02. 衝突予告 ~運命の通知~(後編)
東京湾岸のタワーマンション。
日が沈み、部屋の窓からは暗い海と空に浮かぶ静かな光点――飛行物体が見えた。
「……ほんとに、あれが宇宙から来たんだね」
篤志は、カーテンの隙間から顔を出してぽつりとつぶやいた。
その言葉に、母・陽子は応えず、お茶の入ったコップをテーブルに置いた。
「さあ。お風呂入っちゃいなさい。明日は学校……学校あるのかしら?」
「え、まだあるの?」
「……どうだろう?」
少し戸惑いながらも、陽子はいつも通りのトーンで答えた。
だが、家の空気は、明らかにいつも通りではなかった。
―――――
その夜、日本政府が再度記者会見を開いた。
JAXA、内閣府、文部科学省、そして防衛省の合同会見。
内容は、今後の国内対応についてだった。
・山間部に仮設住宅を建設。6月末までに約5万戸を整備予定。
その後も順次、仮設住宅の整備を進める。それと並行して、空き家活用の検討も進める。
・優先避難対象は、都市部に住む18歳以下の子どもとその保護者。
・自衛隊が主要インフラを管理、交通網・水源・電力網を再構築へ。
さらに、エリオスへの「移住希望者」の選定も具体化した。
「エリオスへの移住は、40歳以下に限られる。
多様な人種・言語・性別・年齢をバランスよく選定することから、順応性・協調性なども選定基準となる。
加えて、第一陣の5000人は、惑星環境への適応と、あとに続く移住希望者のために情報発信能力が加味される。
移住を希望すると回答した全員の元に、エリオスのスキャン装置が行き、スキャニングによって人物選定をおこなう。
なお、このスキャニングは人体への影響はないことが確認されている。」
この会見の直後、SNSは沸騰した。
「選ばれた者」
「取り残された者」
「若者だけの楽園?」
「老害排除か?」
冷静な議論など、もはや期待できない。
だが、日本のネットユーザーの多くは、現実的だった。
「若者が生き延びてくれればいい」
「俺らはここで耐えるしかない」
そんな声が、コメント欄に並んだ。
―――――
その夜、雅彦は仕事部屋で静かにラップトップを開いていた。
彼はエンジニアだ。
災害時の通信確保や、簡易電力の生成などについて知見があった。
「……太陽光だけじゃダメだな。夜間用の蓄電池……いや、自転車発電もアリか……」
手元のメモ帳には、箇条書きで『長野移住用リスト』と書かれていた。
・虫除けネット
・浄水器
・非常食
・工具一式
・モバイルソーラーパネル
・家族の写真
その横で、スマホが鳴った。
大学時代の同級生からだった。
「なあ、マジで地球に残って大丈夫か?これ……
家族ごと実家の長野って……お前んとこの会社はどんな感じ?」
「正式なアナウンスはまだだけど、営業と管理部門が残務処理で少し残るんじゃないかな。
俺たち開発部門は、月曜に片付けが終われば、打ち切りだってさ」
「まじか……。じゃあ、篤志くんは?」
「あと1年ってとこまで中学受験頑張ってたからな…。
本人もそれどころじゃないってのは分かってても、悔しいだろうな。
でも、俺は……生きてさえいれば、いつでも学べると思ってる」
―――――
その頃、陽子はリビングでスマホの中のアルバムを見ていた。
篤志が小学四年生で中学受験の準備に本格的に取り組むようになるまでのあいだ、毎年の夏休みには、家族で長野の山奥にある夫・雅彦の実家を訪れていた。
最初の頃、篤志は虫が苦手だった。
小さなハエでさえ顔の前を飛べば大騒ぎするような子だった。
それが、毎年同じ時期に帰省してくる従兄弟や、同年代の子どもたちと遊ぶうちに変わっていった。
ある夏には、大人も引くほどの大きなカミキリムシを捕まえて見せびらかし、またある年には、川で素手で魚をつかまえては、泥だらけで帰ってくることもあった。
村の自然に揉まれ、仲間と走り回るうちに、篤志は少しずつ、たくましくなっていったのだ。
スマホの中の写真には、数年前に長野で撮った一枚が表示されていた。
幼い篤志が、片手に虫取り網、もう一方には大きなクワガタを手に自慢げな顔をしている。
ふと、スマホが振動した。
新着メッセージの通知が、画面の上に浮かび上がる。
《咲子:そっちは準備できてる?》
陽子の姉、咲子からだった。
姉は、陽子にとって唯一の肉親。
10代で母を、20代で父を亡くして以来、互いを頼りにして生きてきた。
陽子は小さく笑ってから、返信を打った。
《陽子:うん。明日には実家に向かう予定。そっちは?》
すぐに返事が来た。
《咲子:軽井沢の別荘に避難するよ。
あそこなら地盤も高いし、設備もしっかりしてるから。二人だけだしね》
「相変わらず準備が早いなぁ……」
姉は外資系の金融機関で働くバリキャリ。
物腰は丁寧だが、判断も行動も常に速い。
その夫は一流商社に勤めるエリートで、数年前に軽井沢にマンション型の別荘を購入していた。
子どもがいないぶん、二人の年収はそのまま生活の質に直結していて、今回のような“非常事態”においても、その差は歴然だった。
陽子は、スマホを見つめながら、小さく息を吐いた。
《陽子:こっちは実家の村に行くよ。小さいけど、水もあるし、人もあったかいから》
《咲子:そっか。雅彦さんの実家、長野の山の方だったよね?寒くないといいけど……》
《陽子:うん。でも、行けるだけで十分。》
やりとりを終え、スマホをテーブルに置いた陽子は窓の外を見た。
ライトアップされた観覧車、海沿いの道路を走るクルマの列、高層ビルのガラスに反射する灯り。
この景色が、明日も同じように見られるとは限らない。
思わず、ソファの背にもたれて天井を見上げた。
静かすぎる夜だった。
「……さよなら、東京」
そう、ぽつりとつぶやいた陽子の目に、ひとしずく、涙がにじんだ。
―――――
その頃、篤志は自室で一人、机に向かっていた。
開いていたのは、受験用の理科のテキスト。
【地球温暖化と気候変動】
【火山と地震の仕組み】
【天体と重力の関係】
手が止まる。
「……地球にぶつかったら、大気はどうなる?……太陽光、どれくらい遮られるんだっけ……?」
彼は本を閉じ、タブレットを起動。
ネットで“隕石 衝突”と検索をかけた。
YouTubeには、すでに有志が作ったシミュレーション動画がいくつも上がっていた。
「500メートルの津波って……都市、全部飲まれんじゃん……」
その時、ふとスマホの通知が来た。
《拓実:あつし、起きてる?》
親友からのメッセージだった。
《篤志:うん、今ちょうど動画見てた》
《拓実:お前んとこ、エリオス通知来た?》
《篤志:俺には来たけど、うちの親40歳過ぎてるし。お前んとこは?》
《拓実:たぶん、行くと思う》
《篤志:……そっか》
数秒間の沈黙。
指が宙に浮いたまま、次に打つ言葉が浮かばない。
拓実と自分は、今までずっと一緒だった。
通ってる学校も、好きなゲームも、勉強のペースも、将来の夢さえも。
でも、これからは、違う未来に進むのかもしれない。
―――――
深夜0時。
ベランダの外では、銀白の飛行物体が、変わらぬ沈黙で空に浮かんでいた。
その静寂は、まるで「覚悟はできたか」と語りかけてくるようだった。