眠」「筋肉痛」の文字で埋め尽くされた。現代の、しかもインドア派の高校生にとって、異世界での農業(手作業)は拷問に等しい。
「えー、労働ですか? 俺、座って宇宙の真理について考える仕事しかしたくないんですけど。あるいは村の相談役とか、アドバイザー的なポジションで」
「お前ができるのは『座って腹を鳴らす仕事』だけだろ! 文句言わずに働け! 飯のために鍬を振れ!」
その時だった。
コケコッコーーーーーッ!!!!!!
村の外、森の奥深くから、大気を震わせるような絶叫が響いた。
ニワトリの鳴き声だ。
ただし、音量が異常だ。ジェット機の離陸音、あるいは雷鳴に近い。鼓膜がビリビリと物理的に震える。
「な、なんだ今の声!?」
村人たちが一斉にざわめき出し、顔色を青ざめさせる。
見張り台にいた衛兵が、狂ったように鐘を鳴らした。
「カンカンカンカン! 敵襲! 敵襲! 村長! 『アレ』です! 《グレート・コッカトリス》が出ました! こっちに向かってきます!」
「なんじゃと!? またか! この前追い払ったばかりじゃぞ! くそっ、今年は異常発生の年か!」
俺たちは顔を見合わせた。
「……グレート・コッカトリス?」
俺が首を傾げると、霧島さんが即座に反応した。彼女の眼鏡がサーチモードの青白い光を放つ。
「鑑定。対象:魔獣。推定ランクB。体長4メートル強。体重約2トン。石化の邪眼は持ちませんが、鋼鉄をも砕く強靭な脚力と、並の槍を通さない硬質な羽毛、そして岩盤を穿つ凶悪なクチバシを持つ、巨大なニワトリ型の魔獣です。非常に好戦的で、動くものはすべてエサと認識します」
「巨大なニワトリ……体長4メートル……体重2トン……」
その言葉が、俺の脳内でリフレインする。
巨大な。ニワトリ。
つまり。
「……巨大な、唐揚げ?」
俺の口から、滝のようなヨダレが出た。
思考が爆発的に加速する。
4メートルのニワトリ。単純計算で、フライドチキン何個分だ? 一万個? 十万個?
モモ肉一本で、俺の身長よりデカいのか? 手羽先だけでバットくらいのサイズがあるんじゃないか?
想像しただけで、胃袋のブラックホールが「それをよこせ」と叫び声を上げる。
「相馬、お前ブレないな! 今、完全に『食材』として見たろ! アレは怪獣だぞ!」
鷹宮が呆れるが、俺の【無限思考】はすでに「いかにして食べるか」「塩コショウは足りるのか」という調理のフェーズにシフトしていた。
恐怖? ない。あるのは果てしない食欲のみ。
「村長! そのニワトリ、倒したら全部食べていいですか!? 所有権は俺たちにありますよね!?」
「は? 何を言って……今はそれどころではないわ! 全員避難だ! 畑が荒らされる! 家が壊されるぞ!」
ズドォォォォォン!
村の入り口の丸太の柵が、紙細工のようにあっけなく吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める土煙の中から、巨大な影が侵入してくる。
デカい。
マジでデカい。俺の家の二階建ての屋根より高い。
真っ赤なトサカが、まるで血塗られた王冠のように頭上に輝き、凶悪な鉤爪のついた太い足が、地面をアスファルトごと(ないけど)えぐるように踏みしめる。
その瞳は、爬虫類のように冷たく、そして貪欲な飢えに満ちていた。
「コケーッ!」
一鳴きで、近くの物置小屋の藁屋根が吹き飛んだ。ソニックブームだ。
「うわ、マジでデカい! 怪獣映画かよ! 着ぐるみじゃないよな!?」
真壁がスマホを構える。手は恐怖で震えているが、しっかりと録画ボタンを押している。パパラッチの鑑だ。
「これ、歴史的特ダネだ! 『【衝撃映像】巨大ニワトリ、村を襲撃! 人類終了のお知らせ』で再生数ミリオン確定! いや、一億再生いくぞ!」
「撮ってる場合か! 逃げるぞ、相馬!」
鷹宮が俺の腕を強く引く。
だが、俺は足に根が生えたように動かなかった。
足が竦んでいるのではない。釘付けなのだ。あの、プリプリと引き締まった巨大な太もも肉に。
「……逃げない」
「は? 死ぬぞ! あんなの、俺たちのステータスじゃ勝てるわけないだろ! 踏まれたらミンチだぞ!」
「逃げたら、朝飯が逃げる」
「お前の命より朝飯が大事なのか! 優先順位のバグり方が異常だろ!」
「理論上、空腹死と戦死なら、戦死の方が尊い。それに、ここで逃げたら一生『世間知らずのバカ』扱いで、一生畑を耕す奴隷生活だ。でも、あいつを倒せば英雄だ。名誉挽回と、腹一杯の肉。これ以上のチャンスはないよねー!」
「お前……!」
鷹宮が葛藤する顔をした。
逃げたいという生物としての本能と、俺を見捨てられないという良心(あるいは俺が死んだらツッコミ役がいなくて困るという打算)が激しく戦っている。
そして、クソッと天を仰いで吐き捨てる。
「わかったよ! やればいいんだろ! どうせ逃げても足の遅いお前から食われる! 俺の【戦術演算】も、逃走成功率より反撃成功率の方がわずかに高いと出てる! ……ただし、勝算はあるのか! 具体的なプランは!」
「ない!」
「即答かよ! 少しは考えろ!」
俺は一歩前に出た。
脳内のタービンが唸りを上げる。【無限思考】、フルドライブ。
ターゲット:グレート・コッカトリス。
目的:解体、調理、実食。
「霧島さん、弱点は! あいつの装甲を抜くポイントを教えて!」
「解析完了。データを共有します」
霧島さんの声と共に、俺と鷹宮の視界に、コッカトリスの骨格図と筋肉構造の図面が浮かび上がった。
「全身の筋肉密度が異常に高く、羽毛は鉄板並みの硬度を誇ります。通常攻撃は通りません。衛兵の槍も弾かれます。唯一の弱点は、首の下にある『肉垂』と呼ばれる赤い部分。あそこだけ皮膚が薄く、直下に太い動脈と神経節が通っています。そこが急所です」
「難易度高いな! あんな高いところ、しかも常に動いてる首の下なんて、どうやって狙うんだ!」
「その通りです。動きが速く、的が極めて小さい。命中率は鷹宮くんの運動神経とあの粗悪な槍では、成功率5%未満です」
「詰んだ! 5%じゃガチャでも引けない確率だ!」
「いや、詰んでない」
俺はニカっと笑った。
「動きが速いなら、止めればいい。的が小さいなら、狙いやすいように隙を作ればいい。真壁、お前の出番だ」
「俺? 俺は戦力外だぞ。カメラマンだぞ。戦場カメラマンとしての矜持はあるが、戦闘員じゃない」
「昨日保存した『うさぎ』のデータ、まだあるか?」
「あるけど……ニワトリにうさぎが効くか? 種族違うぞ。鳥は虫とか穀物食うんだろ?」
「効く。鳥は動く小動物が好きだ。あいつは魔獣だ、雑食のはずだ! 食欲を刺激しろ! あいつは今、腹が減って村を襲いに来た。俺たちと一緒だ! 空腹の辛さは俺が一番よく分かってる!」
「なるほど! お前と同じ思考回路ってことだな! 『食いしん坊』には『飯テロ』が一番効く!」
「失礼な! でも大正解! 飯テロ作戦決行だ!」
コッカトリスがこちらに気づいた。
巨大な瞳が、広場の中央に立つ俺たちを「エサ」としてロックオンする。
殺気ではない。純粋な食欲の圧だ。
「来るぞ! 鷹宮、ポジショニングの指示を!」
「チッ……やるしかねえか! 【戦術演算】起動! 包囲網構築!」
鷹宮の視界に見えているであろう赤いガイドラインが、俺の視界にも共有される。
点A(俺)、点B(真壁)、点C(霧島)、そして攻撃手の点D(鷹宮)。
「相馬、お前が囮だ! 正面に立て!」
「やっぱり!? なんで俺だけリスクが最高ランクなの!? リーダー(仮)だよねー!?」
「お前が一番『美味しそう』に見えるからだ! 動きがトロくて、油断してて、高カロリーそうだ! ジャンクフードの擬人化みたいな顔してるからな!」
「悪口のオンパレード! でも行く!」
背中を蹴飛ばされた。
俺は、巨大なニワトリの正面に、無防備に飛び出した。
風圧がすごい。生臭い、獣特有の息がかかる。
「やあ、ニワトリさん! こっちだよー! 高タンパク低脂肪、ストレスフリー育ちの相馬くんだよー! ちょっと運動不足だから肉質は柔らかいよー!」
「コケッ?」
コッカトリスが首を傾げる。
「なんだこの弱そうな生き物は?」と思っているのが、その瞳からありありと伝わってくる。
そして、獲物を見つけた猛禽類の目で、襲いかかってきた。
「速っ!」
巨大なクチバシが、俺の頭上から槍のように突き下ろされる。
俺は【無限思考】で計算された「無様だけどギリギリ当たらない回避ルート(通称:ゴキブリムーブ)」で、地面を転がり回った。
「うわあああ! 土の味がする! 死ぬ! いや死なない! 俺は唐揚げを食うまで死ねない!」
ズガンッ! という轟音と共に、俺の顔のすぐ横の地面が大きく抉り取られる。
俺が泥だらけになりながら逃げ回ることで、コッカトリスの注意が完全に下(地面)に向いた。
今だ。
「真壁、展開しろ!」
「おう! 保存データ、フル展開! ――再生!」
真壁が両手を高く掲げる。
コッカトリスの目の前、顔の高さの空中に、昨日記録した大量の「うさぎの群れ」の幻影が、突如として出現した。
ぴょんぴょん跳ねる、数千匹のうさぎたち。
音と匂い付きの、肉食獣にとって最高のご馳走の幻影だ。
「コケ!? コココ!?」
コッカトリスが混乱する。
足元をチョロチョロ逃げ回る俺(一匹、不味そう)と、目の前に突然現れた大量のうさぎ(美味そう)。
質より量。奴の鳥頭が、情報のオーバーフローを起こし、処理落ちした。
動きがピタリと止まる。首が上を向く。ウサギの幻影を追って、隙だらけの首元が完全に伸びきった。
「今だ! 霧島さん!」
「はい。計算通りです」
広場の隅に待機していた霧島さんが、落ちていた手頃な石を拾い上げた。野球ボールくらいの、ただの石ころだ。
彼女の腕力は、現代日本の女子高生の平均以下。物理的なダメージは一切期待できない。
だが、彼女には【解析】という、世界の真理を見抜く目がある。
「投擲。角度修正32度、風速補正マイナス2。コッカトリスの予測挙動データ入力完了。……必中」
ヒュン!
力のない、山なりのフォームから放たれた石は、しかし、まるで誘導ミサイルのように吸い込まれるような軌道を描き、コッカトリスの「目」にピンポイントで当たった。
「コケーーーッ!!!」
視界を奪われ、眼球への鋭い痛みに、コッカトリスが大きくのけぞる。
痛みと驚きで、首がさらに大きく上に反り返った。
その瞬間、首の下にある赤い「肉垂」が、完全に、無防備に露出する。
「鷹宮! トドメだ! 美味しいところ持ってけ!」
「人使いが荒いんだよ! 計算外の重労働だ!」
鷹宮が、衛兵が恐怖で落としていった鉄の槍を構え、走り出した。
破壊された小屋の瓦礫を足場にして、跳躍する。
普段は文系もやしっ子だが、今の彼の視界には「勝利への確定ルート」という名の光るラインが、ゴールテープのように見えているはずだ。
「うおおおおッ! これで……今夜は焼き鳥だァァァッ!」
「動機が不純! でも完全同意!」
鷹宮の渾身の突きが、正確無比に急所である肉垂を貫いた。
ズドン!
肉を裂き、骨の隙間を抜け、神経節を断ち切る確かな感触。
「コ、コゲェェ……ッ!」
コッカトリスが、空気を震わせる断末魔を上げる。
巨体がぐらりと揺れ、膝をつき、そしてゆっくりと――。
ズズズズズ……ドォォォォン!
地響きと共に、倒れ伏した。
もうもうと土煙が舞い上がり、広場を包み込む。
静寂。
風が土煙を晴らしていく。
俺は泥まみれで起き上がった。
「……やったか?」
「だからフラグを立てるな」
霧島さんが近づき、動かなくなった巨体の目を指で開いて確認した。
「……瞳孔散大。生体反応消失。完全沈黙。私たちの勝利です。クエスト・クリア」
数秒の静寂の後、村人たちからの歓声が、爆発するように上がった。
「す、すげえ! あのコッカトリスを倒したぞ!」
「あいつら、何者だ!?」
「ただの子供じゃない! 英雄だ! 救世主だ!」
村長が、震える足取りで近づいてくる。
「お、お前たち……まさか、これほどの腕前とは……。見くびっておった。記憶喪失の迷子などというのは嘘じゃったな。高名な魔獣ハンターか、他国の騎士団の者か?」
俺は泥だらけの顔で、ニカっと笑った。
「いいってことですよ、村長さん! 困った時はお互い様だよねー! 僕たち、通りすがりの日本の高校生なんで!」
「コウコウセイ……なんと偉大で、恐ろしい響きじゃ……。何でも礼をしよう。金か? それとも名誉か? 村一番の美女を紹介しようか?」
俺と鷹宮と真壁は、顔を見合わせた。
そして、全員の腹が、示し合わせたように同時に、最大の音量で鳴った。
ぐゥゥゥゥ――キュルルル――。
「「「肉をください」」」
ハモった。
寸分の狂いもない、完璧な三部合唱だった。
数時間後。
村の広場は、一種の祭りのような熱気に包まれていた。
俺たちは広場の中央で、山盛りの唐揚げ(っぽいもの)を囲んでいた。
コッカトリスの巨体は、村人総出で手際よく解体され、大鍋で揚げられ、あるいは豪快に直火で炙られていた。
部位はモモ肉、ムネ肉、手羽先、なんでもござれ。巨大な肉の山がそこにある。
「……うめぇ」
俺は泣きながら、自分の顔よりも大きな骨付き肉を頬張った。
熱々の肉汁が口の中に溢れ、脳天を突き抜けるような旨味が爆発する。
「なんだこれ。弾力が違う。噛めば噛むほど野性の味がする。これぞ命の味だよねー。生きててよかったー! 神様、異世界転生させてくれてありがとう!」
「味付けが粗塩だけなのに、なんでこんなに美味いんだ……。素材のポテンシャルが異常だ」
鷹宮も涙目になりながら、無我夢中で肉に喰らいついている。
「労働の後の飯が美味いって、こういうことか……」
「俺たち、労働っていうか、命のやり取りしたけどな。対価としては妥当すぎる。むしろお釣りが来るレベルだ」
真壁は片手で肉を持ち、もう片手でスマホのカメラを回して自撮りをしていた。
「『巨大モンスターチキン実食! 味は意外とあっさり!? コラーゲンたっぷりで美肌効果も!?』……よし、サムネ確保。電波繋がったら絶対バズる。これで俺もトップインフルエンサーだ」
「お前、いつかモンスターに食われても『消化液なう。溶けてる感じがエモい』とか配信しそうだな。執念が怖い」
霧島さんも、無言でもぐもぐと食べている。
リスみたいに頬をパンパンに膨らませて、幸せそうだ。眼鏡が肉の湯気で完全に曇っているが、気にする様子もない。
「……タンパク質、脂質、炭水化物。栄養バランスは肉に偏っていますが、ドーパミンの分泌量が私の体内データで異常値を記録しています。幸福度は計測不能レベルです」
「霧島さん、それ『美味しい』ってことですよね。素直に『美味しい』って言いましょうよ」
「……美味しい、です」
村長が、俺たちの底なしの食べっぷりを呆れた顔で見ている。
「まったく、変な連中じゃ……。底なしの胃袋を持っておる。だが、村を最大の危機から救ってくれたのは事実。しばらくここに置いてやろう。恩人として、客人としてな」
「マジですか! やったー! 住居確保! 衣食住コンプリート! これで晴れて異世界スローライフの始まりだよねー!」
「ただし!」
村長が、ピシャリと釘を刺す。
「ニートとして飼うわけではないぞ。コッカトリスの解体はまだ終わっておらん。羽むしりと、余った肉の塩漬け作業、そして燻製にする手伝いをしろ。お前たちが食べる分は、お前たちで加工するのだ」
「え、羽むしり? あのでかいやつの?」
俺は、広場の端に積まれた、山のような羽毛を見た。
一本一本が剣のように硬い羽だ。数万枚。いや、数十万枚あるかもしれない。
「……理論上、素人の手作業だと、全部むしり終わるのに一週間はかかるよねー?」
「計算する前に手を動かせ、バカ。食った分のカロリーは労働で消費しろ」
鷹宮に頭をスパーンと叩かれながら、俺は笑った。
まあ、いいか。
とりあえず腹ははち切れんばかりに膨れた。当面の寝床も確保した。
そして何より、この異世界の肉は最高に美味い。
俺たちの異世界サバイバル。
壁はまだまだ高い。
言葉の壁。文化の壁。魔法の使い方。そしてこれから待ち受けるであろう、さらなる理不尽なトラブルや強敵の壁。
でも、まあ。
「すいませーん、おかわり!」
俺が空になった巨大な皿を差し出すと、鷹宮も、真壁も、そしてあろうことか霧島さんまでもが、スッと皿を差し出した。
理論上、食欲があるうちは、俺たちは無敵だ。
腹さえ膨れれば、どんな理不尽な世界だって笑って生き抜いてやれる。
たぶん。きっと。
……さて、明日は何が食えるかな。




