ガブリエルとフィオナの攻防
王城の一室。国王ジェイコブが目覚め、執務さえ行えるようになったというのに、フィオナは未だに軟禁されていた。この部屋に入れるのは、限られた使用人と、ジェイコブ、そして、ガブリエルだけだ。
ガブリエルに拉致されてから3ヶ月が過ぎていた。
「ということなんだ」
「……何が、ということなんだよ」
もとより、さほど言葉使いが綺麗ではなかったフィオナだが、納得のできない、それでいて自由の奪われたせいで、更に口調が刺々しいものになっていた。
「だから、叔父上は、俺とお前を結婚させようとしている」
「お前も嫌だから、どうにかするって言ってただろ」
「こいつとは結婚したくない」。お互いにお互いとの結婚が嫌で、回避したい二人は、共通の敵――国王陛下のおかげで、一種の連帯感が生まれていた。フィオナとて、貴族相手に当初は遠回しな物言いをしていたが、時間の経過と共にやさぐれ、言葉にまで気を回せなくなっていた。
同じように、フィオナとの婚姻だけは。そのような犯罪臭のプンプンする婚姻など、社交界きっての美男子と称され、自負もしているガブリエルは絶対に結びたくなかった。
貴族特有の遠回しな言い回し。言い換えれば、繕った言葉、うっすら貼付けた柔和な笑み。レディーに対する気遣い、など。日ごとにガブリエルは手放していった。フィオナ限定で。ガブリエルも叔父からのプレッシャーに辟易としていたのだ。そんなガブリエルの本性の一人称は俺だった。
「あぁ、絶対に嫌だ」
「私だってヤだよ。つうか、まずは、ここから出せよ」
「出せるもんなら出してるよ」
「出せるだろ。入ってきてんだから」
「俺が入んのとお前が出るのとでは、訳がちがうだろ」
「全然違わねぇよ。物事はシンプルに考えろよ。お前が入ってきたそこの扉から私が出る。それだけのことだろ」
「お前、自分の立場分かってんのか」
「お前こそ分かってんのか。王族は平民囲っていいとでも思ってんのかよ」
「王族が平民囲っちゃいけねーって法律はないからな」
「囲っていいって法律もねぇだろ」
「……お前さ、俺との結婚いやだろ?」
「初めから嫌だ、っつってんだろ」
「だよな。叔父上と結婚する方がいいよな」
「なんでそうなんだよ。頭わいてんのか。まず、ここから出せよ」
ガブリエルとフィオナ。最近は二人会えばこんな感じだった。互いに自分の主張しかしない。ガブリエルとジェイコブの会話同様、こちらも平行線であった。
「だって、俺とお前との結婚なんて、犯罪臭が過ぎるだろ」
「陛下との結婚の方が匂いキツいだろ。何さらっと自分だけ逃げようとしてんだよ」
「よく考えてみろよ。俺は社交界きっての美男子と謳われ自負している」
「自負してんのかよ」
「そんな俺が、お前みたいな幼女と結婚なんて、社交界きっての美男子が、社交界きってのロリコンと呼ばれるようになってしまうだろ」
「私は15だと言ってんだろ」
「俺のイメージ、丸つぶれじゃないか」
「私との結婚でイメージだだ下がりとでも言いたいのかよ。失礼すぎんだろ」
「どう考えてもお前みたいな幼女と……なんて」
「……おい、なに想像してんだよ……。なんも考えんじゃねぇよ」
「こんな幼女とベッドを共に……など」
「おい、考えんじゃねぇよ。ふざけんなよ」
恥じらう乙女のごとく顔に両手をあててイヤイヤと首を横にふったガブリエルは、顔から手を離し、まっすぐと視線をフィオナに向けた。
「はっきり言おう」
「お前はずっとはっきり言ってるよ」
「俺は、巨乳が好きだ」
「うるせぇよ」
「俺だって公爵だ。領地の繁栄のためなら政略結婚だって視野に入れている」
「じゃあ、さっさと領地のための政略結婚をどっかの巨乳としてくれよ」
「でも!」
ガブリエルは憤ったように机に拳をぶつけた。部屋にドン! という大きな音が響く。が、フィオナは冷めた視線を向けたままだった。
「お前とだけは! お前とだけは! 勘弁してくれ!」
ガブリエルは為す術なしとばかりに、涙目で床に崩れ落ちた。
「貴族のくせに感情表現豊かすぎんだろ。……あと、ちょっとは私の話も聞いてくれよ」
はぁ、とフィオナは頭を抱えて首を振った。
フィオナとガブリエルの政略結婚打倒の共同戦線を張ったまでは良かった。だけど、ガブリエルの日毎に剥がれていく仮面。一枚、また一枚と。剥がれるごとに象られていくガブリエルの本性は、酷いものだった。
人の話は聞かない。
脳内思春期。結婚イコール合体。ゆえに、食指が動かないフィオナとの結婚は嫌だと少女のように取り乱す。どうやら、初夜に多大なる夢を見ているようだ。
なにより、フィオナとの結婚からにげるために、フィオナの結婚相手に陛下を薦めだした。これでは共同戦線なんてあったもんじゃない。自分だけ逃げようとしているのだから。
「そうだ。今日の夕飯はなんだ?」
「……お前の分はないからな」
「分かってる。持ってきたさ」
ガブリエルがパチンと指を鳴らすと遠ざけられていた使用人たちが、貴族飯をワゴンに乗せて室内に入ってきた。
オードブル、スープ、ポワゾン、ソルベ、アントレ、デセール、カフェ・ブティフール。テーブルの上に所狭しとフルコースが並べられていく。
ガブリエルが視線を投げれば、心得たとばかりにまた室内はガブリエルとフィオナの二人になった。
「さ。食べていいぞ」
「……お前は何食べんだよ」
フィオナの質問には答えず、ガブリエルは室内に設えられているミニキッチンにウキウキした足取りで向かう。
「今日はキムチ鍋か」
「私のごはんな」
「お前のごはんはそこに持ってきてやっただろ」
「王宮の料理なんか三日で飽きたわ。頼むから毎晩たかりにくるのやめてくれよ」
「おっ、〆のラーメンもあるな」
「だから、私の……」
フィオナが王宮に軟禁されて2週間が過ぎた頃。フィオナは与えられている部屋にミニキッチンを所望した。もうすぐ帰れる。その希望を諦めた瞬間だった。
ミニキッチンを所望したと聞きつけたガブリエルは浮き足だってフィオナの部屋を訪ねた。一目見れば外国人と分かる容姿のフィオナだ。準備する料理は異国の料理と察しがつく。
フィオナを逃がさないように、もとい、フィオナに危害が及ばぬように扉を守っている衛兵に取り次いでもらい部屋に入れば、嗅いだことのない香ばしい香りが立ちこめていた。なんだか想像もつかない茶色いスープの中には葉物野菜が浮かんでいて、海老や香味野菜は白の衣に包まれていた。何度かは食したことのある米もあったが、ガブリエルはそれがパサパサしてすきではなかった。
しかし、フィオナが水で研ぎ、鍋で調理していくと、その米はふっくらと炊き上がったのだ。きらきらと一粒一粒が輝いていた。炊き上がった白米を見て満足そうなフィオナを見て、我慢できなかった。ガブリエルは手づかみで白米を手に取り徐に口に入れたのだ。
食したことのあるべちゃっとした食感ではなく、少し芯の残る。それでいて噛めば噛むほど甘みが増す。このなんの変哲もない米ですらこの仕上がりだ。
ガブリエルは本能のままに、白の衣を纏う海老を口にいれた。「ちょっ!」と、フィオナの怒った声が聞こえる。そんなの構うガブリエルではなかった。貴族の中でも一番の位の公爵。それも、王位継承権まで持つガブリエルに遠慮の文字はなかった。
サクッと小気味良い食感が口内を広がり、次にプリッとした海老の食感。抹茶塩なる調味料がほのかに塩気を足して、幸せが口の中を支配した。
ガブリエルが初めて味わう幸福感だった。
フィオナにとっては不幸にして、ガブリエルのフィオナの夕食簒奪は毎日のように行われたのだ。
毎日のようにというのがポイントだった。毎日簒奪されればフィオナも作ることをやめただろう。だけど、それも見越してガブリエルは毎日は行かなかった。
「あの天ぷらというのは、なんと美味なことか」
「ねぇ。そろそろ帰りたいんだけど」
「俺の一存で帰せるわけないだろ」
「患者がいるのよ。何ヶ月も患者を放置して、何かあったらどうするの?」
「そうならないように、王城仕えの治癒師をお前の治癒院に派遣してる」
フィオナはもう限界だった。軟禁生活には飽き飽きだ。話の聞かない公爵に、思い通りにフィオナを使おうとする国王。
この国の百年は先の治癒術を持つフィオナをこれから先も手放してくれるとは思えない。帝国と取引して医療機器が手に入ったにも関わらず解放してくれなかったのだから。
そのうえ、魔法が使えることがバレてしまえば、今以上に執着される可能性すらある。だからこそ、フィオナはいざとなれば風魔法で逃げられると思いながらも捕われていたのだ。どんなに威力を上げても目視できてしまうから。
フィオナは考えていた。誰にも悟られず姿を消す方法を。
「……水魔法と風魔法を合わせれば……」




