フィオナとタリー
市場が並ぶ町並み。ここはサンクカルデマの王都。その中にひっそりとした店構えの、堂々と治療院と看板を上げた店が一件。決して大きくない店。店主のフィオナの足で、幅は大股で三歩、奥行きは五歩。カウンターと棚との間のフリースペースは二歩と言ったところか。あとの三歩分を薬草が入った棚が占める。
「おい、薬師。二日酔いの薬はないか?」
フィオナが薬草棚の確認をしていると、声の枯れた男の声が背中にぶつかる。その声だけで誰か分かる。常連のタリーだ。
「ちょっと、タリー! 私は治癒師よ。薬師じゃないわ!」
治癒師なのに薬師と呼ばれるフィオナは、ついムキになって大声をだす。大声で二日酔いの頭が揺れたタリーは痛そうに頭を押さえて、呆れたようにため息をはいた。
「この店構え見て、どうして治癒師って言えるんだよ。置いてあんのも、売りもんも薬ばっかじゃねーか。看板だけが『治療院』って、治癒師であることを主張してっけど、店内に診察室があるわけでもねー。なにより、普通治癒師ってのは薬はつくらねーって話だ。どこを見て治癒師の店って理解しろって言うんだ」
「うっ」
タリーは正確にフィオナの急所をついた。フィオナも思ってはいた。フィオナは治癒師の仕事に誇りを持っている。その能力はさることながら、自信に見合った努力をしてきたという自負もある。治癒院の看板をかかげることになんの後ろめたさもない。だけど、やっぱり思うのだ。
(治癒院に診察室がないって問題よね)
でも、13歳を成人として追い出されたフィオナにとって、この治癒院の面積の賃料が精一杯だった。小憎たらしいタリーをフィオナはじとっとした目で見た。
この目の前で悪態をつく男、タリーとの出会いは半年前に遡る。
タリーの父、アダンが急に咳き込みだした。苦しそうにぜーぜー吐いていた息が、徐々に細くなり、笛のようなか細い音になる。タリーの母、クロエはアダンの背中を擦りオロオロとするしかない。当然だ。アダンがこうなったのは初めてなのだから。何が起こったのかさっぱりで、恐怖と困惑で脳内が占められた。
「アダン! どうしたの? 大丈夫?」
返事のないアダンの反応に焦ったような母の視線がタリーに向けられる。視線だけで「なんとかしてほしい、助けて」と言っているのが分かる。
ふとタリーの頭に過る「治療院」という名の看板。先日、市場に買い物に行ったときに目にした治療院だ。
「俺、治癒師呼んでくるよ!」
タリーは自分の出せる精一杯の力で地面を蹴る。実際は五分ほどの距離だったろう。だけど、父の命がかかっていると思えば、果てしない時間に思えた。
「親父が! 親父が大変なんだ!」
治療院のカウンターに倒れ込むように両腕をつく。両腕がカウンターに落ちるドスンという音に続いて、ミシッとカウンターの木が悲鳴を上げた。
「ちょっとちょっと! ここ出来たばっかりなんだよ? 壊されちゃたまんないよ!」
治癒師は怒りながらも、コップに水を入れて差し出してきた。走ったことで息が上がり、父の命というプレッシャーに喉はカラカラだった。タリーは差し出されたコップを一気にあおる。
ぷはぁーっと息を吐き、やっと初めて治癒師をしかと目に収めたのである。
(こんなちっこい子供で大丈夫なのか……)
絶望した。あの親父の様子からいって次の治癒師を探している余裕はないだろう。だけど今目の前にいるのは、8歳くらいにしか見えない子供だ。とても父を癒やせるとは思えない。
「ちょっとお兄さん。見た目で判断しないでくれる? 私、こう言えて15歳なの。この見た目よりも小さい頃から親に教えてもらって、ずっと治癒には携わってきたわ。勝手に諦めないで、経過を説明してちょうだい」
猫のように大きな黒目を尖らせて治癒師は言った。
「その様子じゃ、一刻も争う状態で、慌ててここに来たんでしょ? 言ってみて」
その少女の真剣な光を宿した瞳にタリーは、縋るように話した。突然、咳き込んだ親父の息がどんどん細くなって、今はもう笛のような微かな音しか聞こえないと。
「お父さんの年齢は?」
「体型は」
「最近、急に太ったってことはない?」
「そのとき何か食べてた?」
「最近、よく食べていたものは?」
「どんな家に住んでるの?」
「ペットは?」
いくつか質問され、返答を重ねたあと、治癒師は幼さを印象づけるふっくらした頬に、ぽってりとした小さな手をあて首を傾げた。
(あぁ、やっぱり。こんな子供に頼るんじゃなかっ)
「あなた今、こんな子供に頼るんじゃなかったって思ったでしょ!」
んもう! と、頬を膨らませた治癒師はタリーに背中を向けて、無数にある棚を開けては薬草を取りだし、すり鉢に入れて、煎じ始めた。手早く三つの薬ができあがると、鞄に入れた。
「さ、行きましょう!」
「?」
「患者のところに決まってるでしょう! 案内して!」
治癒師に煽られるようにタリーはまた走った。「早く!」と治癒師が怒鳴るのでタリーは全力疾走する。曲がり角の手前で振り返ると、はるか遠くに治癒師がゆっくりとした足取りで付いてきていた。息があがっているから本人にとっては走っているのだと思う。
タリーは自分のところまで治癒師が追いつくと、有無を言わさず背中に背負った。
「ちょ! ちょっと! 何すんの!」
「こっちのが早いんで!」
「……否定できないわね」
背後で諦めたようにボソリと治癒師が呟いた。人生で初めて父親以外の男の背中を感じて、一人頬を赤らめている治癒師にタリーは気付くもはずもない。それどころではないのだから。
自宅に入り、タリーはほっと息をついた。父はまだ細いながらも息をしていた。
「あなた、コップに水と盥を持ってきてくれない?」
クロエは一瞬、子供にしか見えない治癒師を訝しんでいたようだったが、それでもアダンのために自分ができることがあることが救いだった。すぐに行動する。
「まずは、深呼吸をしてください。そして、こちらを吸ってください」
治癒師は、紙の上に乗せた薬をアダンに吸わせた。すると、アダンの笛の音のような息が少しずつ太く、いつもと変わらないものになっていく。アダンの呼吸が少し楽そうになったところで治癒師はアダンに嗽をさせる。吸引薬は長い時間口腔内に残らない方がいいらしい。
安堵の表情を浮かべたフィオナは、家の中をなめるように見る。そのフィオナの様子をクロエは不愉快そうに見る。無理もない。ここのところ掃除する余裕がなかったのだ。
「アダンさん、一旦外に出ましょう」
フィオナはアダンを外に出した。
「あ、あの、なぜ病気の主人を外に……?」
「状況と症状からいって、ご主人は気管支を患っていらっしゃるのでしょう。気管支を刺激する原因はいくつかあります。花粉や微生物、細菌、塵、埃……。失礼なことを言うようですが、この居室はお世辞にも清潔とは言いがたいです」
クロエの顔が羞恥に朱に染まる。
「……最近は忙しかったもので」
「そうですよね。毎日掃除をするのは大変なことです。それなのになぜか、世の男性は、掃除や家事は女性の仕事だと思っている」
「困ったものですね」と言いながらフィオナはタリーを見た。家事、掃除、炊事。どれもこれも母に丸投げしていたことに気付いたのだろう。
タリーは傭兵だが、両親は農業を営んでいる。家は決して裕福とはいえない。タリーが傭兵となったことで世帯収入は増え、幾分か暮らしやすくはなったが。
「ご主人に外に出てもらったのは、せっかく今の症状がよくなっても、気管支を刺激する原因が室内にあるままでは、また発作を起こす可能性があるからです」
「ですが、埃も原因になるのですよね? 家中を整える間中、主人に外にいてもらうわけにもいきませんし……」
「そうですね。今日のところは私が。お節介は承知で」
そう言った治癒師が両手を広げて天井に向けると、クルクルと円を描くように風が舞い上がり、床、壁、棚の奥、部屋の細部にわたる至る所まで風が流れ、四方に分かれた風が再び一つにまとまる。
「なにか、ゴミを入れていいようなものはないですか?」
クロエは収穫した米を入れるために使っている麻袋を手渡す。
「コレクト」
治癒師がそう呟くと、ひとまとめになった風、いや、もう塵芥の塊となったそれが麻袋に吸い込まれていった。米だと30キロは入る麻袋がパンパンだ。つまりはタリーの家にはそれだけのゴミがあったということになる。
ポカンと口を開けて唖然とするタリーと、青くなったあと、赤くなるクロエ。
(家の中にこんなに埃が……、体がおかしくなるのも当然だ)
「これでしばらくは大丈夫でしょう。ですが、掃除は毎日の積み重ねが大事ですし、男手がないと、棚の後ろや置物の下なんかは行き届かないですし、高いところも届きません。……なにより。仕事を抱えているのは男性だけではないのです。女性も仕事をしているのに家事を全て押しつけるというのは、女主人が過労になる原因にもなりますし、家族みんなが健康でいるためにも男女問わず協力する必要があると思います」
タリーだけを見つめながら、フィオナは語る。男尊女卑の世の中にはだいぶご立腹のようだ。
「ただし」と、フィオナは更に言葉を重ねる。
「ご主人は、既に気管支が弱く、掃除に携わることで、また今日のような発作を起こす可能性があります。ご主人には掃除ではなく、食器洗いや炊事の役割を分担すれば良いと思います」
治癒師がクロエに視線を向け、にっこりと微笑むと、呆然としたクロエが耐えきれないように吹きだした。
「ははっ。はははっ。……そうね。そうですよね。私一人で家事が行き届かないのは今日をもって証明されたようなもの。家族みんなが主人と同じ苦しみを味わないようにするためにも、主人と息子にも協力してもらおうと思います」
笑顔でクロエの宣言を聞いていたフィオナが、不愉快そうに眉を顰めた。
「クロエさん、そこは協力ではありません。家事をするのは、そこに住まう者全てに課せられた役割。ご家族と分担することにクロエさんが後ろめたく思う必要は全くないのです。……そういう世の女性の在り方が、世の男性をつけあがらせるのですよ」
話の後半、フィオナは明らかに憤慨していた。彼女の過去に一体何があったのか。タリーはいよいよ気になってきた。
仕切り直すようにフィオナが両掌を叩いた。
「さて。お部屋もきれいになったことですし、ご主人にお入りいただきましょう」
タリーが玄関先の石の上に腰掛けている父に声をかけ、中に入るように言う。
「いいですか。今日と同じ症状が出た場合は、こちらの薬を吸引なさってください。先ほどと同じように、呼吸が整ったら嗽をします。なんとなく寝苦しいなと思う日があれば、こちらの軟膏を胸に塗ると、気持ち程度ではありますが、幾分症状は和らぐかと……」
治癒師はタリー家族を横に並べ、みんなに聞こえるように、手元が見えるように処方の用法、用量を説明していく。毎日の飲む薬に、発作時の吸引薬、それに軟膏だ。
急なことだったため、手持ちの煎じ薬が本日分のみとのことで、治癒師が帰る後をタリーもついて行く。
「さて、あなたお名前は?」
フィオナは治癒院に着くとギラリとした視線をタリーに向けた。
「タリーだ。傭兵の職に就いている」
「そう。どうりで私を背負ったままあのスピードで走れるわけね。……私はフィオナよ。今日の治療代だけど……」
父の安否に気を取られていたタリーは、先立つものについてまで頭が回らなかった。故に、いきなり来た請求に冷や汗がしたたってくる。
「今日出した3種類の薬で500メリー。そこに往診代を、と言いたいところだけど、初診だもの。サービスしてあげる。それと、軟膏は気休め程度のものになるから常備は不要だけど、吸入薬と煎じ薬は常備が必要よ。吸入薬は発作時だけ必要だから、何回分という形で処方するわ。煎じ薬は毎日の服用が必要だから、週単位での処方ね。この処方量についてだけど……」
急に商売っ気が出てきた自称治癒師であるフィオナ。もはや、野菜を売るかの如く薬を売りつける商人にしか見えない。
そして、これまで家族全員病知らずであったタリー家にとって、今回が初めての医療費。相場など想像もつかない。
(ぼったくられてるかの判断もできねーな。とりあえず、今日は、1週間分の薬をもらって、その間に相場を……)
「1週間分の処方だけさせて、その間に医療費の相場を調べようって?」
ふっと悪い笑顔のフィオナがタリーの頭の中を正確にトレースした。
「……! お前! こ、こえーよ」
フィオナの悪い笑顔が、ふてくされた表情に変わる。頬を膨らませて、唇を突き出している。見た目だけでなく、こういった表情を恥ずかしげもなく晒すのも、幼く見られる所以だ。
「だって、これまでもそうだったもの。まず初めに私の見た目に不信感をもたれる。タリーはいい方よ。緊急性があったからだとは思うけど、ちゃんと患者の説明をしてくれた。だけどね、同じように緊急性があると判断したからこそ、私の見た目に憤る人もいるの。『お前みたいな子供に何ができるんだ! くそっ! 時間の無駄じゃねーか』ってね」
「それは、言いがかりってもんじゃ……」
「私にしたら言いがかりでしかないわ。この容姿は私が望んだ姿ではないもの。私だって年齢に応じた見た目がいいわ。……だけど、患者やその家族にとっては、望みを託して飛び込んだ治療院に子供しかいない。裏切られた気持ちになる。自分の大事な家族は、死ぬしかないのかって……」
自分で言って自分で悲しくなるフィオナである。幼い見た目に向けられる患者家族の悪意。その理不尽な悪意に憤りながらも、この見た目だ。納得するしかない。
「自分の見た目は置いておいて、その人の身になって考えると、その気持ちも分かるわ。私だって、うんと小さい子に『症状は?』って聞かれたって……ね」
見た目は8歳でも中身は15歳。客観性をもって自分を見ることのできるフィオナは、自分に向けられる不信に満ちた目、侮った言動を甘んじて受け入れるしかない。……相手をみて、しっかりと言い返すこともあるが。タリーがいい例である。
「それで、治療後はお金の話になる。普通のことよ。私は治癒師。治療の対価に金銭を得ることで生活しているの。……でも、こんな見た目だからか、簡単に踏み倒そうとする人もいるし、値切る人もいる。タリーは良心的な人ね。相場を調べてからって思うんだから、言い値を払う意思があるってことだもの」
「……いや、当然……」
「それが、当然じゃないのが、私が生きてきた世界なのよ」
「じゃあ、支払われなかったときは、随分苦労したんじゃ……」
タリーが哀れみの目を向ければ、フィオナはきょとんと首を傾げる。
「あら、お金はちゃんと頂くわよ?」
「え……でも、そんな小さいのに、どうやって……」
(ちっこい体で大人とやり合えるとは思えない)
「色々とやりようはあるのよ。そういった法律は整っているし。正攻法でうまくいかないときは、特別措置があるもの。……私の身の危険を心配してくれたのであれば、私は魔法が使えるしね。ほら」
フィオナがトンと軽く地面を蹴れば、彼女の体はふわりと宙に浮いた。
「私の地元ではこうやって魔法が使える人が多かったから知らなかったけど、普通は魔法が使える人って少ないんでしょう? だから、こうやって浮くだけで、とりあえずの物理攻撃は回避できるの」
絶妙に彼女の着ている丈の長いワンピースの裾が風でめくれるが、彼女に羞恥の表情は出ないし、タリーもラッキーとは思わない。タリーに子供に欲情する趣味はないのだ。
だけど、それでもタリーは思う。黒色のゆるくまとめられた髪に、透き通った白い肌。幼さが際立つふっくらとした頬。一際存在感を放つ潤んだ漆黒の大きな瞳。主張しすぎない鼻に、緩く上がった口角。外見をみて中身を絶対に想像できない可憐な少女。
(外見詐欺だ)
「今、外見詐欺って思ったでしょ」
(フィオナの魔法は、心の声も……)
「言っておくけど私、心の声は読めないから。タリーの思ってることが分かるのは、これまでの経験よ。心の声が読めるなら、あなたが治療院に飛び込んできた時点で、何も聞かずさっさと薬を調合して往診に行ってたわ」
「……確かに……」
納得のいったところでタリーは改めてお礼を言う。薬を受け取り、気軽に「また頼むな!」とバックダッシュでにこやかに手を振った。
フィオナもにこやかに手を振り返……さず、トンと地面を軽く蹴り、タリーの横に瞬時に移動した。薬の入った手提げ袋を持った側の腕に、フィオナも腕を絡めた。
「色々とやりようはあるって言ったよね?」
「経験したいの?」と美少女とは思えないドスの効いた声で、美少女とは思えない青筋を額に浮かべる。
「タリーの家も知ってるのよ」
「……冗談だよ! ほら」
謎の美少女の迫力にどことは言えないが、タリーの体の一部が縮み上がった。
フィオナの言い値をその場ではらったのは言うまでもない。