死闘の果て
オロフの配下である男たち四人を相手に、ロランは善戦していた。
イェートたちは決して弱くはない。
むしろ彼らは、歴戦の手練れである。
対してロランは、剣術の天才というわけではない。
ひとかどの素質を秘めてはいたが、実戦経験の豊かなイェートたちに比べれば、まだまだ未熟であった。
ならば、どうして善戦など出来ようか。
その理由は一つ──それはリリィの存在だ。
ロランは対人の戦闘において、リリィと一致協力することで、己の能力を遺憾なく発揮出来るのだった。
「──なっ!?」
ロランに斬りかかろうとしたイェートの仲間のひとりが、急に前につんのめった。
リリィが彼の頭を後ろから両足で小突いたのだ。
間髪を容れず、ロランが低い位置に下がった男の側頭部を蹴り飛ばす。
虚をつかれた男は、こめかみに大きな衝撃を受けてその場に崩れ落ちた。
がら空きに見えたロランの背中に、今度は別の男が斬りかかる。
「うっ!!」
ロランに斬りかかった男の右目に、まるで膜翅虫(蜂に似た虫)が針で刺すような動きでリリィが飛び蹴りを見舞い、男の動きを鈍らせる。
ロランはすぐにその隙をとらえて、男の脚の膝裏に剣を差し込んだ。
男はたまらず地面に転がって呻いた。
ロランとリリィは短い間に二人を無力化し、残りは二人。
残ったイェートらはどちらも驚いた表情を見せていた。
リリィが見えていない彼らには、何が起こったのか、まったく理解出来ていなかった。
「……」
イェートは浮かべていた軽薄な笑みを消し、神妙な面持ちでロランと相対した。
侮っていたのは否めない。
目の前の少年は、強者の持つ特有の風格をまとってはいない。
ロランの驚異的な身ごなしは、確かに目を見張るものがあったが、剣技は達人というほどでもない。
経験値は言わずもがな、数の上でも明らかにこちらに分があったはず。
だが一瞬のうちに、二人も倒されてしまった。
イェートは己の認識を改めようと、ロランをしっかりと観察する。
しかしどれだけ凝視しようとも、その印象はこれまでと一切変わらなかった。
イェートの頭に疑問符が浮かぶ。
(万象術か?)
しかしロランには、法式を唱えたようすはなかった。
ならば、と思い、さっとロランの剣を確認する。
こちらも理法剣ではなく、普通のものだ。
全身をくまなく見ても式陣はどこにも見当たらない。
(服、じゃねぇよな。そんなとこに式陣を描く奴なんざいねぇか)
イェートがひっそりと息を吐く。
(万象術じゃないとすると、他に何か仕掛けがあるのか?)
歴戦の傭兵であるイェートは経験則でそう判じて、現状の把握につとめた。
(ステンは昏倒、オットは膝をやられたか。しばらく戦闘は無理だな)
ロランと油断なく見合ったまま、イェートが思考をめぐらせる。
(おれとオルソンの二人がかりなら倒せるか? それとも、ここは一旦引くべきか……)
イェートはそこでふと、ロランの目線が少し気になった。
(ん? 何だ?)
その目がたびたび、虚空を彷徨うような動きをしていたのだ。
(……油断してやがるのか? いや、そんなはずは……)
ロランの目線を、自分も追ってみる。
(ん? 羽虫か? いいや、何もいねぇ。けれど──)
思い切ってイェートは素早く前に踏み出すと、ロランの目線の先、何もない虚空に斬りかかった。
すると、
「──っ!?」
ロランがイェートの剣を、自らの剣で弾いた。
イェートが剣を引き、すぐさま間合いを開く。
(……なるほど)
イェートはロランの行動に得心した表情を浮かべて、距離をあけて立っているもう一人の仲間に向かって叫んだ。
「おい!オルソン! この場に何かいやがる!」
「何かって、何だ?」
仲間うちで一番大柄な男──オルソンが、困惑しつつ尋ねる。
周りを見まわしてみるが、彼の目には羽虫一匹すらも映らない。
「それは……分からねぇ。だが、目には見えない何かだ。多分そいつが、ステンとオットに何かしやがったんだ」
「……そういうことか」
イェートの言葉に、オルソンも大筋で納得する。
彼にしても、とりわけて奇妙だと思っていたのだ。
目の前の年端もいかぬ少年が、自分たちを手玉にとることなど、出来ようはずがない、と。
「ロランよ。手口は読めたぜ」
イェートは再び笑みをこぼした。
「……」
ロランは口を引き結び、黙ったままイェートを睨む。
「それじゃあ、そろそろ終わりにしようや」
イェートが剣を閃かせる。
その刃は、ロランにではなく、彼の周囲の空間に向けられていた。
反射的に、ロランがリリィの方を見やる。
(そこか!)
イェートがその視線の先に向かって、でたらめに剣を振り回す。
『きゃっ!!』
剣先が掠めたのか、リリィが悲鳴をあげた。
「くそっ!!」
ロランがイェートの剣を弾く。
くずれた態勢で、手加減のない重い一撃を受けたロランは、一瞬身体を硬直させた。
その隙を見逃さず、イェートがロランの腹部に蹴りを叩き込んだ。
「──ぐっ!!」
ロランは身体をくの字に折って、後方に弾き飛ばされた。
しかしすぐに体勢を立て直し、剣を構える。
「動くな!」
唐突に、オルソンがロランに向かって叫んだ。
その腕の中には、エリシールが捕らえられていた。
イェートが動いた瞬間、オルソンもまたエリシールへ走り寄っていたのだ。
エリシールの首元にはオルソンの剣の刃が突きつけられている。
それを見てロランはすぐに動きを止めた。
彼のその表情は、苦渋に満ちていた。
「はぁ……これじゃあ、どっちが奸者なのやら」
オルソンの方を見やり、本気とも冗談ともつかない声でイェートが呟いた。
「よし! イェート、そいつを殺せ!」
「なりません!!」
オルソンの非情な言葉を聞いて、エリシールがありったけの力をこめた声で叫んだ。
「私を連れていきなさい! 貴方たちの用は、それで済むはずです!」
突きつけられた首元の刃を気にもせず、エリシールが気丈に言う。
「……やれやれ」
イェートはエリシールの覚悟に毒気を抜かれ、握った剣を鞘に収めようとした。
「イェート!」
そんなイェートに、オルソンは再び声を上げた。
「そいつを殺せ!」
「そ、ぐっ──」
エリシールが声を出そうとして、突然覚えた身体の痛みに苦悶する。
オルソンが腕に力を込め、エリシールを締め上げたのだ。
「やめろ!!」
今度はロランが大声で叫んだ。
だがオルソンはエリシールを締め上げたまま、
「早くやれ!」
苛立った声で指示する。
「ま、待ちなさ、い……」
苦しみに耐えつつ、エリシールが声を絞り出す。
イェートは思案気な表情でオルソンとエリシールを交互に見つめた。
(よし、今なら──)
「……リリィ」
隙を見て、ロランが傍らのリリィに小声で話しかけた。
『……ロラン、どうしよう?』
不安げなリリィの声。
その声はロランにしか聞こえていない。
「リリィ、大丈夫? 怪我は無い?」
『うん、大丈夫。助けてくれてありがとう』
「よかった……」
『エリシールさま、捕まっちゃった。どうする、ロラン? あたしがあいつの目を──』
「だめだ。もし気付かれたら、殿下の身が危ない」
『じゃあ、どうしたらいい?』
一瞬の間にロランが決断する。
「君はエリシール殿下の側に着いててさしあげて」
『そんな!? ロランはどうするのよ!』
「僕は……自力で何とかするよ」
『自力でって……』
「頼む、リリィ。エリシール殿下を護れるのは、もう君しかいないんだ」
真剣な表情のロランを見て、リリィが心配そうに顔を曇らせる。
『ロラン、本当に……大丈夫なの?」
涙声でリリィが尋ねた。
これほどまで追い詰められたのは、二人にとって初めてのことだった。
「ああ、大丈夫。心配しないで」
リリィを安心させるため、ロランは小さく笑みを浮かべた。
『……分ったわ。エリシールさまのことは任せて』
リリィもまた、ロランを安心させるために約束する。
彼らはお互いのことを誰よりも信頼している。
リリィがロランの額に優しく口づけをして、
『あなたに妖精の加護がありますように……』
祈りの言葉を呟き、ロランの側をゆっくりと離れていった。
二人がやりとりを終えるのとほとんど同じ頃、イェートたちのやりとりも終わった。
「まぁ、こうなっちゃあ仕方がねぇな……」
イェートは鞘に収めかけていた剣を握り直し、ロランに歩み寄る。
その足取りは、心なしか、重たいように見えた。
「じゃあな。悪く思うなよ」
立ち尽くすロランに、イェートが告げる。
次の瞬間、正面からロランの胸を、手にした剣で深々と突き刺した。
(ロラン!!)
エリシールとリリィが声にならない声を重ねた。
「──」
ロランは悲鳴ひとつ漏らさず、己の命を断つ凶刃をじっと見つめていた。
すぐにイェートが剣を引き抜くと、ロランは立ち姿のまま、背中から地面に倒れた。
(あ……ああ……)
ロランから流れ出た赤い血が、砂に埋まった石畳に広がっていくのを目の当たりにして、エリシールの顔もまた、絶望の色に染まった。
オルソンの腕の支えがなければ、地面に突っ伏していたことだろう。
彼に二度と会えないことが、こんなにも辛く悲しいことだとは、今この瞬間に身をもって知った。
人目をはばからず嗚咽するエリシールの側では、妖精族の少女が、大きな瞳に溢れんばかりの涙を溜めながらも、ロランの姿を見つめ続けていた。