表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/28

貴族の愛妾


「お姉ちゃん! この前先帰ったでしょ? 父様が馬車を用意してたのにって言ってたよ?」



 ノアが治癒院に現れたのは、公爵の件から3ヶ月が経った頃だった。



「この前って、もう3か月も前の話じゃない。……お姉ちゃんを巻き込んだのは自分だからって着いてきたわりには、数時間しか一緒にいなかったじゃない。……なんか、随分と健康になったわね」



 「へへっ」とはにかんだノアが言うには、あの一件で伯爵邸でしばらく過ごしたノアは思いのほか伯爵夫人にかわいがられたらしい。義母姉たちも、初めての弟がかわいくて仕方がないようで、あっという間に離れにアバごと招かれたと。今はアバと一緒に伯爵邸の離れで暮らし、何不自由ない生活をしているそうだ。一つだけ不満があるとすれば。



「勉強が難しいんだ。読み書きはできるように父様が道具を置いて行ってくれてたけど、教科書には難しい言葉ばかり出てきて。……でも、僕が立派に父様の後を継げるようにならないと、母様も居心地悪いだろうし……」



 ノアはしっかりと伯爵に取り込まれたらしい。アバが人質になっているとはいえ、今はよくしてもらうばかりで不利益は何もないそうだ。



「おいしいご飯食べられているのね」



 知らん顔でそんなことを言うフィオナだが、何も知らなかったわけではない。アバの薬を伯爵家の使用人が取りに来ていたのだから。二人まとめて健康であることも聞いていたし、これまで支払われなかった薬代。出世払いとしていた代金も伯爵から受け取っていた。滞納した期間分の色を付けられそうになったが、過分な配慮は後々怖いので丁重にお断りした。



「あ、そうそう。ノア、今までと食生活も変わったんじゃない?」

「うん! すごく豪華になったんだ。何品も出てくるんだよ。デザートも!」



 おいしいデザートを思い出したのかノアが破顔する。



「アバの病気は食生活が大きく影響するから、一度診察させてくれない? 良くなってる可能性も悪くなっている可能性もあるから」

「……母様、たくさん食べてるのにどんどん痩せていくんだ。やっぱり、どこか調子が悪いのかな?」

「それは診てみないとなんとも言えないけど……」



 アバが健康に痩せたというのならば、良いことだ。正直、以前会ったときのままでは、病気もよくならない。だが、贅沢な食事に病気が悪化して痩せたのであれば危険だ。



「うーん。そうなら早めに診察したいわね」

「お姉ちゃん、今から一緒に行ってくれる?」

「えぇぇぇぇ」



 アバが心配なことに嘘偽りはない。だけど、もうあの伯爵には会いたくない。頭に血が上って公爵にとんだ捨て台詞を吐いてしまったことは記憶に新しい。今となっては後悔しているが故にもう会いたくはなかったのだ。



「ノアたちは離れに住んでるのよね? 伯爵様方に気付かれずに離れに入ることはできる?」


 フィオナにとってギリギリ妥協点だった。


 ノアは後ろの従者と思われる男の一人に視線を向けた。グレーの髪を後ろにきっちりと撫でつけた真面目そうな男が、人の良さそうな笑顔で頷いた。その笑顔を受けて、ノアの顔がぱあぁぁと花開く。



「大丈夫だって!」


 診察道具を鞄に詰めたフィオナは、今日は仕事でいないタリーに心細さを感じながらも、ノアに引っ張られ馬車に乗り込んだ。



 ノアができたばかりの姉たちのことを楽しそうに話す。



「一番上の姉様は、僕を子供扱いして膝に乗せようとするんだ。それを見たカッサンドラ様、あ、父様の奥様なんだけど。カッサンドラ様も面白がって『こっちにもおいで』って。僕がそっぽ向くと『ごめんね』って、見たこともないお菓子を持つんだ」

「……そのお菓子を取りに行ったら、そのまま捕まって結局、膝抱っこされる、とか?」

「そうなんだよ! お菓子もってれば僕が来るみたいに言って!」

「……違うの?」

「……違わない!!」



 ノアがぷいっと顔を背ける。伯爵夫人や義母姉にマスコット的にかわいがられているようだ。思い出しぷんぷんしていたノアは、屋敷の前ほどでハッとして馬車を止めるように言った。



「正面から入るとお姉ちゃんのこと隠せないから、そーっと行こう?」



 ノアに案内されるがまま、裏に回り、木や建物に身を隠しながら離れに近付いていく。フィオナが後ろを振り返れば、微笑ましそうな顔をしたノアの護衛と思われる二人も同じように動く。



「ここだよ」



 ほぼ空気だけの声でノアが離れのドアを開ける。そこにするりとフィオナが体を滑りこませた。



 入ったとたん、メイドとぶつかりそうになった。フィオナが慌てて体を外側に引く。



「申し訳ございません、おけがは?」

「いえ、私は。そちらは大丈夫でしょうか?」

「なんともございません。……それで……」



 メイドが急に現れたフィオナを見た後、その後ろのノアに視線を向けた。


「治癒師のお姉ちゃんだよ。母様を診てもらうんだ」

「まぁ。ではこちらが噂の?」


(……ちょっと待って。誰がどんな噂をしていたというのか)



 身に覚えありまくりのフィオナは額からうっすら汗を垂らしながらメイドを見る。


「あの、噂というのは……」

「ちっこいお姉ちゃんがすごいって!」



 質問に答えたのはノアだった。気まずそうに視線を逸らしたメイドに何かを感じ取ったフィオナは、メイドを壁に追い詰める。



「どういった噂でしょうか?」


 頭二つ分の身長差があるため、フィオナはほぼ直角に顔を上げる。見た目8歳の少女の壁ドンに挟まれたところで、力尽くで簡単にすり抜けることができるが、相手は次期伯爵のご友人だ。そんな失礼なこともできない。



「……砂糖菓子のように甘い雰囲気の美幼女が、言葉の刃と物理の針で場を騒然とさせた、と」



 視線を逸らしながらメイドが告げた。フィオナはほっと一息つく。



「なんだ。そんなこと。良かった」

「……よろしいのですか?」

「えぇ。砂糖菓子のようにの件はよく分からないけど、病気を理解してもらうためには、あえて辛辣な言葉を選ぶこともあるし、採血にしろ点滴にしろ、治療に針はかかせないもの。その言葉はだいたい事実よ。噂でもなんでもない」



 自身が思い描いていた「噂」ではなかったことに一安心だ。公爵の治療から完全に手を引いている今、不敬を問われること。それが今のフィオナの一番の懸念だ。だから、公爵と繋がりのあるこの伯爵邸からは一秒でも早く逃げたい。



「さぁ、ノア。アバの部屋はどこ?」

「今だったら、読書してると思うから書斎かな」



 なんと愛妾として迎え入れられたアバは、使用人が何人も付けられて、家事や炊事をする必要がなくなった。今は、趣味としての読書に夢中だそうだ。例え、刺繍であろうと、しばらくは裁縫などしたくないという。



(そう言えば、アバが太って、病気特有の臭いがでるようになって伯爵の通いが減り、住み込みの使用人は引き上げられたと聞いていたけど。もともと、愛妾としての生活を送れる人なのね)



 平民でも成り上がりや玉の輿を夢見る者はいるが、多くは幼少の頃から家業の戦力として育てられるため、働くことが身についている者が多い。たまの休みは楽しめるけど、何に充てるでもない、いつ終わるか分からないその時間を体も使わずに過ごせる平民はあまりいない。働いていないと落ち着かない体に環境が育てるのだ。



 ノアに案内されて書斎に入ると、そこには、若草色のワンピースに身を包んだ美しい女性がいた。赤髪に茶色の瞳。彼女の色だけを見るとアバに違いないが、実にほっそりとした体をしていて、とてもフィオナの知るアバと同一人物とは思えない。



 伏せられた赤いまつげがゆっくりと上げられる。フィオナと目が合った彼女は、優雅ににっこりと笑顔を作ると、上品な物腰で本を閉じてフィオナの下に歩いてきた。



「治癒師様、ごきげんよう。お久しぶりでございますね」

「え、えぇ」



 最近は病状が落ち着いていたため、薬のやりとりだけになっていた。



「随分と、お痩せになられたようですけど、無理はしていらっしゃいませんか? 見たところ顔色も良いですし、大丈夫そうではありますが……」



 まずは、この体型の違いについて問診しなければならない。ここまで体型が変わって血液の値に変化がないわけがない。もしかしたら、今渡している薬の効果が強すぎる可能性さえある。



「おわかりになります? こちらの離れにお招きいただいてから、ノアに恥ずかしい思いをさせてはいけないと奮起しましたの。夫人も息女様方も本当にお美しいのですもの」



 痩せたのは自己流ではなく、伯爵邸の料理人に依頼し、野菜中心の生活にしてもらったそうだ。伯爵の通いがなくなり、半ば自棄になって食べまくっていたため、食事量を適正にするだけで、するすると減量できたという。


「それにしても、治癒師様にはご迷惑をおかけしました。その、伯爵様のご友人の診察に駆り出されたとか」



 アバが言うには、久しぶりにアバの家に訪れた伯爵がアバの変化に気付いてどうしたのか問うたところ、フィオナの話になったらしい。



「伯爵様が、その、わたくし……。自分では気付かなかったのですけど、変わった匂いを出していたとか。わたくしからその匂いがなくなり、体調も良さそうになっているため、薬を分けてもらえないかと言われまして……」



 アバの体調の回復に合わせて薬の効果を低いものに変えて行っていた。アバは当時不要になっていた薬を伯爵に渡した。奇しくもその薬はアバを最初の診察で処方した薬。効果の高いものだ。伯爵は公爵と愛妾の出す匂いに同じ物を感じ、病気によるものだと考えた。


 アバが回復に向かった薬であれば、公爵も同等の効果が得られるのではないか。――それが、ノアの生活を人質にフィオナが巻き込まれた原因だった。



「まぁ、その、伯爵様のご依頼を断ることができるのは、それ以上の身分の貴い方々だけでしょう。どうか、お気になさらず」


 フィオナは頑張って取り繕った言葉を話したが、同時に口角がひくつくのも感じていた。


「さ、本日は診察に伺いました。ノアからアバが大層痩せたと聞いたので、血液検査をさせていただきたく。あ、もうアバ様ですね。失礼しました」

「あら、現状このような生活をさせていただいてますが、私の立場など吹けば飛ぶようなもの。それ以前に身分は平民です。どうぞアバと」


「では、遠慮なく、アバ。血を採らせてくださいね」


 フィオナは手際よく採血した血液を検査していく。



「やはり今の薬では効果が高すぎるようです。しかし、今の薬がこの病気に対する必要最小限の薬の投与量なのです」

「えぇと、つまり?」

「薬をやめてみてはいかがでしょうか? そうですね、試薬を置いていきますので、自身で血液検査をしていただくとして、レッドゾーンに入ったら私を呼んでいただけたら。レッドーゾーンに入らない限りは、2ヶ月後の血液検査での評価にしましょう」



 フィオナとしては、アバの回復は渡りに船だった。もう貴族には関わりたくない。一番良いのはこのタイミングでアバとの関係が切れること。ノアはかわいいので、ノアとの関係が絶たれることは寂しくかんじるが、それでも怒れば相手が誰でも文句が口をついて出てしまう自分に、貴族関連の仕事は無理だ。貴族と関わるに反比例して自身の寿命が短くなるのが手に取るように分かる。



「以前の環境下では選ぶ余裕もなく、私くらいしか治癒師がいなかったかもしれませんが、今は違うでしょう? 伯爵家の専属の治癒師がいれば、その方に引き継ぎを……あぁ、そうだったわ」



 もう一つの問題にぶつかりフィオナが頭を抱える。公爵の治療をしていたあの時。他の治癒師を見る限り……。



「どうかしましたの?」



 アバが不安そうに瞳を揺らす。


「いえ。その、私はこの国の出自ではありませんので」

「そうでしょうね」



 アバのバッサリとした口ぶりに、フィオナは自分の見た目がこの国に馴染まないことを思い知る。この国の人はカラフルな色を持っている。それに対し、フィオナは黒と白だけだ。唇と頬にほんのり桜色が付いているくらいだろうか。



「私の国も、見た目はこちらのようにカラフルな方が多いのですよ。ただ、私の故郷にこの色が多いのです。元は渡来人の村だったのかも知れません。……それはそれとして。私の母国とこちらの国では、医療に使う器具や機械が違うようでして……」



 まさか、こっちの国は医療の発達が遅いから、こっちの治癒師に引き継ぎができるか分からないとは言えない。



「あの、その、不躾な申し出かも知れませんが、もし治癒師様の門外不出というわけではないのなら、こちらの治癒師様にその器具や機械をお譲りいただくわけには……その、本当に図々しいお願いとは思いますが」



 アバにしてみれば、今回復していても、また再発するかもしれないのに、外国の娘しか頼れないのでは心許ないのだろう。アバから見たフィオナは出稼ぎに来た幼女なのだ。いつ母国に帰られるとも知れない。



「門外不出ほど厳重ではございませんが、この器具と機械を取り上げられると私の術がなくなってしまいます。こちらの国の器具より少し早く結果が出るだけで、同じ結果を得られる検査法はこちらにもありますので、ご容赦いただきたく存じます。……そうだわ。二ヶ月後の結果まで私が担当させていただいて、それで問題なければ、こちらの治癒師に処方箋を預けていきますね」



 処方箋はいわゆる薬のレシピだ。数値ごとにどの処方箋を参考にすればよいか分かるようにしておけば、アバを見捨てたことにはならないだろう。



 一刻も早く、貴族と縁切りをしたくて焦ってしまったが、無難な落とし所となった。フィオナは、朝起きたあと何も口にしない状態での検査を依頼する。試薬の使い方や血液の採取方法はメイドとノアにも一緒に聞いてもらった。



 こうして、こそこそと伯爵邸への往診を終えたのであった。



「これが最初で最後だったらよかったのにね……」


 治療院のカウンターで一人、ため息と共に泣き言が漏れるフィオナだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ