第3話 多国籍な郷土料理と冷静と情熱と
午後の光が差し込む厨房で、奏と結は冷蔵庫やストッカーの扉を開け、使えそうな食材を確かめていた。
牛肉、鶏肉、数種のハーブ、トマト缶、パスタ、、そしてスパイス類――どれも、揃ってはいる。
「イタリア料理だからメインはタリアータが良いよね」
結が呟いた、その瞬間だった。
――バンッ!!
厨房のドアが勢いよく開き、フロントスタッフ・京子が半泣きの顔で飛び込んできた。
「結ちゃんっ、奏さんっ! 大変大変大変っ!!」
「うわっ、どしたの京子さん!?」
「実は……予約……勘違いでした!!ごめんなさい!!
“イタリアの方 五名”じゃなくて――
“イタリアの方を含む五名”でした!!
全員、国籍違います!!」
「……は?」
結の顔から血の気が一瞬で引いた。
「ディナーは“母国料理のお任せ”ってリクエストで……その……
つまり、五カ国分お願いします、ってことで……無理!!
時間もないし絶対に無理!!」
結は両手を広げて叫んだ。
普通のレストランでも無茶な注文だ。
しかも提供までの残り時間はわずか。
だがその横で、奏は冷蔵庫に顔を突っ込みながら――
「……まぁ、大丈夫でしょ。ちなみに国籍は?」
冷蔵庫から顔を出すとふぬけた笑顔で肩をすくめた。
「イタリア、フランス、アメリカ、台湾、タイの5か国になります」
「そんなの大丈夫じゃない‼奏さんこの状況分かってるんですか⁉」
結が怒鳴る。
京子も泣きそうだ。
しかし奏の顔から笑みがすっと消える。
「なんとかする。大丈夫だから安心してフロントに戻ってください」
その声はやわらかいのに、不思議と逆らいがたい力があった。
しばらくして、支配人の五郎が心配そうに厨房を覗いた。
「おい、聞いたぞ大丈夫か? 」
奏は背を向けて、黙ってフライパンを振っている。
あのふにゃけた雰囲気は微塵もない。
火加減を見つめる目は鋭く、その動きは迷いのない職人そのものだった。
横では結が小さな鍋を汗だくでかき混ぜている。
香辛料の香り、トマトの酸味、バターの甘い匂いが入り混じり、厨房全体が不思議な香りと本気の熱を帯びていた。
「……、心配いりませんよ。支配人」
奏は振り向かないまま、真っ直ぐな声で言った。
「できたものから出すしていいからな!」
支配人が言うと、
「それではだめです。
全員同じタイミングで温かいベストな状態で出すのが大事です。
異国で食べる母国の味は、同時に運ばれた瞬間が一番響きます。
そのタイミングが来たら声をかけますのでサーブをお願いします」
その言葉に、五郎は何も返せなかった。
ただ頷くしかない。
厨房には、料理人の空気が満ちていた。
そして運命のディナータイム
イタリア、フランス、アメリカ、台湾、タイ――五人のゲストが席につき、自国のワインやビールを飲みながら前菜を楽しんでいる。
お客様のメインへの期待がだんだんと高まっているのが感じ取れた京子と快は不安
を感じながら待つしかなかった。
一瞬厨房が無音になり奏と結は息を整えた。
額から流れる汗を拭い、顔を見合わせる。
「…仕上げ…行ける?」
「行くしかないでしょ!!」
長年一緒に料理をしてきたかのようなタイミングでお皿の上に食材やソースを盛り付けていく二人。
そのさなか、結は不思議な感覚に落ちていた
自分の思うベストのタイミングで奏が盛り付けていくそのタイミングの良さには気持ち良ささえ感じられた。
そして奏が最後のソースをかけ結が微塵切りにしたパセリをふりかける。
そして二人は顔を見合わせ疲れきった笑顔で呟いた。
「サーブお願いします!!」
厨房にスタンバイしていた京子と快と五郎は頷き、蓋付きの皿を慎重に運び始める。
お客様の待つテーブルに到着するとお客様の前に皿を置き
三人は一呼吸をしてタイミングを計る。
京子と快と支配人の五郎は視線で合図を交わし、同時に蓋を開けた。
イタリア料理【サルティンボッカ。】
フランス料理【バター香る鴨のロースト。】
アメリカ料理【厚切りステーキと特製グレイビーソース。】
台湾料理 【三杯鶏。】
タイ料理 【コームーヤーン。】
ふわぁっ
混じり合った湯気が立ち昇り、五つの香りが一度に花開く。
その瞬間、椅子に座っているお客様の顔には自然と笑みが広がった。
「Oh…Looks delicious!!」
「Quel parfum merveilleux!」
「Che profumo meraviglioso!!!」
「這個味道…………」
「กลิ่นหอมมาก!」
その後、皿を前にしたゲストたちが互いの料理を説明し合い、笑い声が広がっていく。
その音は厨房まで届き、温かく響いた。
戦いを終えた厨房。
奏と結は残り香の中で並んで座り、ぐったりと冷蔵庫にもたれかかった。
「…はぁ…終わった……」
「……なんとかなりましたね……」
疲れ切ったハイタッチが、ぱす、と弱い音を立てる。
「お疲れ」
「お疲れさまです」
そのささやきが、静かに夜へ溶けていった。
ホテルの長い一日が、ゆっくりと幕を閉じる。
第4話 「職人とトラウマとコーヒーと」に続く




