ご挨拶
いくつかの雲を抜けたところで、空いっぱいに広がる雲が目に入った。
「見えてきた。あそこがカミーシア帝国」
ポフンと雲を抜けるとそこには、人のよさそうな男性と、フィオナそっくりの女性がいた。
タリーの目には視界いっぱいに広がる雲はどこを見ても同じように見えるが、ここだけが人が通り抜けられるようになっているらしい。いわばカミーシア帝国の玄関のようなもの。そこで出迎えてくれたのが。
「フィオナ。元気だったかい?」
「うん! 父様。ただいま!」
フィオナの父―――イップにフィオナが嬉しそうに抱きつく。ぎゅっと抱きしめ返すイップ。
「フィオナお帰りなさい。ほら、まずはお連れの方々を紹介してちょうだい」
「はい、母様」
フィオナはまず、将来の伴侶、タリーに視線を向けそっと背中に触れた。
「こちらが……その、タリー……って言って、私の……その……」
「初めまして、フィオナのお母様ですね。俺、フィオナのお母様にお会いできたら絶対に言いたいことがあったんです!」
タリーはフィオナに良く似た顔貌のフィオナの母、ローズマリーの前に一歩足を出した。その勢いにローズマリーは一歩後退る。
「何かしら?」
「フィオナを産んでくれてありがとうございます! おかげでフィオナと出会うことができました!」
ローズマリーを見つめるタリーの真っ直ぐな目に一つも濁りはない。我が娘をこんなに愛してくれているのだと、タリーの勢いに一瞬抱いた警戒心は霧散する。
「あらあら、私に感謝してくれるくらいフィオナを想ってくれているのね」
嬉しそうに笑みを広げるローズマリーにフィオナの未来が見え、またタリーはフィオナとの未来が楽しみになる。
「私はローズマリー。こっちは夫、フィオナの父親のイップよ」
「! すいません。俺、とにかくお礼が言いたくて、自己紹介を後回しに……」
「いいのよ。その気持ちも伝わったから。ありがとう。タリー君」
「どうぞ、タリーと」
「あらそう、では私のことも気軽にお義母さんと呼んでね」
「私のことは義父さんと」
ローズマリーに寄り添うように立つイップが柔和な笑みを浮かべた。そして視線をタリーからタリーの両親に移す。
「タリーのご両親ですね? 今日は随分と遠いところにお越し頂きありがとうございます」
「いえいえ、こんな素敵な場所にお招き頂いて嬉しい限りです。私はタリーの父、アダンと申します。こっちは妻のクロエです」
「よろしくお願いいたします」
「ではこちらに」とローズマリーの手招きで神殿に案内された。今はフィオナとローズマリーの風魔法でタリー一家の重力を空仕様にしているが、これは大変な魔力を使うため、二人でしても数十分が限度だ。
神殿に入ると祈るために設けられた長椅子が列を作り、その先には女神像が立っていた。その女神像の奥に扉があり、そこを抜けると魔方陣のある部屋に出た。その魔方陣の上に乗るように促され、タリー一家はその上に立つ。シュンと一瞬黄色い光がタリー一家を包んだ。
「さ、これで大丈夫です」
次に招かれたのはフィオナの生家。藁葺きの屋根に部屋がいくつあるかも分からない大きな一軒家だった。1階の一部は治癒院、薬屋として使っていて、キッチンや風呂、トイレ、大広間があった。2階は私室として使っているそうで、フィオナの両親それぞれの私室に二人の寝室、フィオナの部屋と、いくつかの客間がある。
「俺、フィオナの部屋見てみたい」
はぁとフィオナはため息をつく。言うと思ったのだ。だけど、たぶん、タリーが想像する女の子の部屋ではない。
「いいけど、期待に応えられないと思うよ?」
「期待? なにそれ?」
フィオナが何を言っているか分からないとばかりにタリーは首を傾げる。
「じゃあ、フィオナはタリーを部屋に案内してあげなさい。アダンさんとクロエさんはこちらで一緒にお茶はいかがですか?」
そう言ってローズマリーが指し示した場所は庭だった。青々とした木々に、色鮮やかな花々。その横には木々や花よりも広範囲に草が植えられていた。
庭といえば木々や花々といったイメージのクロエはなぜ草が植わえられているのか分からず戸惑う。アダンが「あぁ」と納得したように呟いた。
「もしかして、あちらの区画に植えられているのは薬草ですかな?」
「えぇ、そうです。私は薬師をしておりますので、庭に薬草園があると助かるのですよ」
「イップったらこう言って、どんどん私の色鮮やかな庭の区画を縮小して。本当に庭園というより薬草園なんです」
少し納得がいかなそうにイップの不満を吐露するローズマリーは、おそらくクロエよりは年下だろう。なんだかかわいらしく感じる。
「まぁまぁ、薬草園も素敵じゃありませんか。青々として綺麗なだけでなく、人の治療もできてしまうのですから」
「まぁ、そうなのですけどね……」
自分への不満を吐露するローズマリーを見つめるイップの目が優しく慈愛に満ちている。アダンとクロエも仲の良い夫婦であるが、すでに恋は愛に変わり穏やかに温かい毎日をすごしている。キラキラとした、まだ恋人同士のような二人が眩しい。
薬草園の中には屋根付きの茶室があり、木のテーブルの上にお菓子が並ぶ。見慣れない肌色の衣のお菓子は最中というらしい。イップが正座して、茶器に抹茶とお湯を入れ、お茶をたてる。
「お口にあえば良いのですが」
「このようなお茶は初めてです」
「この最中は甘いので、一緒に食されたらよいかと」
「「いただきます」」
先に抹茶を口に含む。味わったことのない苦味に思わず眉を寄せるが、次に最中を食べれば、口の中の苦みに餡子の甘みが混ざり合い、これがまたよく合った。
「おいしい……」
「えぇ。この抹茶というお茶は初めてでしたのでその苦味に驚きましたが、この最中との相性が抜群ですな」
「えぇ、私もこの組み合わせが大好きなんです」
「気に入ってもらえて良かった」
ひとしきり、おもてなしへの感謝を伝えたところで、アダンとクロエは姿勢を正した。その様子にローズマリーとイップも姿勢を直す。
「このたびは、お嬢様に息子を救っていただき……その代わりに、フィオナさんが重傷を負ったと息子より聞いております」
「本当に感謝しております。そのうえ、嫁にまで来て頂けるなど。感謝の念に堪えません」
アダンとクロエが深々と頭を下げる。その姿にイップとローズマリーは顔を見合わせ、若き頃の自身らを思い出し微笑み合う。
「お気になさらないでください。私たち一族は、そのような運命にあるのです」
ローズマリーとイップにも、フィオナとタリーのような物語があるという。恥ずかしそうに顔を背けるローズマリーに嬉しそうに思い出を語るイップ。
「聞けば、治癒魔法は誰にでも使えるものではないと言うじゃないですか。当時の私は……ははは」
イップは話していくうちに、年甲斐もなく妻ののろけ話にさしかかりそうになっていることに気づいて笑って誤魔化す。
誰にでも物語は存在する。それはアダンとクロエにも言えることだ。しかし、目の前で自分の身代わりに。それも、過去フィオナの先祖の中には、運命の相手の痛みを受けて亡くなった者もいるという。文字通り、命を賭けた恋だ。その様を目の前で見せられ、それが自分も愛している女性であったとしたら……。この目の前の二人が、いつまでも恋人同士のようにときめきあっているのは当然のように思えた。
「……なんといいますか、私の一族の性といいますか。ですから、どうかお気になさらず。娘もタリーに出会えてとても幸せそうですもの」
自分たちののろけ話をなかったことにしようと、イップとローズマリーは恥ずかしそうに笑んだ。
「母様―! あ、父様お抹茶たててたの? 私とタリーにもちょうだい!」
「あぁ、分かったよ。そこにお座り」
クロエとアダン、ローズマリーとイップは向かい合って座っていた。フィオナとタリーは互いの親の横に座る。
「はい、どうぞ」
「「いただきます!」」
タリーも抹茶一口目は眉を寄せていたが、最中と合わせることで幸せそうに破顔した。
「雲の上の国ってどんなところか想像もできませんでしたが、不思議なところですね」
口の中の甘みに満足そうに笑みながらタリーは帝国に来た感想を言う。
「どんなところが不思議だったの?」
「馬車のように雲を使っているところとか。雲の上なのに土があることとか。あぁ、馬はいないのに豚はいるんだな。それも不思議だ」
「貴重なタンパク源だからね。昔に地上で狩ってきて、それ以降は養豚してんだよ」
「え? でも鳥はいるじゃないか」
「え? タリーは会話できる相手を食べることができるの?」
「「「え?」」」
「え?」
フィオナの言葉をそのまま受け入れると、フィオナは鳥と会話できるということだ。この様子からいって、フィオナだけでなく、ローズマリーもイップも鳥と会話ができると考えて間違いないだろう。
この国の鳥は喋れるのかと思えば、そうではなく、なんとなく頭に鳥の声が響いてくるという。
「じゃあフィオナはサンクカルデマの動物とも喋れたのか?」
「そういえば喋れなかったね。この国の豚とも喋れないし、もしかしたら帝国出身じゃないと通じ合えないのかも」
タリーの純粋な疑問にフィオナが自身の見解を話す。フィオナもタリーも互いの国をよく知らないため推測しかできず、首を傾げあう。
「地上の人は動物とは話せないのが普通なんですって。だから、地上の人たちからみると、鳥と話す私たちの方が異端なのかもね」
「あぁ、私も地上に降りていたとき、馬に話しかけて返事をもらえなかったのは戸惑ったよ。それが普通だってね。そういう互いの普通の違いにはなかなか気付かないもんだね」
ローズマリーが話せばイップも同意するように自分の経験を語る。帝国人は鳥と話せるが、豚とは話せない。地上では、どの動物とも話せなかった。
「確かに会話できてしまうと食べようなんて思えないね」
「食べるってことは殺すってことだからな」
クロエが帝国人に共感をみせ、アダンがそれに続く。「殺す」というパワーワードに場に沈黙が訪れる。
「タリー! フィオナさんのお部屋はどうだった?」
場の空気を取り戻そうとクロエが話題を変えた。
「あ、あぁ。なんか本がいっぱいあって、薬草の標本が壁にたくさん並んでた」
「どうせ、タリーは女の子らしい部屋を想像してたんでしょ!」
「ふんっ」とフィオナが拗ねるが、タリーはなぜフィオナが拗ねているのか分からない。不思議そうにフィオナを見る。
「なに怒ってんだ?」
「だって、私の部屋、全然女の子らしくないから、タリーがっかりしたんでしょ! どうせ、私は小さいときから、治癒と薬草にしか興味なかったよ! でも、それは、母様と父様が大好きだったからで……」
「……なにを言い訳してんのか知らないけど、俺が思ったとおりのフィオナの部屋だったよ。ちっこいときから頑張ってたんだな」
そう言って、タリーはフィオナの頭を撫でる。
フィオナは気付いていないが、タリーがフィオナを否定することは絶対にない。タリーはフィオナがどんな人間であっても受け入れることができるくらいフィオナを愛しているし、フィオナの新しい一面なんて、知れたら嬉しいだけだ。
これまでフィオナはタリーにあるがままの自分を見せてきた。タリーが居心地のいい存在だったから自然とそうなったわけだが。それでも、命を賭けられるほど大好きなタリーだからこそ、嫌われてしまったらどうしようと不安がつきまとう。
つまり、大好きで愛しあっているからこその不安であり自信だった。
自分の色気のない部屋をみて、タリーに思っていたのとは違うと嫌われたのではないかと不安になったフィオナだが、タリーの言葉にほっと安心して、タリーに頭を撫でられながら目を閉じる。ポスンとタリーの胸に頭をつけた。
「母さんや」
「なぁに、父さんや」
「私らは何を見せられてるんだろうね」
「そのうち孫もみせてくれますよ。こんなに仲のいい二人なんですから」
「あらあら、タリーってば随分とフィオナにご執心のようね。見ていて恥ずかしいくらいだわ」
「いやいやローズマリー。タリーがフィオナを思う気持ちと同じ、もしくはそれ以上に私はローズマリーを思ってるよ。……伝わってないかな……?」
「……伝わってるわ」
アダンとクロエがタリーとフィオナのラブラブっぷりを茶化すと、イップがローズマリーに自分の方がローズマリーを愛していると妻を口説き出す。恥ずかしそうに、ローズマリーの頭もイップの胸にこつんと委ねられた。
フィオナとタリー、ローズマリーとイップの溺愛夫婦に砂糖を吐く思いを抱きながら、心の隅で懐かしさとうらやましさを感じるアダンとクロエだった。




