01. 衝突予告 ~運命の通知~(前編)
その日、日本列島の空は、どこまでも穏やかだった。
雲一つない青空のもと、国立天文台の観測室では、一人の若手研究員がコンピュータの画面と格闘していた。
彼の名は村田崇。
小惑星の軌道観測を担当して三年になる、まだ駆け出しの天文学者だ。
「……おかしいな。こんな位置から入ってくるのか?」
村田は、観測データのログをスクロールしながら、眉をひそめた。
先ほどから異常な軌道を描く天体が、観測ソフトに断続的に表示されていた。
恒星の誤検出かと疑いもしたが、何度シミュレーションしても、同じ答えが返ってくる。
小惑星。直径およそ12キロメートル。接近速度、およそ時速10万キロ――
しかも、その進路上には「地球」があった。
「まさか……冗談だろ……」
午前6時32分。村田は緊急連絡用のホットラインを起動し、上司の北岡教授に報告した。
そこから先は、まるで雪崩のような展開だった。
日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)を皮切りに、アメリカのNASA、欧州宇宙機関、ロシア、インド、中国の観測網が次々とこの小惑星を追跡し、計算を始める。
5月16日午前7時43分。
東京・霞が関――内閣府地下危機対策センター。
「確認されたのは、午前5時38分。JAXAの観測チームが小惑星の進路異常を検出。直径は……12キロ」
室内に緊張が走った。モニターに映るのは、地球をかすめるように描かれた楕円軌道。
だがその先には、赤く点滅する“衝突予測地点”の表示があった。
南太平洋。ニュージーランドの東、海底のプレートが密集する深海域だ。
「落下地点は確定か?」
「はい。誤差範囲を含めても、最大で200キロ圏内。衝突は――9月15日午前8時43分、協定標準時。日本時間9月15日午後17時43分」
わずか4カ月後。
そして、その規模は、6500万年前に恐竜を絶滅させた小惑星と同等だった。
「津波の高さ、推定500メートル。
環太平洋の沿岸都市は、軒並み水没。
地球全体で考えると、陸地の60%が一時的、あるいは永続的に水没する計算です。」
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
―――――
ニュース速報が流れたのは、その日の昼過ぎだった。
最初に報じたのは、NHK。
「JAXAとNASAの合同発表」という形で、可能な限り冷静に状況を伝えようとするアナウンサーの声が震えていた。
世界の株式市場は史上最大の下げ幅を記録、SNSでも瞬く間に「#アポカリプス」「#地球最期」「#世界の終わり」のハッシュタグで埋め尽くされた。
一部では陰謀論やフェイクニュースと混同され、混乱に拍車をかけた。
そして、夕方には世界中で、さらなる騒然が巻き起こることになる。
―――――
謎の飛行物体が、世界各地に同時出現したのだ。
地中海を望むイタリアのリゾート地。
高層ビルが乱立する上海の沿岸部。
ニューヨークやワシントン。
世界の主要都市に現れたそれは、東京の上空にも現れた。静かに浮かぶ銀白色の楕円体。
無音。無反応。だが、確実にそこに「存在している」威圧感。
「UFOか?」「人工衛星か?」「無人機?誰の?」
世界の報道は混乱し、軍が出動した国もあった。
だが、どの兵器も飛行物体には干渉できなかった。
何かに“防がれている”ようだった。
それから2時間後、NASAの技術者から会見が行われる。
「世界各地で確認されている飛行物体は、敵対的存在ではありません。
彼らとの交信に成功しました。
……彼らは、500光年離れた惑星に居住する知的生命体であり、地球の環境を調査するために来たと主張しています」
地球外知的生命体――いわゆる宇宙人。
だが、彼らの発言はもっと衝撃的だった。
「彼らの惑星エリオスは、地球と似た環境を持ち、我々人類が生命を維持することが可能であること。
隕石衝突の危機的状況にある地球から、希望者1億人を受け入れる体制が整っている、ということです。
移住の条件は、40歳以下の健常者。
また、受け入れ総数1億人のうち第一陣として受け入れる5000人は、エリオスでの生活を地球向けに配信することが条件とのことです。
これは、あとに続く移住希望者に、エリオスを知ってもらうことが目的です。」
―――――
その夜、世界中の40歳以下のスマートフォンやPC、タブレットに一斉に通知が送られた。
メッセージは、各言語でこう表示された。
【移住意思確認】
あなたは、惑星エリオスへの移住を希望しますか?
YES or No
誰が送ったのか。どうやって端末を識別したのか。
通信状態に依存せず、電波の圏外にある物を含めて、すべての端末に同時に表示された。
―――――
東京・中野区。
高校生のグループがスマホを見ながら叫んでいる。
「おい!お前も来た!?エリオスの通知!!」
「これマジ!?俺、YES押してみるわ!」
「ヤバ……やっぱ宇宙人の話、ガチだったんだ……」
その一方、ある家庭では、主婦が震える手で静かなままのスマホを置いた。
「40歳以下……ってことは、私たちは対象外ってことよね」
夫がそっと彼女の肩に手を置く。
「でも、篤志は……該当する」
その言葉に、沈黙が流れる。
―――――
翌朝、日本政府は会見を開いた。
2ヶ月前に首相に就任したばかりの小池宗一郎は、日本の歴代総理大臣の中では最年少、若者と高齢者からの支持が高い。
経験不足が懸念されていたが、人の懐に入るのが得意らしく、重鎮の政治家からも可愛がられ、そつなく国政を動かしてきた。
しかし、ここへきて地球規模の危機をどう乗り越えるのか。
テレビの前の国民は、期待と不安の目で注視していた。
「日本は山地が7割を占めており、海抜500メートル以上の陸地も多く存在します。
政府は、山間部を開拓し、仮設住宅とインフラを急ピッチで整備します」
「残ると決めた国民は、我々が必ず守ります」
衝突までの4ヶ月でどこまでできるのか、不安はあるものの、その言葉は一応の安心を与えた。
だが、平地ばかりで逃げ場のない国々では、すでに混乱が始まっていた。
略奪。パニック。脱出を望む人々が、隣国との国境に殺到する。
日本政府は緊急声明を発表。
「安全が確保されるまで、日本国籍を持たない者の入国は認めません。不法滞在者には国外退去を求めます」
この判断には賛否両論を巻き起こしたが、国民を守るためには現実的な判断だった。
―――――
東京湾岸のある高層マンション。
日曜の朝、小学6年生の篤志は、リビングで塾の宿題に取りかかっていた。
しかし、テレビの速報番組に見入って、その手は止まっていた。
「パパもママも40過ぎてるから、エリオス行けないじゃん!」
いつもは、勉強から気が逸れると、すかさず注意する母・陽子は、今は何も答えなかった。
父・雅彦は、静かにコーヒーを口に運んだ。
外では、飛行物体が静かに浮かんでいる。
動きはない。だが、その無言こそが、全てを変える知らせだった。