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第8話 別れと憧れとミネストローネと

――体験学習2日目午後


「千夏ちゃん、手、ちょっと貸して」

「え、えっと……はい」

 結は千夏の指先を軽く見て、微笑む。

「うん、料理好きな子の手してる」


「えっ、わかるんですか、そんなの」


「わかるよ。火傷の跡はないけど、指の腹が少しだけ固い。

 家でよく野菜切ったり努力してる手してるもん」


「……はい! 母の手伝いで、よく料理してます」


「じゃあ今日の午後は、もっと“料理で勝負”しよっか」

 結はボウルを取り出し、カットした玉ねぎ、セロリ、ベーコンを並べた。

 ミネストローネの仕込みだ。


「まずはこれ。玉ねぎを汗かくまでゆっくり火にかけるのがポイント」

 フライパンに油をひく音。

 玉ねぎが触れた瞬間、じゅわっと甘い匂いが立ち上る。


「……いい匂い」


「料理って、実は味より“音”と“匂い”で進行がわかるんだよ。

 焦がしそうになったら、ほら——」


 結は千夏の手に軽く触れて、フライパンを前後に揺らすコツを教える。


「こう、鍋を踊らせる」


「う、うまく……できてるかな……」


「できてるよ。料理は怖がったらだめ。昨日みたいな時もね」


 千夏の手が止まる。

「昨日……私、すごく慌てちゃって……」

「私も慌ててた…でもさ」


 結は鍋に木べらを滑らせながら言う。

「昨日いちばん最初に私に報告してくれたの千夏ちゃんだったよね」


「あれ、すごくよかった。

 料理もそうだけど、最初に声を出せる人って強いよ」

 千夏は赤くなり、俯きながらも微笑んだ。


「私……結さんみたいになりたいです」

 その言葉に、結の手が一瞬止まる。


 煮立ったスープがとろりと色を変えた。


「私みたいって……煮込みすぎて奏さんに怒られるタイプの?」

「そういうところ含めてです!

 結さん、料理するときすっごい真剣で……かっこいいです」


 結は耳を赤くして、黙ってトマト缶を投入する。

 ぱあっと赤が広がり、厨房が一段明るくなったようだった。


「……ありがと。じゃあ、今日のミネストローネの仕上げは、千夏ちゃんね」

「えっ、私が?!」

「うん。味見して、最後の仕上げは千夏ちゃんがやってみて」

 千夏は真剣な顔で塩や胡椒を恐る恐る入れ、味見をして少し考え結に味見を頼んだ。


「これが、千夏ちゃんのミネストローネだね、美味しいと思うよ」

 結が静かに笑う。

 千夏の目が少し潤んだ。


 奏が厨房に入りながら。

「……いい匂いするな。千夏が作ったのか?」


「えっ!? あ、その……結さんに教えてもらって……!」

「結の料理は繊細だからな。

 誰でも真似できるわけじゃない…いいと思う」


 千夏の頬が一気に赤くなる。

 結もつられて赤くなる

「か、神谷さんまで……。なんか、嬉しい……!」


ーー支配人室 

「ちょっと聞いた!? 千夏ちゃんが“結ちゃんの弟子入り”したって!」


 京子が支配人のデスクに身を乗り出す。

「……厨房から香りがしてましたね。野菜とベーコン。

 結さんが仕込みをまかせるなんて珍しいですね」


「いやもう、才能があるって思ったのかも……!」


「京子さんはもう少し真面目に仕事してくれるかな~?」


「支配人セクハラです‼」

「なんで!!」


 その日の夜、まかないに出されたミネストローネ。

 千夏が作ったとは誰にも言っていないのに、皆が口々にこう言った。

「今日のスープいつもと違う、なんか優しいけど元気が出る味だね」


 その言葉に、結はこっそりガッツポーズをした。

 

「——きっといい料理人になれるよ、千夏ちゃん」


――体験学習最終日の朝。


 千夏は少し緊張した顔で厨房に立っていた。


「千夏ちゃん、今日の課題はね——」

 結が指差したのは大きな寸胴鍋だった。


「昨日のミネストローネを“朝のスープ”に作り直すこと」

「作り直す……?」


「そう。スープは時間が経つと味が丸くなる。

 だから、朝は朝に合う顔にもう一度整えてあげるの」


 結は野菜のトレーを置き、奏が横から静かに補足する。


「時間が経ち変化する料理ほど、料理人の腕が出る」

 千夏は真剣に頷いた。


 そんな中、支配人と京子と快が慌てて飛び込んできた。

「大変だ! 団体客の朝食数が増えるらしい!

 昨日の予約帳が……京子と快のせいで謎の数字に……!」


 快が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「ち、違う! 俺が人数聞いていたら横から京子さんの心の声が漏れて少ない数書いちゃいまして!

 “たぶん二十名くらい”とか無意識に書いてしまいまして!」


「それをミスっていうんですよ!」

 支配人と京子と快がバタバタする横で、奏が小さく言った。

「……スープだけ足りないか…足りない分は、千夏のスープで補う」


「えっ!? わ、私のですか!?」


「朝用のミネストローネを追加で作ってみて」

 結も同意する。


「千夏ちゃん、やってみる?私も補助に入からね」

 千夏は深呼吸し、鍋に向き合った。

 

 千夏は刻んだパセリを加え、隠し味にレモンの皮を少し削る。

 トマトの甘さを引き締める、朝にぴったりの香りだ。


「焦らなくていいよ。ほら、スープの音を聞いて」

 結が優しく声をかける。

 ぽこ、ぽこ。

 ゆっくりと湧く湯気が、千夏の表情を照らす。


「……よし」


 最後に味見をして、千夏は頷いた。

「これなら……出せると思います!」


 朝食会場に運ばれた新しいミネストローネは、すぐに客たちの評判を呼んだ。

「なんだこのスープ……あっさりしてるのに、温かい味だ」

「朝にぴったりですね」

 千夏は厨房の扉の隙間から、そっと様子を見ていた。


 その横で奏がつぶやく。

「……お前の味だ」

「えっ?」

「お前の顔が見えるスープだ…昨日より今日の方が、ちゃんと前を向いてる味だ」

 千夏の目が熱くなる。


 昼下がり。

 体験学習の終了式として、結は小さなテイクアウトカップにスープをよそった。


「これ、持っていきなよ。

 昨日と今日のミネストローネ、少しずつ混ぜてあるの」

「二日分……?」

「昨日の“がんばった味”と、今日の“前に進んだ味”。

 千夏ちゃんのミネストローネだよ」


 千夏はカップを両手で包み、そっと口に近づけた。

「……あったかい…おいしい…」

 ぽろり、と涙が落ちる。


「私……もっと料理、好きになりました」

「そっか‼。料理人ってさ、好きって気持ちが皿に出るからね。

 千夏ちゃんはきっと良い料理人になれるよ!」

 

 そこへ奏も顔を出した。

「結が言うなら間違いない……千夏、また来い。」


 千夏は大きく頷いた。

「はいっ! 絶対また来ます!」


 ホテルのエントランス。

 京子と結が涙目で手を振る。


 奏と快は手を腕を組みながらまっすぐ千夏を見ていた

 支配人はハンカチで涙を拭う


 千夏は笑いながら頭を下げた。

「本当にありがとうございました!

 素敵なホテルで体験学習出来たことが本当に本当に良かったです」

 扉が閉まり、静かな風が吹き抜ける。


 厨房には、まだ朝のミネストローネの香りが残っていた。

 その香りは、ホテルにとって小さな誇りであり、

 千夏にとって忘れられない“出発の味”になった。


第8話「恋愛に不器用なフロントと恋愛経験0に近い料理人と塩おにぎりと」につづく

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