俺の嫁
市場が並ぶ町並み。ここはサンクカルデマの王都。その中にひっそりとした店構えの、堂々と治癒院と看板を上げた店が一件。決して大きくない店。店主のフィオナの足で、幅は大股で一歩、奥行きは二歩半。カウンターと棚との間のフリースペースは一歩と言ったところか。あとの一歩半分を薬草が入った棚が占める。
「おい。フィオナ。この薬はオットーのところだったな?」
「うん、こっちは、レイアおばさんのところにお願い」
年下の嫁に今日もこき使われる夫は、いつも嬉しそうだ。仕事の休みの日には嬉々として手伝いにやってくる。いや、嫁が好きすぎて、見張りに来ていると言った方が正しいだろう。
フィオナがタリーの元に戻ってから1年が経った。その間に、色々なことがあった。フィオナは成長したが、フィオナ自身は鏡でも見ない限りその変化を意識することはなかった。タリーと想いを通わせ合った翌々日には治癒院に立っていた。
治癒院に行けば、ガブリエルが派遣していた治癒師と会うことになり、当然、その情報はガブリエルの耳に入る。治癒院に立った当日にはガブリエルが治癒院にやってきた。
そのときちょうど戸締まりの終わったところで、タリーが迎えに来ていた。タリーとフィオナは仲良く手を繋ぎ、笑顔で会話しながら歩いて行く。途中、ガブリエルとすれ違い、二人は軽く会釈して、そのまま通り過ぎた。
誰が見てもラブラブな二人だった。そして、ガブリエルもタリーはよく知っているが、その隣の女性は……というと。その色には覚えがある。しかし、あんなに愛らしくそれでいて妖艶な色香を纏う女性ではなかったはずだ。そう考えている間に、タリーとフィオナとの距離は開いていく。
次の角で曲がったあとは風魔法を使って逃げようとタリーとフィオナは目配せしているところだった。そう。あと一歩で逃げ切れたはずだった。
「おい! 待て待て待て待て! おい! タリー! フィオナ?」
フィオナの成長は2年での成長とは考えられないため自然と疑問系になる。しかし、とりあえず今捕まえないといけない。
「チッ」と舌打ちしたフィオナが嫌そうに振り返る。そのフィオナを仕方がなさそうな顔でタリーは見た。頭を撫でながら。二年分の会えない時間にたまったタリーの想いは爆発し垂れ流されていた。フィオナの嫌そうな顔が、タリーに撫でられて、日向でまどろんでいる猫のようにトロンとした顔になる。誰が見てもラブラブだった。
「おい。フィオナ……だよな……?」
「あん? それがなんなの? お前になんか関係ある?」
「いやいやいや、そんだけ変わってたら一回聞くだろ?」
「は? あんた忘れたの? この殺人犯が! 瀕死のタリーの治療を阻んだことは忘れないんだから!」
「……それは悪かったよ。でも俺も陛下の命令で。……それに、俺とタリーの間でその話はもう終わってるんだ」
「うるさい! 私の中では終わってない!」
怒り続けるフィオナに困り、助けを求めてガブリエルはタリーに目を向けるが、タリーの目はフィオナに釘づけのため、そのヘルプなサインには気付かない。なんなら、「俺のために怒ってんのか?」と嬉しそうに、フィオナへの愛が爆上がりしているのが手に取るように分かる。
「ふんっ」とフィオナが鼻息を荒くするが、同時に金髪クソ野郎とこれ以上話を長引かせるつもりもなかった。
「まぁいいわ。私がいない間ずっと治癒師を派遣してくれてたんだって? それはありがとう」
「あ、あぁ。タリーにも悪いことしたしな。少しでもできることをと思って」
ちょっと得意そうに言うガブリエルにフィオナはイラついた。感謝はしているが、タリーへのことはまた別だ。もう少しでフィオナはタリーを失うかも知れなかったし、もっと重傷であれば逆もあり得た。フィオナにタリーを助けない道はない。
「本当はもう喋るのも嫌だけど、これだけは言っておく。これ以上私に手出ししたら、カミーシア帝国はサンクカルデマへの医療機器の輸出をとりやめることになったから」
「え?」
「『え?』じゃない。宰相怒ってたよ。言葉にするのも嫌だけど、私が愛する人をここで見つけて幸せになると思って婚姻の許可を出したのに、囲い込むためだったって知って」
強制送還されたフィオナの姿を前にした宰相は、初め運命の人と出会えたのだと、喜ばしくも、フィオナの回復を願っていた。しかし、フィオナが意識を取り戻したところで詳細を聞けば、サンクカルデマの王家は帝国の民を無残に扱ったという。自分が見誤ったせいだと責任を感じた宰相は、すぐに医療機器の輸出の停止、および輸出済みの医療機器の回収を指示した。それを止めたのがフィオナだった。今、その医療機器で救われている命があるからと。
「だから今後一切、私には関わらないで」
「そんな……それじゃ、王族だけがフィオナに診てもらえなくなるじゃないか」
「使うもんが同じなら治癒師が変わったところで、そんなに変わんないよ」
「そんな……」
フィオナはバッサリと王族、公爵をぶった切った。それを横で楽しそうに見ているタリーには分かっていた。どうしても、と助けを乞われたらフィオナが見捨てるはずがないと。
そんな可能性に思い至らないガブリエルはただ絶望するだけだった。
そして、もう一つ変わったこと。それはタリーと結婚したことだった。
王族をあっさり切り捨てた翌日、フィオナはタリーの家に招かれていた。
「タリーから聞いてはいたが、ほんに大きくなられて」
「本当に。これまでもかわいらしかったけど、今は本当に綺麗」
「だろ?」
アダンとクロエのフィオナへの賞賛に、なぜかタリーが自慢げに反応する。それが擽ったくてフィオナははにかむ。
フィオナが手土産に持ってきたみたらし団子を茶菓子に出され、みんなでお茶をすする。食べたことのない甘塩っぱい味に、これに合うお茶をと緑茶をフィオナが入れた。
「おいしいわね」
「あぁ。こんな味は初めてだ」
「お口に合ってよかったです」
「まさかこれもフィオナさんが?」
「はい……」
クロエはあえてフィオナを治癒師様ではなく名前で呼んだ。今日は間違いなく治癒師としてではなく、フィオナとしてきていると分かっていたからだ。
「すごいよな? 俺、こんな嫁さんもらえんの、幸せだ」
「え?」
「「「え?」」」
とろける笑顔でフィオナを俺の嫁発言したタリーに、きょとんと不思議顔のフィオナ。そのフィオナに不可解な顔をむけるタリー一家。
「え? 嫁……?」
「え? 違うの……?」
数日前まで「すき」の言葉も満足に言えなかったタリーが一体どうしたとフィオナは不思議で仕方がない。なにより不思議なのはプロポーズをされた覚えがない。
一方でタリーはフィオナが戻ってきてくれて、自分を好きと言ってくれて、舞い上がっていた。好きと言ってくれた。ずっと一緒にいたいと言うと自分もと返してくれた。ずっと一緒とはすなわち結婚。タリーの頭の中では、既にフィオナとの間に2人の子を設けていた。タリーに良く似た男の子とフィオナに良く似た女の子だ。
「子供の名前は……」
「おい。タリー。お前、フィオナさんにプロポーズしたのか?」
「当たり前だろ。してなかったらこんなこと言ってない」
「え?」
「え?」
タリーのプロポーズ済みの発言にフィオナは首をひねる。
「ずっと一緒にいたいって言っただろ。フィオナもそう言ってくれたじゃないか」
「あれってプロポーズだったの?」
フィオナにしてみれば、あの言葉は誘導して言わせたようなもの。プロポーズと思うはずもない。眉を寄せて考えていると、不機嫌そうなタリーの顔がのぞき込む。
「……なんだよ、フィオナは俺と結婚すんの嫌なのか」
「そんなこと言ってない!」
慌てて膝立ちになるフィオナに「じゃあいいじゃん!」と抱きしめるタリー。
「母さんや」
「なぁに、父さん」
「わしらは何を見せられているのかのぉ」
「そのうち孫も見せてくれるわよ」
「そうだな、タリーはもう名前を考えていたようだし」
アダンとクロエの呟きに顔を真っ赤にしてタリーの胸をどんどん叩くフィオナ。そんなことくらいで鍛え上げられた腕力から逃げることなどできるはずもない。
そうして、二人は雲の上の帝国で結婚式をあげたのだった。
あと2万字弱で最終話となります。もう少しお付き合いいただけますと幸いです。




