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二人の客(1)

「ところでこの方は?」

「……ああ、この方は」


 口を開きかけた瞬華にかぶさるように、過去数人の将の屋敷を担当したという侍女の響鈴きょうれいが口を挟んだ。


「この方が、あの錬暁さまよ」

「え……この方が、書簡のご本人なのですか? 筆まめな方だから、私、ずっと文官さまなのだろうと……こんな、逞しい方だったのですね」


 配属されたばかりの若い侍女、雲珠うんじゅがぽつりとつぶやくと、泥まみれの錬暁に目を落とした二人の侍女を見やりつつ、瞬華は侍女たちが交わす会話に耳を傾ける。


「そうよねえ、気づかいの仕方がまさに、文官さまのそれですもの。この方のお遣いをされる方を何名か見ているけど、皆本当に物腰が柔らかいの。だからついこちらも勘違いしてしまいそうになるのよ。嬉しいやら困ったやら」

「それ、あります。きっとこの方もお優しいのでしょうね」


 初めて本人を見たにしては、侍女の印象がやけに鮮明で警戒心も低いことにわずかな疑問を抱くと、瞬華はおもむろに、泥まみれの将の周りで盛り上がる侍女二人の会話に口を挟んだ。


「あの……お前たち。随分よく錬暁殿を知っているようだな。何故なにゆえだ?」

「実は、この方から書簡を頂く時に、お遣いの方が私たち侍女にと、差し入れを頂いておりまして」

「何? 差し入れ?」


 初耳だった。

 放った声音が思わず棘を帯びたと同時に、問いに答えた雲珠の顔色がたちまち真っ青になったのがわかった。


「すみません、瞬華さま! 瞬華さまご不在のときでしたので、皆で開けてしまったのです! 使者の方も、このことは言わなくてもいいと仰られていましたもので……!」


 響鈴と衛兵も困ったような視線を配せあう。雲珠がそのうち平身低頭して謝罪の言葉を連呼しそうだと察すると、瞬華は、慌てて彼女を両手で制した。


「いや、そうじゃない。差し入れを開けたことを怒っているわけではなくて――尚更この方を見過ごすわけにもいかなくなってしまったんだ。

 将たちは皆、命を賭けた厳しい世界で生きている。

 彼らにとっては、些細な便宜も策になりうる。それに気づかず、私たちもただ貰ってばかりだと、そのうち策に取り込まれ、利用されてしまうことになりかねない。色々便宜を図ったのだから意に沿わぬこともしろと迫られたら、貴方たちも困るだろう」


 丁寧に噛み砕いた表現で教えると、侍女たちの表情がたちまち消沈していく。


「……そうですね」

「申し訳ございません、瞬華さま」


 自然とその言葉が聞こえてくるのを待って、瞬華は語気を変える。


「貰ったものはなんであれ、今後は私に報告してくれないか。その方に失礼があってはいけない。

 錬暁殿からお土産を貰っていたのなら、誠意を持ってお返しできるのは今しかない。貴方たちを頼りにしているぞ」

「はい!」


 一転、嬉しそうな侍女たちの威勢に瞬華は少々戸惑うと、困ったように頭に手をやった。


「だから、あの……くれぐれも内密にな?」

「うふふふふ」


 どこまで理解しているのやら――鈴を転がすように笑い合う侍女たちの声に、瞬華はため息をついていた。


*


 自邸に入った一行は衛兵の力を借り、裏門から錬暁を風呂場まで運び入れる。

 集められたうら若い侍女たちが黄色い声を上げるなか、響鈴が侍女長の朱砂しゅしゃに説明すると、事情を飲み込んだ彼女の顔がきりりと引き締まる。


「皆聞きなさい! あなた方を三班に分けます。各自、決められた仕事をするように!」


 てきぱきと人員配置され、侍女たちが散っていく。


「でも、ひとかどの武将さまがこんなになるなんて、どうしたのかしら」

「目を開けてくださればいいのに」

「素敵なお髭……武将さまは、皆こうなのかしら」


その場に残った錬暁洗浄班の雲珠含め三人が、衛兵によってさいに横たえられた泥まみれの錬暁から、器用に衣服を脱がしていく。


「服、裏で洗ってしまいましょうか?」

「ちゃんと乾くかしら」

「そこが私たちの見せどころよ? どうにかしましょう」


 妙に活き活きと仕事に勤しむ侍女たちに、ふと瞬華がひとり取り残されたような感覚に陥ると、泥にまみれた錬暁の服を洗濯場へ持ち去ろうとした侍女長を捕まえる。


「朱砂、私が出来ることがあれば言ってくれ。何でも手伝うから」


 その言葉を聞くやいなや、侍女長はにこりと微笑んだ。


「ご心配なさらず、私たちにお任せくださいませ。瞬華さまは、ここの主。さあ、悌夏さまをお迎えするご準備を」

「いや、だが……」


 力を込めた瞬華の手をそっと押し留めると、侍女長は静かに首を横に振った。それが手出し無用とする合図と理解すると、瞬華は空気に押されるように頷いた。


「わかった、では頼む。この様子では今夜は目覚めることはないだろう。ゆっくり休んで頂いてくれ。

 それから……悌夏殿と会わせてしまうと、少し事が面倒になりそうなんだ。錬暁殿の部屋には一人ついていて欲しい。できるだろうか」

「承知いたしました、瞬華さま」


 浴槽に温かな湯が張られだし、湯気が立ち上りはじめた。だが、錬暁はまるで目覚めるのを拒むかのように、湯船の縁にぐったりと頭を預け、じっと湯に浸かったままだ。

 その時、瞬華準備班となった響鈴が彼女に近付き、耳打ちする。


「瞬華さま、そろそろお客さまがいらっしゃるお時間です」

「……そうだった。準備を手伝ってくれ。もう一班はどこへ?」

「ご心配なく、厨房にてお料理をしていますから」


 かくして、夕暮れ――

 再び静まり返った屋敷の敷地、酒の入った小さなかめを抱えてゆっくりと門扉をくぐってくる人影は、正面玄関ので揺らめく篝火の横で待つ瞬華の姿を認めると、軽く片手を挙げた。


「遅れてすまん、悌夏だ。祝いに酒を持ってきた」

「付きの者は?」

「ん? 今日は俺一人だぞ」

「……わかった」


 これならいけそうだ。

 そう思いつつ、瞬華はにこりと微笑んだ。

「酒はそちらへ。少し案内する、ついて来てくれ」


*


「やはりいい建て方をしているな」


 先ほどの喧騒はどこへやら、等間隔に置かれた灯明が静かに輝く屋敷内を案内して回りながら、悌夏は感心したようにため息をついた。


「そうなのか?」

「ああ。位に対して厚遇もいいところだ。しかし……お前の屋敷、随分と物が多いな」


 三つほど見せられた部屋には雑然と大小の箱で埋められ、最後の部屋に至っては私信と思われる紙束の山で埋め尽くされていた。


「色々送られて来るからな。私信から装身具まで、実に多岐にわたるよ」

「もしかして執務室にある飾り櫛、贈り物のほんの一部か」

「そうだぞ」


 興味なさげに相槌を打ちつつ、瞬華はちらりと悌夏に目線を流す。


「一応考えているふりはしておいたほうが良いと殿に言われて、適当に積んでおいてるんだ。

 まあ、あまり意味はないようだけど」


 私信と思しき紙ばかりの部屋の扉を閉めかけた悌夏はふと口を開いた。


「そういえば、だが――まだ羅布麻から文が来ているのか」


 羅布麻が瞬華を一目見て気に入り、その後、学ぶ事などないと思われた文字を学びだしたという話を悌夏は聞き及んでいた。


「最近はないよ。羅布麻殿はもう飽きたみたいだ」

「ではあの文の束は?」


 扉の隙間から指し示した先、比較的新しい私信の山を指すと、瞬華は気軽にその名を口にする。


「ああ、そこの山は錬暁殿から」

「錬暁? なぜ奴が?」


 また錬暁――どこまで侵食しているのだ。

 平静を装いつつも悌夏がそう問うが、瞬華の声音は変わらない。


「ああ、言ってなかったか? 最初は羅布麻殿一人で送るのは嫌だからと一緒に書かされたらしいんだ。最初はひっそりと忍ばせてあったのだけど、今はあまり気にしてないようだな。

 彼は羅布麻殿の名代も務めているし、唐突に繋がりを切るのも不自然だから」

「では、なぜ別の山にしている」


 そういう特別扱いは俺だけにしてくれ――羨望のあまりそんなことを胸の内でこぼすと、彼女はわずかに微笑む。


「錬暁殿の文は、転戦先の情報がかなり詳しく載っている。こちらの状況把握を手伝ってくれている。時折読み返すこともあるから、目立つように別の山に分けた」

「返すのか?」

「時間があれば書くこともあるけれど、毎回ではないよ。あちらは常に動いているし、返せなくて悪いと思うこともしばしば……」

「――気に入らんな」


 この信書がどういう目的で送り続けられているか一向に気づきもしないとは――実に素直に恋敵との進捗を披露した彼女に、悌夏は忌々しげに呟いた。


 瞬華と錬暁の間には、悌夏の知らない三ケ月が存在している。

 再会を果たしたあの夜、瞬華自身はなにもなかったと答えてはいるが、錬暁の家に手負いで運び込まれ記憶も失っていることもある。

 復讐者として生きてきたゆえに、何が正しく、何が許せることか、その判断基準があやしいと自覚する彼女である。無防備というよりもその辺の感覚が偏っている場合もあろう。

 そして錬暁のほうにも、彼だけが知る瞬華の姿があるゆえに、事件解決後もこうして繋ぎを取り続けているのだと見て間違いはない。

 そもそも男というものは、勝算がないならば決して手を出すことのない生き物だ。彼自身が男であるゆえに、その点は重々理解しつくしている。


「気に入らない? ただの情報だ、どうしてそうなる」


 じろり隻眼が瞬華を見ると、不思議そうに首を傾げる彼女の姿がある。


「錬暁に対して無防備すぎる。あいつを期待させるな」

「別に、期待させてなど……」

「命じておく」


 有無を言わさない口調に瞬華は少し閉口したものの、命令という形での強い制限を受け容れると、面倒くさそうに渋々頷いた。


「……承知しました。指示明瞭で助かります」


 会話が途切れかけた時、柱の影から侍女が顔を覗かせると、廊下に佇む二人の背に向かい声を掛ける。


「瞬華さま、悌夏さま。お食事のご用意ができました」


 瞬華はぱっと表情を明るくすると、自らの腕をするりと悌夏のそれへ絡ませた。


「ではこちらへ、悌夏殿」

*

 酒器で酒を注ぎ足しながら、二人は和やかに酒盃を重ねていた。


「美味しい酒だな」


 灯明が輝く広間に、小ぢんまりとした二人だけの席。

 酒の肴に合うよう上品に整えられた鶏の焼きものや、季節の花々に似せた美しい彩りの蒸し物が並ぶ卓を眺めながら、ほろ酔いの瞬華がそう褒めると、悌夏も自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「喜んでくれたか」

「ああ、十分にな」


 空になった酒盃にお互いに注ぎ合い、酒を受け、更に飲み干す。


「しかし、悪いな。許婚者の居る貴方を、私などが独り占めしてしまって」


 悪女のように、皮肉げにくすりと笑う瞬華に、悌夏はふと思い立ったように投げ掛ける。


「瞬、あの契約なんだが――」

「盃が空だぞ、悌。もっと飲んでくれ」


 酒器の注ぎ口を向けかけた瞬華に、悌夏の指が触れた。


「瞬。その事で、大事な話をしたいのだが」

「女の酌を断るとは無粋だな。ほら、もう一献」


 そのまま酒を促す瞬華に、悌夏は酒器を待ったを彼女の手を抑えた。


「今、話したい」


 驚きに見開かれた瞬華の大きな双眸が、きらりと灯明に揺れた。

 悌夏は酒器の取っ手を握り込んだ彼女の手をそっと卓に付けさせると、満を持した表情で語り始めた。


「お前が企んでいた大計はついえ、仲間に迎えられるためのみそぎも終わった。俺は、もうそろそろお前が積極的に他人と触れ合っても良い頃だと思っている。

 既に終わってしまった事ではあるが――俺はあの夜、とにかくお前を手に入れたくて、お前の気持ちを確かめる前に、強引に想いを遂げてしまった。

 順番が違うのは重々承知の上で言うが……俺はお前が好きだ。

 だがお前の気持ちまでは、俺は解らない。今それを、ここで確かめてもいいか」


 完璧なまでの愛の告白だった。

 しかし、瞬華は僅かに目を伏せると、静かに言葉を紡ぐ。


「貴方の配慮はありがたく思っているし、貴方の気持ちもよく知っているよ。でも……私は貴方に従いたい。それではいけないのかな」

「ああ、それではいかん。肝心の、お前の気持ちが解らない」

「……」


 瞬華が己の唇を軽く噛むのが見えた。


「俺に従うから、やむなく唇も許していると?」

「……それは、違うけれど」

「では、どういう事だ」


 答えづらそうに眉根が寄る。

 しばらく頭の中で答えをまとめていたかのように視線すら動かなかったが、やがて小さく呟くように、瞬華は答えをぽつり口にする。


「私が従うのは……貴方、だけだ」

「それは、ただの主従でしかない。すり替えるな」

「……」


 非難ではなかった。

 だが瞬華は、黙したまま口を割らなくなった。


「瞬。俺がどんな言葉を聞きたいか、解っているのだろう?」

「……ああ」


 そこまでしてまで口を割らぬのは、まだ見ぬ許婚者――実際は目の前に居る悌夏本人なのだが――に遠慮しているからなのか。

 あるいは彼女の胸に、既に誰かが住んでいるのか。

 強い男が数名の女を囲うことが常識であるこの世において、元間者の瞬華がこの当たり前を受け入れていないわけではあるまいに――心の底に、おりのように沈む疑問を感じつつも、悌夏は答えを得ようと、更に踏み込む。


「それともお前の気持ちは……俺と同じなのか」


 どうしても聞いておきたかった。

 言いたくないのなら、頷いてもらうだけでも良かった。


 しかし悌夏のはやる気持ちとは裏腹に、瞬華は目を伏せたまま、短くかぶりを振った。


「瞬」

「……済まない、もうこの話は終わりに」


 否定も肯定もせず、ただ答えることを拒まれた悌夏は、酒器を握った彼女の手から、自ら重ねた手をするりと退いた。


「……解った」

『私も、悌が好きだ』と言う言葉を聞くことになるのはいつになる事やら――それ以上の追及をやめると、悌夏は話題を変えた。


「そういえば――先ほど、かわやの場所を聞くのを忘れていたんだが」


 まるで気にしていないかのように問うと、瞬華も倣うように語気を合わせる。


「この部屋を出て、右だ。そのまま道なりに行けば背の高い灯明が立ってる。その奥にある」

「ならば分かりやすい。ちょっと行ってくる」

「……ちゃんと、戻って来るんだぞ」

「もちろんだ」


 少し心配そうにそう訊く瞬華の瞳を受け、彼は微笑みつつ席を立つ。

 その時、がちゃりと卓に立て掛けた刀を持ち出していたことを目の端にとどめた瞬華は、己の手で酒を注ぎ足しながら、ほろ酔いのままつぶやいていた。


「……刀くらい置いていけば良いものを」


  *


 ゆっくりと廊下を進みながら、悌夏は薄暗がりの視界の先に一本だけ立っている灯明を目指していた。

 内廊下の角を曲がりその灯明を見つけると、大股で歩み寄っていく。


「ここだな」


 そう独りごちつつ進もうとした途端、悌夏は人気ひとけを感じ、内廊下の奥にふと目を遣った。


 ずるり、ぺたり。


 だらしなく履いた草履の音とわかる。

 そしてその音とともに、廊下の向こうから

白い夜着をまとった人物がふらふらと歩いてきたことで、悌夏は己の身体から、すっと酔いが抜けたのを感じた。


 誰だ、あれは?

 揺れる灯明の並ぶ薄闇のなか、再びよく目をこらして見た瞬間、悌夏の頭はその意外な正体に真っ白になった。


 いつも一筋も乱れることなく、きっちりと結い上げているはずの髪。

 小奇麗に整えてあるはずの口髭。

 すべて洗いざらしたままになっていたが、彼には判別がついた。

 間違いなく、あれは……。


 なぜ、瞬華の屋敷で夜着を着ているのか。

 なぜ、この時間に瞬華の屋敷にいるのか。

 なぜ……まさか……。


 困ったように目を伏せ、彼の告白への答えを保留した彼女の表情がふわりと浮かんだ。


 ――まさか、この男が原因か?


 瞬間、悌夏はほぼ無意識のうちに刀を抜き放っていた。


「錬暁……やはり、貴様……」


 ごとり、鞘が手から離れ、床に転がる。

 低く唸る悌夏の目に明らかな怒りが浮かび、彼は静かに腰を落とし、構えた。


「貴様、斬り殺してくれる!」


 吼える。

 抜き身の刀先が鈍く光を帯びる。

 悌夏の足が廊下を蹴る。

 一気に間合いを詰めた刹那、それまで虚ろだった錬暁の瞳が、ふと光を取り戻した。

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