表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/28

キムチ鍋


 フィオナが姿を消してから半年が経っていたが、依然としてフィオナの情報は入ってこなかった。傭兵のタリーの力を持ってしてもだ。



 地域に根ざした傭兵。自警団の役割の他に、失せ人の捜索もしていた。そのため、人探しはタリーの得意とするところでもあった。にも関わらず、フィオナの手がかりは掴めなかった。



 これほどまでに降りてこない情報。結論は一つだ。




「フィオナの失踪には貴族が関わっている」




 それは伯爵の様子からも明らかだった。しかし、どこに捕われているのか。それが分からなかった。



 フィオナの今の居場所も、立場も。何も分からないタリーであったがフィオナが、今の状況に満足しているはずがない。それだけは確信できた。




 元患者を追いかけ回して医療費を回収、かと思えば、支払い見込みのない者でも、タリーのように初対面の相手であっても、そこに患者がいれば駆けつける。患者家族でさえ利用するフィオナは、タリーの目から見て、すごく自由な人だ。



 自分の信念にのみ従い、他は関知しない。そんなフィオナが捕われの身である状況に満足しているはずがなかった。



 傭兵は任務があるとき以外は、事務処理や、鍛錬に時間を費やす。その任務以外の時間をタリーはフィオナの捜索にあてた。



 タリーはフィオナの家すら知らなかったのだ。普通の患者と治癒師の関わりとして、それは当然のことだった。だけど、タリーにとってその事実は胸をうった。




 親しくなったと思っていたのだ。それなのに、患者と治癒師の関係がなければ連絡をとることもない。いや、フィオナと自分との間に、あの治癒院を通した連絡手段しかなかったのだ。




 その事実が悲しくて、なおもタリーはフィオナを昼夜問わず探し続ける。そして、やっと探し出したフィオナの家。



 治癒院から歩いて十分ほどの平屋だった。



 なんらかの手がかりを探してタリーは、平屋の扉に手をかける。鍵がかかっていることに気づき、力技で解錠した。きっとフィオナに叱られるだろう。そんなことは分かりきっていたが、そのフィオナを見つけ出せないことには何も進まない。




 平屋の扉を開けたのと、部屋の中をそよ風が舞ったのは同時だった。



 巻き上がった土埃がタリーの目を刺激して、ぎゅっと目をつむる。次に目を開けたとき、目の前にはフィオナがいた。




「フィオナ……」



 黒髪黒目。その勝ち気なつり目に、こじんまりとした鼻、薄桃色の形の良い唇。間違いなくフィオナだ。



 呆然とフィオナの名を呼ぶタリーに気付いた黒の瞳が、緑の瞳を捉えた。



「タリー! ……ちょっと待って。なんで私の家知ってんの? ていうか、なんで……」



 ボソボソと独りごちながらフィオナは玄関へと向かう。玄関のドアの惨状にはぁーっと呆れ半分、憤り半分のため息を吐いた。憤ったギラギラとした濡れ羽色の瞳がタリーを睨み付ける。




「……どういうこと?」

「えっと……」

「えっと、じゃなくて」




 フィオナの怒りは止まらない。こんな簡単に見つかるなら、鍵なんて壊さなければよかったとタリーは想った。だけど。




「何ヶ月も音沙汰なかったから心配で」

「タリーは心配だと、他人の家の玄関の鍵こわすんだ?」

「……すぐ直すよ」




 タリーは一旦家に帰り、必要な工具を取ってきた。トンテンカンテンと鍵をなおしていく。




「今までどこにいたんだよ」

「王城」

「……なんで、そんなとこに」

「治癒院にいたら、突然公爵が尋ねてきて、そのまま拉致監禁だよ」

「拉致監禁だと? いくら貴族とはいえ許されない」

「許す許さないは、訴えが通ってこそだろ。訴えた時点でもみ消されるに決まってる」



 「クソが」と、フィオナが舌打ちした。ぎょっとタリーは目を瞠る。



「フィオナ……。元々口は悪かったけど悪化してね?」

「そりゃ悪化もするでしょ。半年も自由を奪われたんだから」

「……だな」




 もっともなフィオナの言い分に黙るしかないタリー。



「陛下の治療のために軟禁されてたんだけどさ」

「うん」

「私の故郷の医療機器を随分とお気に召したみたいで」

「あぁ、まぁ、すごいもんな。そりゃ気に入るだろ」

「医療機器の取引をしたいっていうから宰相を紹介して、この国にうちの医療機器が導入されることになったんだ」

「そうか」

「うん。じゃあ、それで私の監禁生活は終わると思うだろ?」

「いや、無理だろ。その医療機器の使い方はフィオナしか知らないんだろ?」



 「クソが」とフィオナはまた舌打ちをした。よほど腹に据えかねているらしい。「ふんっ」と子供みたいに鼻息を鳴らして、タリーから視線を外したフィオナは、キッチンへと足を運ぶ。



「うちの医療機器が他国と比べて進化している。そんなことはうちの国の誰もが知ってる」



 フィオナはキッチンの棚から鍋を取り出した。タリーには見覚えのない土作りのような鍋だ。



「だから、医療機器を売ったら、必ず操作方法を教える教師が派遣される」



 フィオナはマジックバックから取り出した赤ともオレンジとも言えない色に染まった葉物野菜を、手際良く鍋に入れ、水も追加した。続けて、白菜、ニラ、長ネギ、豆腐、キノコ類を切っては鍋に投入した。




「だから本来なら、陛下の治療を任せられただけの私はお役御免のはずだった。陛下はとっくに執政もとれるほど回復していたんだから」




 フィオナの狭い部屋はまたたく間に、香辛料とにんにくの香りに包まれた。フィオナの話はただのBGMと化し、タリーは見たことのない料理と嗅いだことのない食欲をそそる香りに夢中だった。



(フィオナの料理だ。おいしくないはずがない。……俺がいるのに一人で食べようとしないよな?)



 じゅるりとタリーの唇の端にヨダレが垂れそうになり、慌てて腕で拭った。


 その一連の行動をみていたと思われるフィオナは「はぁ」とため息をついた。



「お前もかよ」

「お前も?」

「物欲しそうに人のごはん眺めやがって」



 「全部もってかれるよりはマシか」とフィオナが呟く。ガブリエルは自分の夕飯をフィオナに押しつける代わりに、フィオナの作る料理はすべて自身の腹に収めていたのだ。この国の料理に飽きたがゆえの、手作り料理であったのにも関わらずだ。朝と昼はこの国の料理でも、一食くらいは自国の料理を食したい。フィオナは、それがストレスで仕方なかった。



 フィオナにとって監禁生活の一番のストレスは、食べたいものを目の前にしながら食べられない苦痛だった。あのクソ金髪は、本当に腹正しい。次に会ったら、あのクソを椅子に縛り付けて目の前で、故郷のごはんを食べてやりたいくらいだ。




 藁を固めたような床は畳というらしい。その上にテーブル。テーブルの上にはカセットコンロと鍋、鍋の横に豚肉、取り皿が置かれた。



「どうせ、食いたいんだろ」



 タリーの顔がみるみるうちに歓喜に満ちていく。あれほど心配して探し回ったフィオナを久しぶりに見た、ついさっき。そのときより何百倍も嬉しそうな表情だった。



「ありがとう!」



 「俺も覚えたんだ」と、タリーが嬉しそうに出された箸を持つ。



「フィオナが出してくれた料理は、やっぱり箸がしっくりくるなって。両親もすっかり箸持つのがうまくなってさ」



 ほくほくと嬉しそうにタリーが話す。その様子にフィオナはまた舌を鳴らす。



「まずは私の近況きくべきじゃない? 他人の家の玄関の鍵をこわすほど心配してたってのは嘘な訳?」

「嘘じゃ!」

「じゃあ、まずは聞けよ。私の話」

「……はい」



 半年ほど、取り乱せば(主にフィオナとの結婚話になれば)人の話を全く聞かなくなるガブリエルと過ごしたフィオナは、自分の話を聞いてもらえないことも、酷いストレスになっていた。



 フィオナは話した。自分を囲い込むためにガブリエルとの結婚をさせられそうになっていたこと。ガブリエルと打倒結婚の共同戦線を張ったこと。陛下とフィオナを結婚させることでガブリエルが自分だけ戦線離脱しようとしたこと。ガブリエルにわざわざ作ったフィオナのごはんを取られたこと。



 天ぷらを食べられたとき。海老をぷりっとさせるために背わたをとった後、下味をつけて、卵白と片栗粉で膜をつけて……、さくさくに揚げるために、衣にも一工夫をして……。まぁ、とにかく時間をかけて作ったさくふわな天ぷらは全て、ガブリエルの腹におさまった。



 カレーなるものを作ったときは、香辛料をいくつも掛け合わせて、粉を混ぜて……。まぁ、なみなみならぬ食欲だけを頼りに、とにかく時間をかけて作った。思い出深い母の味の香りが部屋を満たしたところで、ガブリエルがやってきて。全てガブリエルの腹に収まった。



 煮物を作ったときには……と、フィオナの怒りは止まらない。



「でもさ、さっきも見てたけど、あの鞄から、めっちゃ色々出してたよな? たぶんだけど、あの鞄の容量は無限で、時間も止まるんじゃないか?」



 そうでないと、半年も監禁されていたフィオナの鞄から取り出した肉が鮮度を保っているはずがない。タリーが鞄を指さして、フィオナもそこに視線をうつす。



「あぁ、時間は止まるけど、容量は制限あるよ」

「どのくらい入るんだ?」

「うーん、この家くらいかな」

「……それ、無限でよくね?」




 疑問はあるが、料理を多めに作って、その鞄に隠しておくという選択肢はなかったのか。



「こんな鞄持ってるなんて知られたら、また面倒なことになるでしょ。同じ理由で、魔法を使っての脱出はしなかったんだから」

「なるほど」



 フィオナが腹立だしげに、それを体現するかのように煮立ったスープに豚肉を入れていく。習ってタリーも同じように豚肉を入れる。少し箸を動かせば肉は色を変え、火が通ったことを告げた。



 この辛そうなスープはキムチ鍋というそうだ。香辛料は言えばすぐに王城で準備された。手持ちのマジックバックにキムチ自体のストックはあったが、出すわけにはいかず、香辛料からキムチを作った。



 フィオナはキムチのほかに、出汁も作った。出汁の文化はこの国にないため、昔読んだことのある文献を思い出して、海の幸を頼み、そこから出汁を作った。出汁作りにも時間がかかったが、そこで終わりではない。それらに白菜を漬け込んで、数時間おく。そのまま白米と食べても美味しいが、フィオナが食べたいのはキムチ鍋だ。そこから更に時間をかける。



 タリーは、そのフィオナの食への執着に狂気すら感じた。その狂気すら感じる長い工程を終え、やっと辿り着いたキムチ鍋をガブリエルに食べられたのだ。凄まじい怒りが芽生えただろうことはタリーにも容易に想像できた。




「本当に腹が立って。気付いたら魔法を使ってた」

「……このキムチ鍋って、数十分でできたよな?」

「キムチがあればさほど時間はかからないわよ」

「……それを、半日かけて作って……」

「そうよ。それを一瞬で! 目の前で! あのクソが腹に収めていった……!」

「……食べ物の恨みは怖いよな」



 呆れたようにタリーがそう言いながら、煮えた豚肉を口に入れようとしたそのとき。ふわっと風が舞い上がり、タリーの箸に捉えられていたはずの豚肉はフィオナの器の中に辿り着いた。それを当然のようにフィオナが口に入れる。




「俺の育てた肉を! よくも……!」

「私の気持ち、少しは分かった?」

「……はい」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ