トラウマ
「じゃあ、母様は、父様が好きで、大好きで、父様の病をやっつけたのね!」
「あぁ、そうだよ。母様は父様のことが好きで大好きで。絶対に死なせたくないと思ったんだ。母様は命がけで父様に恋したんだよ」
誇らしげに父がフィオナに言い聞かす。これは、治癒師の物語。とてもとても身近な。フィオナにとって身近なおとぎ話だった。
「適当なこと言うんじゃないよ! あんたが縋り付くような目をするから逃げられなくなったんだろうが!」
説明の必要もないだろうが、フィオナの口の悪さは母譲りだ。
アバから聞いた治癒師のおとぎ話は、フィオナの先祖の話だ。フィオナの一族で継承され続ける口伝。
フィオナの一族は女系だ。一族が生むのは全て女児。辿り着くのも同じ。ずっとずーっと、フィオナの一族は治癒師をしていた。
先祖のある者は、地上に降り、聖女ともてはやされた。聖女ともてはやされたフィオナの先祖は、地上の民を救った。カミーシア帝国に伝わる治癒術で、病に苦しむ人々を救い続けた。その先祖の姿は生涯幼女のまま、他者の幸せに捕われ、自身の幸せを顧みることはなかった。
先祖のある者は、戦争に治癒師として駆り出され、傷を負う民を治癒し続け、幼女のままその生涯を閉じた。
対して、目の前にいる母は誰が見ても成人女性だ。
フィオナの先祖である聖女も治癒師も。人としては立派な生涯を遂げた。だけど、幸せな生涯ではなかったという。
フィオナは母と父の仲睦まじい姿を見て育った。父が母を見る瞳は慈愛に満ちており、母が父を見る瞳には初心な恋心がいつまでも浮かんでいた。フィオナは、愛し合う男女の瞳しか見たことがなかった。
ある日フィオナに向けられた、劣情に満ちた瞳。帝国でも美しいと噂になっていたフィオナは、皆の注目の的だった。
女は羨望の瞳を向け、男はのぼせたように野生動物のような瞳を向ける。それはフィオナにとっていつものことでたいして疑問にも思わなかった。
カミーシア帝国にも社交界は存在する。地上の民と違うのは。カミーシア帝国には身分の差別がないということ。よくよく見れば、収入の差による貧富は生まれるが、誰もが誰もを大切な存在と扱った。人命を何よりも重んじるカミーシア帝国の民にとって、他者を軽んじるなどあり得ない。
ゆえに、爵位など存在しない。存在しないから、社交界は帝国人の民が参加したければ誰でも参加できた。しかし、社交界デビューだけは別だった。13が成人とされるカミーシア帝国では、その年の子は社交界の参加を義務づけられていた。
13歳。この社交界を乗り切ればフィオナは成人女性と認められ他国へ遊学できる。だけど、その社交界の中、ほんの一つの隙が、フィオナを「女」なることを怖がらせた。
医学が発達したカミーシア帝国。いくら成人を祝う夜会であってもお酒は出されないが、そんな集まりでも羽目を外す者はいた。そういう輩は庭園でこっそりと酒をたしなむ。ろくでもない仲間と、ろくでもない話をするのだ。
「噂には聞いてたけど、フィオナってすげぇかわいくね?」
「あぁ。年より幼く見えるのがたまに傷だけどな」
「え? 俺、全然イケるけど」
「マジか。ロリコンじゃん」
「えぇぇぇ、お前なに言ってんの? よく考えてみろよ」
「……お前こそ何言ってんだよ」
「13っていえば、結婚の約束するやつらもいるくらいだ」
「あぁ」
「つまり、ある意味で、フィオナを抱くのは合法……」
「いや、恋人でもないのにそれは……」
「いやいやいや、そういう形にとらわれた話をしてんじゃなくて! とにかく。見た目がどうであろうとフィオナを抱くのは合法。今は、5歳くらいにしか見えないけど、これからも成長はするだろう? フィオナの母親は年齢どおりの見た目だ」
「それがどうしたってんだ?」
「つまり、今のフィオナを手に入れることが出来れば、5歳のフィオナも、その先も……。ククク」
「……お前、気持ち悪ぃな」
フィオナの見た目が幼いばかりに、征服欲の強いイキッた男どもに目をつけられ、年齢を盾に、見た目幼女のフィオナを手にかけ、ゆっくりと成長するだろうフィオナをなぶるように愛で続ける楽しみがあるのだと。
そんな会話をフィオナは、木々に隠れながら身を震わせ聞いていた。それまでのフィオナにとって幼さは武器だった。見た目通りの幼女を装えば周りはかわいがってくれたし、露店でも何かしらおまけしてくれた。
だけど、この幼い見た目は良いことばかりではなかった。そのことに戦慄と共にフィオナは気付いた。そして、同時に母がどうして他の同じ年頃の女性と比べて口が悪いのか、家を一歩出るとあからさまに粗暴な所作をするのか。家では少し口が悪い愛される妻であるにも関わらず。
きっと、母もフィオナと同じように変態の目にとまり、その視界に収まらないように努めてきたのだろう。
その悪ガキどもにフィオナが何かをされたという事実はない。だけど、嗜虐性思考のある男にとって自分が恰好の餌になると気付いてしまえば、フィオナの取る道は決まった。
こうして、男(元患者)相手でも男(患者家族)を利用して、強くたくましくあるフィオナが誕生したのだ。
だからフィオナは歪なのだ。色欲の目で見られることに敏感なフィオナは、そのときだけは、自分を幼女だと主張する。普段は成人女性であることを主張しているにも関わらず。フィオナは生物学に通ずる治癒師だ。愛の延長に色欲が在ることは理解している。だが理解はしていても心が受け付けない。そう想いながらも、母と父のような運命の恋に憧れた。全ては、フィオナの経験ゆえだ。
そんな経過を知りもしないタリーは心配する。傭兵として乱暴された、あるいは未遂の被害者の対応をしたことがあった。今のフィオナはその女性たちに酷似していた。
(だとしても、こんな幼女に手をだす輩など……。いや、こんな幼女に手を出せてしまう大人がまともなはずがない。さぞかし酷い目に……)
タリーはすっかりフィオナを犯罪被害者として見て、なおかつ、自分が守ってあげなければ! と闘志を燃やしていた。
念を押すが、フィオナは傷物にはなっていない。母と父、真っ直ぐに愛し愛される男女しか知らなかったフィオナは潔癖だった。故に、あの社交界に居合わせた輩どもの言葉だけで、トラウマになってしまったのだ。
年齢にそぐわない容姿。ゆえの容姿にそぐわない思考。そのギャップに魅入られる者は少なくなかった。人間とは人のギャップに強い興味を惹かれるものだ。フィオナに限っていえば、8歳の見た目に15歳の知識量であれば、見た目は置いておいて、15歳の少女として関わればさほどのギャップはなかったかもしれない。
だけど、フィオナの両親はフィオナが成人するまで、フィオナが一人になっても困らないようにと過度なくらいの教育を施した。それは治癒術や薬術に偏ってはいたが、おおよそ13歳の少女が身につける知識としては膨大すぎた。
加えて、フィオナの精神的幼さによる男女間の潔癖さ。そうして、8歳の見た目の15歳以上の知識を持った、大人を気取りながら子供であろうとする、歪なフィオナができあがったのだった。




