酒場にて
その日の夜。
機甲闘技場にほど近い大衆向けの酒場。
その人物は、扉口から一番遠い席でひとり、酒をあおっていた。
彼女の名はジウ・ヴェステール。
先ほど闘技場で大歓声をあびていた、機甲闘技試合の覇者である。
ジウは褐色肌の美女であったが、始終険のある表情を浮かべて周囲を威圧していた。
年は二十代の半ば。
背丈はロランと同程度であるが、四肢の筋肉が非常に発達しており、たとえ素手の殴り合いであっても、並大抵の男では太刀打ち出来きそうになかった。
試合を終えたジウは、いつもこの時間に、この場所で酒を飲んでいた。
誰にも邪魔をさせずに、静かにひとりきりで。
だがこの日は、招かれざる客が、彼女の前に現れたのだった。
「ちょっといいかな?」
中肉中背の男が、少年──ロランを連れ立ってジウに近付き、気安げに話しかけた。
この酒場で自分に声をかける者は、絶て久しかったため、ジウは少し驚いて声の主を見やった。
「何だ。《万聞》、あんたかい」
ジウは男の顔を確認し、粗野な態度で接した。
《万聞》のダニエレ。
そう呼ばれるこの男は、王都エルムヴァルで情報屋を営んでいた。
年は三十手前。
しかし、一度見ただけでは決して覚えていられないような、中庸な顔立ちをしている。
背丈も体格も、それから服装も、これといった大きな特徴は見られない。
ダニエレはすすめられるのを待つことなく、さっさとジウの対面に腰を下ろし、ロランにも着席を促した。
ロランも言われるままに、ダニエレの隣の席に座った。
ダニエレのこうしたふるまいに慣れているのか、ジウはあきれつつも、文句は言わなかった。
「……また何かやっかいごとを持ってきたのかい」
ジウはしかめ面でダニエレの顔を見つめ、ため息と共に漏らした。
歓迎はされていないが、怒ってもいないようだ。
ロランはそのようすから、二人の関係を漠然と察する。
「そっちの餓鬼は?」
ジウはちらりとロランを一瞥し、ダニエレに尋ねた。
ロランはこの店でもずっと、額のあたりまで外套の頭巾を下ろしていた。
見る者が見れば、すぐに訳ありだと判ずるだろう。
「彼はヘルゲでん……様の従騎士だそうだ。ええと、名前は……」
「ロランです」
「そうそう。しかも何と! 彼はあの聖鎧の騎士でもあるそうだよ」
ダニエレがはしゃいだ声で言う。
ジウはうろんな目で、今度はしっかりとロランを見つめた。
「聖鎧の騎士、ねぇ。もしそれが本当なら、大したもんだけどね……」
聖鎧は、今世の者にとっては、おとぎ話の中にしか存在しないものである。
その騎士だなどとは、もはや嘘か冗談としか思えなかった。
「彼が君に会いたいっていうから、ここへ連れてきたんだよ」
現れた理由を、ダニエレが笑顔のまま告げる。
「へぇ。それで? 聖鎧の騎士とやらが、あたしに何の用だい?」
ジウは目線を下ろして手の中の木杯を見つめ、どことなく投げやりな口調で問うた。
「ヘルゲ様より、あなたへの伝言を預かっております」
ジウの不貞腐れた態度にもかまわず、ロランが俯いた彼女をしっかりと見据えて言った。
「何だい? その伝言ってのは?」
「ヘルゲ様は、『時は来た』と」
ロランが言い終えた途端、ジウは手に持った木杯を、目の前の卓子の上に打ちつけた。
ダニエレは驚いた顔をしたが、ロランはまったく表情を変えず、ジウを見ていた。
「──そうかい……」
気を落ち着かせようと一つ息を吐いてからジウが呟く。
その表情は一言で言い表せないような複雑な様相を呈していた。
「なるほどね。そうかい、ようやく……」
ジウが今度は正面からしっかりとロランの顔を見つめる。
その視線に臆することなく、ロランもジウの目を見つめ返した。
「いい目だね。あんた──ロランか……聖鎧の騎士ってのは、本当に……」
ジウの問いかけに、ロランがはっきりと頷く。
ロランの栗色の瞳は、一点の曇りもなく、清らかで力強かった。
決して人を陥れる者の目ではない。
擦れ者であるジウにも、そう信じられるものだった。
「……分かった。少し考える。明日の夜、またここへ来な」
そう言うとジウは立ち上がり、ロランたちを置いてさっさと酒場を出て行った。
「心配ないよ」
酒場の扉口を見やったままのロランに、ダニエレが言う。
「彼女はカールション宰相に対して、並々ならぬ恨みがあるからね」
ダニエレはその理由まではあえて説明しなかった。
代わりに、
「ジウを味方につければ、他の機甲闘士の多くも協力してくれるはずだ。彼女はそれだけの力をもっている」
「ヘルゲ様はそれを求めているのですか?」
ロランがヘルゲに任されたのはダニエレへの接触とジウへの伝言のみである。
伝言を預かりはしたが、その意味までは教えてもらっていない。
深い意味があることはロランにも想像がつくのだが。
「そのはずだよ」
ダニエレが答えつつ、近くにいた給仕に、二人分の料理を注文する。
「まぁ十中八九、ジウは断らないさ。それで僕のあとの仕事は……」
腕組みをして目を閉じた。
「エリシール王女殿下の行方を突き止めることだね」
「はい」
「これも大方見当はついてるよ。後はちょいと、確認するだけだ」
「よろしくお願いします」
「ああ。任せてよ。ヘルゲ様には、随分とお世話になったからね」
ダニエレがロランに笑顔を見せる。
普段はひどく印象の薄い男だったが、その笑顔はとても人懐こいものだった。
そうこうしている内にロランたちの席に酒と料理が運ばれてくる。
「さぁ食べよう。昔から言うだろ、ほら。『腹が減っては、ことはなせぬ』ってね」
ダニエレの言葉にロランは頷き、二人は運ばれてきた料理に手を伸ばした。




