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月下の逃亡者たち

 ルンベック大森林──ヘストレム大陸の東端に位置し、エルフ族の自治領にして、人族らの住まう隣国、エルムヴァレーン王国との境に生ずる広大な森林。 

 ここは、エルフの女王が治めるトルスティン王国の門戸(もんこ)である。


 夜の(とばり)に包まれたこの森に、馬を駆る一団の姿があった。

 エルフ族と人族からなる集団で、その数、男女合わせて十四人。

 皆一様(みないちよう)に、濃紺色の外套をまとい、さらに過半数の者がその下に剣と鎧を身に着けている。

 馬もしっかりと訓練されていて、その歩様(ほよう)はとても力強い。

 鬱蒼(うっそう)とした森の中、木々の枝葉の隙間からこぼれる月明かりは、いたって頼りないものであったが、一団の騎行に迷いはなく、駈歩(かけあし)で目的地であるトルスティン王宮を目指していた。

 

 一団は、エルムヴァレーン王国より逃げてきていた。

 王都エルムヴァルを発ってはや二日。

 この深い森で、今また夜を迎えていた。

 

「……追手は?」


 先頭を行く女が、前方を見やったままで問う。

 見た目どおりであれば、年は二十を迎えた頃。

 しかしあくまでそれは、人族ならばの話。

 類まれな美貌と種族特有の耳のかたち。

 蒼い瞳は剣呑な光を宿し、行く先の森の奥深くを見つめている。

 長い銀髪を(ひと)まとめに後ろで結び、その毛束があたかも、馬の尾のように揺れていた。

 たなびく外套の隙間からは、髪色に近い白銀の胸当てと、業物(わざもの)(おぼ)しき剣が見える。

 彼女はこの一団で唯一のエルフであり、そして騎士であり、さらにこの騎行の先導者であった。

 

 ほどなくして、

 

「リリィの(しら)せでは、森の入り口から五キルム(五キロメートル)ほど離れた辺りに、こちらに向かう騎兵の集団が見えたそうです」


 エルフの女騎士のすぐ後ろを騎行する、人族の少年から返答があった。

 彼もまた、革製の軽鎧と中程度の長さの剣とで武装している。

 一団の中では年若く、十代の中頃だろうか。

 癖のある髪と大きな瞳は共に栗色で、幼さを残しつつも精悍な顔つきをしている。

 中背で、体はさほど大きくはないが、馬を操る姿は堂に入っており、随分と鍛えられているようだった。

 その少年が駆る馬には、さらにもう一人の人物が乗っている。

 少年と同世代の、ひときわ上質な外套をまとった少女が、疾駆する馬から振り落とされまいと必死に少年の背中にしがみついていた。

 体つきは華奢で小さく、外套の頭巾(ずきん)で髪はほとんど隠れていたが、その(はし)からのぞく顔は、息をのむほどに美しかった。

 少女の名はエリシール・エルムヴァレーン。

 エルムヴァレーン王国第一王女である。

 

 逃亡者らは、エルムヴァレーン王国の王女と、その護衛である親衛隊と侍女たちであった。

 

「そうか……ならば問題いない。このまま逃げ切れる!」


 エルフの女騎士──ヘルゲが、安堵(あんど)吐息(といき)と共に漏らした。

 ルンベック大森林は、南端の国境から北端の海岸線まで縦断したとすれば、馬でも数日かかるほどの規模である。

 東端から西端までならばさらに広い。

 目指す王宮は、森の中央よりも南に位置するが、されどもすぐに辿り着ける距離ではない。

 ヘルゲたちがこの森に入ってから、すでに丸一日が経過していた。

 追っ手たちとの距離は、もう十分に離れている。

 もっとも、追っ手たちがエルムヴァレーンの騎士団ならば、この森に安易に立ち入ることは出来ないだろう。

 ここはもう、エルムヴァレーンではないのだ。


(やはり追手がかかったか……)


 綿密に計画を練り、首尾よく王都を出たつもりだったが、思いのほか早く気付かれたしまったようだ。

 追っ手を差し向けたのは、間違いなくフォシェル王子一派の者たちだろう。

 目的はエリシール王女の奪還か、もしくは──

 おぞましい行く末を想像し、ヘルゲは暗澹(あんたん)たる思いに駆られた。

 

(いや、大丈夫だ。女王陛下に拝謁さえ出来れば……)

 

 かの女王ならば、必ずエリシールの力になってくれるはず。

 ヘルゲは黙したまま、自らを鼓舞する。

 

 ややあって、森の一部を切り拓いた広場のような場所が、徐々に見えはじめた。

 密集していた木々がその数を減らし、枝葉の天蓋によって生じていた影が薄まっていき、視界が開けていく。


「ここを抜ければ、もうそう遠くないぞ!」


 土地勘のあるヘルゲが、後続に声をかけた。

 正しい道筋さえ知っていれば、トルスティン王宮──《翡翠宮(ひすいきゅう)》までは、この先の広場から馬で一日程度の距離だった。


(ここまで来れば、もう奴らも追ってこれまい)


 ヘルゲは胸中で快哉(かいさい)を叫ぶ。

 

 ところが、


「──何だって!?」


 突然、栗色髪の少年──ロランが誰もいないはずの虚空に向かって発した。

 ロランの表情は、ヘルゲとは真逆の、険しいものだった。


「止まって下さい!! この先には!!」


 ロランの叫びが辺りに響く。

 ヘルゲたち一同は反射的に手綱を引き、馬の脚を止めた。

 

 だが、一歩遅かった。


「──!?」


 広場にはエルムヴァレーン王国騎士団──その小隊が待ち構えていた。

 

 目の前の光景にヘルゲは大きな衝撃を受けた。

 むろん、騎士団の待ち伏せには十二分に驚かされたが、何よりここはトルスティン王国の領内である。

 国軍に属する騎士団のこの場所での活動は、言わずもがな、トルスティンに対する敵対、侵略とみなされる。

 逃亡した王女を連れ戻すためであれ、度を越した行為であった。

 だがそれゆえに、ヘルゲたちは見事に裏をかかれたのだ。


(してやられた!! 王子らはそれほどまでに、エリーを……)


 狂おしく叫びだしてしまいたいほどの苛烈な感情が、ヘルゲの胸に押し寄せる。

 けれども、ここで呆けてはいられない。

 この窮地をなんとしてでも脱却しなければならないのだ。

 ヘルゲはすぐに感情を切り替え、騎士団の総勢を見渡す。

 広場となっているこの場所は、これまでよりもずっと明るくなっていたため、敵の姿をはっきりと視認できた。

 

 まず騎乗した騎士が四十二騎、前後二列に並ぶ陣形をとっている。

 騎士たちは皆、同じ意匠の鋼鉄製の全身鎧をまとい、長剣を腰から下げている──それはエルムヴァレーン王国騎士団の正式な装備であった。

 そしてさらにその後ろには、騎士団員たちの全身鎧にかたちのよく似た、巨大な甲冑の姿があった。

 

(機甲までも……もはや、簡単に逃げることは出来ん……)


 機甲とは、かつての大戦時に(もち)いられた「聖鎧(せいがい)」を今世に再現した、全長四メルム(四メートル)ほどの人型の機工甲冑である。

 胴体の空間には騎座席(きざせき)(しつら)えられており、搭乗した操者(そうしゃ)の体内の「内なる理素(りそ)」と、大気や大地に満ちる「万象の理素」を(あわ)せて動力とする。

 操者は騎座席の操作桿(そうさかん)に意を伝えることで、その巨体をあたかも己の肉体のように自在に操ることが出来る。

 今は剣と盾を装備しているが、たとえ素手であってもその力は非常に強く、太い鉄柱なども易々と曲げ、拳や足で岩を砕くことさえも可能である。

 その見た目に反して重量は驚くほど軽く、馬よりもはやく移動でき、さらには自然現象を操作する(わざ)である「万象術(ばんんしょうじゅつ)」の力を増大させる機能も有している。

 

 聖鎧の失われた今では、機甲に対抗することが出来るのは、機甲だけである。

 そのため、この大陸の国々は、必ずといっていいほど機甲を軍備として有している。

 機甲はこの世界において、すでに戦争の主役となっていた。

 そんなものが目の前に十騎。

 その手にかかれば、一瞬で引き裂かれ、肉塊にされてしまうことだろう。

 逃亡者たちにとっては、絶望的な光景だった。

 そんな危急存亡(ききゅうそんぼう)の状況下で、ヘルゲは冷静に思考をめぐらせ、自分が今ここでなすべきことを明確にする。

 

「ロラン! エリシール殿下を連れてここから離れろ!」


 叫びながら、ヘルゲが流れるような動作で腰の剣を抜く。

 特異な翠色の剣身が、月の光をうけて(きら)めいた。

 

「ヘルゲ様、けれど──」


 背中にしっかりとエリシールを(かば)いつつ、ロランがヘルゲを見やる。

 エリシールも驚いたようすで、ヘルゲを見つめた。

 

「問答している時間は無い! 行け! お前なら──いや、お前とリリィなら、この先の《翡翠宮》にたどり着ける!」


 ヘルゲがロランに、そしてもう一人の目に見えていない「誰か」に向かって言う。

  

「エリシール殿下──エリーを頼む!」


 ヘルゲから決意を宿した眼差しを向けられ、ロランは返す言葉を飲み込んだ。

 

「皆! 私に続け!」


 ヘルゲが先陣をきって馬を駆る。

 彼女の号令に従って、他の親衛隊士たちもすぐさま剣を抜き、ヘルゲに続く。

 皆、その役割を全うするために。

 

「行ってください」


 その場に残された三人の侍女たちもまた、ロランとエリシールに、この場からの脱出を(うなが)す。

 三人ともまだ若くあったが、すでに覚悟を決めた表情をしていた。

 

「……わかりました。リリィ、案内して」


 ロランが苦渋に満ちた顔で頷き、虚空に向かって声をかける。

 エリシールは大きな双眸(そうぼう)にいっぱいの涙を浮かべながら、侍女たちの顔を見つめた。

 

「エリシール殿下、ご無事をお祈りしております」


 侍女たちはそれぞれに、敬愛するエリシールの姿を、自らの目に焼き付けようとしていた。

 

「貴方たちも……どうか……」


 声を詰まらせながら、何とかそれだけ伝えると、エリシールはロランの背中に顔をうずめた。

 それが合図であったかのように、ロランが馬を走らせた。

 ロランの背で、エリシールは声をひそめて泣いていた。

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