蘇りし者
同刻のカールション子爵邸。
エリシールにあてがわれた部屋の扉を、呼びかけもなしに男が無造作に開き、臆面もなく中に入ってきた。
はなはだ非常識な行為であるが、男が気にしたようすは欠片もない。
オロフの配下の傭兵、イェートである。
彼は、小脇に四角い盆を抱えていた。
オロフに用心棒として雇われているイェートだが、今の仕事はエリシールの監視と、彼女の食事の配膳であった。
「王女殿下。皿を下げに参りました」
イェートはそう言いつつ、卓子の上に用意された夕食の皿を一瞥する。
相変わらず、それらにはまったく手がつけられていなかった。
部屋の中ほどに設えられた、寝台の縁に力なく座るエリシールのもとへ辿り着くと、イェートは彼女の顔を覗き込んだ。
その雪のようにまっ白な頬には、泣きはらした後が今もくっきりと残っている。
イェートは盛大にため息をついた。
「またですかい? そんなに泣いてちゃ、身体に毒ですぜ」
エリシールは前よりもひどくやつれて見えた。
もう何日もろくに食事を取らずに泣き明かしているのだ。
当然のことであろう。
「それほどまで、ですかい? 奴はどこぞの王子さまってわけでもないでしょうに?」
イェートは数日前に立ち会ったロランの姿を思い出す。
清廉な目をした精悍な顔立ちの少年だったが、王族や貴族には見えなかった。
(まぁ、あんたの兄貴なんぞより、よっぽど上等な奴だったけどな……)
おくびにも出さず、内心で揶揄する。
「……ええ。ロランは王子ではありません。平民の出だと本人から聞きました」
エリシールが遠くに目をやり、そのありし日を思い出す。
彼女にとって、ロランと出会ったあの日の記憶は、生涯忘れることの出来ない大切なものであった。
「へぇ。平民ごとき……王女殿下にしてみれば、代わりなどいくらでもいるでしょうに」
イェートが鼻を鳴らして、皮肉を漏らす。
彼もまた同じく、平民の出であった。
故に、王族や貴族に対して思うところは数多くある。
「ロランの……代わり……」
エリシールが虚ろな瞳をイェートに向け、呆然と呟く。
ロランはエリシールにとって、かけがえのない存在だった。
どこを探そうと代わりなどいるはずがない。
「はぁ。認めましょう。確かに骨のある奴でした。今時珍しくね。でももう死んじまった。会うことはもう二度と出来ませんぜ」
イェートが諭すように言う。
傭兵として数えきれないほどの死を見てきた彼は、それと向き合う方法も心得ていた。
「今のあんたの姿を見たら、死者の国にいるあいつは、どんな顔をするでしょうかね?」
そう口にして、イェートは苦笑を浮かべた。
(止めをさしたおれが言うのも、おかしな話だが……)
エリシールはゆっくりと視線を手元に落とした。
その瞳がまたも涙で潤んでいく。
(こりゃあ、重症だな……)
イェートは再び大きく息を吐いた。
その後しばらく二人の間に沈黙の時間が流れる。
(それにしても、あの力はまだ健在なのか?)
それが気になり、エリシールに向かって手を伸ばし──すぐさま引っ込める。
気にはなるが、無駄に痛い思いをするのはイェートも願い下げであった。
「王女殿下。一つお尋ねしてもよろしいですか?」
イェートが珍しく慇懃な態度を見せて、エリシールに向き合った。
「……何か?」
エリシールが億劫そうに顔を上げる。
「殿下を護っている力のことです。それはやはり奴の……ロランの力ですかい?」
「いいえ。ロランの力、というわけではありません。リリィが私を護ってくれているのです」
意外にもエリシールはあっさりと答えた。
生来の純粋さから、深くは考えず、正直に返したのだ。
「リリィ? それは誰ですかい?」
「妖精です。ロランの友人で、彼以外にはその姿は見えません」
エリシールの言葉にイェートは面食らった。
「妖精って、あの……羽根の生えた奴ですかい?」
イェートは妖精についてほとんど知らない。
この世界では妖精族が姿を消してから、既に数百年の時が流れていた。
話として知ってはいても、今を生きる者からすれば幻想の類と大した違いはない。
「ええ。そのはずです。私も見たことはありませんが」
「その……妖精がここにいるんですかい?」
イェートが室内を見回すが、どこにもそれらしいものは見当たらない。
「ええ。ロランが私の元に遣わして、今も側で護ってくれています」
それを聞いて、イェートはこみ上げる笑いを抑えきれなかった。
(ロラン、お前は本当に大した奴だ。死してなお、王女を護るなんてな)
「王女殿下、おれが間違ってました。奴の──ロランの代わりは確かにおりません」
イエートが笑みを消し、神妙な面持ちで所感を述べる。
「ええ。ロランはいつも、とても優しくて……とても……」
エリシールの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……冷めちまったんで、代わりに何かもって来まさぁ」
イェートは頭を掻き、夕食を片して部屋から出て行こうとした。
その時──
「イェート! ここか!」
突然部屋の扉が開かれ、中に大柄な男が入ってきた。
イェートの仲間のオルソンだった。
「何だ、一体?」
皿を積んだ盆を持ったイェートが、オルソンに問う。
「奴だ! 奴が来やがった!」
慌てたようすでオルソンが答えた。
「奴ってのは、一体誰のことだ?」
「あの餓鬼だ! ほら、遺跡で俺たちが殺した!」
それを聞いて、イェートが盆を落とし、料理を床にぶちまけた。
同時にエリシールもオルソンの言葉に反応する。
彼女は寝台の縁からゆっくりと立ち上がって、オルソンの顔を見据えた。
「……奴はどこに?」
「外だ。門の近くにいる」
イェートは部屋を横切って窓の前に立った。
はめ殺しのため開閉は出来ないが外の確認ぐらいは可能であった。
「……ああ、確かに奴だな」
邸宅の門の付近にロランの姿を確認し、イェートがかすかに口元を緩めた。
「宰相閣下は留守だが、どうする?」
オルソンが尋ねる。
彼ら傭兵たちの主だった指揮権はイェートにある。
「オットはまだ動けねぇのか?」
「ああ。戦闘は無理だ」
「それじゃあ、オットはここで王女のお守りだ。お前はおれと一緒に来い。ステンと合流して外へ出る」
「分かった」
二人は頷き合って部屋から出て行った。
残されたエリシールはおそるおそる部屋の窓に近付いて外に目を向けた。
邸宅の門がすぐに目に入る。
そこにはイェートたちの言葉どおり、彼がいた。
エリシールの胸の内に、温かな灯火が宿る。
私の前に、また彼が現れた。
私の窮地に、また助けにきてくれた。
ああ、彼だ。
そうだ、彼だ。
彼こそ、私の──




