紅凰
王都エルムヴァルの夜の空を舞う聖鎧の左肩に座って、ロランは街を見下ろしていた。
少し前に起こった街での騒乱は、徐々に落ち着きつつあった。
多くの機甲闘士たちは、自分たちの役目を終えると、騒ぎの場を離れ、街の外へ向かっている。
そこで仲間たちと合流し、一行でトルスティン王国に向かう手筈になっていた。
作戦が滞りなく進んでいるようすに、ロランが安堵する。
だが、ある場所が目に入った瞬間、彼は息を詰めた。
街の中央広場。
そこでジウと仲間の機甲闘士たちが、未だに騎士団の機甲騎士と戦っていた。
ロランの目に、ジウの機甲《蒼晶花》が大きく傷ついている姿が映った。
「……」
「ロラン?」
聖鎧の腕に腰かけたエリシールが、ロランの異変に気付いて声をかける。
そしてすぐに、
「ロラン、行ってください」
そう言って、ロランを促す。
エリシールもまた、ロランと同じ場所に目をやっていた。
「しかし……」
ロランがエリシールを見つめる。
ロランの任は、エリシールの救出と保護である。
それを放棄することなど、彼には出来ない。
「今の貴方の力は、か弱き者、力なき者を護るためにあるのだと、私は思うのです」
「エリシール殿下……」
「私のことは、もう大丈夫です。下で戦っている彼らは、この国にとって、なくてはならない方々です。どうか、貴方の力で助けてあげてください」
「……はい、わかりました」
ロランがエリシールの左肩に座ったリリィに目を向ける。
「リリィ、このままエリシール殿下の側に」
『わかったわ。任せて』
ロランは人気のない場所を見つけて、エリシールとリリィを降ろした。
貴族居住区の端にあたる場所なので、比較的に安全と思われる。
頼もしき相棒も、引き続きエリシールの側にいてくれる。
「すぐに戻ります」
「ええ。お待ちしております。くれぐれもお気をつけて」
ロランは頷いて、急いで聖鎧を駆った。
リリィが、心配そうにしているエリシールを安心させるように、彼女の頬に触れる。
エリシールはリリィの優しさに感謝しながら、ロランの乗った聖鎧の姿が見えなくなるまで見送った。
◆
ジウの《蒼晶花》はすでに満身創痍であった。
右腕を切り落とされ、外装もあちらこちら損傷している。
「まだ諦めぬか?」
《紅凰》の中から、トゥールが問う。
《紅凰》が持つ大剣の切っ先は、《蒼晶花》に向けれたままである。
「ああ。諦められないね」
騎座席のどこかで打ちつけたのか、額から血を流しながらジウが答えた。
「ならば、今ここで沙汰を下す」
《紅凰》が大剣を振りかぶる。
《蒼晶花》が左腕の盾を前に出す。
《紅凰》が大剣はやすやすと《蒼晶花》の盾を腕ごと両断した。
《紅凰》はすぐに横薙ぎに剣を振るう。
(ここまでか……お父様、お母様、ジウもこれからお側に──)
ジウが覚悟を決め、目を閉じる。
《紅凰》の大剣が振り下ろされる瞬間、凄まじい風が巻き起こった。
風が通り過ぎた後、今まで《蒼晶花》がいた場所にはなにも存在しなかった。
「よかった。間に合って」
ロランが安堵の吐息を漏らす。
《聖鎧フリクセル》が傷ついた《蒼晶花》を左腕に抱え、《紅凰》から五十メルム(五十メートル)ほど距離をとった場所に立っていた。
「──ロラン……あたし……」
「ジウさん、大丈夫ですか?」
「……ええ」
ジウが弱りきった声で返す。
いつもの調子ではなく、少女のようにか細い声だった。
「聖鎧か……」
数日前の大敗の元凶が目の前に現れ、トゥールは、常らしからぬ緊張の面持ちを浮かべた。
『ほぉ、この間の小僧か。その紅いのが、お前の機甲とやらか』
物質を透過して、存在を知覚することの出来る大精霊フリクセルが、《紅凰》を一目見て言う。
「ここはルンベックの森ではない。大精霊よ、なぜ邪魔をする?」
『契約のためだ』
「契約? 何だそれは?」
『今世の《聖鎧フリクセル》の騎士との約定よ』
「聖鎧の……騎士だと? 一体それは、誰のことだ?」
『ロラン・ブローリン』
「ロラン・ブローリン? そうか! あの時、エリシール殿下と共に逃げた……」
トゥールがそれに気付く。
もしそれが事実ならば、ますます、エリシールたちを逃がしてしまったことが悔やまれた。
「そうか……それで、我らの邪魔立てを……」
ぶつぶつと、独白のように漏らす。
大精霊フリクセルとトゥールのやりとりの一方で、ロランは必死に状況の把握に努めていた。
《蒼晶花》はすでに半壊状態であるが、その他の機甲闘士たちは騎士団相手に粘りを見せており、数の上での不利を何とかしのいでいる。
この場から機甲闘士たちを逃がすには、《紅凰》と機甲騎士たちの注意を引く必要があると判ずる。
『……ロランよ』
フリクセルがロランにしか聞こえない声で呼びかけた。
音のない、思念による声である。
『あの紅い奴が持っておる剣。あれは《竜牙剣》だ』
「《竜牙剣》!? かつての大戦で使われたという?」
『そうだ。あれに触れられるでないぞ。触れられれば《聖鎧フリクセル》といえど、ちと危うい』
「それは……どうすればよいのでしょうか?」
『なに、触れられなければよい。お前の得意とするところであろう』
「……はい。心してかかります」
ロランが気を引き締めて頷く。
伝説の聖戦器が相手となれば、万全を期さなければならない。
「ジウさん、少し移動します。中でしっかりと何かに掴まって下さい」
ロランがそう言うやいなや、聖鎧が《蒼晶花》を抱えたまま、後方にいた機甲《嶽砕鬼》の側にとてつもない速さで移動した。
「おっと、聖鎧の騎士様ですかい」
目の前の機甲騎士を槌で殴り飛ばして、《嶽砕鬼》が聖鎧に向き直る。
「──姉さん! 大丈夫ですかい!」
トマゾが《蒼晶花》のありさまを見て叫ぶ。
「ああ。ロランのおかげで、何とかね」
疲労感を滲ませつつ、ジウは笑みを浮かべた。
「トマゾさん、僕がこれから騎士団を引き付けます。その間に、ジウさんと他の人たちを連れてここから離脱してください」
「おひとりで大丈夫なんですかい?」
「何とかやってみます」
「……わかりやした」
「ロラン、奴に──トゥールに勝てるかい?」
ジウが不安げにロランに問う。
「わかりません。ですが、時を稼ぐだけならば、問題ないかと」
「そうかい。その……無茶はするんじゃないよ」
「はい。ありがとうございます」
《聖鎧フリクセル》がジウたちの前に出て、盾となる。
「では、行って下さい」
その言葉に従って、《嶽砕鬼》が《蒼晶花》を抱えて騎士団と反対の方向に走り出した。
「逃がすな!」
機甲騎士の一人が叫ぶ。
「邪魔はさせない!」
ジウたちに向かう機甲騎士たちの前に《聖鎧フリクセル》が立ちはだかり、目の前の機甲を片っ端から吹き飛ばす。
機甲騎士たちは、瞬く間にロランの操る《聖鎧フリクセル》によって地に伏していった。
「ロラン・ブローリン!」
《紅凰》が《聖鎧フリクセル》に向かって駆けてくる。
「ロラン・ブローリンよ! 聖鎧の中にいるのはお前か!」
トゥールは騎士団長らしい声量で、声を張り上げた。
「……はい」
警戒を解かずにロランが返答する。
「エリシール殿下の親衛隊らは皆、投獄された! ここで粘っても、助けは来ぬぞ! お前も、聖鎧を捨て投降しろ!」
「お断りします」
「聖鎧はお前たちのような逆賊が持つにふさわしいものではない!」
トゥールが語気を荒げて続ける。
「悪しき者が力を得たならば、いずれ大いなる災いを生むであろう! そうなる前にこちらに渡せ!」
『ほう。なるほど……』
トゥールの声に答えたのは大精霊フリクセルである。
『なればお前がロランよりも聖鎧にふさわしいとな?』
「──それは……」
『人族の者よ。お前は……何か迷うておるようだな。いずれにせよ、わしはすでにロランと契約を結んだ。よってお前たちに聖鎧は渡せん』
「……承知した。ならばここで倒すのみ」
『大した気概だな。では、やってみせい』
ロランが《聖鎧フリクセル》を構えさせる。
対して、《紅凰》が大剣の切っ先を《聖鎧フリクセル》に向ける。
「行くぞ!」
トゥールは騎士として堂々と宣言し、《紅凰》が《聖鎧フリクセル》に大剣を力の限りに振り下ろす。
《聖鎧フリクセル》はこれを大きく横に跳んでかわす。
振りぬかれた大剣の切っ先が地面に達し、そこに大きな裂け目をつくった。
「……聖鎧といえどこの《竜牙剣》はおそろしいとみえるな」
《聖鎧フリクセル》の動きから、そう見抜いた。
そこからトゥールが猛攻をしかけた。
《紅凰》の二撃目は突きだった。
《聖鎧フリクセル》はこれも身をひねってかわす。
《紅凰》が三撃目、四撃目と連続して突きを放つが、《聖鎧フリクセル》は風に揺れる木葉のようにかわし続ける。
それから《紅凰》が再度大剣を振り上げ──虚をついて横薙ぎに払う。
《聖鎧フリクセル》は後方へ素早く下がって、これを回避する。
ロランとトゥールの間にまた大きく距離が生じた。
その折にロランが再び周囲を確認した。
(──時間稼ぎは、もうこれぐらいでいいみたいだ)
この場にいた機甲闘士たちの姿は、すでになくなっている。
唐突に《聖鎧フリクセル》はその場で高く跳躍し、風をまとって空中でぴたりと止まった。
「──な!? 何だと!?」
トゥールが驚愕する。
ルンベック大森林でも驚かされたが、やはり何度見ても信じられなかった。
「……まさか! 逃げるつもりか!」
「……」
何も返さずロランはその場から飛び去った。
「おのれ……」
トゥールはしばしの間、《聖鎧フリクセル》が飛び去った方を恨めしく睨んでいた。




