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夏休みの宿題を終わらせないと死ぬ教室

作者: 愛良絵馬

 この教室には呪いがある。

 学級崩壊し、責任を問われ首吊り自殺した教師の怨念。


 彼が自殺した翌年から、夏休みの宿題を出さなかった1年A組の生徒が死ぬようになったのだ。


 もちろん、初めはそんな与太話を信じるわけがなかった。


 だが、一昨年副担任となった1年A組のクラスで、夏休みの宿題を出さなかった生徒が3人死亡した。9月のことだ。2人は一緒に交通事故に巻き込まれて。1人は突然の病気だ。事件性は見当たらず、不幸な事故と病気として処理されたが、呪いのことが頭を占めずにはいられなかった。


 去年は、1人。その時は1年B組の副担任だったが、隣のクラスの様子はいつも気にかかっていた。自由研究が間に合わなかったその子は、友人と遊びに行った海で不幸にも溺死したのだ。これも、9月のことだった。


 信じられなかった。


 だが、参列した葬儀で見た生徒たちの死顔と、両親の悲しみは、抱え切れないくらい重たくのしかかる現実だった。


 噂によると、怨念となった彼の教室は、夏休み前から崩壊を始め、夏休み後にクラス全員が宿題を出さなかったことがきっかけで完全に瓦解したらしい。


 だから、夏休みの宿題を出さなかった生徒を恨む。


 一昨年、去年と、1年A組を担当した年配の教師、土井塚先生に、突っかかったことがある。

「どうして、呪いに真剣に取り組まないんですか!」と。


 いわく、4の数字のように、1年A組を飛ばしてB組から始めてもダメ。件の教室を使わないようにすると、もっと被害が出るのでダメ。霊媒師に頼んでもダメ。工事で教室を取り壊そうとすると、作業員に被害がでるのでダメ。


「では、もっと生徒に真剣に伝えて、全員きちんと宿題をやるように伝えるべきです!」

「それは……、私だってねぇ、私なりに、真剣に取り組んでるんですよ」


 煙たそうにしっしと手を払って、土井塚先生は去っていってしまった。

 投げやりな態度に、これが事なかれ主義なのかと、強い憤りを覚えた。


 未来ある高校生が、人生のこんな序盤で、こんな訳の分からない呪いで、死ぬべきではない。

 若者の輝かしい未来を守るために、教師を志したのだから。


 私は自分から志願して、1年A組の担任となった。新卒3年目。初めての担任だ。

 今年の1年A組は、絶対に死なせない。私は固く決意した。


   *


 夏休みに入ってすぐから、私は生徒名簿一覧を片手に家庭訪問を行った。

 真っ先に向かったのは、いつも宿題を忘れる秋葉君の家だ。


「え、花先生、どうしたの?」

「宿題忘れていないか心配で、来たの」

「えー、夏休みに入ったのは、昨日の今日じゃん。忘れてないよ、さすがに」


 生徒名簿を確認する。横にはオリジナルのエクセルシートが貼られていて、生徒の選択授業も含めて、必要な宿題が一覧表になっている。


「英単語マラソン忘れてない? 理科のドリルは? 数学の毎日計算シートは? 読書感想文は? 美術の自由工作は?」

「あ、自由工作、忘れてた!」


 私は満足して頷いて、秋葉君の手にボールペンで自由工作と書いてやった。

 別の日には、勉強しない不良生徒、馬場君の元へと向かった。


「はあ、宿題? うっせぇよクソババア」

「そうだねえ、うるさいねえ」

「あ? なめてんのかてめぇ」

「なめてないなめてない。いいから宿題。分からないところがあったら教えるから。……ええと、九九は出来る?」

「やっぱりなめてんじゃねえか!!」


 彼とは最終的に河原で拳で分かり合い、無事に宿題を回収した。分数の割り算から怪しかった。


 さらに別の日には、私生活が忙しいギャル、千夏ちゃんを訪ねた。


「いやあ先生、やっぱ青春、高1の夏は今だけじゃん? 宿題は絶対夜やるから、海いかせてよー」

「お母さんから、いっつも帰りは深夜で、そのまま寝てるって聞いてるよ。夜は出来ないでしょ。だからほら、宿題をやってから遊びに行こうね」

「えー、無理無理、もう家でなきゃ無理だし。バイバイ~」

「あー、もう、ちょっと待って!」


 千夏ちゃんの元には連日足しげく通い、移動中の電車やバスの中で宿題をやらせる羽目になった。ついでに一緒に海についてしまったので、ビキニを買ってはしゃいだのは内緒だ。


「よし、かなりいい感じだな」


 問題生たちの宿題回収は終わった。連絡網を駆使して得た、宿題の実施状況をエクセル表に入力していく。


 綺麗に埋まった表を上から順番に確認していく。うん、うん、よし、よし。満足げに頷き続けた首が止まる。


 提出状況が白紙の生徒がいた。


 青葉俊。いつも欠かさず予習復習宿題をして、今まで一度も困ったことがない生徒だ。

 意外過ぎて、見落としたのかと思い、資料を確認する。しかし、やはり実施状況は空白、全科目未提出だった。


 すでに、新学期が始まるまで一週間を切っていた。


 翌日、青葉俊の自宅を訪ねた。彼が有名私立高校を受験し失敗して、当校に来た事は知っていたから、想像よりもはるかに貧相な一軒家だったことに驚いた。

 彼の身なりも態度も学力も、貧しさを連想させるものは何一つなかったからだ。


 駅からは徒歩25分程度。築40年は超えていそうな古い家。建付けの悪い玄関扉をガラガラと横開きに開けて、彼は顔を出した。

 今まで訪問した生徒が浮かべていた、意外そうな表情は一つもなかった。まるで、いつか私が来ることを分かっていたかのように、爽やかに微笑む。


「こんにちは。いらっしゃい、花先生」


 案内されたのは、リビングだった。いや、畳の上にちゃぶ台と薄い座布団という組み合わせは、リビングというより、居間だろう。


「足、崩していいですよ」

「大丈夫」


 やせ我慢を返して正座した。


「それで青葉君、どうして夏休みの宿題をまだ、一つも終えていないのかしら?」

「花先生が熱心に宿題をしろというのは、あの迷信のせいですよね」


 ズバリ指摘され、ウッと喉が詰まる。青葉俊は淡々と、理知的な声で続ける。


「迷信には作ったやつに都合がいいことが含まれていることが多々あります。この迷信は明らかに、学校が生徒に宿題をやらせようとしているものだ。

 だが、たかが宿題をやるやらないで、死なんていう恐怖を持ち出す学校を、僕は許せない! だから夏休みの宿題は、頑固としてやらないんです」


「でも、青葉君……呪いは本物かもしれない」


 一昨年に3人、去年に1人。私は私が体験した、偶然とは思えない呪いの出来事を、臨場感を交えて伝えた。

 だが、青葉俊は小さく首を振る。


「偶然ですよ。花先生。それは、偶然です。大局的に確率は収束していきますが、局所的にはそんな偶然が重なることもある、それだけです」


 ぴしゃりと言い切る青葉俊に、その日は何も言うことができなかった。


   *


「え。花先生?」


 次の日の青葉俊は、意外そうな表情で私を出迎えた。まさか、2日続けてやってくるとは思っていなかったのかもしれないし、私が両手に抱えた鍋に驚いたからかもしれない。


「カレー、作りすぎちゃったから。御飯はある?」

「……先生の家って、埼玉の方じゃなかったでしたっけ」

「まあまあ、細かいことは気にしないの」

「細かいかなぁ……?」


 私は、すっかり冷めてしまった鍋を勝手にキッチンのコンロに置いた。

 昨日の段階で彼の母親には、夏休みの宿題の為に家に伺うこと、キッチンを借りることを承諾してもらっている。


「お母さん、いつも帰りが遅いから、コンビニ弁当が多いんだって?」

「マ……あの人が言ってたの? もう」


 ママ、と言いかけたな。

 青葉の家は、どうやら母子家庭らしい。私立高校の受験も、失敗したとは奨学金をとれなかったということで、普通に受かってはいたらしい。


 カレーを温め終わり、御飯をよそって、カレーをかける。


 ちゃぶ台に置いて手を合わせる。しばらく、他愛もない話をした。学校の事、学校の先生のこと、始まったばかりのクラスのこと、それから、大学とその先の進路について。


「僕はね、先生。政治家になりたいんです。政治家って、世間じゃかなり嫌われてますけど、本当に日本を変えようと思ったら、政治家になるしかない」


 熱く語る彼の瞳を見て、改めて、こんな若者が亡くなるべきではないと思った。

 その日から、私は毎日青葉俊の家に行き、夕食を差し入れた。一度、お母さんとお会いする機会もあった。


「おいしい、おいしい、人の手料理なんて久しぶり」


 ハンバーグが勢いよく口に消えていく。


「いいなあ、先生。そうだ、うちの子と結婚してよ」とお母さんが笑うと、青葉俊は顔を真っ赤にして、何言ってんだよと彼女の背中を強く叩いた。


 夏休みが明け、始業式当日。


 一覧表を眺めれば、提出が漏れているのは、青葉俊だけだ。彼は、まだ教室に来ていない。

 私が教室にいて、真剣な顔をして教壇に立っているからか、生徒たちのおしゃべりの声が普段より小さい。


 朝会開始の1分前に、ガラリと扉が開き、青葉がやってきた。


 げっそりとやつれた顔をしていた。その顔を見た瞬間、青葉が死んでしまうかもしれない――。嫌な予感が頭をよぎり、心臓が早くなる。

 青葉が近づいてきた。何か、何か言わなければ。そうだ、挨拶。おはよう。


 だが、私の言葉が音になる前に、青葉が紙束を差し出してきた。


 目が丸くなる。急いでそれを受け取って確認した。

 それは、夏休みの宿題だった。一覧表と何度も見比べる。大丈夫、全部だ。全部の宿題がそろっている。


「学校はむかつくけど、花先生は悪くない。不幸な偶然が重なって、僕が死んでしまったら、花先生、自分をずっと許せなくなりそうだし。変な意地張って、そんなことになるの、嫌だからさ」

「ありがとう、ありがとう!」


 嬉しくって、私は教壇から身を乗り出し、彼を抱きしめた。


「ちょっとちょっと、花先生!」


 青葉俊の焦った声が、教室中に響いた。


   *


 最高の気分で目が覚めると思ったのに、翌日の体調は最悪だった。

 体が重い、だるい、おかしいな、生理はまだ先だし、低気圧も来てないし……。

 それでも、なんとか身なりを整えて、学校に向かう。


「先生のクラス、夏休みの宿題を全員提出なんですって?」


 職員室の席について、真っ先に土井塚先生が声をかけてきた。普段は視線も合わせず、話しかけても無視する癖に、一体どういった風の吹き回しだろう?


「ええ、まあ」

「……そうですか、良かったら、コレ」

「え!」


 机に箱が置かれた。それは、私がずっと食べたいと思っていた、高級洋菓子店のクッキー缶だった。職員室で話題に出したこともあったから、彼が知っているのは頷ける。けれど限定品で、朝早く並ばないと買うのは難しいはずなのに……。


「なんですか急に?」

「あと3日くらいなんで、早めに食べたほうがいいですよ」


 それだけ言い残して、年配の教師は去っていった。箱の裏を確認する。賞味期限は1ヶ月後だった。

 いただいたクッキーを咀嚼しながら、夏休み明けの膨大な仕事に取り組む。その間もチラチラと、視線を感じ振り返ると、教師たちと目線があった。いずれも歳をとった先生ばかりだ。


「やりましたね、花先生! 今日は飲みにいきましょうよ」

「お、いいですね、いきましょういきましょう!」


 同期や後輩が明るく嬉しそうに声をかけてくる。だが、私はなんだか胸騒ぎがして、首を振った。


「ごめんなさい……。体調も、あまり良くないから」 


 翌日、その翌日と、私の体は確実に悪くなっていった。体が重たくてしょうがない。

 とっくに空になったクッキー缶を裏返す。何度確認したって、賞味期限は1ヶ月後だ。


 私は重たい体をひきづって、学校に向かう。確かめよう、土井塚先生なら何かを知っているはずだ。

 学校にたどり着き、職員室に向かう。彼の席のあたりで視線を彷徨わせていると声をかけられた。


「あ、土井塚先生、今日は休みみたいですよ」


 耳が正常に音を拾わなかった。ぼやけて、霞んで、揺れて、それでもなんとかその事実を受け取って、私は1年A組の教室に向かった。

 教室の戸を開く。


「え……、あ、あ、あああああああああああ!!!」


 私を待っていた生徒たちの視線がつき刺さる。

 だが、そんなものを気にしている余裕はなかった。


 教室には、別の人影があった。黒い塊のような、人影。


 目が真っ赤に染まり、血の涙を流している。手にはボロボロの生徒名簿。明らかに、この世ではないもの。

 彼が誰か、私は理解してしまった。


 ネタマシイ、ユルセナイ、ナゼオマエダケ


「先生、先生! 花先生!」


 倒れた私に、生徒たちが集まる。青葉俊が私の手を握る。

 

 ああ、ちくしょう。


 こんなことなら————青葉俊に、宿題をやらせなければよかった。


 芽生えた真っ黒な気持ちに絶望しながら、私は力尽きた。


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