伝手
──驚いた。悌夏殿の軍、生まれ変わったかのようだ。
陣を敷いた悌夏・蒼弦の拠点。
兵数は微増。しかし幕舎は寸分のずれもなく規則的に建てられ、彼の下に集う兵たちが皆緩みなく駐屯するさまが見てとれる。
近隣の村からは食料が届けられ、本陣も村を守る形で布陣している。背後では屯田も行われ、戦闘が終わり次第、全て村に明け渡す約束なのだという。
──戦に巻き込まれた村は家を一時放棄して近隣に逃げ出すものだが……守り通す約束で協力を仰いだとは。
広場に設けられた戦机に数名の兵たちが群がっているのを認め、錬暁はそっと足を向けた。
*
「皆、戻ってきたようだな。敵陣の様子はどうだ」
悌夏が声を掛けると、一斉に拱手する。
「こちら、ご覧ください。空堀を掘った土で城壁を厚くしているようです。明け方少し触りに行きましたが、わざと脆く補修してありました。おそらく井蘭を渡した瞬間、崩れて足場がなくなります」
「なるほど」
「今見えている外郭の構造物、全て瞬華さまの罠砦にあったものと同型のものです。
あちらは地形的に資材繰りが難しいはず。その中で砦の補強をしているなら、簡易なものを繰り返して配置することになります。十分見破ることもできるでしょう」
燕面が満足気な表情をする横で、悌夏も微笑む。
「形になってきたようだな。それでは先方の兵站の状況を聞きたい。回回、頼む」
「んー。随分と豪勢だったなあ。昼間から鶏に米、餅米炊いて豆の匂いまでしたぞ。
ああ、粽に似てるんだ。よく祝いの席で出されるやつだ」
「おかしいな。竹材を運んで以降、兵站の列を見ない。明らかに城砦内には物資が無いだろうに」
「民は外に出ていません。その証拠に、畑がまったく手入れされていない」
少量拝借してきた野菜に目を落とすと、収穫時期を過ぎ、可食部である球形の根部に大きくひび割れが入っている。民が外に出ていないと見え、一同は考えを巡らせる。
「何考えてんでしょうね、一体」
「何も考えてないですよ」
弓を張り直しながら波稜が吐き捨てた。
「どうにもおかしいんですよ。ちぐはぐ、というのか……無駄が多すぎる。出先に来てまでこんな面倒な食事を作らせますかね? ここの君主とやらは戦場を舐め腐り、相当な見栄を張っている、としか」
「うーん、波稜もそう思うかあ?」
回回が浮かない顔で呟いた。
「実は、城壁のほうから飯の匂いが全くといっていいほど無いんだ。さっきひとまわりしてみたけど、あっちの──城のほうからだけ、豪勢な匂いが流れてきてる。
兵のみんな……一体なにを食べてるんだ?」
曰く、兵糧に極端な偏りがあるのではないか──回回の口調からそう判断する。
「牽は建国六年と聞く──この情報が正しければ、まだ創業当時の人材が重鎮として残っていても不思議はない。しかし現在、慕い付いてきた兵を離反させるような兵站を敷いている。
自ら突出し籠城の構えを取るよう働きかけたのが瞬華だとしても──領土の拡大を狙う小国の取る戦術としては相応しくない」
「既に別の者が牽の主として振る舞っている、ということは?」
「あり得ない話じゃないですね。建国と同時に内部から簒奪に遭ったなんて、そこそこ聞く話です」
「牽の、新たな支配者にとっての初陣が、この陣容ってことですか……」
うーん、と唸る。
「兵を抱き込むなら使える手はある。ただ、届ける手がなあ……」
「夜、上から忍び込めないか? 波稜の弓の腕で」
「兵を抱き込むなら人に当てるのは問題ですよ? 鉤縄の上手な工兵が居れば話が早いんですが……確か、少し前に登攀技術を持つ工兵が軽業師だったと判って、根こそぎ追い出してませんでしたっけ?」
あー、と一同に落胆の声があがった。
「参ったな。これでは正面突破しか……いやダメだ。どう見ても正面には色々仕掛けてる。瞬華さまも気をつけるよう仰っていたしな」
「一旦解散し考え直そう。そろそろ飯になる、食ってからまた集まろうか」
*
給仕役の兵から飯を手渡され、錬暁は済まぬな、と、短く挨拶を返した。
将としては幕舎に戻ってもよかったが、なぜか不思議なほどの士気高さに、錬暁は陣の内をつぶさに見て回りたくなっていた。
砕いた餅米と玉米の入った濃湯、鉄板でよく炙った豚肉を、軽く温めた胡餅に挟んだ軽食を手にうろうろとしていると、中央に無造作に置かれた戦机のそば──悌夏のいた会議で見かけた大柄な体躯の男に目が留まる。
「お前、婆那娑――ではないか?」
「? ……れ、錬暁さま!?」
大きくかぶりついた跡のある胡餅を地面に置こうとした婆那娑を、錬暁は制した。
「そのままで良いぞ。お前と話をしたいと思ってきたのだ。会話は食事のついでで構わぬ」
「は、はい!」
婆那娑とその場に共に座り込み、錬暁は彼と食事を共にし始めた。
「久しいな。しばらくぶりにお前を見たが、羅布麻殿の下にいたときより、表情が冴えたように感じる」
「錬暁さま、私を気にしていてくださったんですか……ありがとうごぜえます」
ふ、と笑むと、錬暁はぐるりと首を巡らせつつ、濃湯の器を軽く傾ける。
「ここは良い陣容をしている。糧食にもこだわりがある。士兵にとっては居心地もよかろうな」
「そうですねえ。ここはおいらのような半端者が自由に生きられる、うってつけの場所になりました」
「半端者、とは?」
「悌夏さまの下に集った俺たちは、皆上官命令に従わなかった奴らばかりなんですよ。
どっちかというと、伍長やなんかに楯突いて干されちまったり、隊を叩き出された奴らばかりでして。
ただ、皆それぞれ得意なものがあって――逆にそれで命が繋がってる奴らなんです」
「得意なもの、か。婆那娑の得意とは何になる」
錬暁に話を振られ、婆那娑は照れたように微笑む。
「へへ。おいらの特技、今回の戦いに参加はしてますが、なにぶん地味なもんで……しっかり準備はしてますよ」
照れを隠すように大口で胡餅を平らげていく婆那娑を見つつ錬暁も胡餅を一口齧る。
「ところで、先程は悌夏殿と何を話し合っていたのだ?」
その声音が少し鋭かったか、婆那娑はその場でぱっと姿勢を正した。
「ああ、別に貴方さまを陥れる算段じゃありません。俺たち、ただの兵卒ですから。悌夏さまは、全員生きて帰れと仰った。その命に逆らうことを、俺たちはいたしません。
錬暁さまは俺達など気にせず、存分に暴れなすって下さい」
「そうであったか。ならば、やるしかあるまいな」
胡餅を腹に収め、ぐっと濃湯を飲み干した錬暁の側に、ふらふらとした、老いた人影が近づいたのはその時だった。
「すみません。こちら、朮軍の陣でございましょうか?」
かすかに嗄れのある凛とした声に、婆那娑が思わず立ち上がった。
「おう、そうだぜ?」
「それは良かった。
実は、こちらに悌夏さまがいらっしゃると。是非にもお目通りをと思いまして──」
人影が陣の総大将の名を口にした瞬間、錬暁は婆那娑の肩に手をかけると、一歩踏み出し応対を代わる。
「お前は何者だ? もうじきここは戦になる。早く発ったほうが身のためと案ずるが」
「それは困りました。
軽業師を二十名ほど、お届けに上がったのですが……」
「軽業師?」
人影は闇に向かって手招きをすると、少し離れたところで小さな松明がぽつぽつと灯りだし、ゆっくりとこちらに向かってきているのがわかる。
「ええ。気力胆力いずれも劣らぬ、最高級品で」
篝火の焚かれた陣の端、数台の馬車に少ない荷物を分乗させただけの、珍妙な出で立ちの旅芸人の集団が現れると、婆那娑はうーん、と頭を抱える。
「こんなところで芸を見せられても……」
「そう思われますか?」
後ろを振り返り、手で合図すると──
馬車の中にいた男たちが、不敵な表情で手に手に鈎縄を構えた。
「登れるのだな」
「ええ、問題なく」
確認は短い。
「婆那娑」
「へい!」
「至急、ここに悌夏殿を呼んでくれ」
*
「随分と良いときに来たな」
皮肉げに悌夏が告げる隣で、行商人は深々と頭を下げていた。
「こちらとしてはすぐにでも雇い入れたい。行商、彼らの代金は」
「いえ、お代は結構でございます。この支援は──ささやかなお詫びの気持ちでございますので」
「ほう? どうも俺のことをよく知っているようだな。どこかで前に会っていたか」
「いえ。厳密には、会ってはおりませんな」
頭を僅かに上げ、行商はおずおずと口を開いた。
「伝手を通じ、ずっとあなたさまを見ておりました。その上で、当方は一時の信頼を寄せたまでのこと」
「お前は『知の者』というわけか」
商人は静かに頷いた。
「都督の出自は露蜂房だそうだな。今はだいぶ旗色が悪いと聞いている。協力はその者の救出を願うためか」
「……はい」
「よほど、お前にとって親しいようだな」
「……幼い頃より、見守っておりましたので」
「……なるほどな」
だが、と前置きして悌夏は続けた。
「都督は赤子ではない。俺たちなどより数倍も頭が切れ、挽回の手筈も既に整えているはずだ。そんな人間が苦境にも関わらず、死地より逃げ出さぬとは──都督にはこの戦に確たる意志がある、その証に他ならんと思うが」
「……確かに、そうでございます」
再び頭を下げ続ける行商に、悌夏は厄介だと言わんばかりに大きくため息をつく。
「わかった、最善は尽くそう。だが我が軍の兵力に余力がない。またこちらにも優先的に救いたい者がいる。回収はその後と思ってくれ」
「承知いたしました。……今回は露蜂房が大変お騒がせをいたしました。この協力にて、どうかこの件はお手打ちにしていただきたい。
馬車の中に乾貨をご用意しております。牽軍の郷里は海に親しい。ぜひ、策の足しにしていただけますれば」
「すまんな。協力に感謝する」
*
──
ごめんなさい。
私は、貴方の側に居られません。 良姜
──
燕面が震える手で渡した紙片の内容に、悌夏はすべてを察した。
「申し訳ありません、悌夏さま」
「いや、いい。行商は」
「残念ながら、近くにはもう……」
「……なるほどな」
闇夜に去った行商と良姜の後ろ姿を思いながら、悌夏はふと頬を緩める。
「おい、燕面」
「はい?」
「さあ、大風を吹かすぞ。生きていたら、お前たちを全員副将に格上げだ」
「えっ?!」
「俺は約束を反故にはせん。しっかり働けよ。さて──」
軽業師の男たちを前に、悌夏は語った。
「壁を登ったのち、してもらいたいことがある。
詳しいことは中央で話す。ついてきてくれ」




