女騎士の覚悟
ルンベック大森林内。
《翡翠宮》より南方に位置する広場にて。
ここで少し前から、エリシール王女の親衛隊とエルムヴァレーン王国騎士団が戦闘を繰りひろげている。
エリシール自身の姿はすでにこの場にはなく、ロランと共に森の奥へ逃亡していた。
親衛隊は圧倒的に不利な状況下にもかかわらず、いまだ全滅をさけていた。
それはひとえに、万象術に長けた親衛隊士たちの、奮闘のたまものだった。
エリシール王女の親衛隊は、エルムヴァレーン王国きっての万象術の使い手たちによって構成された、特別な部隊である。
隊長のヘルゲにいたっては、騎士でありながらも万象術に長け、理法剣をも使いこなす。
とある事情から、親衛隊士となった従騎士のロランも、万象術こそほとんど使えないが、リリィとの共闘という特別な力を持つ。
彼らは、国王ユーハン自らによって選ばれた、王女を護るのにふさわしい精鋭であった。
ヘルゲとトゥールから少し離れた場所では、親衛隊士と騎士団員が小競り合いを続けている。
そこでは一人の親衛隊士が二騎の騎士団員と相対していた。
「天地万象に満ちる水の理素よ。その大いなる業の理を法式によって我がここに示さん。アル・イオ・アル、ヴェー・ヴェタ・イオ、アル・イオ・イプ、アル・イオ・シー──」
親衛隊士が万象術の法式を唱える。
その間に、自らの体内の理素をもって、万象の理素に干渉する。
「水弾!」
親衛隊士の周囲に幾つもの小さな水の塊が浮かび、騎士団員たちに向かって弾丸のように飛んでいく。
二騎のうち片方の騎士団員が、水の弾丸をまともに受けて落馬する。
もう片方の騎士団員は、馬の手綱を繰って、なんとか水の弾丸をかわすが、態勢を大きく崩し、立て直しに時間を要していた。
親衛隊士は騎士団員と十分な距離をとり、再び万象術の法式を唱えはじめる。
数で劣る親衛隊であったが、剣の届く間合いにさえ入らなければ、遠くから攻撃できる万象術の使い手の方が有利であった。
騎士団員たちが彼らに対抗するためには、万象術に長けていなくとも同等以上の効果を得られる、理法剣か機甲を使わなければならない。
しかし、理法剣は貴重で、使い手は非常に少なく、機甲騎士が動く気配はまだない。
こうした戦闘が、広場のあちこちで続いている中で──
ヘルゲは目の前の男を睨みつけながら馬上で愛剣を構え直す。
その美貌が、今は濃い疲労で塗りつぶされていた。
一方で、彼女の目の前のトゥールは、いくらか余裕の伺える表情を見せている。
二人はすでに何度も剣を交えていたが、故国では《白銀の剣姫》と号されたヘルゲでも、エルムヴァレーンの《紅き獅子》には、一歩及ばないようであった。
(この男……やはりとてつもなく強い!)
今更ながらその強さを改めて評価する。
トゥール・アールストレムの名は、エルムヴァレーンの内外を問わず、大陸中に知れわたっている。
紅色の機甲を駆る姿から、畏敬の念を込め、大衆からは《紅き獅子》と称されていた。
(もしも、彼がエリーの味方であったなら……)
そのもどかしさに、ヘルゲは懊悩する。
「風衝!」
《深緑の乙女》の切っ先を向けて、トゥールに強烈な突風を見舞う。
「炎撃!」
トゥールが同じく剣の切っ先をヘルゲに向ける。
剣身から勢いよく炎が噴出し、自らに迫った突風を霧散させ、そのままヘルゲに炎の奔流を浴びせる。
「くっ!!」
ヘルゲは上手く馬を操って何とかそれをかわす。
トゥールが持つのはヘルゲのものとは違う理法剣である。
剣身と柄頭の玉は紅色の理素結晶石であった。
理法剣《灼葬の羽根》。
トゥールは生粋の騎士であるが、理法剣の使い手でもあった。
(くそっ! やはり通用しないか……)
万象術には相性がある。
出力が同程度ならば、風は火に弱い。
火は風の流れを変えてしまう。
出力を大きくすればそれを逆転できるのだが、相手の得物は自分と同じく理法剣である。
さらに大きな出力となると後は機甲しかない。
だがこの場にある機甲は、全て騎士団の騎士たちのものだった。
機甲騎士たちはトゥールの指示を待って先ほどから身じろぎ一つせず佇んでいる。
機甲騎士たちが動くまでもなく、勝敗は既に目に見えていた。
親衛隊士たちは健闘していて、未だに誰も倒されてはいなかったが、数で押されればじきに決着は付くだろう。
だがしかし──
ヘルゲが不敵な笑みをこぼす。
彼女はこの状況下で、自分たちの勝利を疑っていなかった。
ヘルゲたちにとっての勝利とは、エリシールを無事に王子らの手から逃がすことである。
森の奥へ消えたエリシールたちがこのまま逃げおおせれば、ヘルゲたちの勝ちだ。
たとえ自分たちがここで命を失ってもその目的が達せられれば、何も思い残すことはない。
(私はあの子に……アルネに誓ったのだ。エリーを必ず護ると)
そんなヘルゲの胸のうちを、トゥールが見透かしたかのように告げる。
「我々がエリシール王女殿下を保護するのも、時間の問題だ」
トゥールがロランたちが消えていった方角を見やる。
少し前に十騎の騎士が、その後を追いかけていった。
「保護だと? 捕獲の間違いではないのか?」
言葉じりをとらえて、ヘルゲが鼻を鳴らす。
「我々は貴殿らにかどわかされた王女殿下をお救いに参ったのだ。これは王命である」
トゥールの態度は一貫して変わらない。
「違う! 国王代理の命だ!」
「我々にとっては、違いはない」
苦々しい表情を浮べているヘルゲに、トゥールが一つ息を吐いて言う。
「投降するのであれば、エリシール王女殿下のため、お前たちの助命を請おう。わが祖先の名においてに誓う」
ここで捕らえられてエルムヴァレーンに戻されれば、当然ヘルゲらは極刑だ。
トゥールはそれを、自分が何とかすると言っているのだ。
不器用な男が垣間見せたエリシールに対する情に、ヘルゲはわずかながら満足した。
けれども、それでヘルゲたちの意思が変わることはない。
ここで自分たちは、最後まで務めを果たすのみである。
「正義は!!」
広場全体に響き渡る凛とした声。
ヘルゲが《深緑の乙女》を高々と掲げる。
この場の全ての視線が彼女に注がれる。
「我らにあり!!」
腹の底から声高に叫ぶ。
その雄姿に倣って、親衛隊士たちも各々の剣を掲げる。
「「我らにあり!!」」
唱和するように、隊士たちも続く。
その命懸けの気勢に、騎士団員たちが気圧される。
「行くぞ!!」
「「おう!!」」
親衛隊の決死の姿を目にし、トゥールはやむをえず左腕を振り上げた。
機甲騎士たちへの合図である。
これまで沈黙していた機甲が、たちどころに動き出す。
機甲の戦闘能力はこの場の誰もが知っている。
瞬く間に親衛隊は蹂躙されるであろう。
だが彼らの顔に悲壮感はなく、一同は決然とした表情を浮べていた。
(エリー、貴方のこれからに幸多からんことを……)
ヘルゲがトゥールに向かって突進する。
そこに──
空から一つ、黒い影が舞い降りた。