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フィオナの故郷であるカミーシア帝国は雲の上にあった。初代王アンリは千里眼の能力を持つ異能者だったため、雲の上という地上とは隔絶された環境の中ではあったが、文明は地上のどの国よりも発展していた。
一番古くから栄えているのは医学だった。医学に関してはアンリが教鞭をとった。知識については古くは口頭で、技術については、アンリが発明した医療機器を用いて実習がなされた。アンリが欲する医療機器を作成するため、自ずと科学も発達していった。
新しいことを始めれば、不足が分かる。アンリが最も力を入れたのは医学であったが、持って生まれた異能で、幅広い知識を見通すことができ、国の発展のため、視た知識は惜しげもなく民に与えられた。ただ、他国より突出していたのは医学、それも医療機器に関することであり、患者を診る上での薬学、看護学、心理学、歯学、保健衛生学などは他国と同等であった。
雲の上の帝国とはいえ、土も水も光もあったため、食べ物に困ることもなく、自国だけで衣食住は完結できた。
やがてアンリの治世が終わり、国外の新しい知識が得られなくなった雲の上の民は、その知識欲を満たすため、一人、また一人と、地上に舞い降りる。
帝国に舞い戻る民もいれば、地上に根付く民もいた。帝国にしか住んだことのない民にとって帝国の知識や技術は当たり前のこと。言うなれば世の常識だった。そんな帝国の民と地上の民が話せば、自然と帝国の情報も他国に漏洩した。
元帝国の民とはいえ、地上で家庭を持てば、そこは自国となる。帝国特有の医療機器は国外に持ち出され、人の為となるならばと、帝国の民もそれを快く輸出した。
しかし、医療機器の動力源に限りがあることを知るとどの国も、その医療機器を自国内のみで使用し秘匿した。
最近になって、動力源を大量生産することができるようになったため、医学を学んだものは地に降りた。
その一人がフィオナだった。
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治癒院の閉院時間の少し前にタリーが現れ、フィオナに向かってニヤリと顔を歪めた。とても悪そうな顔だった。
タリーに向かってニコリと笑みを向けたフィオナは、さっとカウンターの柵を下ろした。柵越しに微笑み合った二人。カウンターの内側で勝った気になるフィオナ。あっさりと隠し扉からカウンターの内側に入ってくるタリー。
竜巻魔法でばびゅんと逃げようにもカウンターの内側だ。薬草の入った棚が壊れ、薬草も棚も使い物にならなく可能性がある。
タリーの入ってきた側と反対のドアから逃げようにも、スピード勝負で傭兵のタリーにフィオナが勝てるわけがない。しっかりと手首を捕まえられて、捕まった手首は揺すっても押しても引いてもびくともしない。
泣きそうな顔でフィオナが言った。
「……なに……?」
「何じゃないだろ?」
こめかみの青筋に不釣り合いな笑顔を浮かべるタリー。
「逃げられるとでも思ってるのか!?」
「…………………………………………………………はぃ」
タリーに手を繋がれたままフィオナは道を行く。途中、必要なものを聞き、タリーが取捨選択して買い物を済ませていく。タリーの片手が荷物でいっぱいになり、しばらく歩くと見えてきたのはタリーの家だ。もう片方の手はもちろん、がっちりとフィオナの手首を掴んでいる。
「いらっしゃい」
「あぁ、よくぞ来てくださった」
出迎えてくれたのはタリーの両親。クロエが室内へと招き入れてくれ、「私はここで」と、アダンは、外の椅子に腰掛けた。
「さ、約束な」
「………………………………………………………………はぃ」
フィオナが風魔法で家中の塵埃を集める。前回とは違い、ちゃっかりと家中のドアが開けたままにされていた。つまり、前回より大がかりな風魔法だ。
「ありがとう。……手伝うことあるか? 母さんも、フィオナの故郷の味覚えたいんだって」
「えぇ、他国の料理なんて次いつ食べられるか分からないもの。しっかりと覚えて再現出来るようにしたいわ」
タリーには素で接して喜怒哀楽、気持ちのまま表出するフィオナも、クロエ相手に同じように出来るわけがなく、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「今日はピーマンの肉詰めです」
「まぁ。どうやって作るの?」
「おい、ピーマンなんかないだろ」
「ちゃんと買ってあるわよ」
タリーの家で料理をするにあたってフィオナは、タリー一家の好き嫌いについて道すがら確認していた。ピーマンが嫌いというタリーのために、目を盗んでこっそりとピーマンを買っておいた。嫌いな食材を取り入れることで、もう二度と作ってくれるなと言わせるために。
フィオナがピーマンを縦半分に切り、中綿を取り出す。横目で見ながらクロエが同じように作業する。嫌いなピーマンが二倍になるのを嫌そうな顔でタリーが見る。
「次はミンチ肉をこねて玉ねぎを混ぜます。塩こしょうで軽く味付け」
フィオナはクロエに説明しながら手際よく、肉だねを作っていく。
「次は?」
毎日料理しているクロエも手際よく、次の工程を確認した。
「次はこの肉だねを、ピーマンに詰めて焼くだけです」
「まぁ、お手軽ね」
「えぇ。私一人なので凝った料理を作ろうとも思わなくて、もっぱら私のレパートリーは手軽な料理ばかりです」
鍋に油をひき、両面をこんがりと焼いたら、低温にして蒸し焼きにした。
「これで、ソースを付けたら完成です。次はサラダ作りましょうか」
フィオナは嫌そうな顔でピーマンとにらめっこしているタリーの前にボールを出して、その中に卵黄、塩、酢を入れた。
「タリー。出番よ」
そう言ったフィオナがミキサーをタリーの目の前に差し出した。タリーが眉を顰める。
「なんだよ?」
「これは力仕事だからタリーにお願いしたいの。もったりするまで混ぜて」
「……もったり?」
「……ちょいちょい見てるから、私がストップかけるまで混ぜてて」
「……ちっ」
「うわ、舌打ちした!!」
自然体に過ごす息子と嫁……ではなく、夫の主治医に、クロエは微笑ましく笑みを浮かべた。
「なんだよ」
なんとなく気まずいタリーである。
ふふっと笑ったあとクロエが言った。
「いい治癒師様に恵まれたなと思ってね。旦那の病気を診てもらうだけじゃなくて、掃除や料理まで。ありがたいことだね」
「……そういう言い方すると、フィオナが無償でしてくれてるみたいじゃないか。これは俺の護衛への対価なんだから感謝しすぎる必要はないぞ」
じろりとフィオナを睨むが、当人はどこ吹く風で、ちらりとタリーの混ぜているボールの中身を見た。
「タリー。そのくらいでいいわ。油を注いでいくから混ぜ続けてね」
数回に分けてフィオナが油を注ぐと、黄白色のクリームができあがった。
「これだけでも美味しいんだけど、ドレッシングにしたいから……」
フィオナはできあがったクリームの1/3を他の器に移して削ったチーズとレモン汁、すりおろしたにんにくを混ぜて、塩こしょうで味を調えた。
「野菜にかけて、できあがり」
「こっちの余ったクリームはどうするんだ?」
「他の野菜につけて食べてもおいしいよ。人参でもレタスでもきゅうりでも。私はきゅうりが一番好きかな」
「なるほど」
タリーはいそいそときゅうりを切り、クリームにつけてパクリと一口。
「うまっ! なんだこれ?」
「え、母さんにも!」
クロエも同じようにきゅうりにクリームを付けてパクリと一口。頬に手をあて、ふにゃりと顔が緩んだ。
「おいしい! またタリーに作ってもらわないと!」
「あぁ、これならどれだけでも作ってやるよ!」
「あの、生卵を使っているので、当日中に食べてくださいね。お腹をこわすといけないので」
食卓にはピーマンの肉詰め、シーザーサラダが並んだ。フィオナが食卓の寂しさを感じていると、さくっとクロエがスープを作ってくれた。ごろごろと野菜が入ったスープだ。野菜中心の健康的な食卓だ。
「これも」と言いながら、人参とレタスをスティック状にしたものと、レタス。それと今日中に食べる必要のあるクリームが並ぶ。
食卓に色が増えたところでアダンが帰ってきた。
「おやおや、ずいぶん豪勢だね」
「えぇ、これと、これとこれが、治癒師様が作ってくれた郷土料理よ」
「どおりで。見たことのないおかずだ」
タリーの隣にフィオナが座り、その向かいにタリーの両親が座った。フィオナには慣れ親しんだ味だが、他3人にとっては初めての味だ。ドキドキしながら、いただきますをして、タリーとタリーの両親が口に入れるのを見守る。
口に入れた途端、みんなの顔が緩む。聞かなくてもおいしいと体全体で表現していた。
「こんなにおいしいごはんが作れるなんて。治癒師様のご両親もさぞかし自慢でしょうね」
にこにこ笑顔のままクロエが言った。
「はい。このクリームは父が好きでよく作っていて、ピーマンの肉詰めは母がよく作ってくれました」
「きっと自慢の娘だわ。私だって治癒師様みたいな娘がいたら可愛くて仕方ないもの。知識も豊富で頼りにもなるし」
「そうだな。こんな子ならうちにも欲しかったな」
ふわふわとした温かい空気が室内を流れる。部外者のフィオナがいても自然体でいてくれるタリー一家を前に、フィオナも自分の両親を思い出し、心が温かくなっていた。
「そういえば、小さい頃から治癒師の仕事を間近で見てたって言ってたな。フィオナの両親は治癒師だったんだろ?」
「えぇ。母が治癒師で父が薬師だったの」
「だから、調剤もできるんだな」
「うん。それに母国はすごく教育熱心だったの。だから自然と色々なことを学ぶ機会が多くて」
「フィオナは魔法も使えるけど、魔法の学校もあるのか?」
「うん」
「どんなこと習うんだ?」
「んー。私は他の人より魔力が多いらしいの。魔力が多いと体内にため込むことになって。それがあまり体には良くないんだって。食事中になんだけど、ずっと便秘してるみたいな感じらしい。……だから意識して魔力を使うように、から、無意識でも使えるようにって。その訓練」
「例えば?」
タリーが首を傾げ、クロエもアダンも興味津々な顔でフィオナに視線を向けた。視線を受けたフィオナは「例えば」と言いながら、空中に浮いてみせる。
「このまま眠れるようになるまで訓練するの。最初は寝たら魔力の放出が上手くいかなくて落ちちゃうから、ベッドの上で練習してた。でも毎日してたら浮いたまま眠れるように……」
浮いているフィオナの言葉が止まった。タリーが立って顔をのぞき込むと、安らかな寝息が聞こえてきた。どうやら寝てしまったらしい。
「寝てる……」
小声で両親に伝えるタリーに、タリーの両親もくすりと笑う。
「毛布でもかけて上げた方がいいのかしら?」
「風邪でもひかれたら困るし、かけてやろう」
「毛布の重みで落ちたりしないよな?」
「タリー。万が一落ちても支えられるように準備しておいて」
「分かった」
小声で会話しながら、そっとフィオナに毛布をかける。一瞬体が少し下がったが、そのままの位置で落ちてくることはない。
「大丈夫そうだ」
ほっと息を吐いたタリーが両親に言うと、顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
「きっと横になったまま浮いたら眠るって頭にインプットされているのね」
「まさかの人ん家で。危機管理能力どうなってんだ?」
「そんなこと言うもんじゃない。こんな小さい子が毎日一人で頑張ってるんだ。家で肩の力を抜いてくれるのなら嬉しいことじゃないか」
「いや、こいつこれで15歳だから……」
「「15歳???」」
タリーの言葉に両親が顔を見合わせ大きな声を出した。どうやらフィオナの本当の年齢を知らなかったらしい。
「そうだよ、知らなかったのか?」
「えぇ」
「どおりで見た目と中身がかけ離れているわけだ」
両親と会話しながらも、タリーは少しずつ床との距離が縮まっていくフィオナをふわりと抱き留めた。
「そうだよ。本当こいつ悪どいんだから。俺がいつもどれだけ面倒な目に巻き込まれているか」
念のため眠るフィオナの耳に届かないように、タリーはこそこそと文句を言い連ねる。
フィオナを抱き留めたタリーはそのまま床に座り、フィオナの頭を自身の膝の上に乗せた。
「うーん」と唸ったフィオナが顔を動かし、頬に長い黒髪がかかり優しく払った。
「ったく」と言いながら、フィオナの髪を撫でるように梳かす。
「面倒な目に巻き込まれて、助けてあげないとって?」
恐る恐るクロエがタリーに尋ねた。
「はぁぁ? この前の話聞いてただろ? 俺はいつも嫌々、巻き込まれてんの! こいつのせいで貴族なんかと関わる羽目になって……。ったく」
「……まぁ、平民としては貴族とは関わりたくはないな」
「だろ? こいつのせいで」
フィオナが身動ぎして毛布がはだけると、いそいそと手を毛布の中に入れてやるタリー。
「酷い目にあってんの。どうやったら駆り出されずに済むか考えて、親父の薬も部下に取りに行かせたりしたのに。ったく」
さっきまでおいしいおいしいと、ガツガツと食べていたフィオナ手製の食事も控えている。万が一、食べこぼしがフィオナの顔にかかってはいけないという配慮だろう。
アダンは思う。
息子よ。お前、絶対、治癒師様に惚れているだろう?
クロエも思う。
息子よ。あなたのそんな優しい顔。お母さんみたことないわ。
「うーん!!」
ぼやっとした声を発しながら、フィオナは両手を伸ばす。伸ばした右手拳がタリーの顎にヒットした。
「うん?」
うっすらと開いた漆黒の瞳がタリーを捉えた瞬間、大きく見開いた。
「タリー?」
ガバッと起き上がったフィオナの頭が今度もタリーの顎を狙った。
「痛っ!」
「こっちの台詞だ! お前、人ん家でゆったり寝てんじゃねーよ」
怒りを滲ませた声を吐きつつフィオナのこめかみをグリグリと両手で圧迫する。
「痛い痛い! やめて!」
「おい、ここ見てから言えよ」
タリーが顎をしゃくり、その顎をフィオナがのぞき込む。赤くなった顎にそっとフィオナの小さな手が触れた。
「大丈夫?」
「大丈夫に見えるか?」
「ごめんなさい。さっきぶつかったからだよね? うーんと、なんか薬もってたかな」
両親の目からは、低い声で怒っているだろうタリーの顔は、小さな手でなでなでされて嬉しそうに見えた。
「ばぁーか。薬なんかいらねーよ。お前みたいなチビの頭ぶつかったくらいでどうもないわ」
「なら良かった。ごめんね」
タリーとしてはチビ扱いされたフィオナが食ってかかって、言葉の応酬を楽しみたいところだっただろうが、フィオナの引き際は良かった。あっさり終了した。
「クロエさん、アダンさん、すいません。食事中に寝てしまって」
あっさりと話題さえ変えた。不服そうな顔のタリーが会話から取りこぼされた。
「いや、いいんだよ。それだけ寛いでくれたなら、こんな嬉しいことはない」
「そうよ。汚い家だけどいつでも来ていいんだから。なんなら泊まってく?」
クロエの誘い文句にタリーの耳がピクリと動いた。静かにフィオナの返事を待っているのがタリーの両親には手に取るように分かった。
「せっかくですが、さすがにそれはお邪魔ですし」
タリーの視線がフィオナから、母へと移る。
「でももうこんな時間だし。こんな言い方よくないけど、15歳とはいえ、その、見た目は随分かわいらしいじゃない? 心配だわ」
タリーの視線がフィオナに戻る。
「でも、私これでも一人長いんですよ。私の故郷では13歳で自立するんです」
「そうなの? それじゃあ13歳から一人で?」
「はい。こちらに移住してからは1年も経ってませんが」
「そう。お家はどちらなの?」
「市場の近くです。職場が近いと何かと便利なもので」
タリーの目力に突き動かされるようにフィオナを引き留めようとしていたクロエは、すっかりタリーのことを忘れてフィオナとの会話を楽しんでいた。
アダンは息子の甘酸っぱい気持ちを察して、吹き出しそうになるのを堪えながらタリーとフィオナを見比べていた。
父の欲目を差し引いても史上最年少で隊長を務める息子は自慢だ。昔から邪気のない子であったためか、いわゆる悪人はタリーに寄ってはこなかった。故に息子は人を疑うことを知らない。疑う必要がなかったからだ。
そんな息子が悪い奴を退治して、町のみんなを守りたいと傭兵となった。悪人に騙されて捕縛などできないのではないかと心配もしたがどこ吹く風。悪人は悪人と分かるアンテナは備えていたらしい。
体を鍛え、剣の腕を磨き、動物的な直感で次々捕縛し、あれよあれよと隊長にまで上り詰めた。
18となった息子。自身が不調になれば一目散に立派な治癒師を連れ帰ってくれた息子。随分と頼れるようになったものだと思っていたら。
この息子は好きな子相手には憎まれ口を叩くらしい。男友達に囲まれて育った息子の、もしかしたら初めての恋なのか。まるで幼い少年の初恋を見ているようだ。
「……では、せめてお風呂のお湯を準備させてください」
しみじみと息子の成長……いや、停滞……、いや、後退……を感じていると、妻と治癒師の間で泊まりが決定したらしい。
「お風呂の準備ですか……?」
「はい。私水魔法も使えるので、ぜひ」
「水魔法?」
「あ、風魔法と合わせて、その、温風で水を温めるといいますか……ですから、ちゃんとお湯ですよ」
「いや、そういうことを心配してではなく……」
きょとんとした顔で首を傾げるフィオナにアダンは続けた。
「魔法のことはよく分かりませんが、いえ、掃除をおねがいしておいてなんですが、体に負担とかはないものですかな?」
体の負担といったところで、タリーが首がもげそうな勢いでぐりんと首を回してフィオナを見た。心なしか顔色が悪い。
びくっと肩をすくめたフィオナはタリーを見て小さく「なによ……」と呟くも、アダンとの会話を続けた。
「えぇ。ご心配なく。先ほども話しましたように、私は魔力が多すぎて、逆にそのことが体の負担なのです。ですから、魔法は使うほどに体が楽になります」
ほっとタリーの肩が下がった。
「ただ……」とフィオナが言葉を続けると、タリーの肩がまた上がる。
「こちらでは最初から魔法を使っているのでなんですが、その、今更ですが、私が魔法を使えることを、皆様以外の誰かに話されたことは? いえ、口止めをしていなかった私が悪いので、どなたかに話されていても責めるつもりはないのですが。水魔法も使えることはご内密にお願いします」
「もちろんです。これまでも口外はしていませんし、今後もするつもりはありませんよ」
「珍しい才能があると、厄介を引き寄せますからね」
「当たり前だろ。親父の治癒師の身を危険にさらすような情報を他に漏らすとでもおもってんのか」
アダン、クロエ、タリーの言葉を受け、フィオナは一人ずつと視線を合わせていく。ほっと息を吐いた。
「てかよ、フィオナは、魔法以前に、治癒師として貴族に目ぇつけられてっから、珍しい才能ってのはすでにバレてるぞ」
「うーーーー。でも、助ける方法があるのに知らんぷりもできないし、私の故郷の医療機器も自慢したいし」
「自慢だけしてたら、狙われることになると思うけど……」
「だから、ちゃんと惜しまず使ってるでしょう? 正式に依頼があれば、国同士でやりとりしてもらうようにするし」
「それに」とフィオナはタリーを悪戯な笑顔で見つめた。
「私には護衛がいるしね」
「いやいや、これ以上面倒に巻き込むなよ」
「私だって自分から巻き込まれにいってるんじゃないよ? でもさ、もう公爵様に知りあっちゃったんだよ? どうする? 王族とか出てきたら?」
「……お前、怖いこと言うなよ」
「……冗談だよ」
「ははっ。そうだな。王族が平民に助けなんて、な」
「そうだよ、ははっ」
公爵は伝手を利用して王族の治癒師にも診てもらったとは言っていなかっただろうか。それでも余命宣告され、藁をも縋る思いで、身分も明らかでない小娘に頼ったのだ。その話が王族の耳に入っていないとは考えにくい。
王族からすれば、国一番の治癒師を派遣して何の成果も得られなかったはずの公爵が元気に出仕するようになったのだ。理由を聞かないはずはない。
そんな考えが、タリー一家とフィオナの頭に過ったが、皆が皆、知らないふりをして乾いた笑いで、部屋が静まりかえるのを阻止した。
「……ところで、治癒師様?」
「はい?」
「さっき寝ていたとき、ゆっくりだけど、落ちそうになっていたわ。いつもそうなの?」
「そうですね、眠りが浅くなってくると着地といいますか、床に近くなります」
「勢いついて落ちることは?」
「いえ、そういったことはありません」
「そう。それならタリーと同じ部屋でなくても大丈夫ね」
「は?」
「え?」
タリーとフィオナの声が重なった。同じ部屋でなくても大丈夫ということは、同じ部屋で寝かせようとしていたということだろうか。
フィオナとて、いくら見た目が幼くとも精神年齢は15歳。立派なレディーだ。年頃の男性と同じ部屋に押し込められてはたまったものじゃない。
(そりゃ、膝枕してもらって、タリーの大腿二頭筋の魅力は分かったし、上腕二頭筋と腋窩の間に顔を埋めてみたいって欲求がないわけじゃないけど、はしたないよ! 何よりもここは患者の家! 節度をもたないと)
家に泊まり風呂まで入ろうとしているのに節度も何もあったものじゃないが。フィオナの心の声はフィオナだけのもの。誰にも推し量ることはできない。
「いえ、もし急に落ちてくることがあるなら、寝ていてもそういう気配に敏感なタリーなら受け止めることができると思ったの」
「あぁ、そういうことですか。大丈夫ですよ。落ちて体をぶつけることはないので」
そうして、フィオナがお風呂の準備をしにクロエと席を立つ。その後ろ姿を見送るタリーの頬が赤く染まっていることにアダンだけが気付いた。
「タリー。」
「なんだ?」
思い人の後ろ姿を目だけで追いかけていたタリーがハッとしたように父に視線を移した。
「お前、治癒師様に手は出すなよ?」
「……は? はぁぁぁぁ?」
みるみるうちにタリーの顔が赤に染まる。そのうち湯気があがるのではないか。
「とぼけるな。見てれば、お前が治癒師様に懸想していることくらい分かる。だがな、15歳とはいえ、あの見た目だ。手を出すのはやめておけよ?」
「ばっか。そういうんじゃねーよ。あいつ危なっかしいから……そう! 妹みたいな?」
焦りつつ言い訳する息子の目をぐっと父は見つめた。言い訳は許さない。そう視線に込めて。
「手を出すなよ?」
「……そんなこと考えたこともねーよ。ただ、……なんていうか……ほっとけないんだよ」
そう言って自分の部屋に戻った息子を父は呆然と見送り、ボソリと呟いた。
「随分と、かわいい初恋だな……」
アダンとクロエは幼なじみだった。小さい頃から一緒に過ごし、なんの疑問もなく、ただお互いを求めた。アダンが18、母が15。奇しくも今のタリーとフィオナの年の頃だった。だからこそ、した心配だった。女の体を知るからこそ思う。アレは女性の体に負担をかける。いくら精神年齢が実年齢相応といえ、幼い身に耐えられるとは思えない。
だけど。我が息子は随分と純粋は思いでもってフィオナを見ているらしい。父が見る分に、フィオナのタリーへの思いは、良くて頼りになる友人、悪くて使い勝手のいい患者家族だ。今後、我が息子は更に翻弄されることになるだろう。
かつて、まだ幼なじみだっただけの頃。年下とは言え、女は男より早熟だ。妻に翻弄された日々を思い出し、アダンは苦笑をもらすのだった。