護りし者
エルムヴァレーン王国の首都エルムヴァルの貴族居住区に、その邸宅はあった。
カールション子爵邸。
敷地はそれほど広くはないが、本館は秀麗で、界隈では珍しい三階建て。
高さ三メルム(三メートル)の鉄柵に囲われ、正面に鉄の門扉を備えている。
その本館の三階の一室にエリシールはいた。
エリシールにあてがわれていたのは、なかなかに立派な部屋だった。
天蓋つきの寝台や、大きな鏡台、卓子や椅子といった家具や、こまごまとしたその他の調度品も全て、意匠を凝らした豪奢なものばかりである。
しかし設えられた採光用の窓は、はめ殺しになっていて開けることはできず、一つしかない扉も今は固く閉ざされている。
エリシールはここに少し前から軟禁されていた。
彼女がこの邸宅に到着したのは今よりおよそ半日前である。
連れてきたのはオロフ・カールション子爵配下の傭兵たちだった。
(ロラン……ごめんなさい……)
先ほど湯浴みと着替えを終え、屋敷の使用人に髪を梳かされた後、一人きりになった部屋で寝台の縁に腰を掛け、エリシールは人知れず涙を流していた。
自分を命懸けで護ってくれた少年を想って。
あれから早くも二日半が過ぎていた。
少年は最後まで勇敢にエリシールを護り、そしてその命を散らした。
(何もできなかった……ロランに何もしてあげられなかった……)
エリシールは己の無力さを自身で責め続けていた。
せめて、土の中で安らかに眠らせてあげたかった。
だが彼の亡骸は、傭兵たちよって、無残に打ち捨てられてしまった。
(あの時、私がもっと……)
意味のない自問自答をひたすら繰り返す。
(いいえ、そう……もし、私が逃げ出さなければ、ロランはきっと今も……)
そう思いいたった時、心が壊れそうになった。
いつも側にいた彼の姿が、頭から離れない。
エリシールはこらえきれず、嗚咽をもらした。
それからしばらくして、部屋の外から声がかかる。
「エリシール王女殿下、失礼いたします」
返事を待つこともせず、出入り口の扉が開かれた。
そこに現れたのは、この邸宅の主であるオロフと、傭兵のイェートであった。
オロフはエリシールの姿を目にし、破顔一笑する。
「王女殿下、ご機嫌はいかがですかな?」
言いながら部屋を闊歩し、エリシールの座った寝台の側に立つ。
エリシールは力なく顔を上げ、泣きはらした目でオロフの顔を見つめた。
「いやぁ、よくお似合いですな。出入りの商人に無理を言って取り寄せた西の──おや? 泣いてらっしゃったのですか? 部下が何か失礼でも?」
オロフは、ちらりと傍らのイェートを見やった。
イェートは何も言わず、肩をすくめてみせた。
エリシールは暗い気持ちをよりいっそう沈ませて、再びうつむく。
「部下たちから聞きました。殿下も大変ご苦労なされたと」
オロフがおもむろに跪き、エリシールの美しい顔を覗き込む。
「ご安心ください。奸者らは討たれました」
優しく、気遣うような声音でうそぶいた。
(まさか! ヘルゲおば様たちも!?)
エリシールははっとして、オロフの顔に目を向ける。
そこには優しい声音とは裏腹の、酷薄とした笑みが浮かんでいた。
薄気味悪さとおそろしさを感じたエリシールは、その身を引いてオロフから逃れようとした。
だが、後ろは寝台である。
逃げ場はない。
その結果、エリシールが寝台の上に倒れ込んだ。
すぐさまオロフがそれを追うように、腰を浮かせる。
そこで──
「うがぁっ!!」
オロフが床に転げ、のたうちまわった。
側に控えていたイェートは最初、オロフが間抜けにも足をもつれさせたのかと思ったが、耳を押さえて呻いているのを見て思い直した。
このありさまには見覚えがあった。
イェートの脳裏に、ルンベック大森林の遺跡でのことが浮かぶ。
(ほぉ。こりゃ、あいつの仕業か? いや、もしくは王女の仕業? いまいちわかんねぇが……)
イェートは横目で、寝台に倒れこんだままのエリシールを見やる。
エリシールは驚いたようすで、床に転がるオロフを眺めていた。
(ふむ。まぁどっちでもいいか。おれらの仕事はもうお仕舞いだ。後は宰相閣下に自分で何とかしてもらおうか)
イェートはオロフに手を貸すでもなく、腕組みしたまま傍観していた。
「イェート! これはどういうことだ!?」
耳を押さえながら、オロフが立ち上がって叫ぶ。
よく見ると、耳の付け根が少し裂けている。
「どういうこととは? 一体、何をおっしゃってるんで?」
イェートがとぼけたように言う。
「ふざけるな! 何なのだこの力は!?」
「さぁ? おれには分りません。ただ、どうやら──」
目線をエリシールに移す。
「閣下が王女殿下に対して、何か不埒なことをなさらば──なぜだか痛い目に合うようですな」
「……な、に?」
「いやぁ、しばらくは辛抱したほうがいいでしょうな。閣下はご存じないかもしれませんが、耳なんざ簡単に千切れちまいますんで」
イェートの言葉に、オロフが顔面を蒼白にして、自分の耳を庇うように押さえる。
「直ちに何とかしろ!」
「そう言われましても……おれにもどうなってるのかよく分かりませんで……」
イェートは常のように、肩をすくめた。
「くそっ! 役に立たん奴め!」
憤懣やるかたなく吐き捨て、オロフが大股で部屋から出て行った。
残されたイェートは、寝台のエリシールを一瞥し、
「まぁ、とりあえず安心してくださせぇ。しばらくは安全でしょう」
そう言って部屋から去った。
イェートらの一連のやり取りを眺めていて、エリシールは一つの可能性に思い至っていた。
「リリィ、ここにいるのですか?」
虚空に向かって、話しかける。
エリシールには、彼女のその姿を見ることも、声を聞くこともできない。
だが一つ、彼女の存在を確認する方法がある。
声をかけてからほどなく、エリシールは涙で濡れた自分の頬に、人肌の温もりをはっきりと感じた。
「ああ……リリィ……私……」
そっと、その場所に優しく手をやる。
その手にもしっかりと温かさを感じる。
そこに、リリィがいた。
「リリィ、助けていただいてありがとうございます。ロラン……貴方は、また……」
死してなお、彼は自分を護ってくれていたのだ。
大事な相棒である、リリィを遣わして。
エリシールには、そのことがたまらなく嬉しく、たまらなく悲しかった。




