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第6話 スマホと恋とビーフシチュ―

 厨房で野菜を刻んでいた結は、ふと気づいた。


「…そういえば…神谷さんって、スマホ持ってませんよね?」

「必要ないだろ」

 即答だった。


 包丁のリズムは狂わないまま、神谷は平然としている。


「それに、私たち、連絡取れないと困ります」

 結が少し怒ったように言うと、ようやく神谷の手が止まった。

 彼は珍しく、困ったように眉をひそめる。

「…なんで困る…俺は携帯は苦手なんだ。」


(あ、苦手は苦手なんだ……なんかかわいいな)

 結はその感情を押し込みながら

「じゃあ、私が付き添います。

 明日設備点検でホテルも休みですから明日買いに行きましょう」


「いや、誰に説明されてもわからん」

「大丈夫。私が全部やりますから、安心してください」。

 こういうところだけは、結のほうがはるかに行動力がある。


翌日


「いらっしゃいませー! 本日は何をお探しですか?」

 店員の明るい声に、神谷が一歩引く。

 結は背中を押した。

「スマホを買いに来ました。この人に!」

「この人に、って言うな」

「だって、絶対自分じゃ決められないでしょう」

 店員は笑顔で説明を始める。


「こちらが最新機種でして、カメラ性能が──」

「カメラは要らん」

 神谷の即答に、店員の笑顔が引きつる。


「えっ……あの…カメラは全部ついてますが…?」

「カメラの趣味はない」

「じゃあこっちの“シンプル機能の初心者向けモデル”がいいかもしれないですね

 私もこの機種使ってるんですよ。

 これ私のですけど使いやすいんですよ」


 店員の説明が続くが、途中で神谷の視線がフリーズする。

 

 店員のスマホの画面の待ち受けが、ホテルの奏の料理写真が表示されていた。

「……この写真」

「この前彼女と泊まったホテルが最高で料理も美味くて‼」


 結が目を細める。

「神谷さんの料理ですね」

 神谷は小さく息を吸い込んだ。

「早く帰るぞ…」

「でも、ほら」

 結は笑う。


「温かさ、伝わってますよ」


 神谷は黙り込み、視線をそらした。

 その横顔に、結はほんの少しだけ胸が熱くなる。


「ここで簡単に教えますよ。

 ここがLIMEで……こっちが電話で……」

「お前の料理はどこに表示される?」

「そんな機能はありません」

「じゃあ……お前の番号はどこにある?」

「え?……あ、友達追加すれば見られますけど」

「どうやってやるんだ」


(……ひょっとして今、“連絡先交換したい”ってことですか?)

 結は嬉しさを隠すのに必死だった。


「えっと……ここを押して……QRコード読み取って……」

 ピッ。


 画面に「神谷 奏」が追加された瞬間、

 胸が不思議なくらい温かくなった。


「これで、いつでも連絡できますね」

「……ああ。仕事のことに限るがな」

「はいはい、分かってますよ」

 結の返事は軽い。

 だが内心は、ちょっとしたご褒美をもらった気分だった。


「……買っちゃっいましたね! スマホ!」


 奏は、やや気恥ずかしそうに首元を掻いた。

「必要だって、みんなに言われたからな。

 ……分かんないことはあとで教えてくれ」


「もちろんです。私でよければ、いくらでも!」

 並んで歩く二人の間に、夕暮れの空が染み込んでくる。

 うまく言えないがもう少しだけ同じ時間を共有したい


——そう思ったのは、どちらが先だっただろう。


「結。腹、減ってないか?」

「あ……はい。空きました」

「じゃあ、何か食って帰るか。奢るよ。

 スマホ選びに付き合わせた礼だ」


 結は目をぱちぱちと瞬かせ、頬がほんのり赤くなる。

「え……?ほんとに?」


「俺が誘ってるんだから、遠慮すんな」

 その声があまりに自然で、彼が料理の話以外でこんなに柔らかい声を出すのを

 結は初めて聞いた。

 奏が選んだ店は、町はずれにある小さな洋食屋だった。

 古びた木の看板、灯りすぎない照明、静かなピアノのBGM。

「ここ、よく来てたんですか?」

「昔な。……気に入ってた店の一つだ」

 席につくと、奏はメニューをざっと眺め、

 結のほうを見て、ふっと笑う。

「好きなの頼め。遠慮すんな」

 

 こんな“特別扱い”は慣れていない。

 でも悪くない。むしろ——嬉しい。

「何がおすすめですか?」

「ビーフシチューがおすすめだ」

「じゃあ、それで」

 ほどなく料理が運ばれてきた。

 ビーフシチューの湯気がふわりと上がり、

 結の目が自然と丸くなる。

「……美味しそう」


「ここのは本物だ。

 派手さはないが、丁寧に作ってる」


 結がひと口味わうと、口の中にじんわり染みてくる優しい旨味。

「……しあわせ…すごいコク隠し味はなんだろう…」

 そのひと言に、奏は思わず吹き出した。

「そんな顔で食うやつ、久々に見た隠し味はチョコとイカ墨とザクロとあと一つは自分で考えろ」

「だって……美味しいんですもん!って奏さんは意地悪ですね‼」

「そうだな。……俺も好きだ。自分で探すのは大事だぞ」

 ぽつりと漏れた彼の言葉に、結は胸がきゅっとなる。

 

 奏が目の前のシチューを嬉しそうに食べる姿は、どこか少年のようだった。

 食後、夜風に吹かれながら帰路を歩く。

 

 結はそっと奏を見上げた。

「今日は……ありがとうございました。ごはん美味しかったです」


「礼を言うのはこっちだよ。

 お前がいなきゃ、俺は何買えばいいかわからなかった」


 そして、少し間を置いて。

「また……どこか食いに行くか」

「……はい!」


 ホテルに戻った頃には、すっかり夜も更けた頃だった。

 入口の明かりがぽつんと灯っていて、結は少しホッとする——が。

「おかえりなさ~い、お二人さぁん」

 フロントカウンターから、京子が猫みたいに目を細めて出てきた。


 その表情に、結は一気に胸がざわつく。

「き、京子さん……?」

「ふふふ、良い雰囲気で帰ってきましたねぇ? ねぇ~奏さん?」

 いきなり振られた奏は、露骨に眉をひそめた。


「……なんの話だ。普通に飯を食ってきただけだ」

「“普通に”ねえ~?」

 京子はニヤリと笑い、腕を組む。

「駅前の洋食屋で二人並んで食事って、普通?」

「どこで見てたんだよ」

「情報は大事です(私には快というスパイがいるんですよ)」

 結はついに耐えきれず、耳まで真っ赤になる。

 そこへ、事務室の奥から支配人が顔を出した。

「お、戻った戻った。——で、どうだった? デート」

「デートじゃありません!!」

 結の全力の否定がロビーに響き渡った。


 支配人はその反応に満足そうにうなずいている。

「いやあ若いっていいねぇ。

 うちのホテルから新しいカップルが誕生したら、俺も嬉しいしな」


「カップル‼」

 結は顔を覆い、奏は深いため息をついた。

「……支配人。余計なこと言わないでくれ」


「おや、照れてるね? やっぱデートだったんだ」

「違うと言ってるだろ」

「でもさ、奏くん。

 帰ってきてからの表情がちょっと柔らかいよ? いつもより」


「………!」


 奏は言葉に詰まり、結の心臓は爆発寸前だ。

 京子が“見逃さない”という顔で近づいた。


「ふふん、奏さん。もしかして……楽しかった?」


「……悪くはなかった」


 その、蚊の鳴くような声。

 ロビーの空気が凍り、

 次の瞬間——


「「「うわぁーーーーーっ!!!」」」


 京子・支配人・結までまとめて叫んだ。


「ちょっと奏さん!!

 その返答はダメです!!

 不意打ち!!」

「おいおい告白か!? 今の告白なのか!?」

「ち、ち、違う!! 私なにもしてません!!」

 ロビーが一気に騒がしくなる。


 そんな中、奏はやれやれと肩をすくめ、

 けれど、ほんの少しだけ笑っていた。


第6話 「職業体験と謎のメモと馬車引き風パスタ」

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