欠けた王の器
奇妙な空間だ、と瞬華は思った。
望江南、中央楼閣一階。
円柱状に土を深く掘った、簡易な穴牢のような──大柄な人間一人分が頭まですっぽりと隠れる深さの穴底に中央に格子の仕切りを設けた、半円状の独房がふたつ、そして見学用の通路が設えられていた。
清潔に保たれているその片方には、主のいない玉座と、片隅が切り落とされた戦机が放置されている。
「こちらでございます」
看守に金を握らせ、少しの間、離れるように伝える。
内周の弧に沿うように造られた看守用の階段を降りると、ちょうど長い竹棹を房中に差し込まれた囚人と目が合った。
「余所見をするな」
「……はい」
先端の切込みに信書とおぼしき何かを挟みこむさまを横目に、空の玉座のある独房へ足を進ませると、そこに昼間狼藉をはたらいた男が、不敵な笑みをたたえたまま床に片膝をついて座っているのが見えた。
「よう。やっぱり来やがったな、芙蓉門」
「軽々しく呼ぶな。不愉快だ」
「ここに来たってことは、俺と話がしたいんだよな? もっと近くに来てくれよ」
手が触れる、ぎりぎりの間合いを確保しつつ格子の前に立つと、うっとりと囚人が笑みを浮かべる。
「いいねえ。あんたのような上玉、久しく見てねえや。もっとこっちで見せてくれよ、なぁ」
「質問はひとつだ。お前はいつ、誰に芙蓉門の名を聞いた」
華やかな存在感を放つ女の姿からはかけ離れた、低く圧のある声音を聞くと、獄の中の男は垢にまみれた頬に、皮肉げな笑みを刻んだ。
「つまらねえ質問を投げやがる。俺が怖くねえのかよ」
「いい握力だったが、手負いなのだろう?」
誂えた腕輪のように、手首に絡みついた白い痕――力を込めきれず、指二本分が欠けたようについた痕を思い出すと、男はどこか嬉しそうな表情でに悔しがる。
「ちぇ……知ってたのかよ」
「気は済んだか。では質問に答えろ」
単刀直入に問い直す。と、独房内の男は粗末な筵に座ったまま、剣呑な表情で彼女を見上げた。
「いっとき、芙蓉門の男と旅をしてよ。俺にとっちゃあ協力的な好漢だったんだ」
「芙蓉門は自ら身分を明かさない。お前は珍しい騙りに会ったのだな」
足を運ぶ価値はなかったようだ──興味を失ったように身を翻しかけると、格子向こうからひどく憤慨した声が飛んだ。
「間違いだって言いたいんだな?」
「──」
声に嘘は感じられない。
瞬華が再び延索を見ると、彼も眼光を爛と輝かせる。
「俺は確かにこの目で見てる。そいつは左の腕にあったよ――お前さんの背中と同じ、芙蓉の柄がよ」
「お前、それをどこから──」
瞬華が何事か尋ねようとした刹那、隣の房から鋭い声が飛んだ。
「延索さま! いけません!」
飛んできた声に、はっと瞬華が口調を改めた。
「延索? お前、延曲の──」
「おう、その通り。弟が迷惑かけちまって、済まねえな」
にやり。
囚人姿の男──牽の前王・延索。
爛とした眼光はそのままに、やたら生気に満ちた笑みを浮かべた。
*
「俺たちはもともと、陸に拠点を持たない水賊でさ。運良く流れて来たあんたの仲間に助けられて、俺達兄弟の寄って立つ地を得られた。お前も満山紅から来たんだろ? あそこがそうなんだ」
そう誇らしげに語る延索に、苦虫を噛み潰したかのような表情で瞬華は答えた。
「芙蓉門は天崖山を守るためだけの組織だ。外を見る者は限られている」
「じゃあ俺は、その『外を見る者』と行き会ったってわけか」
ふふんと鼻を鳴らし、確信に裏打ちされたような微笑を浮かべる牽の前王は、その場で身を乗り出した。
「だけどよ、土地探しにはずいぶんと熱心だったんだぜ? そいつの名は紫河。ってんだけど──知ってるよな」
その名が彼の口から発せられた刹那、瞬華の眉が、ぴくりと反応した。
「ああ、やっぱ知ってんだ?」
表情を見るに長ける、異様にぎらつく瞳をかわしつつ、諦めたように瞬華はぽつりと明かした。
「その者は信頼に値しない。足取りも掴めない。残念だが」
彼に繋ぎをつけることは不可能だ──彼女の雰囲気を察し、延索と名乗った男がそれとなく話題を変えた。
「そういや、芙蓉門ってもうないんだってな」
「ああ」
「紫河、言ってたぜ。『芙蓉門は近く滅びる』――あいつの予言の通りになった、ってわけだ」
「……」
会話が閉じゆく空気を感じ取ったか、延索はわざと時間稼ぎをするように、考える姿勢をとる。
「芙蓉門がどう思ってたかは知らねえけど、俺には紫河が、至ってまともな人間に思えたけどな。
逆に――俺には、お前のほうが解らねえ。
紫河には、天崖山の防衛に敗色が見えた時点で、芙蓉門は全員が死ぬ約定になっていると聞いた。
芙蓉門は朮軍に滅ぼされたんだろ? じゃあなんで、お前は侵略軍の将なんかに収まってる? 裏切ったのはお前ってことか?」
「……!」
ぎりと刹那、ひときわ強い殺意の視線を放つ瞬華の表情に動じず、延索はまるで挑むように笑いかける。
「――ああ、そこは色々事情があるわけだ」
今の反応で理解した──有無を言わさぬ語気に仕方なく頷いてみせると、彼はまるで囚人とは思えぬほどの笑みを見せた。
「なあ。だったら今、俺と一緒に逃げねえ? 芙蓉門の人間は城にも玉にも負けねえ価値がある。
生き残りのあんたと組めたら、今度こそ俺は最高の主になれるぜ。一度は同門の人間と組んだ実績もあるしな」
「悪いが、興味はない」
即座に誘いを切って捨てた瞬華に、食い下がるように延索は片膝を立てにじり寄った。
「そんなこと言うなって。海の向こうに手頃な島がある。肥沃な、いい島なんだ。
俺をここから出してくれよ。
俺にまた、国作らせてくれよ。あんたの手伝いもいっぱいする。飽きさせたりさせねえからよ」
ぎらぎらとした視線が無遠慮に瞬華を射抜き、彼女は思わず一歩退いた。
「延索さま!」
再び鋭い声が飛び、瞬華ははっと声の主を見た。
先ほど通りがかった時、必死の表情で筆を動かしていた男――こちらを睨んでいたが、彼女の視線に気付くと、すっと頭から布を引きかぶり格子の裏に身を隠してしまった。
「いいじゃねえかよ、薯蕷。
俺の人生はほぼ終わった、こっから先どう生きようが自由だろ!」
薯蕷、だと──?
にわかに耳を疑った瞬華をよそに、格子を挟んだ、手前と奥で二人の囚人は言葉を交わす。
「いえ。……本当に逃げるおつもりなのですか」
囁き声に近い、小さな問い。
「逃げるときはお前も一緒だ。何回も言ってるが、俺の手足となれるのはお前しかいねぇんだからよ」
まだまだ諦める訳にはいかぬとばかりに気炎を上げ続ける囚人に、瞬華が半ば呆れつつ口を開いた。
「延索殿。その姿勢は見上げたものだが……城内では、お前は既に処断されたと聞いていた。なぜここで生かされている、こちらはそれを訊きにきた」
大きなため息をつく延索。
「処断、ねえ。
あいつ、俺の首すら斬れねえのに、そんなこと言いやがったか。
処断されたのは、俺の首じゃない。ここさ」
指を指すのは彼の膝だった。
無造作に膝を覆う布を取り払った刹那、瞬華が思わず息を飲んだ。
延索の右足は、くるぶしから先がすっぱりと切り落とされていた。
「あんたならわかるだろ? 俺は肉刑を受けた。俺はもう、牽の王にはなれねえ」
足の断刑は、その者が政治もしくは思想の罪を犯したことを意味する。牽を建国し、その玉座に座ったはずの延索に肉刑が施されていることで、牽内部で引き起こされた事態が更に不気味に歪んでいると、瞬華には感じ取れた。
「謀反を……起こされた?」
「認めたくはねえが、そうなる」
曰く――紫河は延索に完璧な土地を用意した。その功績をかい、延索は紫河を軍師とし、薯蕷を都督として牽を動かしていこうと決めていた。
だが弟・延曲はそれを拒み、長く仕える忠臣を差し置き、怪しげな男を軍師に据えるなど暴挙であると、紫河を貶めたのだという。
当時、延索は外敵を蹴散らし、弟の延曲は内政を担っていた。
紫河を利用したら追い出す腹づもりだったのか、当時水賊としてつき従っていた者の誰もが、紫河が見つけた現在の牽の土地が最高の環境であると当時誰もが思っていたにも関わらず、口々に罵詈雑言を並べ立て、彼の排除を始めたのだ。
「弟は酒癖が悪くてな。酒と女を宛がわれて既に出来あがっちまっててさ。延の焼印片手に、全員で俺の口を封じてきやがった。
気がついたら紫河は放逐されて、俺と薯蕷は謀反の罪……この机と同じようにされちまったわけだ」
言って、一隅が欠けた机に背を預ける。粗末な着物の緩んだ交領がはだけ、その中から二度と治ることのない奴隷の印──延の文字の焼き印が施された傷を晒しながらも、彼は逞しい笑みを絶やさない。
「俺みてえな動いてなんぼの人間に、事の成り行きを見守ることしかさせねえなんて、殺されるより酷い扱いなんだけどな。
以降、俺はずっと囚われの身さ。ま、いつでもここを出る準備はしてるけどな」
「……しぶといな」
「俺にはそれしかねえからな。ここから出ることさえできりゃ、望みは繋がるんだがよ」
瞬華は彼の足に眼を落とした。
傷口は既にふさがり、歩く程度には差し障りはないように思えるものの、戦場を駆けるには甚だ不都合な身体であることに変わりない。
是非問うてほしい気持ちを持て余している彼に瞬華が尋ねた。
「お前の望みとは?」
「そうだなあ、まずもう一度大暴れすることかな。周りにたぶらかされて道を踏み外してく延曲の話を聞くたびに俺もつらい。けど、そもそもは俺が蒔いちまった種だ、俺が片付けないといけない気がしてよ」
かつかつと看守が戻ってくる足音が聞こえ、延索は目を配った。
「状況はどうあれ、あんたに会えて良かったぜ。そろそろ帰りな。獄の臭いが染み付いたら、あんたも困るだろ」
促され、瞬華がその場から立ちかけると、ふと思い出したかのように口を開いた。
「延索殿。切られた足の行方は知っているか」
「それが見てねえんだよな。おおかた俺の墓にでも埋められて──って、どうして今、それを聞く?」
「……いや、少し」
考えを巡らせると、瞬華は格子の向こうで静かに次の言を待つ延索を見つめた。
「延索殿。実はもうすぐ、ここに朮の部隊が来る。私を取り戻しに来るそうだ」
「ということは……戦か?」
「ああ。残念だが、おそらく弟殿への報復は朮軍が行ってしまうだろう。
貴公は手負いだ。戦が始まり次第、私はここの鍵を開け、貴公らを逃がす。
おそらく紫河も同じことを言うだろうが──貴公が成すべきことは、この機に乗じ逃げ延びて、その器を牽より外で活かすことと、私は察する」
「まったく――芙蓉門の言うことは、いつも的確だな。迷えば必ず、俺の欲しい言葉をくれる」
延索の瞳に、きらりと光が灯った。
「心は決まった、あんたに従う。もし幸運にも生き延びることができたら、その時は──是非あんたを隣に迎えたい」
唐突な提案にどきりとしたが、瞬華は少し微笑んで首を横に振った。
「悪いな。私にはもう主がいる」
「うん? 良姜の話じゃ……ま、いいや」
もごもごと何事か独りごちて、延索は言った。
「なら、仕方ない。今のうちに口説いてやるか。
あんたも自分の主に飽きたら、いつでも俺を頼って来いよ。俺は蛇床の先の水辺に戻ってる。延の旗を探して問え、『延索に会わせろ』って。
あんたの顔なじみなら、何人連れてこようが受け入れてやるからよ」
格子の隙間から手を差し出し、延索は握手を求める。一瞬ためらったものの、格子向こうから害意のない笑みで延索が促すと、瞬華は立ちかけた腰を再び屈め、堅い握手を交わした。
「……さて」
瞬華の足が出口を通りすぎ、つかつかと隣の房の前で止まった。
「お前が薯蕷だったとはな」
薯蕷。
隣の房、延索からそう呼ばれた男は、どきりとした反応を見せていた。
「私をご存知なのですか」
「噂は聞いている。月季に文を寄越しているな。身体を気遣う内容ばかり」
「……」
蛇でも這っているかのような、垢で汚れ乱れた髪の中から、繊細な瞳がこちらを覗いた。
「客死の旅に出されたと聞いていた。どうしてお前はここにいる」
瞬華はそう言って再び膝を折ると、彼の顔をじっと覗きこんだ──。




