届かぬ声
エルムヴァル城内の廊下を、フォシェルが単身で、足早に歩いていた。
彼の目的地はユーハンが臥せっている国王の寝室だ。
目的の場所に辿り着くと──返答がないのは分かっているので──無言で扉を開く。
フォシェルの予想に反して、そこにはすでに先客がいた。
ユーハンの寝室は中央に寝台があり、そのすぐ側で線の細い壮齢の美女が椅子に座っている。
肌は白く、髪と目はうす茶色。
疲弊したようすもあって、はかなげな印象を見る者に与える。
ユーハン・エルムヴァレーンの側妃、カーレン・エルムヴァレーン。
フォシェルの実母であった。
「母上、来ていらしたのですか」
碧色の瞳に冷たい光を宿らせて、フォシェルが言う。
その抑揚のない声には、情の欠片も感じられなかった。
「ええ。陛下に本を読んでいました」
カーレンは自分の手元に視線を落とした。
そこには一冊の本があった。
立派な装丁ではあるが、幾分か古びた本である。
「陛下のお好きな英雄物語です」
愛おしげな手つきで本の表紙を撫でる。
けれどもカーレンの声は、疲れきった弱々しいものだった。
フォシェルは母親から寝台の上のユーハンに目を移す。
ユーハンは何の表情も浮べず、昏々と眠り続けている。
軽く整えられた髪は、フォシェルと同じ青金色である。
(まったく、無意味なことを……)
カーレンの行いに、フォシェルが胸中で嘆息する。
フォシェルからすれば、意識のない者に本を読み聞かせるなど、無駄でしかない。
「貴方はどうして?」
カーレンが顔を上げて尋ねる。
彼女がこの部屋にいる間に、フォシェルがやってきたのは、これがはじめてだった。
「陛下のようすを見に」
フォシェルはユーハンに目を向けたまま、言葉少なに答えた。
「やはりお目覚めにはなりませんか?」
「……ええ」
そう言って、カーレンは悲しげに目を伏せた。
彼女は毎日ユーハンのもとを訪れていたが、いまだに快復の兆しは見られなかった。
「そうですか……」
フォシェルは無表情でユーハンの顔をしばらく眺め続けた。
(父上、こんなことになって私も残念です。もしもあなたが最初から私に……)
それから踵を返して、用は済んだとばかりに部屋を出て行こうとする。
「フォシェル」
カーレンは椅子から立ち上がり、息子の背中に呼びかけた。
「何か?」
フォシェルは足を止め、億劫そうに振り返った。
「あ……その……」
情なしの目を向けられ、カーレンが出しかけた手をすぐに引っ込めて言い淀む。
「用がなければ、私はこれで失礼します」
そう言い捨て、フォシェルは寝室から出ていった。
「……」
息子に何も言うことが出来ず、カーレンは倒れこむように椅子に腰を落とした。
すでに彼女は、フォシェルのようすが以前と変わってしまったことに気が付いていた。
そしてユーハンが病に臥せったのは、フォシェルの変化に即した時期だった。
ユーハンの病のことをフォシェルは何か知っているのではないか。
果てしない不安が、十二分に疲弊したカーレンの心を情け容赦なく苛む。
心身共に弱り果てたカーレンは、ゆっくりと寝台に視線を移し、そこに横たわるユーハンの顔を見つめた。
彼女はユーハンを心から愛していた。
無論息子のフォシェルも。
そして義娘であるエリシールのことも。
「陛下……私はどうすれば……」
何もできない歯がゆさと悲しさに、カーレンはこの部屋でずっとうなだれていた。




