雲の上
雲の上の空を見上げタリーはぽっかりと口を開けたままだった。その隣にクロエ、アダンと並ぶ。目に写るは空を行く雲。その上に乗った人。どうやらフィオナの生まれ故郷は雲を馬車のように使っているようだった。
「馬車? あぁ、帝国に馬車はないよ。馬がいないからね」
当然のことのようにフィオナが言うが、乗り物は馬しか知らないタリー一家はポカンと口を開けたアホの子みたいな顔になるしかなかった。
「そ、そうか……」
タリー一家がカミーシア帝国に招かれたのには理由がある。
タリーの腕の中に閉じ込められたあの後、タリーは嬉しそうに顔を綻ばせ言った。
「そうと決まればフィオナの両親に挨拶に行かないとな!」
フィオナを今すぐにでも自分のものにしたいタリーは、結婚への道を短縮したい。自分がフィオナの唯一で、タリーにとってもフィオナが唯一なのだと外野に知らしめたい。そして、フィオナに寄ってくる害虫をなるべく遠ざけたいのだ。
「え? ……タリー、私たち二日前に再会したばかりよ? ちょっと急すぎない?」
「結婚すんの嫌じゃないって言ったよな? 嫌じゃないってことはいいってことだろ? なにより、結婚云々は置いておいたとしてもフィオナは俺を好きだと……大好きだと言ってくれたじゃないか」
タリーの心中ではフィオナへの愛が止まらない。もう、フィオナの両親にフィオナをこの世に授けてくれてありがとうと大声で感謝を告げたいくらいだった。
「フィオナの両親に、フィオナを産んで育ててくれてありがとうと伝えたいんだ。いや、フィオナの両親が出会わなければフィオナは生まれていない。ということは、俺はフィオナの両親の出会いに感謝すべきか。いや、フィオナの両親が出会ったのはフィオナの父方母方の縁があったからこそで……」
フィオナが好きすぎて、フィオナの先祖を最初まで辿りそうな勢いのタリーだった。そんなタリーの愛情はフィオナに真っ直ぐと伝わり、フィオナは嬉しそうに両親に結婚の報告をすると言った。
「フィオナ。ご両親におれとのこと報告してくれたか?」
いつでもくっついていたいタリーは、今日もフィオナの肩を抱いている。フィオナの帰還から今まで、タリーはフィオナから離れない。毎朝フィオナの家から出勤してフィオナの家に帰る。フィオナを二度も失ったタリーにフィオナから離れる選択肢はなかった。ただ、傭兵の仕事には誇りを持っていたし、困った人を救うことができるのは嬉しかった。だから泣く泣く仕事の間だけはフィオナから離れた。
「うん。……なんか、両親が喜んじゃって」
フィオナの両親が喜ぶと言うことはフィオナの相手、つまりタリーに好意的であるということだ。タリーは想わず頬が緩む。と言っても最近はフィオナを目にするだけで表情筋が筋力をうしなってしまうのだが。
「タリーの両親ごとカミーシア帝国に招く手続きをしたみたいなの」
フィオナが黒の瞳を潤ませてタリーを見上げる。そのかわいさに何でも言うことを聞きたくなるタリーだ。
タリーとフィオナが知り合って約3年。その間の2年半はフィオナの失踪期間だ。それでも期間なんて関係ない。このあふれ出る。いや。隠そうとしたときもあった。しかし、フィオナへの愛しいという想いは溢れるだけだった。
「俺と親を招待してくれるのか?」
愛するフィオナの育った故郷だ。タリーが興味を示さないはずはない。
フィオナへの愛が溢れ、フィオナとの子供さえ夢想するタリーだ。フィオナの様な、いや。フィオナの化身とも言うべき我が子を愛でたいとタリーはおもっていた。
フィオナの生育環境が知れるのは恩の字である。
「うん。母様が、私と、タリー。それと、これから私の家族になるアダンさんとクロエさんにもあっておきたいって。……どうかな?」
少し離れてタリーの顔を見上げるフィオナの額にタリーは口づけする。顔を真っ赤にしたフィオナが両手で額を押さえる。
「タ、タリー」
「嬉しい。フィオナの育ったところに行けるんだな。親もきっと喜ぶ」
そう言ってタリーはフィオナを腕の中に閉じ込めた。
毎日毎日フィオナの家に通う、というよりも住み着いてしまったタリー。最初はフィオナも、2年も失踪していたため、また、自分の代わりに重傷を負ったフィオナが心配で居着いているのだと思った。
甘くとろけるような視線をむけてくるタリーに恥ずかしくなるフィオナ。2年前のタリーとは違う。恋人同士のように、いや恋人同士なのだが、こんなにも人は変わるものなのか。片時も離れたくないというように、家の中ではトイレ以外はほぼ隣に位置し、寝るときはタリーのたくましい腕の中。
仕事に行く前のハグにキス。仕事が終わる頃を見計らって迎えに来るタリー。往診や診察の合間に調合や薬草の整理、帳簿の確認などするため、フィオナの仕事の終わる時間はタリーのそれよりも遅い。それが心配だと迎えに来て、手を繋いで帰る。
いつまでたってもフィオナはタリーの甘さに慣れることができない。もう顔にフィオナが大好きだと書いてあるのだ。緑の目を見るだけで、愛が伝わってくる。フィオナへの愛はダダ漏れだった。
一方、タリーは、毎日毎日するハグとキスに毎日毎日、したあとに恥ずかしそうに目を背けるフィオナがかわいくて仕方がなかった。毎日のことにまったく慣れていかないフィオナが愛しい。恋人となったからこそ見ることの出来るフィオナの新たな一面。
一緒に住むようになって分かったことがある。フィオナは案外とおっちょこちょいだった。タリーに毎日「私の分のついでだから」とツンと顔を背けながら渡してくれる弁当。チラリと見える頬は恥ずかしそうに桃色に色づいている。それがかわいい。今日もかわいい。ウキウキで食堂で弁当を広げると空っぽだった。タリーは心配になる。フィオナは自分の弁当のついでと言っていた。ということは、フィオナの弁当も空っぽではないのかと。
大変だ。フィオナがお腹を空かせているかも知れない。フィオナはいい大人なので例え弁当を忘れてしまっても市場に並ぶご飯を食べればいいだけなのだが、タリーにそんなことは関係ない。だけど、隊長として仕事を抜け出すわけにもいかず、悶々と過ごした。仕事が終わりダッシュで治癒院に向かう。タリーに気付いたフィオナが気まずそうに言った。
「……今日はサンドイッチにしたから、いつもと違うケースに入れたのに、いつもの感覚でいつもの弁当渡しちゃった……」
恥ずかしそうに「ごめんなさい……」と呟くフィオナのなんと愛らしいことか。タリーが思わず、ぎゅっとフィオナを抱きしめたのは言うまでもない。
そんな甘い時間を過ごし、ついにやってきたカミーシア帝国。カミーシア帝国まではフィオナの風魔法で移動した。ここで驚いたのが移動手段が竜巻以外にもあったということだ。タリーの両親とタリー、フィオナは、薄い風の膜に包まれ、そよそよとシャボン玉のように飛んでいく。
「……フィオナ? なんか、いつもと違わないか?」
「……タリーと移動するときは緊急時か何かから逃げるときだったから、移動速度の速い風魔法を使ったの」
「……風魔法の移動だと目視できるから、あのとき、水魔法も合わせて逃げてきたって……」
あのとき、と濁したのは、フィオナが王城に監禁されていた事実をさすがにタリーの両親に聞かせられないからだ。
「あのときもスピード勝負だったから。でも今日はなにに追われるでもないし、クロエさんもアダンさんも、あのスピードじゃあ、びっくりしちゃうでしょ? それに、水魔法も使って外からこの中は見えないようにしてあるから」
風の膜の外側にうっすらと水も張ってあり、光反射の影響で中が見えない仕様だ。
「俺もずっとびっくりしてたけどな」
「……ごめんなさい」
フィオナは少し素直になった。そんな変化もタリーはくすぐったくも嬉しい。どれだけタリーがフィオナに溺れていても、同棲していると衝突もある。そういうときは、フィオナはいつもの小生意気な物言いになり、タリーは応酬する。変わった関係も変わらない関係も、どちらも愛しく楽しい時間だ。




