太陽の門
サムルクたちは、盗賊たちが仲間割れしているのを垣間見ながら、アラーニェおばさんを追いかけて広場の一階へと駆け下りていた。
アラーニェは遠巻きに、あの魔法使いをどう仕留めてやろうかと思案している様子で、コソコソと広場の物陰を動き回っている。
フラワシの話では、アラーニェおばさんはほとんど耳が聞こえておらず、もしも見つかるとしたら、その視界に入ったときか、それともアラーニェおばさんに伝わるほどの強い振動を感じたときだということだった。
サムルクたちはフラワシの言葉を信じ、アラーニェの背後から少しずつ距離を縮めていた。
サムルクはアラーニェに近づくにつれ、その体の大きさに圧倒された。
フラワシは、アラーニェに襲われたことを思い出して尻込みしたが、それでも勇気をふりしぼってサムルクたちの後に続いた。
アヴェスタは、仲間割れをしている悪党たちが気になるのか、それとも財宝の山が気になっているのか、アラーニェとアーリマン、両方の動向をせわしなく目で追っていた。
とにかく、何としてでもあの鍵を手に入れなければならない。
アラーニェを取り巻いていた蜘蛛たちが、散り散りになって姿を消した今がチャンスなのは間違いなかった。
しかし、アラーニェの首に掛けられた鍵を一体どうやって奪えばいいものか。
その機会をうかがいながら、サムルクたちは徐々にアラーニェとの距離を縮めていった。
サムルクたちは気づけばアラーニェと一緒になって、アーリマンの背後に回り込んでいた。
アーリマンは財宝の山の上で、いまだダハーカを空中に張りつけたまま処刑を楽しんでいる。
サムルクたちは、アラー二ェがアーリマンを襲うであろうそのときに、もしかしたら何かしらの隙が生まれるかもしれないと考えて、お互いが目くばせをしながらその瞬間を待った。
すると突然、アラーニェが急にその身を真後ろへ反転させて、サムルクたちはもろに見つかった。
――まさかこっそり近づいていたことを気づかれていたなんて!
サムルクたちは大声を上げ、慌てて身構えた。
しかし、アラーニェの狙いはサムルクたちなどではなかった。
アラーニェは、アーリマンに向けた臀部から粘着質な糸を噴射して、見事にアーリマンを絡め捕らえた。
しかし次の瞬間、アラーニェがそのままサムルクたちめがけて突進してきて、サムルクたちは大慌てで方々へと散らばり逃げた。
その時、勇敢にもトロールのトントがアラーニェの前へ立ちはだかり、手に持つ長斧を振り回して応戦してくれたことで、サムルクたちは、誰もアラーニェに捕まることなく、おのおのが無事に遠くへ逃げ切ることができた。
アラーニェは長斧を振り回すトロールをじっと見据えていたが、それよりもさっき捕らえた魔法使いが気にかかり、トロールを警戒しながらもソロソロと後ずさりしはじめた。
アラーニェに絡め捕られたアーリマンは、宝の山で這いつくばったまま動けなくなっていた。
宙吊りでいたダハーカは、アーリマンにかけられた魔法が解けて、今は床の上で左手首をおさえながらのたうち回っている。
アラーニェは、その巨体からは想像もつかないほどの速さで、糸に絡めたアーリマンへ駆け寄ると、間髪入れずにその足を魔法使いへ突き立てた。
確実にアーリマンの息の根を止めるため、アラーニェは何度となく前足を振り下ろしていたが、やがてその前足に伝わる手応えのなさに違和感を感じて、財宝の山に張り付いた自身の糸を取り除きはじめた。
すると、そこにあったのは魔法使いの外套のみで、アーリマンの姿は煙のように消えていた。
アラーニェは、確かに魔法使いを捕らえたはずだと、狼狽えながら辺りを見回していると、にわかにアラーニェの感覚毛が空気の振動をとらえ、反射的にその場から飛び退いた。
次の瞬間、アラーニェのいたその場所に、漆黒の稲妻が轟音とともに叩きつけられた。
飛び退いたアラーニェが天を仰ぐと、そこに空中に浮く青黒い肌をした魔法使いがアラーニェを見下ろしているのが見える。
「ほう……さすがはデーンカルドの主といったところか……」
アラーニェは、怒りのあまり身を隠すこともやめ、壁に飛びつくと、アーリマンへと向かって器用にお尻を突き出して、今度こそアーリマンを絡め捕ろうと糸を噴き出しはじめた。
アーリマンもまた、それを上手くかわしながらアラーニェに雷を浴びせはじめる。
広場はさながら、デーンカルドの強者二人の決戦場と化し、大蜘蛛の糸と、漆黒の稲妻が乱れ飛ぶという様相を呈した。
サムルクは、そんな修羅場となった広場の天井を覗き見ながら、とにかくバラバラにはぐれてしまった仲間たちと合流しようと、みんなを探しはじめた。
すると財宝の山から、サムルクを呼ぶ声が聞こえた。
「サムルク! 取り返したぞ!」
そう言いながら、大鷲をかたどったお守りを高々とかかげ、手を振るアヴェスタがそこにいた。
この騒動に乗じて、ちゃっかり退魔のお守りを取り返すなんて、さすが抜け目がないなとサムルクは感心しつつ、アヴェスタのもとへと駆けた。
周りからも、フラワシとトントが同じようにアヴェスタのもとへ走り出て来るのが見えて、サムルクはみんなの無事を喜んだ。
あのお守りさえあれば、少々時間はかかるだろうが"太陽の門"を開けなかったとしても、無事に地上へたどり着くことができる。
それに、あのお守りを大切にしていたシルプヘップ婆さんにも、ちゃんと返すことができるのだ。
サムルクは、アヴェスタに感謝しきれないほどの感謝をした。
そして満面の笑顔で、財宝の山に立つアヴェスタをあおぎ見た。
そのアヴェスタの後ろに、苦痛に歪んだ顔で短剣を握りしめているダハーカが迫り来るのを見て、サムルクは大声を上げた。
「アヴェスタ! 後ろ!!」
サムルクがとっさに放った叫び声よりも早く、ダハーカの剣はアヴェスタの右腹を深々と貫いた。
「へっへへ……ざまぁみろ! 舐めたまねしやがって、俺らの金を奪っておいて、よくもまた顔を見せてくれたぜ……!」
そう言いながら、ダハーカはアヴェスタの腹から引き抜いた血まみれの剣で、アヴェスタの腰に巻いてあった鞄を切り千切った。
「俺から盗んだ金はきっちり返してもらうぜ、お嬢ちゃん」
ダハーカは倒れ込むアヴェスタの手から、さらに退魔のお守りまでも、もぎ取ろうとしていた。
そこへ一番に駆けつけたトントが、アヴェスタにまとわりつく狼を追い払うかのように、長斧を振り回してダハーカを牽制する。
ダハーカはトントの攻撃をひらひらとかわすと、徐々にアヴェスタから距離を取った。
サムルクとフラワシもアヴェスタのもとへ駆けつけると、その足元に転がる財宝を手当たり次第にダハーカめがけて投げつけた。
ダハーカはさらに遠ざかり、ある程度の距離を保つと、「へへへ……何もそんなに怒ることはないだろう? 俺はその性悪女に仕返ししてやっただけだぜ」と減らず口を叩きながら、まだ退魔の首飾りを狙っているようだった。
サムルクたちはダハーカの相手をトントにまかせ、うずくまるアヴェスタを抱き起した。
「アヴェスタ!」
アヴェスタは虚ろな焦点の定まらない目で、小刻みに震えながら、血まみれの手をサムルクに差し出した。
「いたた……あたしとしたことがドジ踏んじゃったな……。ほら、これ……もう取られんじゃないよ……」
そう言って、血で赤く染まった大鷲のお守りをサムルクに握らせた。
アヴェスタを抱きかかえたサムルクの膝に、アヴェスタの生暖かい血が止めどなく流れ出ているのを感じる。
このままでは、どうしたって助からないことは、誰が見てもあきらかだった。
サムルクは涙を滲ませながら、すぐに、アヴェスタを助けるためにはガオケレナの力を使うしかないと考えた。
アヴェスタも同じように考えたのだろう。
息も絶え絶えにサムルクに告げた。
「あれを使うには、まだ若いんだけどなァ……、死ぬよりは……ましだね……」
それだけ言って、そのままサムルクの膝の上で力尽きた。
「アヴェスタ!!」
サムルクたちは大声で呼びかけたが、アヴェスタはもう動かなかった。
サムルクは間を置かず、急いで神酒の入れられた鞄を探したが、アヴェスタの鞄がどこにも見当たらない。
「サムルク! 鞄はあいつが持ってるぞ!」
そう言ってフラワシがダハーカを指差したのを見て、ダハーカに神酒を奪われたことを知ったサムルクは、考える間もなく急いで自分の鞄を下ろしながら言った。
「フラワシ、ガオケレナの根っ子はどうやって使えばいい!?」
「添えるだけでいいはずさ! アヴェスタの傷口に添えて、アヴェスタの血を吸わせてやればいい!」
サムルクは一瞬、――そんなことで――と思ったが、フラワシの言葉通りに、鞄の奥から引っ張り出した頼りないほどヨレヨレなガオケレナの根を、そっとアヴェスタの傷口へと近づけた。
すると、はじめその白い根っ子にアヴェスタの血がにじみ、赤く染まるだけだったガオケレナの根は、突如スルスルとほどけて糸のようになり、その糸がアヴェスタの傷口へと吸い込まれていった。
その様子をサムルクたちは固唾を吞んで見守った。
ダハーカまでもが、遠くから神妙な面持ちでそれを見つめていた。
その頭上では、アーリマンとアラーニェがいまだ激しくやり合っているのだろう、広場中を雷のとどろく音が鳴り響いていた。
そして、サムルクの持つガオケレナの根が半分ほどになったとき、根から出ていた糸が「ふつ」と途切れ、ガオケレナの根はその役割を終えたようだった。
見ると、アヴェスタから流れる血は止まり、傷口もすっかり閉じてしまっているようだった。
心なしか顔色も良くなったように感じる。
しかし、それでも目を覚まさないアヴェスタに、サムルクは不安になってフラワシを見た。
「大丈夫、すぐに目を覚ますさ」
そんなサムルクたちを遠巻きに観察していたダハーカは、興奮しながらアヴェスタから奪い取った鞄を床に置いてあさりはじめた。
「マジかよ……! こいつら、あのガオケレナを見つけ出したっていうのか……!」
サムルクたちは、ダハーカにガオケレナの神酒を奪われたことが癪ではあったが、今はそんなことよりも、アヴェスタを安全な場所へ連れて行くことの方が重要だった。
ダハーカが荷物をあさるのに集中している間に、サムルクたちはアヴェスタをトントに抱きかかえてもらうと、財宝の山から急いで離れた。
その時、頭上からすくみあがるような雷鳴がとどろいたかと思うと、次の瞬間、真っ黒焦げになったアラーニェが、まるで大岩の落石のように、ダハーカの真上に落ちた。
大きな地響きとともに、一度は財宝もガオケレナの神酒も手に入れたはずの盗賊ダハーカは、巨大なアラーニェおばさんの下敷きになって、その生涯を終えた。
サムルクたちは突然のことに驚き、恐る恐る頭上をあおぎ見ると、女王を殺された大蜘蛛たちが、四方八方からアーリマンに襲いかかっていくのが見える。
その大蜘蛛たちも、次々と雷に打たれ落ちてくるのを見て、サムルクたちは急いで物陰へと走り込んだ。
広場は混迷を極めていたが、サムルクは、アラーニェの首にぶら下がる"太陽の門の鍵"を取り戻すなら今しかないと考えた。
「アラーニェから鍵を取り返そう!」
物陰で頭上から落ちてくる大蜘蛛たちを見ながら、サムルクがフラワシとトントに呼びかけた。
それを聞いてフラワシが、まだ目を覚まさないアヴェスタを見ながら言った。
「おばさんから鍵を取り返したら、そのまますぐに門を開けたらいいんだけどなぁ……」
「フラワシは鍵を使えないの?」
サムルクはだめもとでフラワシに尋ねてみた。
「いや、鍵さえあれば、おいらじゃなくても誰でも門は開けられるんだ」
サムルクは、フラワシから予想外な言葉が返ってきて驚いた。
「それがいい! 早くここから離れないと、あの魔法使いがいつ僕らに向かってくるかも知れないし!」
大鷲のお守りさえあれば、フーム様に"太陽の門の鍵"を返すことなど、この悪夢のような場所から逃げ出した後にいくらでもできるはずだ。
ところが、フラワシは自分が言い出したにもかかわらず首を横に振った。
「無理だぜサムルク……、トロールは太陽の光りに当たると石になっちゃうんだ。だからトントは"太陽の門"のそばにはいられない。アヴェスタが目を覚まさないことには、おいらかサムルクがアヴェスタを担いで走らないと……」
それを聞いてサムルクは愕然とした。
もしも、フラワシと二人で力を合わせてアヴェスタを担いだとして、次々と落ちてくる大蜘蛛を避けながら、アラーニェのもとへ行くのは至難の業だろう。
サムルクはついさっきまで、もちろんトントがアヴェスタを担いでくれるものとばかり思っていたのだ。
トロールが日光を浴びて石になるという昔話は、確かによく聞いたことがある。
サムルクは、それをこんな所で思い出すことになろうとは考えもしなかった。
――どうしたらいいだろう、アヴェスタが目を覚ますまで待つべきか? その間にあの魔法使いが大蜘蛛たちをしりぞけて、自分たちを標的にしないといい切れるだろうか?
これからどうするにせよ、鍵が必要だと考えたサムルクは、焼け焦げた大蜘蛛たちが降りしきる広場へ飛び出す覚悟を決めた。
「とにかく"太陽の門の鍵"を取り返してくるよ!」
何かを考えている素振りのフラワシがサムルクに、「おいらも行くぜ」と言った。
それからフラワシが、「トント、おいらたちが"もしかしたとき"は、アヴェスタを連れてフーム様のところへ戻るんだぞ」と言うのを聞いて、サムルクは「もしかしたとき」とは、一体どういうときなのかとギクリとした。
しかし考えてもみれば、確かに、いつ頭上から落ちてくる大蜘蛛の下敷きになるかも分からない。
それどころか、たまたま二人を見つけた大蜘蛛が、二人に襲いかかって来ないとも言えないだろう。
この状況で、サムルクとフラワシが無事に鍵を取って戻ってくることができない可能性など、いくらでも思いついた。
それがフラワシの言う「もしかしたとき」なのだろうとサムルクは気がついた。
フラワシの言葉で、色々な可能性に気づいたサムルクは、低くうなりながら心配そうにしているトントと、サムルクの合図を今かと待っているフラワシを見た。
サムルクは、今でなければ感謝の言葉を伝えることができない気がして、二人を引き寄せ力いっぱい抱きしめた。
「ここまで一緒に来てくれて、フラワシもトントも本当にありがとう」
サムルクは、もっとありったけの感謝の言葉を伝えたかったが、それ以上の言葉が見つからなかった。
フラワシは突然抱きしめられて、照れくさそうに言った。
「おいおい! おいらたちこのまま蜘蛛に潰されちゃうみたいじゃないかよ!」
サムルクはフラワシに、「お前までこんな危険なことをしなくていいんだぞ?」と言うと、フラワシはサムルクの腕から逃れながら、「へへっ! 残念だったな! おいらはお前に腹いっぱい旨いもんをご馳走してもらうまでは離れやしないぜ!」といたずらっぽく笑った。
サムルクは、このデーンカルドでフラワシと出会えたことを心から感謝した。
「行こう!」
サムルクの掛け声とともに、サムルクとフラワシは大蜘蛛たちの落ちてくる広場へと飛び出した。
見上げると、天井を埋めつくすほどの蜘蛛の群れが、宙に浮きながら雷を放つ魔法使いへと、飛びかかったり糸を飛ばしたりしている。
その地獄のような光景を見て、二人は一瞬ひるんだが、サムルクとフラワシは床に転がる死骸を避けつつ、落ちてくる大蜘蛛をかわしながら、全力でアラーニェの骸へ突っ走った。
思ったほどの試練もなく、アラーニェにたどり着いた二人は、黒焦げて仰向けになっている大蜘蛛の女王によじ登ると、その胸にへばりついていた大きな鍵を鎖ごともぎ取った。
そして、すぐにアラーニェから飛び降りると、トントの待つ物陰へと一目散に駆け出した。
――なんてことはない、楽勝だ。
サムルクとフラワシは、トントの待つ物陰まで、あと半分ほどの距離に差し掛かっていた。
「危ない!」
その時、突然フラワシがサムルクを突き飛ばしたかと思うと、そこへ轟音とともに黒い稲妻がほとばしる。
あまりの爆音に、サムルクは酷い耳鳴りを覚えながら、突っ伏したままで頭上を仰いだ。
雷を落としてきた魔法使いは、大蜘蛛の大群を相手にしながらも、サムルクとフラワシを見据えて、ゆっくりと二人のもとへ向かって来ていた。
サムルクは、フラワシの言っていた「もしかしたとき」がやって来たのだと感じた。
――早く逃げないと!
慌てて立ち上がろうとしたサムルクの手から、"太陽の門の鍵"がもぎ取られた。
何事かと驚いてサムルクが振り返ると、そこでフラワシが何かを必死にわめいていたが、まだ続く耳鳴りのせいで、まったく何を言っているのか聞き取れなかった。
フラワシはおかまいなしに、サムルクから奪い取った"太陽の門の鍵"を床に突き立て、時計回りに勢いよく回した。
すると突然、サムルクの足元がバクリと開き、驚く間もなく二人は床に開いた大きな門の中へと吸い込まれていった。
それを見たアーリマンは、大蜘蛛たちの相手をきっぱりやめると、目にもとまらぬ速さで床に開いた"太陽の門"へ落ちる二人を追いかけた。
まるで獲物をしとめる蛇のように。