第2話 小さなホテルとハンバーガーのようなスタッフと
――再び目を覚ました男
まぶたの裏に、温度のある光が差し込んだ。
神谷奏は、重たい意識をゆっくりと引き上げるように目を開いた。
天井は白く、どこか見覚えのない静けさが部屋を満たしている。
乾いた喉。空腹で締めつけられる腹。
そして――鼻先をくすぐる、かすかに香ばしい香り。
(……ステーキ……? いや、ハンバーグか)
体が勝手に反応した。
ここがどこであれ、あの香りを追えば、厨房に辿りつける。
長年旅の生活で染みついた“職業病”のようなものだ。
足取りはまだ覚束なかったが、壁つたいに廊下に出た瞬間、
「――どこに行く!!」鋭い声が飛んだ。
振り向くと、支配人・木島五郎が仁王立ちになっていた。
「君は、勝手に動いていい状態ではない! まだ寝てなさい!」
「いや……その……腹が……」
言い終えるより早く、五郎は頬を引きつらせながら彼の腕をつかんだ。
「まずは話だ! メシは後だ! さあこっちへ!」
強引に引き戻され、支配人室へ押し込まれる。
五郎は深呼吸し、椅子に座った奏をじっと見つめると、
静かに切り出した。
「――率直に言おう。君を、このホテルで雇いたい」
奏は瞬きをした。
「住み込みだ。部屋も衣服も用意する。
あの料理を作れる人間を、逃すつもりはない」
支配人の声には、もはや迷いが一片もない。
奏は断る理由を探そうとしたが、腹の虫が容赦なく鳴いた。
「……とりあえず何か食べさせてくれませんか」
五郎が吹き出す。
「はは……まずはそこからか。いいとも」
二人は立ち上がり、握手を交わした。
その瞬間、奏はまるで契約書のサインを済ませたような感覚になった。
旅の終わりなのか、始まりなのか――まだわからない。
昼の賄いを作っていた佐山結は、調理台の前で軽快に手を動かしていた。
(今日はハンバーガーにしよう。みんな喜ぶし……)
ハンバーグを焼きながら、歌うようにトングででリズムを刻む。
あの日から調理場に立つたびに、勝手に現れてオムライスを作ったあの“謎の男”の姿が頭をよぎる。
ハンバーガーを組み立てながら
(……まさか、来ないよね寝てるみたいだし)
そう思いながらハンバーガーを完成させたその瞬間…
ふと背中に冷たい気配がまとわりついた。
(なんかいやな予感……)恐る恐る振り向く。
そこには腹を押さえ、目の下に影を落としながらあの男が立っていた。
結の口から、肺が裏返るような悲鳴が飛び出した。
「ぎゃあああああああ‼いたあああああああ~‼」
悲鳴はホテルの外まで響くほどだった。
支配人が駆け込み、事情を説明する。
「彼は今日からうちのスタッフになったんだ。悪いがホテル内を案内してスタッフに紹介して回ってくれ」
「……え、私がですか?」
「料理人同士の方が話が早いだろう。頼む」
結は深くため息をつき、
「じゃあ案内しますのでついてきて……くだ……なんで食べてるの‼」
「これ…うまいね…シラチャ―ソースが隠し味かな」
「もう…はやく行きますよ…」
奏はハンバーガをかぶりつきながら立ち上がった。
まずはフロント、三条京子と江藤快。
二人が同時に振り向いた瞬間、二人の目が輝いた。
「あっオムライスの男だ‼、どんな料理でもできたりします?
彼女いたりします。絶対いないだろうな~私の好みじゃないしな~」
「京子さん……心の声出ちゃっていますよ……
ごめんね悪い奴じゃないんだけど心の声が漏れ出ちゃうみたいで……
あっ俺がこの前担いできたんだけどダイジョブだった?
あっ結ちゃん今日もかわいいね‼結ちゃん今日の賄い何‼」」
グイグイ来る感じに奏は困り、無言で軽く会釈して少し早歩きでフロントをあとにする。
次に清掃係・山本静江がバケツを持ちながら歩いてきた。
「あんたが倒れていた人だね。私は清掃係の山本だけど私の清掃作業中は絶対に部屋を開けないでね清掃作業見られたら私ここやめるけいやくしてるから!!よろしくねぇ」
と、話した瞬間すぅ~とすれ違ったかと思えばいつの間にか外の駐車場を歩いているのが廊下の窓から見えた。
奏はキョトンとしていたが結はいつもの事と平然としていた。
最後は設備係兼バーテンダーの田町舞。
つなぎ姿でレンチを振り回し何かを直しながら
「私は設備係とバーテンの田町だ。設備壊したら承知しないからな‼」
と男勝りな感じで笑いながら言ってきた。
しかし笑った顔は不思議なほど柔らかく艶やかだった。
奏は、こんなホテルがあるのかと驚くばかりだった。
厨房に戻った二人
結はため息を吐きながら、ホテルの状況や厨房の問題点を説明し始めた。
「前にいた料理長が支配人と喧嘩して辞めてからは私が全部回してますけど……一人だから全然手が足りてなくて」
奏はただ黙って聞いていたが、その視線は調理台の上の結のレシピノートに向けられていた。
そのノートにはびっしりと料理のアイディアが書かれていた
かなりの努力家なのだろう
結はその視線に気づき、耳まで赤くなる。
「…はずかしい…そんなに見ないでくださいよ」
その時
ロビーに設置された鐘が鳴った。
「チェックインですね!今夜はイタリアのお客様5名様で母国の料理がご希望なんです」
同時刻フロントでは
イタリア人、フランス人、アメリカ人、台湾人、タイ人。
民族衣装こそ着ていないが、雰囲気で国籍がわかるような個性の強い五人がスーツケースを引きながらフロントに並んでいる。
京子は予約台帳を確認しながら眉をひそめた。
「え……予約台帳には名前がイタリア人の方しか書いてなかったよ……
「『ほか4名、ディナーメインは母国料理を希望』だって書いてあったから結ちゃんにはイタリア料理のディナーしかオーダーしてないよ……」
江藤が肩を震わせて囁く。
「母国料理って……全員違う国じゃん。どうすんだよこれ……」
フロントでの沈黙。
厨房では――奏の腹が鳴りひびいていた。
「…ハンバーガー…もう一個食べていい?」
第3話 「予定外な多国籍な郷土料理」に続く




