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お金は大事なんです


「待てや、こるぁー!!」



 美少女とは思えない巻き舌、ドスの効いた声がタリーの背後から聞こえる。その距離の近さに思わず耳を塞ぎたくなるが、あいにくとタリーの両手はフィオナの体を支えるのに埋まっている。



 説明しよう。追いかけられるは、完治しているにも関わらず、治療費を踏み倒すべく逃げ続ける元患者。追いかけるは、治癒師―――フィオナと、現患者家族のタリーである。タリーはフィオナを背負いながらも、元患者を追いかけて全速力で走り続けなければならない。



 このアルバイト、時間は無制限。対象を捕まえ治療費を回収したときが終了だ。



 「走りながら叫ぶのはしんどいと思うから私が声出す人。タリーは走る人ね」と、フィオナがタリーにアルバイトを持ちかけてきたのはつい先日。タリーが父の追加の薬をもらいにいったときである。



「一週間分の薬と引き換えよ。どう? タリーは無料で薬が手に入るし、場合によっては数十分で片が付くかもしれない。それに、タリーは傭兵でしょ? 私を背負うことで負荷がかかるから、有酸素運動と、無酸素運動が一度にできる」



 「……かもしれない」と、フィオナがこっそりひっそり、タリーの耳に届かない程度の声で呟く。真面目な顔で交渉を持ちかけている、その実、フィオナは腹の中で舌を出している。



 対するタリーは、顎に手をあて、うーんと考え込む。傭兵といってもタリーの所属は地域であり、自分の住まう町を取り締まり、不審者がいれば捕らえるといった、いわば自警団のような役割だ。そのため、国を背負って他国に攻め入るような傭兵と違い、賃金はそれほど高くはない。それに、怪我により、働けなくなる期間ができる可能性は常につきまとう。必要経費は、例え父の治療費とはいえ、安ければ安いほどありがたい。



 なにより、フィオナの提示する治療費が妥当であることは既に調査済みだった。その調査の中で知ったことだが、治癒師や薬師は、もちろん治療への対価を得る。その対価の計上が、皆一律である所もあれば、職業に応じて幾分増減するところもあるそうだ。


 例えば、この町は農業を営む平民が一番多い。次に市場への卸売り業、店主、冒険者、傭兵と続く。ここ最近、フィオナとは薬のやりとりしかしていないため、タリーにとってのフィオナは薬師でしかないのだが、薬師にしろ治癒師にしろ、その数は圧倒的に少ない。



 この町で薬屋、いや、治癒院が開かれるのは珍しく、フィオナの治癒院で2件目である。



 治療費の計上について話を戻す。患者の独占を防ぐためか、フィオナの治癒院も、ほかの治癒院も、職業によっての上乗せ計算法をとっている。もう一件の治癒院は富裕層を対象に健康診断や往診を中心に行っているため、平民には敷居が高い。結局は富裕層以外の平民はフィオナの治癒院に世話になるしかない。



 治療費が妥当でなかったとしても、タリーが利用できるのはフィオナの治癒院しかなかったということだ。



 故に長いお付き合いとなりそうなフィオナとの間に軋轢なんてもってのほか。父の事も家計の事も考えた結果、フィオナの怪しい微笑に頷くしかなかったのだ。






「まだ本調子じゃないんですー!!」

「うそつけ、こるぁぁぁ! 博打に金使ってんの知ってんだぞ!」



 これが元患者と治癒師の会話なのだから世も末だとタリーは思う。


 普段から体を動かしている傭兵であるタリー。対する相手は完治したとはいえ元患者。タリーが追いつくのにさほど時間はかからなかった。まぁ、元患者を見つけるまでには幾分時間を労したが。



 爽やかな顔、額に滴る汗は二,三滴程度のタリーが、両膝を両手でおさえゼーゼー呼吸を整える元患者の肩をつかむ。びくっと肩を震わせて元患者が振り向けば、私情の色のないタリーの顔と、その背中からぴょんと飛び降りた小柄な青筋立てた少女。口の悪い美少女、フィオナだ。




「さ、1298メリー支払ってちょうだい」



 もじもじと後退さろうとする元患者の後ろ、フィオナに目で合図されたタリーが回り込む。元患者の背中にタリーの鍛えられた肉体がぶつかる。逃げられないことを知った元患者。冷や汗をたらしながらも、「……先立つものが」と、ネバーギブアップで踏み倒そうとする。



 「そう」と俯いたフィオナの態度に、一瞬気を緩めた元患者だが、もう一度あげたフィオナの表情に、息をのむ。



(こえぇー。子供のする顔かよ。……いや、十五歳だったか)



「知ってるのよ? 昨日の博打で1500メリー勝ったって」

「いや、でも、治療費を取られたら生活が……」

「あのね、本当は利息をつけてもいいのよ? 私は完治するまで無利息で待った。あなたは完治した。それなのにお金を払わない方が問題よ? 私が訴えればあなたは捕まることもありうる。訴えて欲しいの?」



 真っ青になった元患者はひれ伏すように頭を地面につけ、請求どおりの治療費をおいて走って逃げていった。



「怖っ」



 逃げ去る元患者を目だけで追いかけたタリーの心の声が口からこぼれると、フィオナにじろりと睨まれた。



「何か勘違いしているようだけど」



 そう言ったフィオナがため息を吐く。



「あの人が私にお金を払わなかったら、私はあの人を二度と診ない。……血も涙もないって思う? 治癒師のくせに、って」



 向けられる目は八歳ほどの幼いものだ。だけどその目は探るような、タリーの心の真実を見極めようとする真剣な色しか浮かんでない。



(嘘やごまかしはきかないな……)



「……あぁ。治療しないと死ぬかもしれない人が目の前にいて、治せる可能性のある治癒師がいる。その場で治療をしない選択肢があるとは、俺の常識からは考えられない」



「なるほど」

 納得したようにフィオナが頷いた。



「タリーは傭兵だから。正しい行いに、困っている人を助ける事に賃金が発生する職業だから、そう思うのね。……私は違うの。ちゃんと患者から請求しないと賃金なんか得られない。どんな人相手にも、払えない額を請求したことは誓って、ただの一度もない。治療費を回収できないことは治癒院の破滅を意味するの」



 そこまで聞いてタリーはハッとする。



(そうだ。俺の仕事は弱者を助けることだし、賃金は月給制だ。助けたからと言って弱者からお金を得る必要がないから、フィオナの考えが分からなかった)



「薬草はタダじゃないわ。自分で育てられるものもあれば、森に取りに行かないと手に入らないものもある。稀少で高額での売買しかしていないものもね。自分で育てられるにしても初期費用がかかるし、肥料代に除草薬代。害虫の忌避剤。森に取りに行く時には、山賊に襲われる可能性も獣に襲われる可能性もあるから護衛代がかかるわ。冒険者に依頼するにしてもお金がかかる。……お金がないと人を助けることは難しいの」



 フィオナの沈んだ表情に、タリーは悟る。



(彼女は望んで、こんな悪徳業者のような取り立てをしているんじゃない。次の患者のためにやむなくしてるんだ……)



 横目でちらりとタリーを盗み見たフィオナは、彼の思い悩む表情から、自分が誘導したとおりの事情をタリーに植え付けることができたと、ほくそ笑む。



 フィオナの言ったことは全て事実だ。事実だが、それは一般的な治癒師に限ってのこと。魔法が使えるフィオナは話したほどは、お金がかからない。つまり、話したことのいくつかは、ちょっと大げさになっている。



 稀少な薬草は高い。それは嘘ではない。実際にフィオナは、いつも悔し涙と嬉し涙がない交ぜになった顔で高額薬草を競り落としている。しかし、肥料代はかかるが除草は風魔法を操って一斉に可能であるし、害虫も同様だ。森での薬草採取については、山賊に対しては空を飛べば逃げ切れるけれど、空飛ぶ獣に追いかけられたら戦闘力のないフィオナは負けてしまうだろう。


 だからといって、ギルドに依頼すれば必要量の薬草が手元にこない。薬草採取は低ランクの冒険者が担うが、低ランクというだけあって、何においても初心者だ。薬草の目利きも微妙なら、根や葉の処理も甘くて使い物にならないものが多い。そう言ったものは当然ギルドで選別される。



 冒険者の帰りを待つ時間に薬草の採取量が見合わないのだ。フィオナにしてみれば時間の無駄以外の何物でもない。



 フィオナの思惑通りに思考を誘導されたタリーが、彼女の立場になって熟考し表情をコロコロ変える。




 にんまりとフィオナの表情が歪んだことに気付いたタリーは、元患者よろしく自分も逃げようとするが、今日の対価として与えられるはずの父の薬をまだ手にしていない。断腸の思いでフィオナの傍に踏みとどまった。怖いけど。




「ねぇ、タリーは傭兵だから強いよね? 薬草採取に森での護衛をしてくれない?」



 確かにタリーは強い。実は傭兵団の隊長だったりする。「隊長って強く勇ましく、男の中の男! って感じなのに根がまっすぐで純粋で、付いていきたい! とも、お守りせねば! とも思わせる魅力のつまった人だ」と部下からは思われている。人が好過ぎて私事での悪意に鈍感なのだ。



 そのタリーの気質に気づかないフィオナではない。治療費を最小限便宜して、最大限タリーを利用するつもりである。



 では、さきほど追いかけていた元患者。あの金の払わない患者に文字通り体で払わせればよかったではないかと思う者もいるかもしれない。しかし、なかなかどうして、フィオナにも好みというものがある。



 第一に、フィオナは筋肉が大好物だ。服の上からもはっきりと鍛えられていることが分かるタリーの体は、一度ひんむいて一定時間観察し続けたいものである。



 第二に、顔。顔だ。男らしく角ばった骨格にきれいに収まる目や鼻、口。切れ長の緑の目は色彩が濃く、意志の強さを思わせる。その一見冷たそうに見える目が笑うと、くしゃっと少年のようになるのもフィオナのお気に入りだ。硬そうな茶髪もおんぶしてもらうときに触ってみると意外とふんわり柔らかい。そのギャップにも背負われながら人知れずキュンとしていたのだ。




 第三に、なによりも彼の魅力は性格にあるだろう。部下が讃える強く勇ましく男の男! の部分をフィオナが知る機会はまだないが、父を思って走ってやってきたあの真剣な表情。父のために自分の苦労を厭わない清廉さ。なんだかんだで、フィオナに振り回されてくれる心根の優しさ。



 13で国を出されてから、フィオナを守る者はいなくなった。唯一自分が食べていくために職業としてできるのは、幼き日に両親から教わった治癒術に薬学。



 父はフィオナにありったけの自身の知識と技術を詰め込んだ。母も13年しか一緒にいられない娘を思うと、ただ甘やかしてやりたい気持ちもあったが、娘の今後を思い、治癒術をたたき込んだ。


 いつか一人となる娘が少しでも楽に暮らせるように。



 だけど、幼い少女に世の中はそれほど優しくはない。侮られ、搾取され、軽んじられ、時には罵倒され。



 齢八つほどにしか見えないフィオナであるが、たしかに、十五年の、いや普通の十五歳以上の経験が彼女の心を大人にも子供にもした。



 フィオナは、タリーの前でだけ子供になる。それはおぶってもらったり、自分の都合で振り回したり。子供が親を、あるいは兄姉に求めるように。




 にぱっとあどけない笑顔を浮かべたフィオナが言った。





「タリーって私の理想のお兄ちゃんかもしれない」

「……俺はお前の兄ちゃんだ。俺の母さんはフィオナの母で、親父は父だ……」



 タリーは思い切って次の言葉を発そうと一度息を吸う。何を言われるか分かってはいるが、面白いから、とりあえずタリーの言葉を待つフィオナ。



 面白がっているだけとは知らないタリーは、にこにことしたフィオナの笑顔に勇気をもらって口にする。



「家族間でお金のやり取りが発生するのは……」

「うん? それとこれとは違うよね? ていうか聞いてた? 治癒院を続けるのにお金がかかるんだよって(くだり)



 フィオナのあどけない笑顔に一瞬目を奪われたタリーは、そんな自分に少しの違和感をもっていたが、フィオナの言葉に霧散した。



「……はい、すいませんでした」



 タリーはフィオナには頭が上がらないのである。




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