敗者の末路
「やれやれ、終わったか」
剣を鞘に戻し、イェートが一息つく。
ひとまず、エリシールの身柄は確保出来た。
後は、ステンたちを起こしてエルムヴァレーンに帰還するだけだ。
ちらりと地面に倒れたロランの亡骸を見やって、イェートが一瞬物憂げな表情を浮かべるが、すぐにきびすを返してオルソンとエリシールのもとに向かう。
オルソンはエリシールの二の腕を掴んだまま佇み、エリシールは外套の頭巾をかぶった格好のままむせび泣いている。
エリシールの前に立ったイェートは、ためらうことなしに彼女の頭巾を引き上げた。
綺麗な白金色の髪と美しい顔があらわになる。
可憐さと気品を存分に備えた容貌は、美しきエルフ族のヘルゲにもまったく見劣りしないものだった。
だがその表情は今、深い悲しみに歪み、痛々しいほどである。
イェートは大きく溜息をついた。
「確認するが、エリシール王女に間違いないな?」
一国の王女に対し、イェートの態度はきわめて無礼なものであったが、ここにそれを咎める者はいなかった。
「……」
悲嘆にくれるエリシールから答えは返ってこなかった、イェートはさして気にせず、勝手に本人と断定した。
「オルソン、あいつらを起こしてやれ」
イェートが倒れた仲間たちを顎で示す。
ロランに倒された二人は、いまだに起き上がれないでいた。
「……分かった」
オルソンは頷いて、ようやく掴んでいたエリシールを解放し、仲間たちのもとへ向かった。
気を失ったステンを起こし、その後膝を負傷したオットに肩を貸して、オルソンがイェートのもとに戻ってくる。
一方でステンはイェートのもとではなく、ロランの方へ歩いていった。
四人の男たちの中では一番小柄であるが、体格はがっしりとしている。
髪は灰色で、年はイェートとさほど変わらないように見えた。
やがてロランの傍に立つと、彼の頭部を無造作に蹴りとばした。
「──!?」
信じられない光景を目にし、エリシールが戦慄する。
押しつぶされるような、激しい胸の痛みをおぼえ、声にならない悲鳴をあげた。
「この糞餓鬼が!」
怒り心頭のステンが、ロランに向かってつばを吐き、イェートに大声で尋ねる。
「この餓鬼の死体はどうする! 焼いちまうか!」
「……いや、騎士団の連中に見つかると厄介だ!」
イェートは、少し考えてから答えた。
雇い主であるオロフの命令は「騎士団より先に王女を捕獲せよ」というものだった。
元来それは密旨であり、騎士団や他の連中に知られるのは都合が悪い。
残念ながら先にエリシールに接触したのは騎士団の方だったが、上手い具合にエリシールたちが騎士団から逃げだしてくれたおかげで、イェートらは無事任務を果たせたのであった。
「まぁ、王女を横からかっ攫おうってんだからな。連中に見つかったら困るわな」
薄く笑いながら、イェートが言う。
彼の仲間たちも底意地の悪い笑みを見せ合った。
「けど、まぁ一応、念のため処分しとくか」
軽く視線を巡らせると、遺跡の大穴が目に入った。
「そこでいいや! その大穴に放り込んじまえ!」
「──そんな!?」
イェートの言葉に、胸を押さえて苦しんでいたエリシールが、思わず叫んだ。
「お願いです! せめて土に埋めてあげてください!」
エリシールは苦しみに耐えながら、イェートにすがりつくように迫って、懸命に請うた。
土葬はエルムヴァレーンの最も一般的な葬送方法である。
ロランに安らかな眠りを──それがエリシールのせめてもの願いだった。
「いやいや、そんな義理も時間もねぇって」
イェートは苦笑しながら、首を横に振った。
「どうか、お願いです! 私に出来ることならば、何でもいたしますから!」
エリシールは真剣な表情でイェートに食い下がった。
他の三人は薄ら笑いを浮べて、成り行きを見守っている。
「何でも、ねぇ……」
イェートがエリシールを正面から見つめる。
その目つきは意外にも、下卑たものではなく、どこか憐憫が込められたものだった。
「そんじゃ一丁、おれを王さまにしてもらうってのはどうかな」
「──そ、それは、あなたが私の……夫になるということですか?」
エリシールがわずかに身を震わせて聞く。
(まいったな。ただの戯言のつもりだったんだが……)
エリシールの反応に、イェートは苦笑し、頬を掻いた。
ひとときの間、エリシールは無言であったが、やがて覚悟したように口を開いた。
「あの、わ、私の──」
「いや、やっぱりやめだ。王さまなんぞになっても仕方ねぇや……」
エリシールの目の光が意味することを悟り、イェートはこれ以上言わせまいと彼女の言葉をさえぎった。
エリシールは驚いた表情を浮かべ、イェートに尋ねた。
「で、では……他になにか……」
「その他は……だめだ、何も思いつかねぇな」
エリシールは再び呆然として、またも言葉を失った。
「よし! そんじゃ、ステン! そいつを大穴に放り込め!」
「あいよぉ!」
ステンがロランの身体を乱暴に引きずって大穴を目指す。
エリシールは虚ろな目で、ただただそれを見送るしかなかった。
そして大穴の縁にたどり着いたステンは、無価値ながらくたを捨てるように、ロランの身体を大穴に放り込んだ。
ぼしゃん、と水の音があたりに響き、たちまちに消えた。
「では王女殿下、参りましょう」
イェートが慇懃に頭を下げ、エリシールを促した。
エリシールの瞳はもはやなにものも映しておらず、彼女はただ立ち尽くしていた。
その姿は、心を失くしたかのようであった。
(結果的に、いろいろと手間が省けたか)
イェートがエリシールの二の腕を掴んで、強引に歩かせる。
エリシールは抵抗せず、されるがまま従った。
その後を、三人の男たちが続く。
(それにしても……)
イェートは歩きながら先ほどの戦闘を反芻した。
(あれは何だったんだ? あの餓鬼の力……やっぱり万象術じゃねぇよな……)
ロランの不可視の力。
イェートにはそれが今だに気がかりだった。
偶然のひらめきにより対処できたが、その正体までは今も分からなかった。
(けどあの餓──ロランが死んで、もうなくなっちまったみたいだし、今さら気にすることもねぇか)
イェートが吐息を漏らす。
(まったく、末恐ろしい奴だったぜ)
もしもイェートがロランの不可視の力に気付けないまま戦闘を続けていたら、倒されていたのは自分たちの方であっただろう。
ステンあたりは否定するだろうが、イェートはほとんど確信していた。
イェートもよく知る、かのエルフの女騎士が、エリシールの側に付けただけのことはある。
ちらりと傍らのエリシールに一瞥をくれ、イェートは大いに納得した。
イェートたちが去った後、あたりは再び静寂に包まれた。