治癒師の祈り
容姿8歳の幼女に全身の体重を預ける青年。幼女の小さな体では受け止めきれず、幼女の体も弓なりになった。そのまま後ろに倒れそうになるのを、フィオナはガブリエルに気付かれないようにそっと、自分の背中に追い風を送る。
それは幻想的だった。
ガブリエルがまず気付いたのは、フィオナの足下を中心に回る風。その風は少しずつ威力を増し、周りの落ち葉を巻き込む。風はフィオナとタリーを包むように範囲を拡大していく。フィオナの衣服が舞い上がり、漆黒の真っ直ぐな髪も風になびく。
風は次第に威力を増していく。つむじ風の中心だったフィオナとタリーは、竜巻へと勢いを変える風の中心となり、その二人の姿は、ガブリエルの視界に捉えることができなくなった。
確実に目の前に二人はいる。でもそれは、二人を中心にぐるぐると円を描く竜巻だ。その竜巻は、ガブリエルの前で地面から浮かび上がり、そのまま空へと飛び立った。西の方に行ったと思う。だけど、飛べないガブリエルには追いかけることもできない。
無意識にガブリエルの手が空に伸びる。
風を操るフィオナは、風の女神ウェンディを想わせた。強い意志を宿した濡れ羽色の瞳は、風を操りながらガブリエルを捕らえていた。ガブリエルの一挙手一投足を見逃すまいと。
あの軟禁部屋で、陛下の文句を言い合っていたフィオナとも、会話中適切な相槌を打つフィオナとも、おいしいご飯をつくってくれていたフィオナとも。
ガブリエルの知るフィオナではなかった。
そして、その女神を彷彿とさせるフィオナにガブリエルはただ目を奪われていた。
***
ある一軒家の中に、突然二人は姿を現した。一人は幼女。その幼女は体格のがっしりとした青年に今にも組み敷かれそうなところをなんとか踏みとどまっていた。
「治癒師様……?」
「クロエさん!」
タリーの家に魔法でテレポートしたフィオナは、クロエに事情を説明する。クロエの横にはアダンもいるのだが、今はそんなことどうでもいい。
「もうしわけありません。私のせいでタリーがこんなことに……」
「……治癒師様、落ち着いてください。……タリーは傭兵です。人を救うことが喜びの子です」
「そうだよ。万が一、このまま冥府に招かれることがあろうと、それはタリーにとっても本望さ。だから治癒師様は何も気にする必要はないんだ」
責任を感じているフィオナを慰めようとアダンとクロエは言葉を重ねるが、それでもその瞳は我が息子を心配する色だった。
「……ふぃ……お、に……」
朦朧とした意識の中で、それでもフィオナを探すタリー。タリーのうっすらと開いた目に、何も映っていないだろうことは、ここにいる誰もが分かっていた。
「治癒師様……」
クロエの縋るような声が、フィオナの耳に届く。アダンは何も言わない。しかし、その目は懇願するようだった。
初めて見る涙で顔をぐちゃぐちゃにした治癒師。アダンの診察は冷静に行い、テキパキと食事を作る。経験に基づいた自信だろう。いつもそれをうっすらと身にまとっていた。だからこそ、タリーの両親は幼い見た目の少女に信頼を寄せていた。
その治癒師が今はこんなにもぼろぼろで。泣き崩れるようにタリーを見つめている。それだけで分かる。この治癒師様をもってしても為す術がないと。
「……ふぃ……お、な……。ど、こ……だ……?」
回らない舌でタリーがフィオナの名を呼ぶごとに、フィオナの涙は溢れていく。
フィオナを探すように、うつ伏せで倒れたままのタリーは出血している左腕を彷徨わせる。その手をフィオナが力強く握りしめた。
「……タリー。大丈夫。……大丈夫よ。」
虚ろな瞳、この左腕ももうほとんど感覚はないだろう。きっと、フィオナの声は音として届いているだけ。
「……ふぃ、……お、な、……ふぃ。……け、が、は」
「あなたのおかげで無事よ。ピンピンしているわ」
フィオナの小さな手がタリーの頬を優しく撫でた。タリーの口角が歪に上がる。右手でタリーの頬に触れたまま、左腕で自身の涙を拭う。
タリーの両親を振り返ったフィオナの目は、幼女には似つかわしくない自信に満ちていた。にこりと大人っぽい笑顔をみせたあと、フィオナはタリーに視線を固定させる。
「……あなたは生きて。……幸せに……ならないと許さないんだから!」
フィオナがタリーの頬を撫でたまま、瞳を閉じる。
『ディスティニィ』
真白な光がフィオナから放たれ、その光はタリーも包んでいく。光の中を温かな空気が満ちる。
タリーの荒かった呼吸が自然なものへと変化した。
フィオナの呼吸が荒くなる
タリーの顔色に血の気が戻った。
フィオナの顔が血の気を引いていく。
タリーの傷が癒えた。
フィオナの顔が苦痛に歪む。
フィオナは祈りをやめない。自分を守るために、片目が見えない状態で、ほとんど動かない体を酷使してくれたタリーのように。
タリーの痛みを受け、朦朧としだす意識の中、フィオナは幼い頃の母との会話を思い出していた。
「母様はどうして、自分が死ぬかも知れないのに、父様を助けようって想えたの?」
父の前でだけかわいくなる男勝りな母が、恥ずかしそうにはにかんだ。愛しそうにフィオナを見つめ、頬を撫でる。
「フィオナも、そのときが来たら分かるよ」
「分かるはずないよ。男の子は汚くてずるくてエッチで……。……男の子のせいで、私はこんなにも息苦しいんだもん」
ふふっと母が笑う。
「それでも。いつか絶対に。フィオナにも分かる日がくる」
(……そんな日が来るなんて想ってなかった。だけど、惹かれ合い、想い合う両親に憧れた。心のどこかで、いつか私にもそんな日が来るといいなって)
目を開け、フィオナはタリーをもう一度見つめる。心に、体に、フィオナ自身にその存在を焼き付けるように。ずっとタリーを忘れないように。
(例え、私が死んじゃったとしても、笑顔のタリーが私の中にいてくれれば……)
「この気持ちが、恋かどうかなんて分からない。……だけど、どうしようもなく。……
タリーが大事なの」
(だから助けたい。なにを引き換えにしても)
「治癒師の……神髄、見せて……あげる」
フィオナは体にため込んでいる魔力をタリーに向ける。体の力がどんどん奪われていく。それでも魔力を注ぐことをやめない。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
タリーを包む光が強くなった。




